21話 繋がった2つの心
私は現在、非常に気まずい視線を浴びていた。
「あの……アルベール。なぜそんなにこちらを見るのですか?」
シャルリー様の書斎で仕事をしていると、同室でともに仕事をしているアルベールがこちらをニコニコと見つめてきたのだ。
「ああ、奥様。どうかお構いなく」
アルベールはそう言って、未だこちらから視線を外そうとはしない。
すると、そんな彼に低く鋭い声がかかった。
「アルベール、それはお前が言うべき言葉ではない。レオニーを見るな」
「私は奥様だけでなく、シャルリー様も見ておりますよ」
「見なくていい」
「そんなっ……! 私は仲睦まじいお2人を見ておりたいのです!」
アルベールはそう言うと、私だけに見える位置で親指を立て、それは爽やかな笑みを浮かべた。
――アルベールは私の片思いを知っていたものね……。
アルベールは私とシャルリー様の想いが通じ合ったと知った日、それは心の底から喜んでくれた。
今、彼が私たちに向ける視線も不躾ではあるが、優しく見守るかのように温かいものであることには違いなかった。
――本当にシャルリー様が大好きなのね。
そう考えると、主従を超えたシャルリー様とアルベールの関係が微笑ましく思えた。
「ふふっ」
「レオニー?」
「お2人は本当に仲がよろしいのですね」
私がそう言うと、2人は互いに顔を見合わせた。
だがすぐに私へと向き直り、先にシャルリー様が口を開いた。
「腐れ縁みたいなものだ」
「その通りです」
続けてアルベールが彼の言葉に同意する。
まさに阿吽の呼吸のその様子を見て、私の口角はさらに自然と上がった。
すると、そんな私を見たシャルリー様が手に持ったペンを置き、スクッと立ち上がり私の方へ歩み寄ってきた。
「レオニー、今日はえらく気分が良さそうだな」
シャルリー様はそう言いながら、梳かすように私の髪を一撫でした。そして、ある提案をした。
「仕事のきりも良い。ダンスの練習でもするか?」
「ええ、そうしましょう」
提案に乗ると、シャルリー様は立ち上がろうとした私に手を差し出した。
「お手をどうぞ」
「至れり尽くせりですね。ありがとうございます」
微笑みかけながら言葉を返すと、シャルリー様は立ち上がった私の頭にキスを落とした。
そして、腕を差し出し社交界のエスコートさながら、私を邸宅内のダンスホールへと誘った。
◇ ◇ ◇
窓から差し込む陽だまりの柔らかい照明の中、私たちはゆったりとしたスローワルツに身を委ねながら踊っていた。
何回も練習して分かったことだが、私はシャルリー様と踊りの相性が良かった。
そのお陰で、私たちは余裕あるこのダンスの時間を通して、互いに仲を深め合うことができていた。
今は社交期前の下準備の段階。
そのため、シャルリー様は外出する仕事も多く、家でも朝から晩まで仕事に忙殺されている。
だからこそ、このダンスの時間は私たちにとって、貴重な時間となっていた。
「レオニー、お願いがあるんだ」
「お願いですか?」
シャルリー様の口から、お願いという言葉が出てくるだなんて。私に心を開いてくれているのだと嬉しくなる。
だが、続く言葉は予想外のものだった。
「もっとわがままになってくれ」
「それが……お願い?」
「ああ、君は欲が無い。君のわがままなら、俺はいくらでも聞いてあげたいのに……」
こんなことがお願いだなんて。
軽く動揺した私の足は、思わず軽くもつれかけた。
だが、そんな私をシャルリー様は難なくフォローした。
「レオニー、何か言ってくれ」
「そんな急に言われても……。ここでの暮らしは、今までにないほど好待遇ですから」
本当に何も思いつかない。
そんな瞳で目の前の彼を見つめると、微かに痛ましげなシャルリー様の瞳と視線が交わった。
「ここでの生活は普通の待遇だ。君の家族やかつての人々は、君を随分と手荒く扱っていたようだな」
どうやらシャルリー様は怒っているようだった。
その姿を見ていると、心の傷に包帯を巻かれるような気分になった。
だが、いつまでもそんなことで彼の心を乱したくない。
私は何とか必死に頭を捻り、1つのわがままを思いついた。
「シャルリー様」
「どうした?」
「1つわがままを思いつきましたよ」
私がそう告げた途端、シャルリー様の瞳が太陽の光を受けた海面のように鮮やかに輝いた。
「何だ?」
「ディナーを一緒に食べてください」
「え……そんなことか?」
「そんなことではありませんよ。今日を含めて、3日連続一緒に食べてください!」
ここ最近は特に忙しいらしく、シャルリー様はディナー抜きの日も少なくなかった。
仕方ないこととはいえ、私も1人の食事が少し寂しく感じていたため、ちょうどいい機会だと思ったのだ。
「ダメでしょうか……?」
何だか急に不安になって来た。
3日連続はさすがに無理過ぎただろうか。
この時期になると、お父様もカシアス様も毎年ナーバスになっていたし、もしかしたらシャルリー様も……。
