3話 レオニーのためならば
『レオニー、来週末に星明りの祝祭が行われるが、一緒に参加してみないか?』
当然、私はこのシャルリー様の提案に乗った。
それから数日後、ついに待ちに待った星明りの祝祭の日がやって来た。
――噂には聞いていたけれど、とても賑わっているわね!
馬車の通り道にも溢れ出そうなほど、多くの人が集まっている。
街の中はきっと、もっと多くの人で埋め尽くされていることだろう。
だが、人の数よりも私の目を引くのは、この祭りの最大の特徴。彼らの顔を覆い隠す、多種多様な色とりどりの仮面だった。
顔のすべてを覆ったものや、目元だけを隠すものなど、着用した者の個性がキラリと光る仮面に、ちょっぴり心が弾む。
そんな光景を馬車の中から眺めつつ、私は正面に座るシャルリー様に声をかけた。
「シャルリー様、今日ご用意くださった私たちが着ける仮面は、いったいどんなデザインなのですか?」
準備はすべて俺に任せてくれと言われ、初参加となる今回はその言葉に甘えることにした。
よって、私はまだ自分が着ける仮面を知らないのだ。
予想するだけでも、ワクワクした気持ちが込み上げる。
「そろそろ渡しておこうか」
私の期待が伝わったのか、シャルリー様はフッと笑みを零す。間もなく、座席の空きに置いた袋に手を掛けると、中からふたつの仮面を取り出し、そのうちひとつを私に差し出した。
「俺と色違いのものだ。気に入ってくれると良いのだが……」
「ありがとうございます! って……え?」
受け取った仮面を見て、私は驚きを隠せず声を漏らした。
だって、誰が想像しただろうか。
――ネコの仮面だわ……!
渡された仮面は、顔の上半分を覆うタイプで、白地にピンクゴールドの色の模様が入り、チャームポイントとして猫耳が付いたものだった。
ちなみに、彼の仮面は私の仮面のピンクゴールドの模様の部分が、青みがかったシルバーになっている。
シャルリー様も同じ型のモノを着けるのに、このネコの仮面を選ぶなんて意外でしかない。
「ネコがお好きなのですか?」
私が知らない彼の新たな一面を見た。
そんな気持ちで訊ねると、肯定でも否定でもない言葉が返ってきた。
「好みの問題というよりも、領民たちに素性がばれづらい物を選んだんだ。領民も、まさか俺がネコの仮面を着けるなんて、考えもしないだろう?」
確かに、言われてみればその通りだ。
シャルリー様の“氷の公爵様”という通り名は、社交界だけで広まっている名前ではない。
貴族の通り名というものは、数か月後には平民たちにも広まっているのだ。もちろん、自身の領主のものなら、知らない者はいないだろう。
「猫との組み合わせを考えると、シャルリー様とは思われないかもしれませんね」
「だろう? あとは……レオニーがこれを着けたら可愛いだろうと思ったんだ」
そう言うと、シャルリー様は少し恥ずかしそうに視線を逸らした。雪のような彼の銀髪の隙間から見える耳が、微かに熱を帯びた赤に染まっている。
――ふふっ、可愛らしい人ね。
微笑ましさで思わず笑みが零れそうになりながら、私は受け取った仮面を装着して彼に声をかけた。
「シャルリー様、似合っておりますか?」
彼の表情を窺うように、軽く首を傾げる。
すると、こちらを見たシャルリー様はパチパチと目を瞬かせ、途端に破顔した。
「よく似合ってる。可愛すぎて誰にも見せたくないくらいだ」
「か、仮面で顔が隠れているんですよ? それだと本末転倒――」
「だが、存在自体が可愛いんだから仕方ない」
「っ……! シャ、シャルリー様も着けてください! 私もあなたが着けた姿を見てみたいですっ……」
危ない、危ない。
あまりにさらりと言うものだから、ワンテンポ遅れて心臓が止まりかけた。
