悪役騎士、推させていただきます!
悪役令嬢がいるのなら悪役騎士がいたっていいじゃない。
その日、キャンベル王国のとある港町はいつも以上に賑わっていた。
というのも、五年前に勃発した戦争により王国は鎖国状態にせざるを得なくなり、キャンベル王国に帰ってこられなくなってしまった国民たちが本日、客船に乗って帰国することができたからだった。
「オリヴィア、久しぶり! 無事に帰ってこられて、よかった!」
「ただいま、へーゼル。……五年ぶりになるのかしら? 元気そうで何よりよ」
桟橋を降りた先で幼なじみであるヘーゼル・ジェンクスの姿を見つけたオリヴィア・モンクトンは荷物を使用人に預け、しかと抱き合った。
オリヴィアは、豪商であるモンクトン家の一人娘だ。五年前に両親と共に、東の海を越えた先にあるノルデンソン共和国に商談に行ったのだが、その直後に祖国が西部開拓民の襲撃を受けて戦争が始まった。
商談自体は一ヶ月程度で終わる予定だったがキャンベル王国に帰れなくなり、モンクトン家は仕方なくノルデンソン共和国への滞在を決めた。幸い知人が屋敷を貸してくれ、さらにそこでも商売で一儲けしたため、生活には困らなかった。
開拓民との戦争自体は一年半ほどで王国軍の勝利により終結したが、それから航路が完全に回復するまで三年以上の時間を要した。そうしてようやくキャンベル王国に戻れるめどが付き、十九歳になったオリヴィアは五年ぶりに故郷に戻ることができたのだった。
オリヴィアが帰ると知らせていたため、準男爵の娘であるヘーゼルも迎えに駆けつけてくれた。両親は、「せっかくだから、お友だちと一緒にゆっくり帰ってきなさい」と言ってくれたので、ヘーゼルと一緒に王都で遊んでから屋敷に帰ることにした。
「ヘーゼルも大変だったでしょう。おうちの方は、大丈夫だった?」
二年前に郵便だけは回復していたので、現状は聞いていた。
それでも実際に話を聞きたいし……大好きな友人の声をもっと聞きたくてオリヴィアが問うと、ヘーゼルは金色のおさげを揺らしてうなずいた。
「うちは農家だからむしろ、お城の騎士様たちにたくさん食料を提供したり、戦火を逃れてきた人たちに分け与えたりしたわ。その献身ぶりを認められてもうすぐ、お父様は男爵位を叙される予定なの」
「まあ、おめでとう! となるとヘーゼルは、貴族社会に仲間入りするのね……」
キャンベル王国では、準男爵と男爵で一気に格が変わる。上流市民階級の準男爵から、最下級とはいえ貴族の一員になるのだ。
「それならオリヴィアのところも、ノルデンソン共和国で大儲けしたらしいじゃない? さすがモンクトンのおじさまね」
「お父様は運がよかっただけどおっしゃっていたけれど、必死にやりくりをされた結果なのよね」
そんな話をしながら二人は港町から王都直通の馬車に乗り、王都に到着した。
「……あ、そうだ。せっかくだしオリヴィアも、騎士劇団の公演を観ていかない?」
「きし……何って?」
聞き慣れない単語に首をかしげるオリヴィアに、ヘーゼルは目を輝かせて詰め寄ってきた。
「終戦後に発足した劇団よ。元々うちの国では、騎士様たちが国防を担ってくださっていたでしょう? 騎士様たちは戦争でも大活躍したのだけれど、『自分たちの魅力を国民たちに知ってほしい』『平和の象徴となりたい』ということで、劇団を結成されたの。普段は王城でお仕事をなさっている騎士様たちが、剣舞をしながら劇を披露するって感じよ」
へーゼルの説明によれば、騎士劇団とは騎士たちが役者となって芝居をするものらしい。王国には元々複数の劇団があったが剣舞をメインとしたものは初めてで、また見目麗しい騎士たちが華やかに演じる姿を見ようと盛り上がり、今では「推し」という文化さえできているという。
「おし……?」
「自分が応援する騎士様に、お手紙を送ったりプレゼントしたりするのよ。たいてい公演の後で贈り物受け付けをしていて、推しの騎士様に贈り物をするの。たくさん人気を集められた騎士様は昇格できるし、劇団での出番も増えるのよ!」
「……へぇ」
ヘーゼルにも推し騎士がいるのかはしゃいだ様子だが、この文化に触れるのも初めてなオリヴィアは、「それって本業に支障を来さないの?」と思ってしまった。
だがヘーゼルが言うには騎士としての仕事もきちんとしており、むしろ戦前よりも騎士たちの活躍が知れ渡るようになっただけでなく、経済も潤っているという。
「そんな文化ができていたのね……」
「うん。だからオリヴィアも一度、観てみない? 実はお父様から、ペアチケットをもらっていて」
ヘーゼルは、ポシェットから出したチケット二枚を誇らしげに掲げた。
「オリヴィアが帰ってくる日の公演だから、もしよかったら誘おうと思っていたの」
「えっ、いいの?」
「もちろんよ! オリヴィアにも推し騎士様ができたら、贈り物をすればいいわ」
「そうね……でも私、プレゼントにできそうなものを何も持っていないわ」
「大丈夫。終演後にはプレゼント用のお花や食べ物、レターセットを売るお店が出るから、そこで買ったものをその場で贈ればいいのよ」
どうやらこの劇団が発足して三年の間に、制度自体も整っているようだ。
そういうことでオリヴィアはヘーゼルの案内で、王都の中央にある歌劇ホールに向かった。
(ここ、ずっと昔にお父様たちと一緒に来たわ……)
あのときは上流階級だけに許された特別な場所、という感じだったが、今見たそこは身分も階級も様々な人たちでいっぱいで、いい意味でも悪い意味でも庶民化されているように思われた。
ヘーゼルに手を引かれて人混みを歩き、パンフレットや飲み物を買った。
こういったものも国の経済を回し雇用を促進するそうなので、資産に余裕のある者はこういう場所でしっかりお金を落とすそうだ。オリヴィアも小遣いは多い方なので、ケチらずに一式を買った。
客席に座ったところで、パンフレットを開いた。
そこには劇の演目やあらすじの他に、今回出演する騎士たちの説明もあった。最近一気に発達した印刷技術を使ったパンフレットのようで、騎士たちの似顔絵もきれいに刷られていた。
「皆、格好いい方ばかりね」
「そりゃあそうよ。普段はお城の警備をされている騎士様は皆、貴族のご令息ばかりだもの」
「ふぅん」
ヘーゼルに「ちなみに私の推しは、この方ね!」と教えられつつも、オリヴィアは不思議な感じがしていた。
(普段のお仕事は、お城の警備なのね。……それなのに西の開拓民との戦いで活躍されたのなら、普段は力を持てあましていらっしゃるのかもしれないわ。それなら、劇で剣舞を披露するというのはちょうどいいことなのかもしれないわね)
二人でパンフレットを見ながら時間を過ごしていると、会場がさっと暗くなった。
そうして始まった劇は、劇団のオリジナルストーリーだった。だが――
(ストーリー性より、騎士様の魅力の発信を重視している……のかしら?)
