5話 心配してくれる人
どうしてこんなところに、あんなにも幼い子がひとりでいるのかしら。
どこかで外れてしまったのか、仮面も着けていない。
あの見た目だと、だいたい四、五歳くらいといったところか……。
いくら平和な街とはいえ、皆の気分がいつもとは違う今、幼子ひとりきりというのは危ないだろう。
私は奥さんに断りを入れて、その女の子の元へと向かった。
「どうしたの? だいじょう――」
辿り着いて声を掛けてみると、女の子がギョッとおびえたような顔で私を見上げた。かと思えば、そのまま慌てた様子で走り出してしまった。
――このまま見逃してしまったら、危ないことに巻き込まれてしまうかもっ……!
そう思うと同時に、私の足はその女の子の背を追って駆け出していた。
――どこに行ったの!?
辺りをキョロキョロと見回す。すると、ふと女の子が着ていた服と同じ藍色が路地裏に吸い込まれるのが見えた。
――あそこね!
追いかけて路地裏を覗くと、そこには「ママ」と言いながら蹲る先ほどの女の子がいた。
今度こそ怯えさせてはいけないと、私は少し遠くから声をかけることにした。
「さっきは驚かせてごめんなさい。泣いていたから心配だったの」
「あっ……」
女の子はこちらを見ると、ビクッとしながらも先ほどより少し警戒心が薄れた表情になった。
できるだけ怖がらせないように。そう言い聞かせながら、私はゆっくりと女の子に近付いて続けた。
「もしかして、お母様とはぐれたの?」
「うん……」
「お名前は?」
「……ゾフィー」
「そう、ゾフィーね。私と一緒にお母様を探しに行かない?」
「ほんとうに……? 一緒に探してくれるの?」
「ええ、本当よ。さあ、行きましょう。そろそろ日が暮れてしまうから、その前に見つけないとね!」
そう言って、私はゾフィーに手を差し出した。その手を、おずおずとしながらもゾフィーは握り返してくれた。
こうして、路地裏から出て五分ほどが経った頃――
「あっ! ママいた!」
「ゾフィー!」
無事、ゾフィーをお母様に引き渡すことが出来た。
お母様とゾフィーに何度も何度もお礼を言われ、少しほっこりとした気持ちになる。
「気を付けて帰ってね」
「うん! ありがとう! バイバイ猫ちゃん!」
女の子はそう言いながら笑うと、最後は私に向かって手を振ってくれた。
「はあ……良かった」
ふたりと別れてひとりになり、そっと息を吐く。その瞬間、私の頭からは一気に血の気が引いた。
――シャルリー様に何も言わずに来てしまったわ……!
絶対心配しているに違いないと、慌てて踵を返した。
日が傾き辺りが暗がりを見せ始め、辺りは喧騒に包まれ活気に溢れているというのに、孤独感が胸に込み上げてくる。
「シャルリー様……」
気分を紛らわせようと、小さく彼の名を口にする。
折しも、私の顔面にボスッと軽く弾む衝撃が走った。
「も、申し訳ございません。お怪我は――」
人にぶつかってしまった。
急いで謝りながら相手の顔を見上げ、私はハッと息を呑んだ。
「シャルリーさ――」
「レオニー!」
目の前の彼は私の名を叫ぶと、徐に私を掻き抱いた。
そのまま、さらにギュッと腕の力を強める。
「レオニー、見つかって良かった!」
「心配をかけてごめんなさい。迷子の女の子を追いかけて――」
「知ってる。店主の奥さんから聞いたんだ。君の優しいところは好きだが、どうか二度と同じことはしないでくれっ……」
シャルリー様はそう言うと、ようやく腕を解き私の仮面越しの顔を見つめて続けた。
「とにかく無事でいてくれて良かった。……女の子は無事か?」
「はい。無事お母様に引き渡せました」
「なら良い。ご苦労だったな」
私はそのシャルリー様の言葉を聞いて、思わず泣きそうな気持で訊ねた。
「お、怒らないのですか……?」
「人助けをしたのに怒るわけないだろう。レオニーが無事ならそれでいい。ただ、絶対に二度目はないと約束してくれ」
そう言うと、シャルリー様は私の手を取って歩き出した。
「祝祭の本番はこれからだ。せっかくだから楽しい思い出で締め括ろう。まだレオニーに見せたい景色があるんだ」
シャルリー様のその言葉に、胸が熱くなる。
本当はもっと色々言いたいことがあっただろうに、どうしてこんなにも優しくしてくれるのだろうか。
私は彼が幾重にも隠した思いを痛感しながら、彼の手をギュッと握り返して歩き出した。
◇◇◇
――今思えば、私もまだまだ幼かったのね。
思い出に浸りながらシャルリー様に目を向けると、彼への愛おしさが込み上げる。
その傍らで、シャルリー様が祝祭について楽しそうに語るフェリックスに、ある提案をした。
「今年はフェリックスも星明かりの祝祭に参加してみるか?」
「本当に!? 行きたい! ママも一緒だよね?」
「もちろん。じゃあ、今年は三人で行こう」
こうして、星明かりの祝祭に行く約束してから十日後、ついにその日が訪れた。
「うわ! 来たときよりもっと人がふえてる!」
私とシャルリー様に挟まれるように手を繋いだフェリックスは、間でぴょんぴょんと嬉しそうに跳ねる。
そのフェリックスの仮面は、私が初めて祝祭に参加した時に着けたものと色違いのものだ。
一方、私たちは五年前に使った仮面を着けている。
つまり、三人でお揃いの仮面を着けている状態ということ。そう考えると、思わず感慨に胸が震える。
「ねえねえ、次はどこに行くの?」
私たちの手を引っ張るフェリックスは、どこまででも駆け出しそうなほど元気いっぱいだ。
公爵家の嫡男として育てられている分、こうした体験が新鮮なのだろう。
とても楽しそうに笑うその姿を見て、私の頬も自然と緩む。シャルリー様も仮面越しの目を細め、フェリックスに温かい眼差しを向けていた。
「そろそろ、準備をしないといけないな」
「じゅんび?」
フェリックスは見当がついていないようだが、私はそう呟くシャルリー様の言わんとすることがすぐに分かった。
「灯篭流しですね」
「とーろーながし?」
「ええ、そうよ。灯篭というものに願い事を込めて、暗くなった頃にそれを川に流すのよ」
私の言葉に、フェリックスは興味深そうに目を煌めかせる。続けて、シャルリー様も声をかけた。
「この灯篭流しの光景は、シトリア王国の祭りの中で、一番美しいと言われているんだ」
「一番? ぼくもそれやりたい!」
「もちろんだ。よし、今から灯篭を探しに行こう」
こうして、私たちは灯篭探しを始め、あれだこれだと迷いながらも、各々が流す灯篭の入手に成功した。
ちょうどその頃、夜の帳が降り始め、街は昼間とは異なる表情をゆっくりと纏い始めた。
人々の賑やかさは変わらないものの、昼の熱気とは違いどこか神秘的な雰囲気が漂っている。
その街の中を、逸る気持ちを抱えながら三人で歩いていると、ようやく目の前の景色が開けた。
「あっ! 川だ! きれい〜!」
夜空に浮かぶ星々を映し出した川は、まるで地上の天の川のように美しく煌めく。
近付けば近付くほど、その輝きに溶け込むように、ちらほらと流され始めた灯篭が見えてきた。
「流すときの願い事は決まったか?」
シャルリー様のその尋ねに、私とフェリックスは元気よく頷きを返す。
すると、シャルリー様は息の合った私たちを見て、くすりと笑みを零した。
「じゃあ、川岸まで行こう」