「ダメも何も、もちろん良いに決まっている」
「えっ……よろしいのですか?」
「当たり前だろ。もう少し俺に期待してほしいものだな」
そう言うと、シャルリー様は踊る足を止めた。
一緒に踊っていたため、私も釣られて足を止める。
その瞬間、シャルリー様が私の唇にチュッと軽く口付けた。
途端に、私の頬は熱を持つ。
まだ慣れないキスに、私の頬は苺くらい真っ赤に染まっているだろう。
その様子が面白いのか、シャルリー様は優しく目を細めて言葉を続けた。
「君のわがまま心を育てるのも、俺の腕の見せ所といったところか」
「そんなにわがままにされては困りますっ……」
なんてことを言うんだと、私は彼から軽く目を伏せた。その直後、頭上からシャルリー様の笑い声が降ってきた。
彼はあまり声を上げて笑う人ではない。
だからこそ、私は反射的に伏せていた目を上げた。
すると、愛おしそうに私を見つめる彼と視線が交差した。
「参ったな。君を困らせたいわけではないが、困ったレオニーがこんなに可愛いとは……」
彼はそう言いながら口元に軽く拳を当てていた。
だが、しばらくしてその拳を下ろすと深く息を吐き、私にゆっくりと歩み寄って額にキスを落とし、そのまま包むかのように私を抱き締めた。
「レオニー、明日だな」
「っ……! はい」
「一緒に提出しに行こう」
私はそう言った彼の胸元で頷き、返事の代わりに回す腕の力を強めた。
明日は私たちにとって、最大の記念日。ついに、婚姻届を提出できる日なのだ。
こうして、愛し合って結ばれる喜びを噛み締めた私たちは、翌日、極秘で教皇庁に赴き婚姻届を提出した。
そして無事、私とシャルリー様が法律的に認められた夫婦になったのだった。
◇ ◇ ◇
鏡台の前の椅子に座り、私はジッと大人しく鏡を見つめていた。
それからしばらくし、私の髪をセットしていたメイドのリタがついに最後の髪飾りをつけて歓声を上げた。
「まあ! 奥様、なんてお美しいのでしょう!」
「リタが綺麗にしてくれたお陰よ。ありがとう」
「奥様の素地が良かったからですよ。私はお手伝いをしただけで――」
コンコンコンコン。
突然、扉をノックする音が聞こえた。
すると、リタが不思議そうに首を傾げた。
「もしかして旦那様でしょうか?」
「ええ、そうみたい」
私が頷くと、リタはそれは嬉しそうに顔を輝かせ扉に駆け寄った。そして、ニコニコとしながら扉を開けた。
「レオニーの支度は出来ただろうか?」
「はい! それはもう可愛らしくお美しいです!」
「ああ、当然そうだろう」
2人してなんて会話をしているんだ。
リタはシャルリー様を怖がっていたはずなのに、私のことになるといつも別人のようになる。
そのことに恥じらいを覚える。そんな私の耳に、シャルリー様の声が届いた。
「中に入ってもいいだろうか?」
「もちろんでございます!」
入室を許可するリタの声が聞こえ、私は立ち上がってシャルリー様を出迎えるため扉の方へと向き直った。
刹那、入室してきた彼が視界に映った瞬間、私は呼吸が止まるほどの衝撃を受けた。
――なんてかっこいいのっ……。
銀世界のような髪は、思わずため息が出るほど美しく綺麗に整えられている。
この家に来た日以来に見た正装は、以前よりもずっと魅力的に見えた。
また黒を基調としたコーディーネートの中に、キラリと輝く私の瞳の色と同じ宝石がついた、カフスボタンやブローチを見つけた。
その不意打ちに胸がときめく、そのときだった。
「レオニー、どうしようか。君が可愛すぎて誰にも見せたくない」
「なっ……何を仰るんですか! そのようなご冗談――」
「冗談ではない。本当に綺麗だ。レオニー、どれだけ俺を惚れさせる気だ? もちろん大歓迎だが」
シャルリー様が照れてしまうような言葉をかけてきた。
だが、あまりにも真顔に近い表情で言うものだから、本当に同一人物が声を発しているのかと耳を疑いそうになる。
しかし、彼の心の籠った目を見れば、そんな考えはあっという間に吹き飛んでいった。
「シャルリー様も、皆があなたに夢中になりそうなくらい、本当にかっこいいですっ……」
星屑を散りばめたかのようにふんだんに宝石が使われた、今自身が身に着けている紺碧のドレスと同じ色をした瞳に笑いかけた。
すると、シャルリー様が微かに口元に弧を描いた。
「俺はレオニーが夢中になってくれたらそれでいい」
「もうすでに達成済みですよ」
「ふっ、そうか。なら何よりだ」
シャルリー様はそう言うと、さらに頬を緩ませて腕を差し出してきた。
「さあ、行こう。皆に俺たちの関係を教えてやろう」
「はい!」
私は腕に自身の手を乗せ、リタの見送りを受けながら部屋を出た。
「緊張しなくともいい。俺がいる」
彼はそう言うと、私が腕に乗せた手にもう片方の手を重ねてくれた。
それだけで、私は今日を無事に乗り越えられる気がした。
そう、今日は私たちの晴れ舞台。
とうとう、結婚発表をする建国祭の日がやってきたのだ。