25話 裏切りの愛は破滅を迎え
目の前の光景に、プリムローズは愕然とした。
――どうして……。
そんな感情が濁流のごとく、彼女の心を呑み込んでいく。
目の前の男は、本当に私の知るあのシャルリー・クローディアなのだろうか。
いや、嘘だ。彼はこんな誰かを愛するような人ではない。
だが、目の前の光景は否が応でも、これは現実だと突き付けてきた。
どうしてこうなったのだろうか。
なぜこの女ばかりが甘い蜜を吸ってばかりなのか。
プリムローズはレオニーを見るだけで、腸が煮えくり返るような思いが込み上げた。
そのポジションは、本来私のものだったのだと。
「どうしてよっ……どうしてあなたばっかり!!」
哀れな者を見るような眼差しを向けてくる2人に、プリムローズは思わず絶叫した。
すると、それを皮切りにどす黒い思いが、彼女の口から止めどなく溢れた。
「本当は私が公爵様と結婚するはずだったのにっ……!」
「浮気しなければ良かっただろう」
恨めし気に叫ぶ彼女の発言を、シャルリーはピシャリと両断した。
その言葉に、プリムローズは思わず面食らった。
しかし、すぐさま悲し気に顔を歪め、目に涙を溜めて掠れ声を絞り出した。
「寂しかったのっ……」
プリムローズがシャルリーの婚約者だったころ、彼はプリムローズに業務的にしか接さなかった。
私情を出したかと思えば、たいてい使用人を庇う発言ばかりで、プリムローズは彼に窘められてばかりだった。
そんなとき、ある夜会で容姿端麗な優男のカシアスに出会ってしまったことは、彼女の心に更なる欲を生んだ。
カシアスはプリムローズが望んだとおり、出会って直ぐに彼女の心の寂しさを埋めてくれた。
妻がいることは知っていたが、彼女が傷付こうがどうでもいいと思えるほど、カシアスに嵌まったのだ。
だが、出産を終えて以降、カシアスは当時の彼とはかけ離れた人物となった。
仕事や使用人への接し方に関し、何かとプリムローズとレオニーを比較するようになったのだ。
レオニーだったらできた。
レオニーはもっとうまくやっていた。
レオニーはもっと皆に優しかった。
レオニーは君のように暴れたりしない。
レオニーにできたんだから、プリムローズにもできるはずだ。
レオニー、レオニー、レオニー、レオニー。
彼はことあるごとに、レオニーの話ばかりをするようになり、プリムローズのプライドはすぐにボロボロになった。
だというのに、私のプライドを打ち砕く元凶となったレオニーは、彼女のかつての婚約者とまるで相思相愛の夫婦のように接している。
本当は私がその立場にいるはずだったのに。
こんなこと、許されないと思った。
「キャスもあなたの話しかしないっ。どうして私の居場所を取るのよ!」
プリムローズのその念の籠った叫びに、シャルリーもレオニーも絶句した。
◇◇◇
私はプリムローズの発言に呆れ、思わず言葉を詰まらせた。それから数秒後、自然と言葉が口を衝いて飛び出た。
「私はあなたの居場所を奪っていないわ。あなた自身が招いたことでしょう」
「いいえ! あなたがキャスを繋ぎ止めて置いてくれたら、こんなことにはならなかった!」
プリムローズはそう言うと、額に血管を浮かばせ顔を真っ赤にし、私を睨みつけてきた。
すると、そんな彼女にシャルリー様が怒りの声を飛ばした。
「いい加減にしろ。俺の妻にこれ以上の無礼は許さない」
恐怖で氷漬けにするほどの厳しい眼差しを、彼はプリムローズに向けた。
しかし、彼女はそんなシャルリー様の視線をものともせず、乾いた笑い声をあげた。
「はっ……何よそれ。私を怒らすために、わざと愛するふりをしているんでしょう? あなたみたいな冷血漢が、誰かを好きになるなんて有り得ない。他は騙せても、私は騙せないんだから……!」
この期に及んで何を言っているんだか。
斜め前に立つシャルリー様の横顔を一瞥した後、私の口からは空気が漏れだすかのようにため息が零れた。
