6話 願い事
川岸へと移動する道すがら、私から灯篭を流すことが決まった。
岸辺に座り、火をつけた灯篭をそっと水面に浮かべて祈る。
――クローディアの皆が平和でいられますように。
フェリックスもシャルリー様も、皆が元気で健康なまま暮らせますように。
ちょっと欲張りふたつの願いを込めて、灯篭から手を放した。その後、シャルリー様も念じるように目を瞑り、しばらくして煌々と光る灯篭を流した。
「次はフェリックスの番よ」
いつもは朗らかなフェリックスだが、今はどこか使命感を抱いたかのような、真剣な面持ちをしている。
「が、頑張るね!」
そう言うと、フェリックスは私とシャルリー様の間に座り、灯篭をゆっくりと慎重に水面へ浮かべた。
目を閉じて、聞こえない声で何やらぶつぶつと呟いている。何を願っているのかは分からないが、一生懸命何やら唱えた彼は、ようやくその手を灯篭から放した。
◇◇◇
「また、こんなに素敵な景色が見られるなんて……」
私たちは川を流れる灯篭が一望できるところへと、場所を移した。
“星明かりの祝祭”その名に相応しい幻想的な光景に、うっとり見入ってしまう。
そのとき、シャルリー様に抱き上げられたフェリックスが、不思議そうな声を上げた。
「このとーろーはどこに行くの?」
「川の行き止まりを作ったところに行くんだ」
「行き止まり? どうしてつくるの?」
川はどこまでも続いていると思っているフェリックスにとっては、よほど不思議なことだったのだろう。
首を傾げる彼に、シャルリー様は穏やかに続けた。
「たくさん灯篭を流したら、川の流れが止まってしまうことがあるんだ。だが、どこで止まるのかが分からないだろう?」
「そうなの?」
「ああ、そうだ。川の流れが止まると、皆が困ることになる。だから、川が流れ続けられるようにするために、わざと行き止まりを作って灯篭を回収するんだ」
シャルリー様のその答えを聞くと、途端にフェリックスの顔色が変わった。
「へ~! じゃあ、集めたとーろーはどうするの?」
「乾かすんだ。灯篭は木で作られている。その木を乾かすと、火の付け木にできるんだ」
「う~ん?」
四歳児相手には、ちょっと難しい説明かもしれない。
私からも言葉を加えることにした。
「フェリックスがいつも食べているパンがあるでしょう?」
「うん!」
「パンは窯っていうものに火をつけて温めてから、パンのもとをそこに入れて焼いて作られるの。その窯に火をつけるとき、灯篭の材料だった木が使えるのよ」
「そうなの!?」
「ええ、そうよ。窯はみんなで使うから、そこに乾かした木を置いて、いつでもみんながパンを作れるようにするの」
領民たちのため、クローディア領では一定区域ごとに共同のパン窯を用意している。
ただ、この説明もフェリックスには少し難しい話だったかもしれない。
そう思った矢先、フェリックスは私の予想に反し、ぱあっと表情を輝かせて言った。
「じゃあ、ぼくのおねがいはパンになったんだね! よかった~!」
その言葉を聞いて、私は思わずシャルリー様と顔を見合わせる。
――どういうこと?
そう訴えかけた私に目移るのは、同じく分からないという答えを投げかけてくる彼の顔だ。
私は単刀直入にフェリックスに尋ねた。
「フェリックスは、いったいどんなお願いをしたの?」
「みんながおなかいっぱいになりますようにってお願いしたよ!」
まさかのお願いである。我が子ながら、なかなかに核心を突くお願いじゃないだろうか。
シャルリー様も予想外だったのか、驚いた様子で目を見開いている。
だが、そんな我々の様子に気づくことなくフェリックスは続けた。
「だって、おなかいっぱいだったらみんな笑ってるでしょ? みんな笑ってたら、ぼくがうれしいの!」
――天使なのかしら……?
こんな模範回答が、素で出てくるとは思ってもみなかった。
どう育ったら、こんなことが言えるの?
いや、育てているのは私たちなのだけれど。
私がこの年の頃にしたお願いは何だろうか。そう振り返ってみると、あるひとつの願い事が心に浮かんだ。
――お父様とおしゃべりがしたいだなんて……私も随分と純粋な時期があったのね。
多く家を空け、ようやく帰ってきたと思えば陛下の話ばかりで、私の話は一切聞いてくれない。そんな父親に期待していた自分もいたのだと、自嘲を隠して微笑む。
だが、決して過去に囚われ落ち込んだわけでは無い。
その心境の中で、私は新たな決意を胸に刻んだのだ。
お父様を反面教師にして、子どもに寂しい思いをさせない、信頼される親になるよう目指そうと。
「レオニー、フェリックス」
シャルリー様の声に導かれて、隣を見上げる。
すると、優しい笑みを浮かべた彼が言った。
「今日は最後に美味しいものを食べて帰るか」
「わーい! パパ大好き!」
その言葉と共に、フェリックスがシャルリー様の首に腕を回して抱き着く。
すると、シャルリー様はそんなフェリックスの頭を撫でながら、そっと私の頬に口付け耳元で囁いた。
「これでみんな笑顔だ。そうだろう?」
「っ……はい!」
――この人と一緒なら、どんなことでも乗り越えられそうね!
今日は仮面を着けているから、私たちが領主家族だとは誰にもバレない。
込み上げる高揚と共に、私はフェリックスとシャルリー様に抱き着いた。
すると、フェリックスがシャルリー様を真似るように、私の頭を撫でながら言った。
「ふふっ、ママも大好きだよ」
フェリックスの言葉ひとつで、灯篭の穏やかな灯に包まれたかのような温もりが心に宿る。
こうして、私たちはひとしきり抱き合った後、星々が揺蕩う川面を眺めながら、お腹いっぱい美味しいものを食べて邸宅に戻った。
今後もこうして、星明かりの祝祭の素敵な思い出が増えていくのだろう。
その想像を膨らませるだけで、私の顔には自然と笑顔が広がるのだった。