ヘーゼルを含めた周りの客――ほとんどが女性だ――が推しの活躍にはしゃぐ中、オリヴィアは少し退屈になっていた。
てっきりもっと物語性があってどきどきわくわくするかと思いきや、きらきらしい鎧を纏った美男子たちが歌いながら舞台を歩いたり、優雅な剣技を見せたりする場面がほとんどだった。
そして――
『……出たなっ! 冥界の騎士!』
『今日こそは、討ち取ってみせる!』
騎士たちが声を張り上げる中、舞台の下手から現れたのは、漆黒の鎧を纏った騎士だった。
他の騎士たちが纏うスタイリッシュな銀色の鎧とは対照的な禍々しく古風なデザインの鎧姿に、観客たちからは悲鳴が上がったり怒声が上がったりした。
「騎士様! 冥界の騎士を倒しちゃって!」
「やってしまえ!」
(えっ、こういうのもいいの?)
オリヴィアからすると観劇中は静かにするものなのだが、ここでは違うようだ。
常識のギャップにオリヴィアが驚く傍らで、騎士たちは悪役の漆黒の騎士と打ち合った末に、勝利した。そのときも客は大盛り上がりで、「ざまあみろ!」「二度と出てくるな!」という声さえ聞こえた。
(……私にはちょっと、合わないみたいね)
だがせっかくヘーゼルが誘ってくれたのだからと最後までおとなしく観て、終演後にはほわほわ嬉しそうな顔のヘーゼルと共に観客席を離れた。
「はわぁ……今日もジャスパー様は素敵だったわぁ……!」
「ヘーゼルはその方に、プレゼントをしてくる?」
「うん! ……あ、オリヴィアはどうする?」
「うーん……私はちょっと考える」
「分かった。じゃあ、入り口の噴水のところで待ち合わせでいい?」
「ええ、ゆっくりいってらっしゃい」
そのまま贈り物販売店に突撃したヘーゼルを見送り、オリヴィアはふうっとため息をついた。
ヘーゼルの楽しみを踏みにじるつもりはない。ヘーゼルも優しくて気が利く人だからオリヴィアのことを考えてくれたので、十分ありがたかった。
(推し、ねぇ……)
ひとまず噴水のところに来たオリヴィアはベンチに座って、パンフレットを広げた。
何気なく出演者たちの顔を見ていたオリヴィアは……ふと、先ほど舞台で見た漆黒の鎧の騎士のことを思い出した。
(気のせいか、あの人が一番剣の扱いが上手に思われたわね)
ノルデンソン共和国にいる頃に自警団の訓練風景を見たことがあったが、優美さはないが勇ましさを感じる剣の動きだったものだ。
今回の舞台での銀鎧の騎士たちはどちらかというと優雅さを優先させた剣舞だったが、あの悪役騎士だけは無骨に切り込むような剣の扱いだったと思われる。
……妙に、あの敵騎士のことが気になった。
(せっかくだし、贈り物をしようかしら)
そんな気になってきたので、贈り物販売店の方に向かった。
いくつもの店が並ぶ中、やはり菓子や花などの店は行列ができていたので比較的空いていた小物屋に並び、そこで男性向けの小さなハンカチを購入した。
(黒い色のハンカチなんて初めて見たけれど、あの方にぴったりね!)
兜で頭の先まですっぽり覆うような古めかしいデザインの鎧だったので顔立ちは分からないが、気に入ってもらえたら嬉しい。
……と思ったのだが。
「……あー、その方のは受け付けていないんです」
「えっ」
ハンカチを手に贈り物受付所に向かったが、「あの黒い鎧の悪役騎士様に」と言うと、受付の青年は困ったような顔でそう言った。
「受け付けていないのですか? あの方はどちらで……」
「……ええと。そちらのパンフレットにも載っていないのです。悪役なので」
購入したパンフレットを出しながら言ったのに、それもあっさり切り捨てられてしまった。
(悪役だから、役者一覧にも載っていない? そんなことあるの?)