すると、彼女はその私の態度にイラついたのか、悲愴に満ちた笑い顔で私に声をかけてきた。
「公爵様は誰かを愛するなんて、そんな人じゃないわ。
馬鹿ね、あなた騙されてるのよ! 彼は私のことも愛さなかったもの!」
こんな荒唐無稽なことならば、まともに取り合わず言わせておけばいい。
理性がそう私の心に呼びかけてくる。
だが、こうして勝手にシャルリー様を悪しざまに語られること。そして、私が彼女とあたかも同列のように語られることに対し、無性に腹が立った。
そのため、私はつい彼女に言い返した。
「そういう他責思考だから、シャルリー様はあなたを好きにならなかったのよ」
「そんなわけない! この人は誰も愛せない。あなたのことも愛してなんか――」
「ご心配には及びません。誠意に満ちた彼の愛を、私は知っていますから」
私はそう言って、隣に立つシャルリー様とアイコンタクトを取った。
すると、彼は嬉しそうに目を細めながら私の肩に腕を回し、言葉の代わりにこめかみにキスを落とした。
その瞬間、目の前のプリムローズがこれまでにないほど、ブルブルと震え始めた。
かと思えば、その場にへたり込むように泣き崩れた。
「嘘よ! そんなの許さないっ……! 何であなたばかりっ! こんなはずじゃなかったのっ……私の人生はもっと……!」
プリムローズはしゃくりあげながら、嘆きの涙を流し始めた。
彼女はそうして泣き続ける中、酷く憤りと恨みを感じる瞳で、私のことを睨めつけてくる。
そして、合間合間に私への恨み節をブツブツと呟き始めた。
そのあまりの態度に、私の中の張り詰めた糸はプツンと切れた。
「こんなはずも何も、あなたとカシアス様の2人の選択の結果じゃない」
「でも、本来の私の人生はもっと――」
「夫人、あなたは母親になったんでしょう」
私の言葉が予想外だったのだろう。
プリムローズが目を大きく見開き、喉の奥からひゅうッという空気を漏らした。
その後、震える声で言葉を発した。
「だ、だから何なのっ……」
瞳の奥は、戸惑いの色が滲んでいる。
そんな彼女に、私は淡々と言葉を続けた。
「思い通りの人生じゃないと泣き言を言うけれど、あなた達の子は生まれた時から両親のせいで特異に見られるハンデを背負ったのよ」
私自身が、両親に恵まれたとは言い難い環境で育った。
だからこそ、彼女を見ていると無性に子どものことが心配になった。
私からしたら裏切りの証明のような子。
しかし、その子自身に罪があるとは思っていなかった。
わざわざ苦労をしてほしいなんて、思ってもいないのだ。
だけど、母親がこのままではどう考えても辛い未来しか考えられない。
そのせいで、将来その子が起こすトラブルに巻き込まれるのもごめんだ。
そう考えると、どうしても黙ってはいられなかった。
「子どもがあなたに産んでと頼んだの?」
「そんな酷い言い方――」
「あなた達の選択でその子は産まれたのよ。あなたはただ守られるんじゃなくて、守る側にもなったの」
「っ……!」
「ならせめて、こんなことをせずに、その子が周りに侮られないような母になるようにしてちょうだい。子どもを大人の都合で犠牲にしないでっ……」
言葉を紡ぐにつれ、胸に込み上げる何かが私の喉を絞っていく。
すると、地面に視線を落としたプリムローズの、あまりに度し難い声が耳に届いた。
「何よ、その綺麗ごとっ……。子どものために、どうして私がそんな苦労をしないといけないのよ。私はっ……私が一番大事なの! だから、まずはシャルリー様を返してよ!」
彼女はそう言うと、私たちに向かって駆け出そうと立ち上がった。
しかし、そんな彼女が進めかけた足を止める声が空間に響いた。
「なんてことっ……」
「今の発言は!」
「なんと無情な……」
背後から聞こえる声に、私もシャルリー様も驚いて後ろに振り返った。
すると、そこには先ほどサロンに参加していた夫人たちが、複数人こちらを見つめながら立ち尽くしていた。
――どうしてここに?
