15話 これがいい
「これ、どうしましょう……」
私は2週間かけて、シャルリー様の誕生日前日に刺繍入りハンカチを完成させた。
だが、その出来は上手な人に比べたら雲泥の差。
自信を持って贈るには少し躊躇いが生じてしまう、そんな頼りない完成度だった。
「ふう……。念のためにプレゼントを他にも準備しておいて正解だったわね」
私は部屋の机の上に置いてあるプレゼントの山に目を向けた。
中身はシルクのネクタイや宝石が付いたカフスボタン、ベルベットのベストや香水、彼が欲しそうな書物などさまざまだ。
彼に似合いそうな無難なものを揃えたのだから、とりあえずどうにかなるだろう。
私は息をつき、1枚の布切れを手に取って広げた。
ジッとハンカチの絵柄とイニシャルの刺繍を眺める。
そうしていると、頑張って作っただけに贈らないという選択への忍びなさが湧き上がってきた。
そのときだった。
「奥様、今、お時間のほどよろしいでしょうか?」
ノック音とともに、アルベールの声が聞こえた。
「はい、大丈夫ですよ」
私は慌ててハンカチを机に置き、駆け寄って扉をガチャリと開けた。
案の定、そこにいたアルベールは穏やかな笑みを浮かべていた。
「アルベール、どうしました?」
「実はメイド長が奥様をお探しのようだったので、念のためご報告に参ったのです」
「ああ、先ほどまで外に居たのですれ違ったのですね。お知らせくださりありがとうございます」
「いえいえ、とんでもない。大広間の近辺にいらっしゃるはずです」
彼はそう言うと、意味深な笑みを浮かべながら一礼し、長い足を生かしてスタスタと去って行った。
「メイド長に、聞いてみようかしら……」
私にハンカチを提案してくれたのはメイド長だ。
ちょうど私を探しているというし、彼女になら渡すかどうか相談できそうだ。
私は机の上に置いていたハンカチを手に取り、ドレスについているポケットの奥に忍ばせた。
廊下を出た私は、大広間を目指して歩みを進める。
すると、アルベールが言っていた通り、そこでメイド長を発見した。
「メイド長、私をお探しだと聞きましたが……」
「まあ! 奥様に足を運ばせるだなんてっ……! 申し訳ございません」
「いえいえ、お気になさらず。ところでどうなさいましたか?」
私が首を傾げて尋ねると、彼女は少し声を潜めて場所を移動しようと提案してきた。
確かに周りには誕生日前日とあって、使用人たちが多くいた。
それに気付き、私は彼女の提案に賛同し、滅多に人が来ない中庭のベンチへと移動した。
「おこがましいのは承知でしたが、実は相談を受けてからプレゼントをどうなさったのか気になっていたのです」
到着すると、彼女はそう言って気まずそうに顔を伏せた。
そんな彼女に、私はちょうど良かったとポケットの中身を出した。
「私もそのことで相談があったんです。実は私、非常に刺繍が苦手でして……」
そう言って、私は恥を承知でハンカチを広げてメイド長に見せた。
すると、メイド長はそのハンカチを見て、目を大きく見開いた。
「この完成度では、お渡しできない気がしてならないんです。どう思われるか、率直な意見をお伺いさせてください」
恐る恐るメイド長の顔を覗き込む。
すると、彼女はすぐに口を開いた。
「これは……何が問題で? とてもお美しいではないですか! この完成度でお渡しできないだなんて――」
「ああ、表面はそう思っていただけて良かったです。実は問題は裏面なのです」
表面で指摘があったら贈らないと決めていた。
だがそちらは問題が無さそうだったため、私はハンカチを裏返し、表面と比較し明らかに歪さが目立った裏面を彼女に見せた。
「シャルリー様は公爵ですし、みすぼらしいものを持ち歩くことは許されません。ですので、どうか厳しく判断していただきたいのです」
私がそう言うと、想いが伝わったのだろう。
