1話 温もりを確かめ合って
『実は今日、あなたを呼んだのはある提案があったからだ』
『提案……ですか? どういったものでしょう』
『私たち二人で結婚しないか?』
氷の公爵の通り名を持つ、シャルリー・クローディア。
その彼から求婚されるという、私、レオニー・メルディンにとって人生な大きな分岐点となったあの日から、早五年が経った。
月日の流れというのは本当に早いもので、今では時々置き去りにされてしまうのではないかと思ってしまう。
カシアス様、もといルースティン侯爵とプリムローズ嬢の不貞を知った時のどん底から一転し、忙しさはありつつも、数年でこんなにも穏やかで満ち足りた生活を送れるなんて想像もできなかった。
あの日、彼が私に手紙をくれなかったらこんな人生は送れていなかっただろう。
シャルリー様がいてこそ、私は今こうしてここに生きていられるのだ。
――何だか無性にシャルリー様に会いたくなってくるわね……。
だが、彼は現在、外交交渉で王宮に滞在しなければならず、あと三日は帰って来られない。
夫であるシャルリー様が家を空けてから一週間。
普段なら短い三日でも、シャルリー様と会えないという条件が付くと、残りの三日間がいつになく長く感じられた。
「シャルリー様が帰って来た時、安心できるようしっかりしなきゃね……!」
切なさで胸がツキンと痛むも、私は改めて自身に気合を入れ、ある場所を目指してただ歩みを進め始める。
そのときだった。
「レオニー」
廊下を歩く私の背後から、聞き慣れた優しい男性の声が聞こえた。
跳ねるように振り返ると、恐ろしいほどに容姿端麗な彼がにこりと笑いかけてくる。その顔を視界に捉えた途端、私の心には一気に花開いたような嬉しさが込み上げた。
「シャルリー様! どうしてこちらに……!?」
なぜ彼がここにいるのか分からず、驚きながら彼の元へと駆け寄る。
幸いにも私たちの周りには誰もいない。
それを良いことに、混乱しながらも高揚が勝った私は、とりあえずシャルリー様の懐に飛び込んだ。
そんな私を包み込むように、シャルリー様が私の腰に腕を回す。
「嬉しい歓迎だな。レオニー、ただいま。会いたかったよ」
「おかえりなさい。私も会いたかったです」
胸元から顔を離し、大好きな彼の顔を見上げる。
すると、彼は目が合うなりはにかんで、私の口元に柔らかいキスを落とした。
それだけで、会えなかった一週間が満たされるかのような幸福が込み上げる。
誰かをここまで愛せるなんて、こんな幸せなことがあって良いのだろうか?
「早く帰れるよう、交渉を頑張ってまとめてきたんだ」
「はい、本当にお疲れ様です。あなたが帰って来てくれて、とっても嬉しいです!」
「こんなにも喜んでもらえるなんて、本当に頑張った甲斐があったな。レオニー、このあとの予定は?」
その問いを受け、私は今後の予定を脳内に思い浮かべた。
「重要な仕事はすべて終わらせたので、あとは届いたお手紙にお返事を書くだけです」
「なら、それはもう少し後にしてくれるか?」
「えっ?」
後にとはどういうことか。
そう思った瞬間、私の身体は地面から浮いていた。
シャルリー様が突然、私を姫抱きにしたのだ。
「シャルリー様!?」
「ずっと会えなかったからレオニーを堪能したい。レオニー、君の時間を俺にくれないだろうか?」
まるで捨てられた猫のように、キュルンとした眼差しを向けられて断れるわけがない。
それに、私だってシャルリー様にずっと会えなくて寂しかったのだ。
「あなたのためなら……いくらでも」
そう答えると、シャルリー様は免疫のない人が見たら卒倒してしまいそうなほどの眩い笑みを浮かべ、私を二人の部屋へと連れて行った。
◇ ◇ ◇
ちょっと待ってほしい。
――身体がガチガチだわっ……。
シャルリー様は私を部屋まで連れて行くと、私を自身の膝の上に座らせて、そのままずっと抱きしめ続けていた。時折、頭やおでこ、瞼や頬、唇や首筋へ、まるで全身をゆっくりと侵食するかのように、食むような柔らかい口づけを落として。
――完全に私の反応をからかって楽しんでいたわね。
今度、しっかりお返ししないとっ……。
私は隣を歩く、いつにも増して満足そうにツヤツヤとした彼を見上げた。
「シャルリー様、次はあなたの番ですからね」
「いつでも歓迎する。レオニーになら俺は何をされても良いぞ」
「っ……!」
どうしてこうも飄々としていられるのだろうか。
やはり、シャルリー様は私よりも何枚も上手だ。
私は真っ赤になっているであろう顔を隠すため、すぐに正面を向いて歩くスピードを速めた。
すると、シャルリー様はそのスピードに合わせて歩幅を開き、あっという間に私と横並びになった。
――いつも合わせてくれるわね。
本当なら、とっくに目的地についているでしょうに。
さりげない彼の優しさを改めて実感すると、意地を張っていた自分が急に馬鹿らしく思えた。
シャルリー様にバレないように、こっそりと深く息を吐く。そうして軽く目を伏せると、横目にシャルリー様の大きな手が見えた。
私よりも二回りは大きく、関節の硬さを感じられるその手は“氷の公爵”という通り名に相応しく思える。
だが、私は知っている。
繋ぐと温かいその頼りになる手は、私の手だけでなく心も安心感で包んでくれるのだ。
氷なんて言葉とは、ほど遠いくらいに。
「レオニー?」
私は何も言わず、シャルリー様の手を握った。
その行動に驚いたのか、シャルリー様がわずかに驚いたような声を上げる。
しかし、彼はすぐに私の手をすっぽりと包み込むように、優しく握り返してくれた。
「どうして俺の妻はこんなにも可愛らしいのだろうか? そう思わないか? レオニー」
「では、どうして私の夫はこんなにも魅力的なのでしょうね。シャルリー様?」
そう言って、左を歩く彼に視線を向けると、私の視線は当然のごとく紺碧の瞳に捕らえられた。
本当に吸い込まれそうになるくらいに、いつ見ても美しい目だ。
そう思っているうちに、その目の持ち主は更なる言葉を続けた。
「妻が世界一魅力的だからだろう」
「では、私も夫が世界一魅力的だからでしょうね」
そこまで言って、私は耐え切れず笑ってしまった。
シャルリー様はそんな私を、温かい瞳で見守るように見つめながら微笑んでいる。
――やっぱり私にはシャルリー様だったのね。
私はそっと胸を弾ませながら、シャルリー様とつないだ手を指と指で絡め合った。ついでに、先ほどよりも彼に寄り添うと、ぽっと火が灯ったように心が温かくなる。
こうして、私は帰ってきたシャルリー様の温もりを再確認しながら、肩を並べて共に目的地を目指したのだった。