22話 肉を切らせて骨を断つ
しばらく馬車に揺られた私たちは、建国祭の会場となる王宮に辿り着いた。
シャルリー様は私が降りやすいよう、降車のエスコートをしてくれた。こうして、私たちは腕を組んで会場の入り口に向かおうとした。
だが、背後からの声がその私たちの歩みを止めた。
「レオニー!」
「まあ、なんて素敵なドレスを着ているの!?」
「お前見違えたな!」
「あらあら、本当にお綺麗よ」
心をかき乱す声が聞こえ、私は沈んだ気持ちで背後に振り返った。
案の定、メルディン侯爵家の一同――父、母、兄、義姉の四人が勢揃いしている姿が映った。
皆、奇妙なほどに私に笑いかけてきている。
「レオニー、会いたかったぞ。まったく……家族なのに会いに来ないなんてつれないやつだな」
そう言うと、お兄様はガッと腕を伸ばして、私の肩を無遠慮に掴もうとしてきた。
しかし、そのお兄様の手を別の手が防いだ。
「まともな挨拶も無しに失礼ですね、レグルス卿。それに、いくら妹とはいえ私の妻です。彼女への手荒な真似は許しませんよ」
「そんな、手荒なんてつもりはっ……」
お兄様は戸惑いの声を漏らしながら、何かもの言いたそうな顔をして手を引っ込めた。
すると、この気まずさを何とか打ち払おうとしたのだろう。続けてお父様が口を開いた。
「いやいや、クローディア公爵、お久しぶりですな。レオニー、久しぶりだな」
「お久しぶりです」
形式的に挨拶を返すと、お父様は私に怪しがるような視線を向けて口を開いた。
「ふむ……。ちゃんと報告していなかったから拗ねているのか? 安心しろ。お前に会わない間、ちゃんとトル公爵家に抗議しておいたぞ。だがそれだけではない。なんとセシリーも活躍したんだ。ほら、教えてやれ」
お父様はそう言うと、私とさして顔も合わせたことも無い兄嫁を、まるで実娘かのように前に出した。
「どうされたのです、セシリー様」
「実はあなたのために、昨日の夫人の集まりでルースティン侯爵とプリムローズの不倫の噂を広めてあげたの。だから、皆あなたに過失はないと知っているから――」
「私がいつ、そのようなことをしてくれと頼みましたか」
怒りを隠せぬ声が私の口から漏れた。
すると、てっきり喜ぶとでも思いこんでいたのか、私の予想外の反応を受けたセシリー様の表情が強張った。
「いや、頼まれては無いけれど……」
何とか声を漏らす彼女は、何が悪いのだろうと考えているようだった。
そんな彼女を責めるのは実に無益なことだった。
――領民や生まれてくる子どもに影響を及ぼしたくなかったから、積極的に噂を流さなかったのにっ……。
だがいくらそう思っても、噂が広まってしまえばあとの祭。私にはどうすることも出来ない。
何とも虚しい気持ちが心に襲う。
そのとき、隣にいたシャルリー様が口を開いた。
「あなた方は、何としてでもレオニーを傷付けたくて堪らないようですね」
「そんなことっ……!」
お母様がそう叫ぶも、シャルリー様は顔色一つ変えず、一切の忖度なく言葉を続けた。
「これからは、レオニーのすべてのことに私が責任を持ちます。ですので、金輪際、彼女のことで勝手な行動をするのは謹んでください」
こんなことで迷惑をかけてしまうだなんて。
そう思う私の心を察したかのように、シャルリー様は私の顔を軽く覗き込み、そっと微笑みかけてくれた。
その仕草一つで私の心は嘘みたいに安堵に包まれる。
「シャルリー様、ごめんなさい……」
「レオニーは何も悪くない、気にするな」
彼はそう言うと、温かい瞳を一気に変容させ、氷の剣のような視線をメルディン家一同に向けた。
「ご理解いただけましたか?」
よほどシャルリー様の顔が怖かったのだろう。
お母様とセシリー様はもちろんのこと、お兄様もうんうんと頷いていた。
だが、お父様は頷きの代わりに口を開いた。
「それは公爵の言う通りにいたします。ただ、そうなるとレオニーはもうメルディン家の人間では無いということですよね?」
「籍でという意味ならば、その通りです」
シャルリー様がそう答えると、お父様は破顔して私に向き直った。
「レオニー、お前は公爵家に嫁いで不便1つないのだろう?」
「はい……」
突然どうしてそんな質問をしてくるのかしら。
意味が分からず訝しい眼差しを向けると、お父様はそれは嬉しそうに言葉を続けた。
「だったら、トル公爵家とルースティン家から届いた慰謝料は、メルディン家に入れていいよな?」
「っ……!」
「お前がクローディア公爵家にいるとは知らないから、あいつらはメルディン家に支払ったんだよ」
頭が真っ白になった。
私の心の傷を思いがけない幸運とばかりに利用されているのだ。もう、涙すら出てこなかった。
その代わり、私の口からは自然とある言葉が溢れた。
「いいです。もうお好きにしてください」
「本当か!?」
「はい。その代わり本日をもって私はあなた達と絶縁いたします。行きましょう、シャルリー様」
「ああ」
私はもう振り向くことなく、今度こそ会場に向かって歩き出した。
何だかんだクローディア家の恩恵を期待していたお父様は、私の言葉の意味をようやく理解したのか、取り返しのつかないことをしたと後ろから嘆き声を上げている。
しかし、私はそれでも彼らに振り返らなかった。
……振り返りたくなかった。
「レオニー……」
「気にしないでください。傷付いていない訳ではないですが、私、こう見えて意外とスッキリしたんです」
「……」
「本当ですよ? だって私にはシャルリー様がいますから。……それでいいんです。そうあなたが教えてくれました」
私はそう言って、微笑みながらシャルリー様を見上げた。すると、私を見下ろす柔らかい表情をした彼と目が合った。
「レオニー、君はかっこいいな」
「それはシャルリー様の方でしょう?」
「ふっ、可愛いことを言ってくれる。ただ、君が強く美しい女性であることには違いない。この調子なら胸を張って入場できるな」
「ええ」
彼に頷くと、彼も私に頷き返してくれた。
かと思えば、シャルリー様はそのまま流れるように、私の耳に触れるようなキスを落とした。
――やっぱり彼は、私の気を紛らわす天才ね。
こうして、私たちは会場内に足を踏み入れたのだった。
◇◇◇
私たちが会場に入ると、城内にはどよめきが響き渡った。
だが、一切気にすることなく、私たちは王への挨拶に向かった。
「国王陛下、この度は建国の祝いの席にご招待いただき誠にありがとう存じます」
シャルリー様とそう告げると、陛下は愉しそうに笑い声をあげた。
「そう畏まるな。それで、発表は打ち合わせ通りで良いのだな?」
「はい」
陛下からの質問に、シャルリー様が肯定する。
その直後、陛下は愉しそうな表情を真面目なものへと一転させ、私に視線を移し、出し抜けに私の名を呼んだ。
「レオニー夫人」
「はい」
「幼き頃からそなたには悪いことをしたな。侯爵からは、君に意思確認をしたと聞いていたんだ。不甲斐ない主ですまなかった」
――どうして私、陛下に謝られているの?
