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2話 離婚しましょう

「はっ……。今、なんと仰ったのです……?」



 あまりにも受け入れがたい言葉に、私は聞き間違いであることを願った。

 しかし、無情にもその願いは儚く散った。



「プリムローズ嬢が、僕の子を妊娠したんだ」



 わざわざ彼女の名前を言って強調しなくても……。

 聞き間違いではなかったと分かったものの、私の頭はその言葉の意味をまるで理解していなかった。



「……いつから、ですか?」



 乾いた喉から、何とか声を絞り出す。

 当然の質問だった。妊娠となると、昨日今日でどうにかなるものではないのだ。

 となると、2人は私に隠れてそういったことをした日があったということ。

 しかし、私には心当たりがなかった。



「それは……」



 私は必死に身体の震えを抑え、答えを聞いてやろうと口を開いた彼に視線を向けた。

 だが、カシアス様は私と目が合うなり言葉を詰まらせた。



 すると、その代わりとばかりに、張り詰めた絶望の空間に似つかわしくない可憐な声が響いた。



「本当に悪かったわ。ごめんなさいっ……レオニー様」



 わざと顔を見ないようにしていた。

 しかし、謝るということは非を認めるということ。

 質問に対する答えではないが、無視するわけにもいかず声の方へ視線を移すと、彼女はピクンと肩を跳ねさせ、咄嗟に身を庇うかのように自身のお腹を両手で覆った。



 ……あまりにも失礼だと思った。

 不貞を犯して謝るべき立場の加害者が、私が誰かに危害を加えるような人間だと思ったのだ。

 私は何もしていない。むしろされた側だというのに。



 脳が沸騰するほどの怒りが込み上げ、目の前が真っ白になりそうだった。

 彼女が私と同い年という事実も、私の怒りのさらなる着火剤となった。

 だが、この怒りの矛先は当然、彼女だけに向いているのでは無い。

 私は再び、夫へと向き直った。



「いつからですかっ……」



 涙は今にも溢れ出そうだった。

 だが、この2人の前で泣きたくはないと、皮膚が裂けそうなほどグッと指に爪を食い込ませて堪えた。

 すると、ようやく彼が言葉を紡いだ。



「4か月前、王城で催された夜会で……」



 息が止まるかと思った。

 確かにその日、私は風邪をひいてしまいカシアス様だけで夜会に参加していた。

 だが、彼はいつもと何ら変わらぬ様子で、予定通りの時間にちゃんと帰ってきたのだ。



「まさか夜会中に?」



 そんな野良犬のようなことをしていただなんて、信じたくない。

 しかし、彼らの押し黙り俯く姿こそが、私の質問を肯定していた。



――呆れた。



 酷く情けなかった。

 彼らに対してなのか、自分に対してそう思うのか。

 それすら考えることが億劫なほど、絶望的な気持ちが私の心を襲った。



 確かに私は、カシアス様と恋人同士として心を通わせたことはなかった。

 けれど、結婚したあの7年前から今日という日に至るまで、家族として、少なくとも友人として心を通わせ、互いに信頼を築いてきたはずだった。

 少なくとも、私はそうだと信じていたのだ。



 だからこそ、これはれっきとした裏切りでしかなかった。

 私という妻がいながら、しかもその妻とは初夜も迎えていない段階で、よその女と子を成したこと。

 今まで何食わぬ顔で接してきたこと。

 そのほかの細事も含め、すべてすべてが私にとって裏切りだった。



 そんな男を恋慕っていた自分自身にも、酷く嫌気が差した。



「はぁ……」



 私は表情を取り繕うことすら出来ず、重く深いため息をついた。すると、そんな私に彼が恐る恐ると言った様子で声をかけてきた。



「レオニー、実はお願いがあるんだ」



 この状況でお願いという言葉が出てくるだなんて。

 ありえない。私は思わず絶句しながらも、跳ねるように顔を上げた。

 それを促しと思ったのか、カシアス様はその願いとやらを口にした。



「不義理なことをして本当にすまなかった。彼女とは、今後一切関わらないと約束する。ただ……生まれてくる子どもは僕の子だと認知したいんだ」



 彼はそう言うと、私に歩み寄り顔色を窺いながら付け加えた。



「レオニー、どうか許してくれないだろうか?」



 覗き込んでくる彼の顔を見たくなくて目を逸らすと、私を見て緊張で顔を強張らせたプリムローズ嬢が目に入った。

 その表情を見ると、なんだかすべてがどうでもよくなってしまった。

 私の燃え上がる想いも、きっとこの瞬間に灰燼に帰したのだろう。



「許すも何も、当然のことでは?」

「っ……!」



 あまりにも冷めた声が出た。

 一方、そんな私の声を聞いた2人は、まるで耳を疑うかのように硬直した。

 しかし、次第に硬直から解ける彼の目には、徐々に涙が溜まっていった。