端役の者は似顔絵がなくて名前だけ載っていたが、その騎士に贈り物をしている人もいた。ちょろっと出るか出ないかの役者でも贈り物を受け付けているのに、悪役だから名前すら載らないというのはどういうことなのだろうか。
だが、オリヴィアはこの騎士劇団というものの初心者だ。
(……そういうもの、なのかな?)
受付に「他の方に贈りますか?」と問われたのだが断り、誰にも贈れなくなった男物のハンカチを手にオリヴィアはしょぼしょぼと噴水前に戻った。
ヘーゼルの姿は、まだない。
彼女が戻ってくるまで、ここでゆっくりしたい気分だ。
ノルデンソン共和国で五年間暮らしてきたオリヴィアには祖国の変化はあまりにも急で、付いていくので精一杯だった。
本来戦闘職である騎士たちが役者になれるというのは、平和の象徴でもあるのでよいことなのだろう。これで経済も回っているというのなら政策としてもよいことだが……それでも、オリヴィアの胸には小さな棘が刺さっていた。
(しばらくすれば、慣れるかしら……)
幸い自分は順応性が高い方だから、いずれヘーゼルと一緒に劇を楽しめるようになるだろう。
そんなことを考えながら手元のハンカチをいじっていたオリヴィアだが、にわかに自分の足下に影ができた。
(……え?)
「お嬢様。そちらの品は、騎士団への贈り物ですか」
何事かと思ったオリヴィアは、頭上から声が降ってきたため驚いて顔を上げた。
そこには、オリヴィアの正面に立ちこちらをのぞき込む背の高い青年の顔があった。
首筋までの長さの柔らかい銀髪に、きりりとした涼しげな緑色の目。筋骨隆々というわけではなくむしろがっしりとしている体型だが、体つきが引き締まっていることもありスマートな印象があった。
甘いマスクの美形、というよりむしろ爽やかな好青年といった風貌の彼は、先ほどの受付の青年とよく似たデザインの服を着ている。きっと、彼も会場係だろう。
「あ、いえ。贈ろうかと思ったのですが、受け付けていないと言われまして」
「本当ですか? そのようなことはないはずなのですが……どなたへ贈られる予定だったのですか?」
会場係らしきこの青年は、オリヴィアが明らかに騎士用の贈り物を手にしているのにぽつんと一人で座っているので、心配になって声を掛けてくれたようだ。
青年の優しさに嬉しく思いつつ、オリヴィアは少し気まずくて自分の隣に置いていたパンフレットに触れた。
「それは……名前は分からないのですが、今日の公演で悪役をなさっていた騎士の方で」
「えっ」
「私、実は今日帰国したばかりで、こちらの劇団のこともよく分かっていなかったのです。まさか、敵役の方には贈れないとは知らず……」
「今日? ……ということは、ノルデンソン共和国から帰国なさった方なのですね」
どうやら彼は、オリヴィアたちが乗ってきた船のことも知っていたようだ。
オリヴィアがうなずくと、青年はしばしうつむいて黙ってしまった。
「……あの?」
「……実は僕、その悪役騎士の知人なのです。よろしければ僕の方からあいつにこっそりお渡ししますが」
「えっ、いいのですか? あなたが叱られたりしませんか?」
願ってもない言葉に飛びつきつつも問うと、顔を上げた青年は朗らかに笑った。
「別に禁止されているわけではなくて、あなた以外に悪役騎士に贈り物をしようとした方がいらっしゃらなかっただけです。……ご安心を。確実にお渡ししますので」
「ありがとうございます、お願いします! さっき見ていて、剣捌きが格好いいし舞台から立ち去る後ろ姿も素敵で、すっかり見惚れてしまったのです!」
「っ……そ、そうですか。あいつも喜びますよ」
青年は少し面食らった様子だったがそう言い、ほんのり頬を赤くしてオリヴィアのハンカチを受け取ってくれた。
「ありがとうございます。よろしくお願いしますね」
「……。……お嬢さん。もしよかったら名前を、教えてくれませんか?」
青年に尋ねられたので、オリヴィアは笑顔でうなずいた。
「もちろんです。私の名前は、オリヴィア・モンクトンでございます」
「モンクトン……。……もしかして、モンクトン商会のご令嬢ですか!? ああ、だから今日帰国なさったと……」
「そんな、ただの平民に過ぎません」
ふふ、とオリヴィアは笑った。
あの悪役の騎士も、騎士であるからには貴族のご令息だろう。平民の中では上流になるオリヴィアも、本物の貴族からすると実家にお金があるだけのただの平民だ。
贈り物のハンカチだって、悪役騎士からするとただの布きれかもしれないし、オリヴィアからの贈り物一つで彼の地位が変わるわけもないだろう。
だが、そんな彼のことを格好よく思っているファンがここに一人いるということだけでも、彼に伝わったら嬉しい。
青年は静かに微笑み、ハンカチを大切そうにポケットに入れてからお辞儀をした。
「……ありがとうございました、オリヴィア・モンクトン嬢。あなたの名前とお褒めのお言葉も、あいつに伝えますね」
「はい! ……ちなみに、その騎士の方のお名前はうかがえないのですか?」
オリヴィアが問うと、青年は困ったようにうなずいた。
「はい、敵役は教えないことになっているので。……ああ、申し遅れました。僕は騎士団に所属する、レスター・アリンガムと申します。……騎士団に所属といっても平民で、使い走りですがね」
「そうなのですね。ではレスターさん、騎士様にどうぞよろしくお願いします」
「はい。では、失礼します」
お辞儀をして去っていったレスターを見送り、オリヴィアはふうっと満足げなため息をついた。
(レスターさんに声を掛けてもらえて、よかった! これで、ちょっとでも応援ができたかしら?)
