7話 レオニーの秘めたる能力
「レオニー様、今度はとんでもない偉業を成し遂げたんですってね。クローディアの領民が、あなたを女神と讃えていると伺ったわよ」
ある日のお茶会のこと。
月日を重ね、さらに親しくなったミュラー夫人が、目をキラキラと輝かせながら続けた。
「まさか、あなたがカステリオ語を話せるだなんて存じ上げなかったわ!」
まだまだ隠し玉を秘めているのね、なんて言いながら、ミュラー夫人が笑いかけてくる。
一方、私はそんな夫人に苦笑を返すことしかできなかった。
私がカステリオ語を話せること。それは、ルースティン侯爵家に嫁いだからこそ得られた副産物なのだから。
あの家に嫁いでから離婚するまでのおよそ七年間、私にはずっと同じ教育係がついていた。
彼女の名はエレナ。父親はシトリア人で、母親はカステリオ人という非常に珍しい組み合わせの両親を持つ女性だった。
というのも、カステリオ王国は外部とほとんど交流を持つことのない、いわゆる鎖国的な独立国家なのだ。
よって、カステリオ王国の人間が、外の人間と結婚することは、非常に稀なことだった。
それほどまでに、外部との交流がない国であれば、当然カステリオ語を学ぶ優先順位は下がる上、学ぶ機会も整っていない。
しかし、私のすぐ傍にはずっとエレナがいた。
そこで、私はせっかくだからと、彼女からカステリオ語を学んだのだ。
嫁いだのが十歳だったから、今思えば驚異的なスピードで私はカステリオ語を覚えることができた。
だからこそ、今でもそれなりに定着してカステリオ語が話せるというわけだ。
――それにしても、私もまさかこんな形で生かせる機会が来るとは思わなかったわ。
興味深そうなミュラー夫人の熱い視線を受けながら、私は例の一件を思い返した。
◇◇◇
それは、私がシャルリー様と施療院を訪問した帰りのことだった。
「ん? 止まったな」
「何かあったのでしょうか?」
邸宅までまだ距離があるはずなのに、道の途中で私たちが乗る馬車が止まった。
こんなことは今までで初めてのことだ。
――もしや馬車強盗だったらどうしましょうっ……。
思わず身体に力が入る。それと同時に、外からいつもの御者の声が聞こえた。
「閣下、進路の先に停車中の馬車があります。どうやら、様子がおかしいようで……」
「……確認しよう」
シャルリー様は眉を顰めると、御者席側のカーテンを開けて前方を見やるなり、すぐに怪訝そうな声を出した。
「見かけない顔だな」
その言葉を聞き、私もカーテンの隙間から前方の景色に目を向ける。
すると、傾いた馬車の外に出て困った表情を浮かべる、ふたりの男女が視界に映った。
「確かに見かけない顔ですが……平民ではありませんね」
「ああ、シトリア王国外の貴族だろうか?」
確かにそうかもしれない。
女性が身に着けている服は、どことなくこの国とのトレンドとは違う雰囲気を醸し出している。
加えて、軽装とはいえ彼らが身に纏う服の布地は、遠目からでもわかるほど上質だ。
よって、彼らがこの国の者でなくとも、それなりの身分を持つ者であろうことが察せられた。
「仕方がない。助けに行くか」
シャルリー様がぽつりと呟く。
その瞬間、偶然にも馬車の前で立ち尽くしていた彼らが、こちらの存在に気付いた。
まるで砂漠の中にオアシスを見つけたかのごとき表情を浮かべる彼らは、慌てた様子でこちらに駆け寄ってくる。
その彼らに応じるように、私たちも馬車から降りる。
すると、ふたりの男女は私たちの下へと辿り着くなり、慌てた様子で声をかけてきた。
「あの、私たち、馬車動かない」
「地面、車輪落ちた、助けてほしい」
彼らのうち、男性の方が私たちに話しかけながらも、悔しそうに顔を歪めて呟く。
《もっとちゃんとシトリア語が話せたらっ……!》
耳に入ってきた懐かしい言葉に、私は気付けば口を開いていた。
《もしかして、あなた方はカステリオ王国の方でしょうか?》
私がそう話しかけるや否や、ふたりは革命でも起きたかのごとく目を大きく見開いた。