てっきり結婚祝いの言葉をかけられると思っていた。
だからこそ唐突に始まった謝罪に訳が分からず、私は説明を求めてシャルリー様を見つめた。
すると、彼は戸惑う私の耳元に顔を寄せ、コソッと囁いた。
「レオニーへのこれまでの扱いが許せなかった。だから、陛下に諌言書を提出したんだ」
「えっ……」
私に秘密にしていたからか、シャルリー様は少し気まずそうに視線を彷徨わせた。
だが、やはり自分は間違ったことはしていないと、私の目を見て言葉を続けた。
「君を蔑ろにしたやつは、それ相応の報いを受けるべきだ。君の7年が、軽んじられたままでいいわけがない」
「シャルリー様……」
ここ最近ずっと忙しかったのも、諌言書を書いていたからに違いない。
誰よりも私のことを考えてくれるのは、結局シャルリー様だった。
ダメと分かっているのに、泣いてしまいそうだ。
グッと奥歯を食いしばり堪える。その最中、陛下が口を開いた。
「私の期待が彼をおかしくしたのだ。自覚が無かったわけではない。本当に悪かった。侯爵も秘書職から降格させることに決めた。私への虚偽申告にあたるからな」
お父様は家族よりも陛下命のような人。
降格処分により、かなりの心的、また社会的ダメージを受けることは、火を見るよりも明らかだった。
お父様の立場を鼻にかける他の3人も、赤っ恥をかくことは間違いない。
これが相応の報いかは分からない。だが、領民を巻き込んで困らせる気もさらさらない。
そのため、私は陛下の謝罪に対し、波風を立てない返答をすることにした。
「恐縮ながら、謝罪をお受けいたします」
私がそう告げると、陛下はホッとしたように目を細めた。そして、微笑みながら声をかけてきた。
「君の広い心に感謝する。うむ……こうして見ると、2人は実に良い組み合わせのようだ。よし、皆にも知らせてやらないとな」
陛下はそう言うと、手を鳴らして楽器団の演奏を止めた。
それにより、陛下に貴族たちからの注目が集まる。
そんな中、陛下が口を開いた。
「本日は皆に喜ばしい報告がある」
陛下がそう告げると、貴族たちはその場で騒めき始めた。
「何ごとかしら?」
「喜ばしい報告?」
「ほら、見て。やっぱりあの2人のことなんじゃっ……」
1人の呟きが連鎖し、次第にその場は喧騒に包まれていく。それを止めるように、陛下がわざと咳払いをすると、再び静寂が訪れた。
その直後、陛下の一瞥による合図によって、シャルリー様が口を開いた。
「私、シャルリー・クローディアは、このたびレオニー・メルディンと婚姻を結びましたことを、この場を借りて皆様にご報告いたします」
公爵家は王族にルーツがある家系がほとんどのため、公然での結婚報告が慣例化していた。
だからだろう。
貴族のうち何人かは既に報告内容を悟っていた様子で、シャルリー様の言葉を聞くなり祝福の拍手を始めた。
「そんな気配は一切無かったが、誰かと一緒に来たと思ったら、やはり結婚相手だったのか」
「どうせ契約結婚だろう」
「でも、さっき入り口でキスしているのを見たわよ」
「えっ……。まさか、あの冷血公爵だぞ?」
「待って、レオニーってルースティン侯爵の元妻のレオニー様?」
様々な声が聞こえてくる。
そんな中、シャルリー様は隣に立つ私を気にかけるように微笑みかけてくれた。
その直後、ある一方からの声がよく耳に届いた。
「公爵様の表情、今日はどこか柔らかいような……」
その女性の声が聞こえ、私の心は喜びで溢れた。
彼が冷たい人だという誤解が薄れたことが嬉しかったのだ。
ついそちらに視線を向ける。だが、その先の光景を見た瞬間、私の心はスッと冷めた。
先ほどの声の主らしき女性の近辺に、感情が抜け落ちたような顔でこちらを凝視するカシアス様がいたのだ。
そして不覚にも、私はそんな彼と目を合わせてしまったのだった。