「お待たせ! ……あれ、オリヴィア。なんかさっきより楽しそう?」
「え、そんなことないわよ? それよりヘーゼルは、推し騎士様に会えたの?」
「そう、聞いて! なんとさっきちょうど、ジャスパー様がいらっしゃって……」
待ち合わせ場所に来たヘーゼルから憧れの騎士様の話を聞くオリヴィアの胸は、ハンカチを手に一人ここに座っていたときよりもずっと晴れやかだった。
ヘーゼルに連れられて観劇に行って数日後、両親を手伝って王都にある屋敷の模様替えやら郵便物の処理やらをしていたオリヴィアに、客が来た。
「お客様? そんな予定はなかったけれど」
「そうですよね。王国騎士団員のアリンガム様という方だそうですが……」
(……アリンガム?)
はて、とその名字を頭の中で吟味したオリヴィアは、あっと声を上げた。
(確か、悪役騎士様にハンカチを渡すと言ってくださった方だわ!)
「すぐに会うわ! お通しして!」
作業中のため身につけていたエプロンを外し、髪を手ぐしで整えてからオリヴィアは玄関に向かった。そこには、前見たときとは違う騎士団の制服姿の青年――レスター・アリンガムの姿があった。
最初こそ驚いたが、そういえば彼にはオリヴィアがモンクトン商会の娘だと知られているから、調べれば自宅の場所も分かるだろう。
彼はオリヴィアを見て微笑み、お辞儀をした。
「ごきげんよう、オリヴィア・モンクトン嬢。……いきなり訪問して、申し訳ございません」
「滅相もございません! どうぞ応接間に……」
「あ、いえ、今日はお渡しするものがあるだけなので!」
レスターは慌てて言い、肩から提げていた鞄から一通の手紙を出した。
「先日あなたからお預かりしたハンカチ、確かに渡しました。……こちらはあいつからあなたに、お礼の手紙です」
「まあ……! わざわざ届けに来てくださったのですね!」
「はい。……あいつ、あまり人前に姿を現したくないみたいなのです。ですがオリヴィア嬢からの贈り物が本当に嬉しかったようで、こちらをお礼にと」
「そんな……嬉しいです。ありがとうございます、アリンガム様」
「僕のことはどうか、レスターとお呼びください。……そ、それでですね」
手紙をオリヴィアに渡したレスターは、少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「あいつ、これからも敵の悪役騎士として舞台に上がるんです。だから、もしよかったらまた観に来てほしいと」
「もちろんです! ……もしかして私が差し入れをしたことで、騎士様の立場も上がったりしますか?」
「あ、いや、実はあの制度、贈り物受付係を通したものじゃないと人気票としてカウントされないのです。でも、たとえ他の者が知らなくても、オリヴィア嬢が応援してくれていると分かっただけであいつは十分嬉しい、と言っていました」
そういうことで、とレスターはオリヴィアが受け取った手紙を見つめる。
「……その中に、次の公演のチケットが入っています。ペアなので、ご家族やご友人の方と一緒に、是非」
「え、えええっ!? それはさすがに申し訳ないです! 自分で購入します!」
「いいのです。本当に……これでは足りないくらいなのですから」
手紙を返そうとするオリヴィアに微笑みかけ、レスターは被っていた帽子のつばを下げた。
「では僕はここで。……これからも僕は終演後に会場付近にいるので、あいつに関して何かあればいつでも僕におっしゃってくださいね」
「はい、頼らせてもらいます。ありがとうございます、レスターさん」
オリヴィアはレスターの大きな背中を見送ってから、すぐに手紙の封を開けた。
中に入っているのはレスターが言っていたとおり次の公演のペアチケットと、一枚の便箋だった。
いかにも事務関係で使いそうな無骨な用紙には角張った字で、直接顔を見せられないことや名乗れないことの詫び、贈り物のハンカチへの礼、これからの意欲についてなど、几帳面にしたためられていた。
……顔も知らない青年がペンを執って手紙の返事を書いている姿が想像されて、じわりとオリヴィアの胸が温かくなった。
(嬉しい……。そうだ! この返事を次の公演での差し入れで、レスターさんに渡そう!)