「レオニーっ……こんなに優しい君を裏切ってしまっただなんてっ……。ありがとうっ、心から感謝するよっ……」



 彼は口元や肩を震わせ、私に何度も何度もお礼を告げる。

 しかし、私にはその言動が理解できなかった。



「なぜお礼を言われるのです?」

「なぜって、君以外の女性との間に(もう)けた子どもの認知を許してくれたんだ。こんな心の広い理解ある妻、いや、人間はそうそういないよ!」




 私はこの言葉を聞き、瞬きすら忘れて目を見開いた。

 まさか、この状況において私が肯定的な意味でそう告げたと誤解するだなんて。



――ああ、頭痛がしてきた。



 この加速する彼の誤解を解くべく、私は齟齬なき自分の意見を伝えるため口を開いた。



「あの……カシアス様」

「ああ、どうした?」

「私、再婚なら別として、自分の子どもに他の女性との間にできた子どもと父親を共有させるつもりは無いのですが」

「えっ……それはどういう……」



 雷でも食らったかのように驚いた顔のカシアス様。

 そんな彼に、私ははっきりと告げた。



「お2人が結婚なさったらいいじゃないですか。私たち、離婚しましょう」

「えっ……」



 彼よりも先に、その隣に立っていたプリムローズ嬢が口元に手を添え、声を漏らした。

 その直後、彼女の声を掻き消す勢いで狼狽した彼が口を開いた。



「ちょっと待ってくれ! 君と離婚するつもりはっ……」

「そんな都合の良い話があると思いますか?」



 もう吹っ切れた。

 私は続けて、隣で1回の謝罪以外は棒のように突っ立っているだけの女に声をかけた。



「あなたも。さっきから黙っていますけど、許されると思わないでください」



 知らない人がこの場面だけを切り取って見たら、きっと私の方が麗しの彼女を脅かす悪者だろう。

 だが、私は悪者と思われようが、彼女に何も言わないままではいられなかった。



「白い結婚とはいえ、私たちは契約に基づいた政略結婚をした夫婦です。その結婚生活を破綻させたのですから、それ相応の責任は取ってもらいます」

「そんな、困るわ! この子もいるのにっ……」



 必死に罪から逃れようと叫ぶプリムローズ嬢。

 その彼女の隠し切れない優越に歪んだ顔でお腹を撫で擦る姿を見て、私は決して2人にバレないように歯を食いしばった。



 すると、放心しかけていたカシアス様が、懇願でもするかのように私の目の前で片膝を突いた。



「信頼を取り戻せるよう、君に尽くすから――」

「結構です。信頼が回復することは有り得ませんので」



 感情に呑まれそうになる己を律し、毅然とした態度で告げた。そのとき、ふとあること思い出した。



「そういえば、プリムローズ嬢。あなた、婚約者がいらっしゃいましたよね?」



 私の言葉に、2人は途端に気まずそうに眉根を寄せた。だが、私は容赦なく続けた。



「婚約者の方……クローディア公爵には、この件について何と説明したのです?」

「まだ、していないの……」



 ばつが悪そうに俯く彼女に代わり、カシアス様が説明を始めた。



「君に言ってから伝えるつもりだったんだ。彼はまだ婚約段階だが、君は結婚しているから……」



 彼のこの言葉の何かが琴線に触れたんだろうか。

 突然プリムローズ嬢がハッと顔を上げると、わざとらしいほどに申し訳なさに満ちた表情で話しかけてきた。



「レオニー様。政略結婚だけど、あなたはキャス、いえ、カシアス侯爵を愛していたんでしょう? こんなことになってしまって、本当にごめんなさい……」



 彼女の発言に込められた言葉の影に気付き、苛立ちとともに酷く惨めな気持ちが込み上げた。

 カシアス様の心を動かしたのが、こんなにも陰湿な女性だったからだろうか?



 いや、そもそもこの状況自体が、私のプライドをことごとく傷つけているのだ。

 ……許せなかった。



「その言い方、わざとでしょう? 気分が悪いです」

「っ……」

「謝るくらいなら、最初からしないでくださいよ。公爵様にも申し訳ないと思わなかったんですか? あなたたちの一時の過ちが、多くの人に迷惑をかけ傷付けたんです」



 話すにつれ、喉が絞れて声が震えそうになる。

 それでも、私は色を失うほど強く拳を握りしめて続けた。



「少なくとも、あなたたち2人は3人の人生を壊した。公爵様、私、あなたたち自身の子どもです。一生その罪を背負うことを、どうかお忘れなきよう。……それでは」



 もうここにはいられない。いたくなかった。

 私は茫然と立ち尽くす2人を置き去りに、書斎を出た。



 歩く道すがら、使用人たちが私の顔をギョッとした表情で見つめてきた。

 きっと、今の私は相当酷い顔をしているのだろう。



 しかし、その使用人の反応にも気付かないふりをしながら、私は人目を避け足早に自室へと戻った。

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