13話 大切な記念日
彼に褒められたことで、私はつい浮かれ気分になってしまった。
だが、こうして浮つく私に反し冷静さを忘れないシャルリー様は、私の心を律するかのように新たな課題を出してきた。
「ではその腕を見込んで……そうだな、今度は向こうの木に当ててみろ」
「えっ、あの木にですか? その手前の木ではなく?」
「ああ、あの奥の木だ」
できるだろうか。そんな不安が心に過ぎる。
彼は涼し気な顔で標的となる木を指さしているが、 とても私の腕の力で届く距離とは思えなかったのだ。
しかし、シャルリー様は無理を言う人ではない。
そのため、とりあえず言われるがまま矢を射ってみたのだが、あいにく矢は途中でポトリと力なく落ちてしまった。
すると、その様子を背後から見ていたシャルリー様が、こちらに歩み寄ってきた。
「もう一度構えてみろ」
「もう一度ですか? きっと、また届かないような気がしますが……」
「大丈夫だ。今度は俺が補助してみよう」
補助とはどういうことかしら?
分からないけれどとりあえず頷き、私は再び矢を引き弓を構えた。
そのときだった。
「えっ、シャルリー様?」
突然、背中の広範囲に硬い温もりを感じた。
その直後、彼の左手が私の左肘に添えられ、右手は私の右の前腕を包み込むように下から添えられた。
「この型を覚えるんだ」
「っ……」
どうしてこんな状況に?
急な出来事に驚き息を止めた私の心臓は、ありえないほどの速さでドキドキと高鳴り始めた。
シャルリー様が何か説明してくれている。
しかし、彼が密着したことにより平常心を失った私は、正直それどころではなかった。
カシアス様以外の男性とこんなに近距離になったのは初めてだから?
とにかく、この未だかつて無いシャルリー様との距離感が、私の心臓をおかしくしていることだけは確かだった。
このままでは、彼に私の心音が聞こえてしまうかもしれない。
「……ニー、レオニー?」
「は、はいっ……!」
しまった。
緊張しすぎて、変に上擦った声が出てしまった。
だが、私はすかさず修正をかけた。
「どうされましたか?」
動じていない風を装って、私はその場を取り繕うように彼に返事をし直したのだ。
すると、シャルリー様は少し間を置いて、落ち着いた口調で告げた。
「……もう少し力を抜くといい」
やっぱりバレていたのかもしれない。
私は背後にいる彼に見えないのをいいことに赤面しながら、指示通りの姿勢を保った。
すると、私の背の高さに合わせるよう少し顔を傾け、シャルリー様が耳元で囁いた。
「よし、今だ」
その声を聞き、私は反射するかのように矢を放った。
驚くことに、矢は緩い弧を描きポーンと綺麗に飛んで行った。
そして、届かないと思っていた目的の木の方まで到達し、落ちることなくしっかりと刺さり命中した。
「すごいっ……!」
私は思わずシャルリー様の顔を見ようと、首を回して背後の彼を見上げる。
すると、微かに口角を上げた彼と視線が交差した。
「もう一度、1人で試してみろ」
「はい!」
優しい声音でそう告げる彼に元気よく返事を返すと、私の背中は温もりを失った。
だが、その温もりの主は私の背後から見守っている。
そう思うだけで、緊張してしまうシチュエーションではあるが、今なら不思議とできそうな気がした。
私は感覚を忘れないうちに矢を構えた。
足を開き胸も開いて、肩はリラックスして腕を気持ち高く上げる。
――ここだ!
先ほどの感覚を信じ、私は再び矢を放った。
すると、最初に放った矢と違い、今回の矢はどんどん的をめがけて伸びていった。
そして、その矢は途中で落ちることなく、今度こそ的となっている木へと綺麗に刺さった。
「当たったわ!」
邸の訓練で土台を築いていたとはいえ、さっきの教えでまさかこんなに早く的に届くようになるだなんて。
私は嬉しさのあまり、驚きながら背後にいた彼の元へと駆け寄った。
「シャルリー様、見てましたか? 届きましたよ!」
先生である彼のおかげだと、喜びを報告する。
そんな私の姿が面白かったのだろうか。
彼はしばらく口元に拳を当てた後、手を下ろして声をかけてきた。
「俺の弟子にできないことは無い。この調子で初の狩りに励むといい」
「あっ……」
「どうした?」
「狩りよりも、弓が使えた達成感でつい……」
私ってば間抜けすぎる。
これからなのに、これからまでで満足し過ぎよ。
訓練に集中しすぎて、狩りが本来の目的だということを忘れるだなんて。
何だか気恥ずかしくて、つい軽く顔を伏せてしまう。直後、頭上からシャルリー様がクスリと笑みを零す声が聞こえた。
「シャルリー様?」
あまりに意外なリアクションに、思わず顔を上げる。
すると、何かに驚いた様子で軽く目を見開いた彼と目が合った。
だが、彼はすぐに凛々しい表情を取り戻し、何ごともなかったかのように私の呼びかけに反応した。
「いや、気にしないでくれ。今日はたくさん楽しむといい。……幸運を祈る」
◇ ◇ ◇
彼の祈りは、すぐに天に届いたようだった。
「シャルリー様、成功しましたよ! 見てください!」
彼の教えのおかげで、私は早々に野ウサギを捕らえることに成功した。
初の狩猟がさっそく成功したことが嬉しくて、私は思わず彼に駆け寄った。
「良かったな」
「はい! ふふっ、シャルリー様のおかげです!」
「いや、俺は何もしてない。それにしても一発で仕留めたのか。見事だな」
彼のこの言葉に、私は心が躍るような高揚を覚えた。
簡単に人を褒めなそうな彼が、こんなにも褒めてくれるだなんて。
嬉しかった。私自身の功績として褒めてもらえることは、今までの人生でほとんど無かったから。
気付けば、いつも私ではない誰かの功績になっていたのだ。
だからこそ、彼の私自身の力を認めてくれる言葉は、私の心に新鮮な喜びを与えてくれた。
「ありがとうございます!」
「随分と嬉しそうだな」
「もちろんですよ。初狩猟も成功しましたし、何よりシャルリー様に褒めていただけましたから」
「成功に関しては分かるが、俺が褒めただけでそれは……少し喜び過ぎじゃないか?」
私の喜びようが異様に感じたのか、シャルリー様は困ったように笑いながら首を傾げる。
だからこそ、私は彼に思ったままの気持ちを伝えた。
「そんなこと無いですよ。媚びるような嘘を吐かない人だから、あなたの褒め言葉には特別感があるんです。それに……」
私はそう言って、彼に1歩歩み寄り見上げて続けた。
「今までで一番のシャルリー様の笑顔も見られました。ふふっ、今日は私にとって最高の初狩り記念日です!」