彼も自分の友人にファンが付いたのを喜んでいる様子だったから、きっと快く受け取ってくれるだろう。
……どうやらこのやり方では悪役騎士の人気カウントは増えないようだが、本人のやる気が上がったのならば十分だろう。
(……次も、ヘーゼルと一緒に行こうかな)
ヘーゼルならばきっと悪役騎士を応援していると言っても、驚きつつも納得してくれるだろう。
オリヴィアの予想どおり、悪役騎士関連のことをヘーゼルに打ち明けると彼女は「ええっ、そんな人初めて見た!」と驚きつつも、「でもまあ、ずっと外国にいたオリヴィアだからこそできるのかもね」と笑顔でうなずいた。
「なんというか……私たちは戦争が終わって劇団が発足した黎明期から見ているからか、『そういうもの』って受け入れちゃっているのよね」
「悪役騎士役の方はパンフレットに載らないし、贈り物も受け付けていないってことが?」
ヘーゼルと一緒に歌劇ホールに向かう道中の馬車にてオリヴィアが問うと、ヘーゼルはうなずいた。
「でもオリヴィアからすると、その『そういうもの』っていう感覚に違和感があって当然よね。……まあ、私の推しは永遠にジャスパー様だけど!」
「そちらの方も今日出演されるのね?」
「そう! し、か、も! 前よりも出番が多いそうなのよぉ!」
ヘーゼルは大喜びで、オリヴィアの手を取った。
「きっと私たちファンの声が届いたのよ! でもでも、今回のチケットは倍率も高いって聞いていたから、オリヴィアが誘ってくれて本当に助かったのよぉ! ありがとう!」
「私だって前回誘ってもらったのだから、おあいこよ。楽しみましょうね」
「ええ!」
……オリヴィアは知らなかったのだが、騎士劇団が発足して「推し」の文化ができてから、「推し被り」したために友情にひびが入ったりすることもあるそうだ。
また、「あんたの推しのせいで、私の推しの出番が減った!」と揉めることもあるとか。
その点、一般騎士と悪役騎士の出演回数は特に関係がないため、オリヴィアとヘーゼルは何の問題もなく仲よく、それぞれの推しを推すことができるのであった。
終演後、今回も「ジャスパー様ぁぁぁ! ヘーゼルはここですよぉぉぉ!」と大興奮のヘーゼルと一旦解散し、オリヴィアは店で小さな花束を買って昨日の夜に何度も書き直した手紙を添える。
(こ、これくらいならいちファンとしておかしくないわよね?)
恋人でもない異性に花を贈るなんて……と店の前に並んでいるときには少し不安だったが、周りを見るとオリヴィアが買った花束の三倍はボリュームがありそうなものを抱えている女性はざらにいたし、はたまた花の盛られた台車を引っ張っていく貴族の婦人まで見かけた。
おかげでオリヴィアは、落ち着いた気持ちで会場を歩き……前回と同じ噴水付近で、レスターの背中を見つけることができた。
「レスターさん!」
「……あっ、オリヴィア嬢! ごきげんよう」
「こんにちは! 今日もこちら、お願いしていいですか?」
振り返ったレスターに手紙を添えた花束を差し出すと、なぜか彼はくわっと目を見開いて固まってしまった。
(……えっ?)
「あの……?」
「……す、すみません。ハンカチだけでも驚きだったのに、まさか花までもらえるなんて……。……あいつもきっと、泣いて喜びますよ」
「まあ、そんなに喜んでいただけるのなら私も嬉しいです」
すぐに笑顔になったレスターにほっとしてオリヴィアが花束を渡すと、彼は大切そうにそれを受け取ってくれた。
「今回も手紙がありますね。……もし差し支えなければ、これからもあいつからの返事を僕があなたのご自宅にお届けします」
「えっ……それは嬉しいのですが、さすがにレスターさんのご負担になるでしょう? 郵送でも構いませんので……」
「いえ、僕が届けたいのです」
レスターはやや熱量の感じる声音で言ってから、小さく咳払いした。
「……その、もしお留守でしたら郵便受けに入れておきます。それに本当に、負担とかじゃないのです。あなたのことは……あいつが気に掛けておりますし」
「えっ……?」
「あ、いえ、やましい意味じゃないですからね! それにほら、万が一郵便事故があったりしてもいけませんし!」
「そ、そうですね。それではこれからもお願いしていいですか?」
「ええ、もちろん!」
途中お互い少し焦るところもあったが、なんとか丸く収まった。
(……これからも、騎士様とお手紙のやりとりができるのね)
それだけでも、十分嬉しい。
それに加えて……レスターが届けてくれるというのも、なんだかとても嬉しかった。
オリヴィアが悪役騎士の出演する劇を観に行き、終演後に差し入れをレスターに託す。その数日後、悪役騎士からのお返しの品や手紙をレスターから受け取るということを続けること、数ヶ月。
「好きぃ……」
「オリヴィアもすっかり騎士様の推しになったわね!」
「帰国当初は分からなかった『推しを推す』の感覚、今ならよく分かるわ……」
騎士劇団の公演を見に行く前に寄ったカフェにて、テラス席のテーブルに突っ伏すオリヴィアを、ヘーゼルが楽しそうに眺めて言った。
今ではオリヴィアはすっかり悪役騎士のファンになり、彼が出演する公演には欠かさず参戦していた。
多くの者は、「悪役を推しても、何の意味もないのに」という感じだろうが、ヘーゼルは「何を推してもその人の勝手よねぇ」という考えらしく、オリヴィアの推し活動を温かく応援してくれた。
なお彼女が推すジャスパーという騎士は少しずつ出番が増え、パンフレットでもだんだん大きな似顔絵を掲載してもらえるようになっており、「私の応援が実を結んだ!」とヘーゼルは嬉しそうで、オリヴィアも嬉しかった。
「それで……レスターさんだっけ? 悪役騎士との間を取り持ってくれているの」
「そうよ。騎士様のご友人とのことだけど優しいし気が利くから、やりとりのついでにおしゃべりもするの」
「……へぇ」
そこでぴくっと反応したヘーゼルが、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
「なんか聞いていると、悪役騎士よりそのレスターって人の方がオリヴィアと仲いいみたいじゃない」
「えっ……それはだって、騎士様は表に出てこられないし、レスターさんは騎士様と仲がいいって言うから……」
「分かっているわよ。でも……なんて言えばいいのかしら? あなたがさっき言った『好き』ってのは騎士様よりむしろ、親切に間を取り持ってくれるそのレスターさんって人に向けた言葉に思えてきてね」
ヘーゼルの言葉に、オリヴィアははっとして体を起こした。
(レスターさんに向けた……「好き」……!?)
