17話 すれ違う心
自身の抱える恋心を自覚してから数日後。
書類を持って来たレオニーが書斎を去る際、後ろ姿が見えなくなるまで彼女を目で追っていたシャルリーは、扉が閉まると同時に端正な顔をしかめ、絶望に染まった声を上げた。
「いったい俺は何をしてしまったんだ……」
「突然どうなさったのです?」
軽く憔悴した様子のシャルリーに、レオニーを見送り終えたアルベールが戸惑い声をかけた。
「レオニーが……俺を避けているようなんだ。だが、そうではない時もある」
「はあ……具体的に言いますと?」
具体的にと言われたシャルリーの頭に、レオニーに避けられた瞬間の数々が走馬灯のように流れた。
今までレオニーとは、仕事の打ち合わせついでに軽い話をしていた。だが、最近の彼女は用事が済んだとばかりに、その場を後にする。
廊下で会っても挨拶だけでスタスタと去られる。
何なら遠い距離の場合、彼女はシャルリーの姿に気付くなり、シレッと回れ右をするのだ。
以前は向けてくれた笑顔も少なくなった。
面と向き合うと、あまり目も合わせてくれなくなった。
だが、シャルリーにはその理由にまったく見当がつかず、恋に傷付き悩む日々が続いていたのだ。
先ほどのレオニーも、目を合わすことなく丁寧な口調で事務的に書類の説明を終え、振り返ることなくその場を後にした。
ついこのあいだまでは、にこにこと世間話をしてから去っていたのにだ。
「俺はレオニーに何かしてしまったんだろうか?」
「心当たりはあるのですか?」
「いや……ない」
「左様ですか……。でも、避けられていないときもあるのですよね?」
アルベールの問いかけに、シャルリーは理解できないと言わんばかりの表情で頷きを返した。
すると、アルベールは糸口を掴んだとばかりに尋ねた。
「どういう時にそのようにお感じになるのですか?」
「どういうときか……」
アルベールの問いかけの答えを見つけるように、シャルリーはそのときどきの出来事を振り返った。
そして、1つこれはという心当たりを見出した。
「だいたい……疲れているときだ。特に疲れている日なんかは、レオニーが励ましの言葉をかけてくれる」
「奥様はお優しいのですね」
「ああ。だが、だからこそ解せない。普通、避けている人間にそうやって優しくするか?」
シャルリーはそう言って悩まし気に眉をひそめると、年相応の恋に悩む青年たちのように、胸の奥から湧き上がる熱い吐息を零した。
「彼女は俺の心を翻弄したいのか? アルベールとは仲良さげに話しているのに、どうして俺のことは……」
「……」
シャルリーの嘆きにも聞こえる自問自答に、アルベールは何も言葉をかけなかった。
かけられなかったという表現の方が正しいだろう。
彼はその間、あることを考えていたのだ。
そして、シャルリーの部屋から退室すると、アルベールは真っ先にあるところへ向かった。
◇ ◇ ◇
急く気持ちで美しい絵画が壁一面に並ぶ回廊を歩き、私は部屋に戻るなり近くの椅子へと一気に崩れ落ちた。
「どうしてこんなことに……?」
私は高鳴る心臓を押さえて、気持ちを落ち着けようと試みた。だが、加速した鼓動はなかなか平常には戻らない。
無理もない。ここ最近のシャルリー様の様子が、どうにもおかしいのだ。
そう、それこそまるで、私のことを好いてくれていると錯覚しそうなことばかりで。
シャルリー様を意識してしまうから、そんな気になるのだろうか? 彼は以前からそうだった?
いや、違う。決してそんなことはなかった。
前より距離が近くなったし、何かと気にかけてくれるようになった。
それに、多忙にもかかわらず時間を捻出し、頻繁に食事に誘ってくれるようになったのも、ここ最近のことだった。
ほかにも、仕事中で見つめられていると感じることも増えたし、それに伴い彼が私の些細な髪形や服装の変化にも気付いてくれるようになった。
だけど、それでは困る。非常に困るのだ。
こんなことをされたら、駄目だと分かっているのについ期待しそうになってしまう。
「って……ダメよ! 期待なんてしてはダメ。勘違い、これは勘違いよ。もう傷付きたくないじゃない……」
必要最低限の夫婦でいようという彼の言葉を脳内で再生し、私はフワフワと取り巻く期待のシャボン玉に自分で針を刺した。
何度こうして自分の心に言い聞かせただろうか。
「はあ……」
――これが一生続くなんて、私は耐えられるの?
まあ、耐えるしかないのだが。
なんて思いながら、私は何とか気を紛らわそうと、必要書類の閲覧作業を進めた。
その後、各書類の整理を終えて時計に目をやると、いつもの巡回時間になっていることに気付いた。
「もうこんな時間だったのね」
意外にも時間が経っていてくれた。
そのことに安心しながら、気を取り直して私は巡回をするため廊下に出た。