どうしたら、そんな言葉を当たり前のように口に出せるのだろうか。
天然でド直球な言葉をぶつけてくるのだから、困ったものだ。
いや、困ったと言いながら、非常に嬉しくはあるのだが……。
色々な想いが錯綜する中、私は照れ隠しのために後頭部で括ったリボンをスルリと解き、いったん仮面を外した。
その時だった。
「どうだ? おかしくはないだろうか?」
私の要望に応えてくれたようで、仮面を装着したシャルリー様が声をかけてきた。
――骨格から整っているのに、似合わないわけないわ。
もう既に答えは分かっているとばかりに、シャルリー様に目を向ける。刹那、私は思わず心の声を口から零してしまった。
「エ、エリアス様っ……!」
「エリアスとはどこの男だ?」
私の言葉を聞くなり、シャルリー様が仮面越しに目を細めると、すかさずワントーン低い声で尋ねてきた。
その瞬間、我に返り私は慌ててシャルリー様に弁明を始めた。
「エリアス様というのは、先日ミュラー夫人に教えていただいた、かんっ……いえ、その……れ、恋愛小説のヒーローでして」
「……」
「仮面を着けたエリアス様と、今のシャルリー様が瓜二つなくらいそっくりだったので、かっこよすぎてつい――」
ネコだから可愛いばかりの仮面だと思っていた。
しかし、シャルリー様が着けたらそれはただの可愛い仮面でなく、彼のミステリアスな色気と魅力を引き出すためのツールになっていた。
しかも、小説の挿絵にあったエリアス様は、猫の仮面そっくりの耳が付いた、キツネの仮面を着けていた。
それも相まって、仮面をつけたシャルリー様を見た途端、まるでエリアス様が小説の中から飛び出して来たかのような錯覚に陥ったのだ。
――でも、あまりに不躾だったわ。
「ごめんなさい。気遣いが足りませんでした。ただ、本当にシャルリー様があまりに素敵で――」
「分かった。別に怒っていないから落ち着いてくれ」
「え?」
「ちょっと嫉妬しただけだ。ただ……架空の男で安心した」
仄かに頬を赤らめるシャルリー様。その反応にどきまぎしているうちに、彼は流れるように私の左手を掬い上げると、薬指の指輪へとキスを落とした。
「シャ、シャルリー様?」
「レオニーはもう既に俺の妻だ。よその男に奪われてたまるか」
「も、もちろんです! 私はあなたの妻です! もう小説も読まないようにしますし――」
「別に読んでも良い。それがレオニーの楽しみのひとつなんだろう?」
そう言うと、シャルリー様は正面の席から私の隣へと席を移して、徐に私の肩を抱いて続けた。
「俺は、レオニーの行動に制限をかけたくないんだ。一人の人間として、好きに生きてほしい。そのために俺がもっと努力したらいいんだ」
「っ……そんな、シャルリー様は今だけでとても――」
「レオニーのための努力は何も苦じゃない。君の心を掴むことも俺の楽しみなんだ。だからとりあえず――」
シャルリー様はそう言いながら、するりと自身の仮面を解き落とす。
直後、親指と人差し指で私の頬を軽く摘まむと、鼻同士が触れ合いそうなほどグッと顔を近付けて言った。
「その、いわゆる恋愛小説とやらを俺にも読ませてもらおう」
いつの間にか摘ままれた頬には、大きな手が添えられている。かと思えば、それは愉しそうに弧を描く彼の唇が、そのまま私の唇に重なった。
「レオニー、もっと勉強するから。俺に君の好きなことをすべて教えてくれ」
唇を離すなり、熱い吐息と共にそっと耳元で囁かれ、私の顔には一気に熱が集中する。
すると、その私の反応を見たシャルリー様はくくっと喉元で笑い、ようやく満足そうな表情を浮かべた。
「今日の祝祭で、まずエリアスとやらを上書きしてやらないとな」
彼はそう言うと、からかったことを謝るかのように、私の頭頂部にキスを落としたのだった。