いつも明るい笑顔で「あいつのために、ありがとうございます」「あいつも喜んでいましたよ」と言ってくれるレスターの顔が思い浮かび、ぼっ、とオリヴィアの頬が熱くなる。
「そ、そそそそんなことないわよ!」
「そう?」
「そうよ! 私が好きなのは騎士様よ! 手紙の返事もいつも短いけれど誠意がこもっているし、お返しのお菓子やアクセサリーは素敵なものばかりだし!」
……とは言うものの。
「あなたのおかげであいつ、頑張ろうって思えるそうなんです」と我がことのように嬉しそうに言うレスターの笑顔が素敵だ、と思えているのも事実だ。
(そういえば騎士様はお返事の中で、「レスターとも仲よくやってくれ」って書かれていたし、騎士様も私とレスター様が仲よくなると嬉しいのかしら……?)
「推しに対する『好き』と、恋愛や結婚を見据えた『好き』ってのが別なのは、当然のことだもの。私だって、ジャスパー様とお付き合いするなんてことは全然考えていないし」
ヘーゼルはそう言って、自分のドリンクをぐいっと飲んだ。
「推しとして好きなのは騎士様、現実の恋愛対象として好きなのはレスターさん、とかでも全然ありだと思うよ、私は」
「それは……」
「はは、ごめんごめん。オリヴィアにその気がないのならおかしな話よね」
ヘーゼルが「そろそろ劇場に行く?」と言ったため、既に自分が注文したものを飲み終えていたオリヴィアはうなずいて立ち上がった。
今日も悪役騎士のために、小さな花束を買っている。――だがそれは実は、二つあった。
青系統の花でそろえた一つは、悪役騎士に。赤系統の花をメインにしたもう一つは……レスターに、と考えていた。
(いつものお礼の気持ちだけど……変なことなのかしら?)
花束入りの袋を手にして、ヘーゼルに続いて会計を済ませたオリヴィアは劇場に向かった。
そして入場手続きを済ませてヘーゼルと並んで席に座り、舞台の幕が上がるのをいつも以上にどきどきしながら見守ったが――
カンカンカンカン! というけたたましい音が鳴り響き、客席のみならず舞台に立っていた騎士たちも辺りを見回した。金属の鍋の底を叩いているかのような音に、会場がざわつく。
「何……?」
「これって警報よね……」
オリヴィリアはヘーゼルと手を取り合って、身を小さくしていた。すると――
バン! と一階客席の奥にある扉が開いたため、一階中程の席にいたオリヴィアたちは振り返った。そこには屋外の日光を背に立つ、武装した男たちの姿が。
「静かにしろ! ……この劇場は包囲した! 殺されたくなければおとなしくしろ!」
先頭に立つ大柄な男がそう叫び、近くにいた客たちが悲鳴を上げて逃げ惑った。
男は抜き身の大剣を手にしており、それを見た客は「おとなしく」できるはずもなく、少しでも距離を取ろうと舞台の方に逃げていく。
(な、何なの、これ!?)
「オリヴィアっ! ど、どうしよう……!」
ヘーゼルが真っ青な顔で手を握りしめてきたため、オリヴィアは深呼吸して席を立った。
「……包囲されているのなら、外には出られないわ。静かに、舞台の方に――」
「……騎士様! 助けてください!」
にわかに聞こえてきた声に、オリヴィアたちははっとした。
見ると客席のあちこちから、「騎士様!」「助けて!」という声が上がっている。
確かに、ここには王国騎士団員たちが大勢いるのだ。武器を手にした破落戸といえど、戦争を勝利に導いた騎士たちの敵ではないはず。
そう思って安堵したオリヴィアだが、あっはっはは、という調子の狂ったような笑い声がしたため、会場はしんと静まりかえった。
「ほら、要望にお応えして舞台の時間だ! ……来いよ、騎士様とやら!」
笑って煽るのは、武器を持った男たちだ。
なぜそんな余裕が……と驚くが、舞台の方を見たオリヴィアは目を見開いた。
(……どうして誰も、降りてこないの?)
人気役者としてパンフレットでも大きく紹介されている騎士たちが、舞台の上で固まっていた。中には足を震わせている者もおり、せっかく手にした剣を取り落としそうになっている。
「……できねぇよな、そうだよなぁ!? おまえたちは俺たちを捨て駒にして戦地に放り込んで死に物狂いで戦わせ、得た手柄は全て自分たちのものにしたんだからなぁ!? それで俺たちが邪魔になったら端金を握らせて、王都から追い出した! そんなおまえたちが、俺たちと戦えるわけがねぇもんなぁ!?」
男のダミ声は、劇場ホールによく響いた。
客たちが「何それ……?」「嘘だろ……」と驚き戸惑うが、騎士たちは何も言わない。
……それは、肯定を表しているようなものだった。
男が振り下ろした大剣が、誰も座っていない客席を吹っ飛ばす。派手な音が響いたが誰も悲鳴の一つさえ上げられず、男たちと騎士たちを交互に見るばかり。
「おら、戦ってみろよ! おまえたちが守るべき国民が、助けを求めているだろう!? ……守れねぇようなひ弱な坊っちゃんたちに名誉を奪われ、住む場所から追い出され、落ちぶれるしかなかった俺たちの気持ち、分かるか!? 分かるわけねぇだろう!?」
男はそう叫んで走り出し……さっと、ヘーゼルの方を見た。
(……だめっ!)