そう思った直後、すぐにその答えは分かった。
「あ、あの……聞くつもりは無かったのです。ただ、ルースティン夫人の叫び声が聞こえて様子を見に……」
きっと、プリムローズの叫び声が響いていたのだろう。
それで、興味本位で見に来た結果、この光景が彼女たちに待ち受けていたというわけだ。
しかし、そんな彼女たちの背後から、さらに驚きの人物が現れた。
「プリムローズっ……」
「キャ、キャスっ……。何であなたがっ……!」
なんと、カシアス様が夫人たちと一緒に来ていたのだ。
曲がり角で死角になっていたが、カシアス様には先程のプリムローズの発言はしっかりと聞こえていたようだった。
「今の発言は一体どういうつもりだ。自分が腹を痛めて産んだ子だろう? どうしてそんなことがっ……」
「っ……。全部、あなたのせいよ! あなたが私に優しくしてくれないから! あなたを選んだのが間違いだった。今からでも元通りにっ……!」
そう言うと、プリムローズは私の隣にいるシャルリー様に、懇願するかのような視線を向けた。
やつれていても、社交界の華と言われるだけの美貌がある彼女のその姿は、見ようによっては酷く儚げで庇護欲にそそられるような姿をしていた。
グッと不快な気持ちが胸に込み上げる。
だが、そんな彼女を一刀両断する声が響いた。
「戯言も大概にしろ」
低く凍てついたその声を聞き、私は反射的に隣の人物に目をやった。
すると、シャルリー様は私の視線に気付き、微かに口角を上げて手を繋ぐと、私に目配せをしながら言葉を続けた。
「俺が愛するのは、後にも先にも妻のレオニーだけだ。俺の心はレオニーのものだ。よって、元通りなどありえない」
容赦のないシャルリー様の言葉。
それを受けるなり、プリムローズはザッと顔から血の気を失い、再び床に崩れ落ちた。
同時に、こちらに顔を向けていたカシアス様は、絶望に染まった表情を私に向けていた。
しかし、彼は何か言いたげにしながらも口をギュッと引き締め、そのまま地面にへたり込んだプリムローズに視線を落とした。
その直後、渦巻く感情を必死に堪えるかのようなカシアス様の、彼女の名を呼ぶ声が聞こえた。
「プリムローズ」
見たことが無いほど目を血走らせ、ギュッと拳を握り締めたカシアス様。
一緒に暮らしていた時ですら一度も見たことが無い彼の表情に、思わず私の背筋はゾクリと震えた。
どうやらそれは、プリムローズも同じだったらしく、彼女はカシアス様の顔を見るなり、怯えたような表情をした。
「キャ、キャス……」
「君の考えは分かった」
「えっ……。そ、それってどういう……」
「これからは僕があの子を1人で育てる。別れよう」
「そ、そんなっ……! じゃあ、私はこれからどうしたら――」
「トル公爵を頼って、好きに生きるといい」
そう言うと、カシアス様は切なく痛ましげな眼差しを私に向けた後、すぐに目を逸らしてそのまま元来た道を歩き始めた。
その瞬間、私たちの様子を見物していた夫人たちは、興味津々ながらも、建前上気まずそうに道を開けた。
「どうして私だけがこんな目に……」
夫人たちのどよめきが始まると、その声に紛れて下の方からプリムローズの力無い声が聞こえてくる。
そのときだった。
「レオニー」
耳元で囁かれたその声につられそちらに顔を向ける。
すると、目の間に迫ったシャルリー様の美麗な相貌が飛び込んできた。
「俺たちも行こう」
シャルリー様にそう声をかけられ、私は返事をする代わりに、握り合った手を強く握り返した。
こうして、かつて私たちの人生を狂わせた者同士の愛の終焉を迎えた現場から立ち去るように、私たちは2人で馬車へと向かったのだった。
長らく間が空きすみません。
本編完結後は、番外編を進めていく予定です。(リクエストいただいた分だけ)
リクエストいただいた初夜や2人の日常などを書く予定です。
また、24話についてですが、色々思うところがあり一部書き直しましたので、お時間がある方は修正版もお読みいただけますと幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
補足)プリムローズが、どうしてシャルリーとやり直しを要望したか。
カシアスはレオニーと同じように、プリムローズにも仕事をしてほしいと思っていました。
一方、シャルリーは下手に手を出されることが嫌なため、プリムローズに仕事を振りませんでした。
むしろ、彼女に期待していないため、どうか仕事をしてくれるなという感じでした。
そのため、プリムローズは性格はきついし怒ってくるところは嫌だけど、仕事のことを言ってこないシャルリーとやり直したいと思いました。
ちなみに、仮にやり直したとしたら、彼女はすぐにカシアスの方がマシだったと思います。