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番外編3 名前のない感情

 レオニー・メルディン――彼女が邸宅に来たら、慣れるまでは居心地が悪くなるだろう。そうシャルリーは考えていた。

 無理もない。今までろくに接することのなかった他人と暮らすことになったのだから、当然のことだろう。


 しかし、いざ彼女がやって来ると、シャルリーは自身のその考えが、思い込みに過ぎなかったということを痛感した。

 彼女の存在は居心地を悪くするどころか、シャルリーの心にささやかな安らぎのようなものをもたらしたのだ。


 初日のディナー。あの日の出来事こそが、シャルリーの心を大きく変えた。


 シャルリーがこれまで生きてきた人生の中で、まさか人にステーキを切り分ける日が来るなんて、思いもよらないことだった。

 しかも、シャルリーはこのとき、まるで雷を身体に打たれたかのような衝撃を受けた。


『私の分はこのステーキで十分です。その代わり、このお肉の美味しさを公爵様と共有できたら嬉しいです』


 レオニーが何気なく発したこの言葉。

 計画的に相手の懐に入ろうとするために言った言葉なら、それなりの効果が見込めるかもしれない。


 だが、彼女のこの言葉はどう考えてみても、計画的とは思えなかった。心からの言葉に思えたのだ。


 普段、シャルリーの権力を得るために媚びを売ってくる輩や、勝手に怖がり攻撃をしてくる輩とばかり接さざるを得ないシャルリーにとって、レオニーのあまりにピュアなこの言葉は、シャルリーの心を揺り動かすには十分すぎた。


 その後、シャルリーは「公爵様も食べてみて!」なんて言葉が聞こえそうなほどの視線を向けるレオニーに応えるように、ステーキを口にした。

 いつもの出来立てとは違い、少し冷えたステーキだ。

 だが、このステーキは彼が今まで食べたどのステーキよりも、格別に美味しいものだった。


 どうしてだろうか。

 この時のシャルリーは、まだその感情の正体を知ることはなかった。


 その食後、シャルリーは自室で1人、ディナーの出来事を振り返り、仄かに目元を緩めた。そのまま、ゆっくりと目を閉じ、これまで彼女が自身に見せた表情を思い返した。


 交流してから間もないというのに、意外なほど多様な彼女の表情が瞼の裏に思い浮かぶ。

 しかし、ふとレオニーが父親……シャルリーにとっては義父となる人物の前で見せた、悲しげな表情が、その表情の中に入り混じってきた。


「彼女のがんの一つは、あの父親か……」


 国王の秘書官である彼女の父親の、国王に見せる心酔ぶりは、貴族のあいだでも有名だった。

 きっと国王自身もそれを自覚しており、メルディン侯爵だけは自身を裏切らないだろうと、思っているに違いない。

 そう察せられるほど、メルディン侯爵の国王愛は大きかった。


 だが、その愛のために誰にも気にされることなく犠牲になった人物。

 それは、紛れもなく自身の婚約者であり、妻になる予定のレオニーだった。


 しかも、その犠牲の果てが夫の不倫。それもただの不倫ではなく、相手の女に嫡男の子どもとなる子を妊娠させてしまったのだ。

 このことは、貴族女性が生存していく上でかなり致命的な問題だった。


 しかし、その逆境の中、彼女はそのときの自分にできる最善の行動を取り、己の価値を損なうことのないよう、毅然と冷静な判断を下した。


 それだけ取ってみると、今日の彼女とはまるで別人だ。とはいえ、それもまたシャルリーがまだ知らない彼女――レオニー・メルディンの一部なのだろう。


 プリムローズという前例がいる以上、今後彼女が豹変する可能性もあり得る。

 それでも、現時点において一つ確信を持てることがあった。


「今のところ、公爵夫人の器にふさわしいな」


 本当はつらいはずだが悲しみ嘆くことに浸らず、前進して生きていく強さ。

 そのうえ、相手のためを思う優しさも持ち合わせている。決して簡単にできることではない。


 ほんの少しの交流からでも、そういったレオニーの凛然たる姿勢を見出したシャルリーは、思わず一人でそう呟く。

 それと同時に、別のことについても思考を巡らせていた。


 ――だからといって彼女がいくら強い女性だろうが、このまますべてを水に流すのは良くないな。彼女のこれまでの努力は正当に認められるべきだろう。


「このまま浮かばれないんじゃ、彼女が気の毒だ」


 脳内で計画している構想が、すべてうまくいくかは分からない。

 だが、まずは結婚発表予定の半年後を目指して、そういった機会を作ろう。


 ただし、それはあくまで序章だ。

 彼女の父親にこそ、己の罪を分からせなければ……。


 そう考えながら、シャルリーはさまざまな策略を巡らせる。

 その時、はたと気付いた。


「どうしてここまで……」


 真剣になって考えているんだろうか。

 自身の思いがけないほどの熱に気付き、シャルリーはひっそりと驚いた。


 だが、すぐに心当たりのある人物が脳裏を過った。


 ――お祖父様か……。


 心の片隅に残った、かつての自分の気持ちを昇華させるため、ここまで考えてしまうのだろうか。正直なところ、確信が持てるほどは分からない。

 ただ、一つだけ言えることがあった。


「やはり、彼女と俺は似ているのかもしれないな」


 そう呟くシャルリーは自身の胸に手を当て、名前のない感情に心を締め付けられながら、これからについて考えながら夜を明かしたのだった。

このたび、書籍化が決定しました!

皆様の応援のおかげです。誠にありがとうございます。


また、この話に関してですが、番外編1とのつながりが強いので、後日順番を変えますので、お含みおきいただけますと幸いです。

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