とっさにオリヴィアがヘーゼルを突き飛ばすと、彼女は悲鳴を上げて通路に倒れ込んだ。
ヘーゼルに向かって手を伸ばしていた男は舌打ちをして、オリヴィアの手首をぐいっと掴む。
「っ……!」
「悪い、嬢ちゃん。……もう、こうするしかねぇんだ」
男はオリヴィアにこそっとささやいてから自分の腕に抱え込み、騎士たちに向かって脅すように剣を突き出した。
「さあ、来られるもんなら来てみろよ! 民を守る高潔な騎士様たちよぉ!」
「待っ――」
裏返った声で叫ぶ男の腕の中で、オリヴィアが暴れる。
――その直後、黒い影が劇場ホールを駆け抜けた。
「ぐっ!?」
とっさに反応した男が大剣を構え、拘束していたオリヴィアを後ろに向かって突き飛ばした。
男と対峙するのは――漆黒の鎧を纏った騎士だった。
いつも舞台で使うのとは違う、黒光りする刀身を持つ剣で、男の大剣とぎりぎりとかみ合っている。
「てめぇ……!」
「……おまえたちの事情は、分かっている。……よく分かっているが、だからといって暴力にものを言わせてはならない」
漆黒の騎士――悪役騎士の兜の中から、男性の声が聞こえた。
これまで敵騎士は舞台で一度もしゃべったことがないのに……その声には、聞き覚えがあった。
男もまた最初は怪訝な顔をしていたが、やがてぎょっと目を見開いて大剣を持つ手を震わせた。
「おまえ、まさか……!?」
「……僕にも、思うところはある。だが――」
ぐっ、と騎士の体が震え、そして一閃によって男の大剣を弾き飛ばした。
彼はへたり込む男の首筋にぴっと剣の先を向け、静かに言った。
「……武力によって要望を通そうとするのは、間違っている。ましてや、戦う力を持たない者を巻き込んではならない。……僕も、今の騎士団のあり方には不満がある。それでも、武力以外で民を守り、活気づけようとしている姿勢だけは尊重したいと思っている。……それを、分かってくれないか」
静かに諭すような言葉に、男は何も言い返せなかった。悪役騎士は剣を下ろすと、「皆、武器を下ろせ!」と男の仲間たちにも命じた。
自分たちのリーダーが負けたからか……それとも他に思うところがあったからなのか、皆おとなしくその命令に従い、持っていた武器を力なく落とした。
そうするとすぐさま、舞台にいた騎士たちが動き出した。「襲撃者たちを、捕縛せよ!」と隊長格の騎士が号令を出すと舞台裏からも次々に騎士たちが出てきて、男たちを捕らえていった。
……捕らえる手つきは鮮やかだが、客たちはいたたまれないような雰囲気でその様を見ている。ここで手放しで、「さすが王国騎士団!」と言える者はいないようだ。
悪役騎士は剣を鞘に収めると、床にへたり込むオリヴィアの方を見た……と思う。
彼はオリヴィアの前にしゃがみ、そっと手を差し伸べてくれた。オリヴィアはその手に甘えて立ち上がり、「騎士様」と呼びかけた。
「助けてくださり、ありがとうございます」
オリヴィアが震える声で礼を言うが、騎士は何も言わない。そのまま背を向けて去ろうとしたため、オリヴィアは「待って!」と叫び、慌ててヘーゼルのもとに戻った。
「ヘーゼル! 私の荷物、そこにある!?」
「……えっ? え、ええ、これね……」
「ありがとう!」
驚きつつも荷物を渡してくれたヘーゼルに礼を言い、オリヴィアは袋から花束を出しながら騎士のもとに戻った。
「騎士様……どうか、兜を脱いでくれませんか?」
オリヴィアが勇気を出してお願いをすると、騎士は困ったように顔を背けた。
そうだろうと予想はしていたのでオリヴィアは袋の中から二つの花束を出して、右手に赤色、左手に青色のそれを持った。
「私の名前は、オリヴィア・モンクトンです。……もう、ご存じですよね?」
「……」
「私の憧れのあなたに、こちらの青い花束を贈るつもりです。そして……こちらの赤い花束は、あなたのご友人に贈るつもりでした。……つい、さっきまでは」
「……」
「どちらも、受け取ってくれますよね? ……レスターさん」
意を決して告げたオリヴィアの言葉に、悪役騎士のガントレットの指先が震えた。
そしてその手が持ち上がって、厳ついデザインの兜に触れ――
「……やはり、あなたを欺くことはできませんね」
兜を外した先に現れたのは見慣れた銀髪の青年の顔で、オリヴィアは泣き笑いを浮かべた。
やはり、そうだった。
あの声は、レスターのものだった。
悪役騎士の正体は――レスターだった。
「申し訳ございません、オリヴィア嬢。ずっと嘘をついて……」
「いいえ、あなたにもご事情があったのでしょう。……助けてくれてありがとうございました、レスターさん」
そう言ってオリヴィアが二つの花束を差し出すと、彼もくしゃっと笑って両方を受け取ってくれた。
「悪役になって、いいことなんてないと思っていました。ですが……こうして、あなたに会えた。あなたに応援してもらえて……あなたを守ることができた。それが、僕の悪役騎士としての人生で一番の、名誉です」
そう言ってレスターはオリヴィアの肩を抱き寄せ、しかと抱きしめてくれたのだった。
劇場襲撃事件の後は、諸問題で王城関係者は大忙しだったようだ。
まず、捕縛された男の言い分はほぼ正しかった。
先の戦争で開拓民と戦ったのは安い給料で雇われた傭兵たちで、騎士たちは傭兵に指示を出すだけで安全な場所でぬくぬくとしていたという。傭兵隊は辛くも勝利を収めたが、騎士たちは傭兵たちに金を握らせてその手柄を我がものにした。
……だが傭兵隊の中でたった一人だけ、騎士として採用された者がいる。
