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3話 決別

 部屋に入り扉を閉めた途端、自分でもどうしてか分からないが乾いた笑いが止まらなくなった。

 人生史上最悪の気分だというのに。

 しかし、ふと頬を伝う何かを感じた。



「っ……」



 そっと頬に触れた指先が濡れていた。

 自分がおかしくなってしまったと思っていたが、どうやらまだ身体は正常に働いていたようだった。



 これからどうしよう。

 あまりにも突然のこと過ぎて、気持ちが追い付かない。

 妊娠したという彼女のお腹は、妊婦と分かるほど目立っていなかった。

 それがなおさら、私が現実を呑み込むことの妨げとなった。



 あのお腹の中にカシアス様の、私の夫の子どもがいる。

 とても信じられなかった。

 でも、あの彼女のお腹を守ろうとする姿を見ると、本当に妊娠しているのだと信じざるを得なかった。



「私、本当に間抜けな馬鹿じゃないっ……」



 カシアス様に呼び出される前に自分が考えていたことが、酷く馬鹿らしい恥の塊のように思えた。

 つい先ほどまでは、あんなにもカシアス様に恋い焦がれていたのに、私の無邪気で純真な想いは心ごとカシアス様たちに穢されてしまった。



――離婚状を作ろう。



 政略結婚だろうが関係ない。

 後見人の父を頼らず済むくらい、この7年でカシアス様は成長したのだ。

 部屋に入るなり立ち尽くしていた私は、執務用の椅子に座り離婚状の作成に取り掛かった。



 それから3分ほどが経ったころ、私の部屋の扉をノックする音が聞こえた。

 7年間もともに過ごしていたのだ。いちいち確認しなくても、誰が訪ねてきたのかは分かった。

 だから、私はあえて入室許可を返さなかった。



「レオニー……」



 勝手に扉を開けて、カシアス様が入ってきた。

 流石に集中できないため、私は書き進める手を止めて顔を上げた。



「っ! 泣いてたのか……?」



 涙はもう流れていないはずだが、目元が赤くなっていたのだろうか。

 彼は私の顔を見るとハッと目を見開いた後、なぜか痛ましげな表情を浮かべた。

 そして、ありえない一言を放った。



「……大丈夫か?」



 彼はそう声をかけるなり、私へと軽く駆けると抱き締めようとしてきた。

 そのあまりにも度し難い行動に、私は思わず叫んだ。



「来ないで」



 睨みも加えると、彼はピタッとその場に踏みとどまった。

 だが、そこの位置から私の手元が見えたのだろう。

 震えるような声で、カシアス様が質問を投げかけてきた。



「離婚状って……本当に離婚する気なのか?」

「はい」

「本気なのか?」

「はい」

「っ……でも、女性から離婚の申し出は――」

「ご安心ください。法が許しておりますので」



 この国では基本、男性からしか離婚の申し出ができない。しかし、女性から申し出られるいくつかの例外がある。

 そのうちの一つが、正妻に子どもがいないときに限り、領主もしくは次期領主の子を妊娠、出産した者がいた場合、正妻側から離婚を申し出られるというものだった。



――出戻りでもいい。

 夫の第一子が私の子でないと死ぬまで貴族のゴシップネタにされたり、私の子どもがその子のせいで苦労したりするよりよっぽどマシだもの。



 呆然と立ち尽くすカシアス様を無視して、私は再び離婚状の作成に着手した。

 そして、完成したそれを机上でスライドさせ、彼の目の前に突き出した。



「カシアス様、サインをお願いいたします」



 目の前に差し出された紙に、カシアス様は動揺した様子で数度瞬きをした。

 それからしばらくし、悲痛に染まった顔の彼が掠れた声で尋ねてきた。



「レオニーは、僕を好いてくれていたんじゃなかったのか?」

「っ……」



 どれだけ私の心を殺したら済むのだろうか。

 気付いていただなんて、知りたくなかった。

 少なくとも、結ばれる未来が断絶した今は。



「嫌いです」

「えっ……」

「今日をもって、あなたが嫌いになりました。二度と関わりたくありません。早くサインをしてください」



 彼が望む通りの答えを告げる。

 カシアス様はこう言えば納得するのだ。

 皮肉なことに、これもこの7年をともにして学んだことだった。



「こちらを」



 書きやすいようにと、私は彼にペンを差し出した。

 すると、彼は躊躇いながらもようやくペンを手に取り、いつも彼が書くものより不格好なサインを綴った。



「……それでは、私は実家に戻ります」

「えっ!? そんなすぐだなんてっ……」

「急がないと、白い結婚だと認められなくなるでしょう」



 いつもの私だったら、くよくよして何の行動も決定も出来なかっただろう。

 しかし、すぐに離婚を決意できたのは、まさにこの問題があったからこそだった。



 子ども同士の結婚の場合、初夜は18歳以上にならねば迎えてはならない。

 この法律には子どもを守るためという目的がある。

 しかし、あくまでそれは一側面であって本来の目的は別にあった。



 それは、政略結婚を継続する理由が無くなった場合、18歳未満は容易に離婚できるようにするというものだった。

 要するに、白い結婚の保証性を高めるという目的だ。



 もちろん、この法律を守らない夫婦もいる。

 しかし、たいていの貴族は万が一のためにと、家門全体でこのルールを厳しく守っている。

 よって、白い結婚の証明が成り立っているのだ。



 私は明日18歳の誕生日を迎える。

 タイムリミットはすぐそこまで来ていた。



「実家に戻りお父様のサインをもらい次第、教皇庁にこちらを提出します」



 着の身着のままでも最悪どうにかなるだろう。

 私は最低限の荷物をまとめて離婚状を手にすると、カシアス様を置き去りにしたまま馬車へと向かった。



「奥様、お出かけですか? どちらに向かわれます?」



 あまりに荷物が少なかったからだろう。

 にこにこと愛想よく微笑みかけてくる御者は、馬車置き場に来た私がそこらへんに出かけると勘違いしているようだった。

 私は決まりの悪さを感じながら、その御者に目的地を伝えた。



「私の実家……メルディン侯爵家までお願いします」



 そう告げたときだった。



「待ってくれ、レオニー!」



 振り返ると、駆けて前髪を乱したカシアス様と対峙した。



「何でしょうか?」

「どうか、もう一度考え直してはもらえないだろうか? その……」



 彼は御者を一瞥すると言葉を濁した。

 だからこそ、私ははっきりと言葉にして伝えた。



「離婚は撤回いたしません。しばらくしたら、離婚証明書をお送りするので受け取ってください」



 私は彼にそう告げて、戸惑い動揺する御者に指示を出して馬車に乗り込んだ。

 そして、扉を閉める前に絶海の孤島に1人取り残されたような表情をする彼に、私は最後の言葉をかけた。



「どうかお幸せにとは言えませんが、さようなら」



 きっと、18歳になるまでに離婚状を提出することは間に合わないだろう。

 しかし、この家を17歳の私が出たという事実があるだけで、噂が広まり白い結婚は保証される。



――これで良かったのよ。



 扉を閉め、独りで自分の心にそう言い聞かせる。

 すると間もなく、馬車が動き出した。



 道の石が多いのか、馬車はいつにも増してガタガタと音を立てながら進んだ。

 いつもなら煩わしい音。

 だが今日の私はその音を頼りに、初めて声をあげて泣いた。



 こんな終わりが来るとは思ってもみなかった。

 私の初恋と7年続いた結婚生活は、私の誕生日前日に、夫からよその女との間に子どもができたことを知らされるという最悪な形で幕を引いたのだった。

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