メイド長は忖度ない意見を述べてくれた。
「ご贈答用としては立派な仕上がりだと思います。しかし、専門店の職人と比べると……」
「そう、ですよね」
「……はい。ですが、公爵様ならきっとお喜びになるはずです」
メイド長はそう言うと、私に向かってにっこりと微笑んでくれた。
でも、私の胸には不安が過ぎった。
カシアス様のトラウマの再来だけは避けたいのだ。
もしそうなりそうなら、渡さない方がマシな気がしてしまう。
考えに考える。
そして、私は今回のハンカチの処遇を決めた。
「ありがとうございます、メイド長。ですが、今回は見送ろうと思います」
「えっ……せっかくお上手にお作りなさったのに……」
「お礼とお祝いの品ですし、シャルリー様にはもっと完成度の高いものを――」
「俺が何だって?」
喋る私の背後から、凛とした男性の声が聞こえてきた。
その瞬間、私は光の速さでハンカチをポケットにしまい込んだ。
すると、彼は私に近付いてメイド長に去るよう指示を出した。
その様子を見ながら、私は瞬時に対面の建物を見上げて思わず息を呑んだ。
――ここ、シャルリーさまの執務室の真正面じゃない。
しまったと決まり悪くこめかみを押さえる。
そんな私に、シャルリー様が声をかけてきた。
「レオニー。今、隠したものを出してみろ」
「えっ……。い、いや、無理です」
「出すんだ」
彼はそう告げると、紺碧の鋭い瞳で私の瞳を射貫いた。
怖いとは思わないが、かなりの圧を感じる。
そのため、私は結局本当のことを口にした。
「シャルリー様のプレゼント用のハンカチですが、失敗してしまったのでお見せできません」
彼の瞳に全て見透かされそうで、私は思わず目を伏せた。そんな私に、彼は驚くことを告げた。
「知っている。だが、失敗かどうかは俺が決める」
「っ! ……横暴です」
「横暴で結構。さあ、出すんだ」
彼が私のポケットを一瞥し、私に目配せをした。
仕方がない。
傷口がまた抉れるかもしれないが、私は自棄な気持ちで彼の差し出す手にそっとハンカチを置いた。
すると、シャルリー様はすぐにそのハンカチを開き、口を開いた。
「これの何が問題なんだ」
「えっ……」
聞き間違いを疑う私に反し、彼は広げたハンカチの裏表を眺めながら言葉を続けた。
「綺麗じゃないか。それに、君が俺のために作ってくれたんだろう。受け取らないという選択肢は無い」
「そんなっ! 他にも用意しておりますし、今回そちらは……」
「いや、俺はこれが気に入った。プレゼントもこれだけでいい」
「どうしてそんな――」
「初めてなんだ」
彼がハンカチから私に視線を戻した。
「どういうことですか?」
「母は亡くなり、前の婚約者は俺に贈り物を求めても、くれることは無かった。こんな真心籠ったものは初めてなんだ」
彼はそう言うと、大切な壊れモノでも扱うようにハンカチを丁寧に畳んだ。
そして、いつもの真顔で淡々と告げた。
「だから、俺はこれが欲しい」
「いや、だったらなおさら作り直します。ちゃんとしたものを――」
「結構だ」
きっぱりと言い切る彼に、私は目を見開いた。
そして、呟くように訊ねた。
「本当に……それでいいんですか?」
「ああ、これがいい」
心臓が止まるかと思った。
しかし無言のままではいけないと、何とか言葉を続けた。
「っ……分かりました。では、そちらはシャルリー様にお贈りいたします」
「ああ」
シャルリー様は言葉少なに返答すると、畳んだハンカチを胸ポケットにしまい込んだ。
そして再び、彼は私と目を合わせて口を開いた。
「大切に使うよ。レオニー、ありがとう」
彼はそう言って、まるで氷を解かす柔らかな陽だまりのように、はにかんだ笑顔を見せた。
その表情1つで、まるで石にされたかのように動けなくなる。
そんな私の火照りを冷ますかのように、中庭に吹き抜ける風が頬をそっと撫でたのだった。