それが先の戦争で切り込み隊長として奮闘した、レスターだった。
貧しい農家出身の彼だったがめざましい成果を上げたことで、下級騎士として登用されることになった。彼にも思うことはあったようだが、名誉を奪われ王都を追われた仲間たちが手にした平和を、自分の手で守りたいと思ったのだ。
だがレスターは農民騎士と笑われ平和な世の中では活躍する機会が与えられず、雑用ばかりさせられた。
そして新たに発足した騎士劇団では、パンフレットに名前も乗らない悪役として登用された。他に、悪役騎士になりたがる者もいなかったのだ。
これが本当に自分のしたかったことなのか、と思いつつ肩身の狭い思いをしていたレスターだったが、先日の舞台襲撃事件では戦う気力すら見せなかった騎士たちを差し置き、自ら侵入者と戦い、最後には説き伏せた。
……このことにより、これまで平和の象徴としてきらきら輝いていた騎士団内部では、かなりの悶着が発生したようだ。
あの事件で国民たちはお飾り騎士たちへの関心を失い、一人敵に立ち向かった悪役騎士ことレスターに対する態度を改めた。そして戦争における真実の告知、また真の英雄である傭兵たちへのケアなどを国に求めた。
結果として、騎士劇団は解体となった。
レスターの言うように平和の象徴として作られたのは事実だろうし経済も回っているが、「推し」文化により異様なほどの大金が動いたりファンが借金までして推しに貢ごうとしたりという闇の部分も見えており、そもそもの趣旨からすっかり外れているのでは、という意見が上がったという。
国王は騎士団の再編成と活動方針の是正を厳命し、騎士団長も代替わりし、「正しく国民を守る存在」として再スタートを切るそうだ。
……ということを教えてくれたのは、情報通なヘーゼルだった。
彼女は自分の代わりにオリヴィアが捕まったことをずっと気にしていたが、オリヴィアはむしろこれで悪役騎士の正体がレスターだと分かったのだから、結果オーライだと思っている。
なお、ヘーゼルの推しであるジャスパーという騎士はまだ若くて戦後に採用されたということもあり、戦争云々には無関係だった。
実力はともかく真面目な勤務態度だったということで新編成された騎士団でもうまくやっているらしく、「私の推しはいつでも最高だわ!」とヘーゼルは胸を張っていた。
そして、オリヴィアはというと。
「こんにちは、レスターさん」
「あっ、こんにちは、オリヴィア嬢!」
城の訓練場を訪れたオリヴィアを、レスターが迎えてくれた。
ただし今の彼はあの漆黒の鎧姿でも終演後の下働きの制服姿でもなく、上級騎士のみが着用を許された騎士団服を着ていた。
戦争で活躍した元傭兵ということでレスターは正式に、国王から騎士に叙勲された。そして新体制となった騎士団の副騎士団長を任され、男爵位の授与も検討されているという。
下働き同然から一気に副騎士団長まで上り詰めたレスターは、毎日忙しくしているそうだ。
後輩指導などはもちろんのこと、彼はかつての戦友たちを騎士団に入れることも検討しているという。今は襲撃犯として繋がれている彼らだが国民たちからの嘆願書も多く届いており、いずれ釈放されたときに雇用の機会を与えたいと思っているという。
「お疲れ様です。これ、差し入れです」
「わ、おいしそうです! いつもありがとうございます!」
オリヴィアが手製の弁当を差し出すと、レスターは頬を赤らめて礼を言い、大きな手で受け取ってくれた。
皆から恐れられる悪役騎士から副騎士団長になったレスターとは、友だち以上恋人未満のような関係だ。
だが、前々から屋敷に来ていたレスターのことを気に入っていた両親は「誠実で優しい、いい青年ではないか。さっさと捕まえておきなさい」なんて言っているし、ヘーゼルも「ぶっちゃけ実質、恋人状態じゃない?」と笑っていた。
(ま、まだそんなのじゃないわ。でも……)
「……あ、そうだ。この前の手紙の返事です。どうぞ」
「まあ、ありがとうございます」
レスターがジャケットのポケットから出したのは、見慣れた無骨な便箋だった。
こうして素顔と本当の名前で関わり合えるようになったが、それでもレスターはオリヴィアとの文通を続けたがった。
「不人気な僕にも、応援してくれている人がいる。……そのことが本当に嬉しかったのです」とオリヴィアとの文通の思い出を語る彼は、照れたように頬を赤くしていた。
オリヴィアは手紙を受け取ろうと手を伸ばし……そのときに、ちょんっと二人の指先が触れあった。
「あっ」
「あっ」
「……」
「……」
「……。……そ、その。これから休憩時間なので……もしよかったら、一緒に休みませんか?」
「えっ? ……は、はい。喜んで!」
なんだかとてもくすぐったい気持ちになってそわそわしつつ手紙をバッグに入れたオリヴィアは、レスターからそう誘われて急ぎうなずいた。
その言葉を聞いたレスターはほっと笑い、そして――オリヴィアの左手をそっと、握った。
オリヴィアははっとして、顔を上げた。背の高いレスターの表情はここからだと見えないが、赤い頬は銀色の髪で隠しきれていない。
(……嬉しい)
ぎゅっと手を握り返すと、さらに力強く握られた。
「……あの、レスターさん」
「はい」
「私……これからもずっと、あなたを推しますね!」
悪役騎士でも、騎士団副団長でも。
レスターは永遠に、オリヴィアの推し――大好きな人だった。
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