《あ、あなたは、カステリオ語が話せるのですか……?》
《ええ、少し教えていただいたことがあるので》
驚く男性に答えを返すと、隣にいた女性が目に涙を溜めて言葉を紡いだ。
《息子が病弱なので、保温性の高い服を入手しようと、羊毛が有名なここまでやって来たのです。ですが、馬車が泥にはまって動けなくなってしまってっ……》
そういうことだったのかと、ようやく合点がいく。
ちょうどその時、ふと私の右肩に包まれるような重みが乗っかった。
振り返ると、色々ともの言いたげなシャルリー様と目が合った。その目を見ると、妙に胸がざわめきを覚える。
しかし、彼は私が話すカステリオ語に対して何も言及することなく、平静さを保った声で尋ねてきた。
「レオニー、彼らは何と言っているんだ?」
「羊毛の買い付けに来たものの、馬車が泥にはまって動けなくなったみたいです」
「そういうことか。ただ、日が暮れたらここらは真っ暗で人気もないから危ないだろう。邸宅に案内すると伝えてくれ」
シャルリー様のこの指示により、私は彼らに邸宅に一緒に行こうと伝え、四人でクローディアの馬車に乗り込んだのだった。
◇ ◇ ◇
馬車の移動中に、彼らは我がシトリア王国と、ごくわずかに隣接しているカステリオ王国のドルチ伯爵夫妻だと判明した。
きちんと入国許可証にも、その旨が記されていたため間違いない。
こうして素性が分かり、一安心した私たちは、邸宅に戻り彼らとディナーを共にした。
そして、食後のお茶の時間になると、彼らは感謝の言葉を改めて述べ始めた。
「本当にありがとう。助かった」
「あなたたち、命の恩人」
カタコトながら、シトリア語で話す彼らからは感謝の気持ちが溢れるほどに伝わってくる。
その後、聞き飽きるほど感謝の言葉を言い続けたドルチ伯爵夫妻は、部屋に戻るという直前になり、私にカステリオ語で話しかけてきた。
《齟齬をなくすため、申し訳ないですがカステリオ語で失礼します。あなた方に、ぜひ何かお礼をさせていただきたいです。何かご希望はございますか?》
《答えは今すぐでなくとも構いません。いつでもお待ちしておりますわ》
夫妻はそう言って頼もしげな笑みを浮かべると、シャルリー様の秘書であるアルベールに連れられ、談話室から退室していった。
こうして、夫妻が去った部屋の中は、私とシャルリー様のふたりきりになった。
すると、案の定シャルリー様が声をかけてきた。
「我が妻は、どうやら俺の知らない能力を持っていたらしいな」
そう言うと、共に見送りのため扉前に立っていたシャルリー様は、私の手を引き長椅子へと歩みを進めた。
やがて、彼は椅子に座ると、繋いだ手を引き寄せるように軽く引っ張り、私を彼の膝の上へと横向きに座らせた。
「それで、最後に彼らは何と言っていたんだ?」
甘やかながら探るような目で見つめてくる彼に、ついドギマギしてしまう。
「ええと、お礼をしたいから考えておいてくれと」
「それは取引でも良いのだろうか?」
「可能かはわかりませんが、希望はないかと尋ねられましたので、交渉の余地はあると思います。ところで……いったいどのような交渉をなさるおつもりですか?」
不思議に思い、首を傾げて彼の顔を覗き込む。
すると、シャルリー様は私の流れた髪を耳にかけながら答えた。
「砂糖と羊毛の相互貿易の取引だ」
「っ……! 砂糖は世界的にも希少です。取引なんて可能でしょうか?」
「俺らにとっての砂糖が、あちらにとっては羊毛だ。ただ、羊毛には代替品があるから、取引成立は容易ではないだろう。だが、ここには成立の可能性を上げる人物がいる」
「え? それって……」
「レオニー、この取引には君の存在が必要不可欠だ。君に、彼らと取引交渉の役割を引き受けてもらいたい」
あまりにも大役過ぎて、思わず手が震えそうになる。
だが、シャルリー様はどこか楽しそうな様子で、微かに口角を微かに上げて続けた。
「レオニーならできる。俺を信じてくれ」