代表トリ締役
パルを購入して1週間が経った。
今日は平日。出社日である。
愛斗は朝食や出社の準備を済ませる。
今の派遣先の会社の始業は9時だ。そこそこ大手のIT系企業である。
大学方面へと15分程歩いて地下鉄に乗り、15分程揺られると着く。そのため、始業の10分前に着くように家を出るとして、信号待ちなどで長く見積もって合計40分かかるとしても、8時過ぎに出ても余裕で間に合う。
後20分くらいの猶予がある。残りの時間はパルを鳥籠から出して過ごす。
こういう時、シロのように暴れ回らずに多少飛び回る程度のパルの慎ましさは助かる。
肩や頭に乗られたり、耳を突かれたりしてほのぼのとした時間を送った。
出社して凡そ1時間経ったころ、堀田幸造社長が愛斗の近くを通ろうとして、小声で話しかけてきた。
「小田くん。インコでも飼ってるのかい?」
愛斗は急に社長に話しかけられたことよりも、その内容に驚く。
「え!?どうして分かったんですか!?」
「だ、だって、肩にうんちされてるから…。くくっ」
社長は笑いを堪えながら、愛斗の肩を指差す。
「え!?うわっ、ホントだ!」
慌ててデスクのティッシュを取り、フンを除き、スーツに痕が残らないよう丁寧に拭く。
「実はウチでも娘がセキセイインコを飼っててね。だからそれがインコのうんちだって分かったんだ。水っぽいうんちじゃなくて良かったね」
確かに、水っぽければ痕が残ったかもしれない。
「そうなんですか。教えていただきありがとうございます。僕はつい1週間前から飼い始めたばかりなんですよ」
「そうかい、そりゃタイムリーだね。何羽飼ってる?」
「1羽です」
「おお、本当に丁度いい。じゃあ、物は相談なんだけどね。ウチは元々2羽だったんだけど、これがオスとメスでね。今は10数羽に殖えて世話が大変なんだ。娘は、高校生になってから部活だなんだであまり面倒を見る時間が無くて。1羽でもいいから貰ってくれないか?」
「えっ、いいんですか?ありがとうございます!是非!」
先日のパルの激カワな姿を見て、愛斗はすっかりセキセイインコの虜になっていた。最早、大家にバレてしまったら潔く出て行く覚悟ができる程度には。
「今週末あたり、ウチに来るといい。…ああ、鳥籠を持って来なきゃだから、私が車で迎えに行こうか」
愛斗にとって非常に有り難い申し出である。
社長の家が何処かは知らないが、もしダンボールに入れられて1時間くらい歩くことになったら、中のインコが可哀想だ。だが愛斗は車を持っていない。
加えて、別の問題もある。
「あの。実はうちのアパートは本来、ペット禁止でして。車への乗り降りでも、鳥籠を持ち歩く姿を見られる訳にはいかないんです。なので、差し出がましいお願いとは思いますが、ダンボールか何かに入れた状態で送迎して頂けると助かります」
社長と思わぬ共通点を見つけた愛斗は、社長相手にも関わらず饒舌になっていた。
「ハッハッハ。なんだ、真面目そうに見えて、君もなかなか冒険心があるんだね」
「あ、いえ、恐縮です。」
ルールを守っていないことを咎められると思ったが、寛容な言葉に愛斗はホッとした。
「ああ。構わんよ。週末までには家族に話をつけておこう」
セキセイインコを飼い始めただけなのに、派遣先の社長と急激に距離が近づいたのだった。
パルを飼い始めたことにより、世話をしなければ、という思いから居酒屋などに寄り道をすることが少なくなった平日。ストレスも癒やされ、時が過ぎるのが早く感じられた。
そうして来る土曜日。
迎えに来てくれた堀田社長の車に乗り込み、揺られる。
なんとなく流れる重い空気に耐えながら、勇気を出して愛斗は社長に問いかける。
「社長。あの、もし良ければ、インコを飼うときの注意点とかがあれば、教えていただけませんか?」
「済まないが、私はあまり詳しくなくてね。そこら辺のことは娘に聞くといい」
「…今日、娘さんは?」
「家にいるよ。娘は水泳部で、6月のうちはまだ学校のプールは使えないんだと。今は筋トレとか、近くの市民プールに行くとかしかしてないからね」
「なるほど…」
「念の為言っておくが、インコは譲っても、娘を譲る気はないからね」
「も、もちろんです!」
社長は運転のため前を向いているというのに、その言葉だけで睨まれているような圧を感じた。
社長の車に乗って約40分、社長宅に着いた。
外観は大きく見える一軒家だ。社長曰く4LDKだとか。夫婦と娘の3人家族なのに4ということは、客間でもあるのだろうか。
「ただいまー」
「お邪魔します」
「おかえりー。と、いらっしゃーい」
玄関を通ると、声が谺する。
ドタドタと小走りする音が聞こえ、やがて廊下へとその音の主が姿を表す。
「はじめまして〜!話は聞いてまーっす。」
ショートカットで、ザ・スポーツマンという印象の日焼け肌、半袖半ズボンの女の子から底抜けに明るい挨拶を受ける。スラリとした両手足。女性としては比較的慎重が高く、170はあるだろうか。高校生らしく顔に幼さは残るが、男装をしても映えそうだ。
「あ、どうも。はじめまして」
そのテンションに若干戸惑いつつ、普通に返す。
「娘の彩だ」
社長による紹介。
「堀田彩でーす。よろしくお願いします!」
娘による自己紹介。
「小田愛斗です。こちらこそ、よろしくお願いします」
愛斗による承諾。
「じゃあ早速だけど、こちらへどうぞ〜」
彩に案内され、謎の緊張により内心ヒヤヒヤしながら廊下を進み、すぐリビングに辿り着く。
凡そ20畳の広さの空間だ。
調度品は殆ど白と黒で、シックさを醸し出している。
社長の、穏やか且つ謹厳実直な性格を表しているように思えた。
部屋を見回していると、窓際に大小2つに分けられた鳥籠を発見する。
「こちらが我が家のペットで〜す!」
彩に促され、共に鳥籠へ近づく。
小さい籠の中には、黄色と白のセキセイインコが1羽ずつ、大きい籠の中には、黄色のセキセイインコがたくさんいる。
大きい籠の中では、見知らぬ怪人の登場に慌てふためいているかのように飛び回るインコがちらほら。
「小さい方の2羽が親鳥で、大きい方のはみんなこの2羽の子供なんですよ!」
「へ〜、すごいですね。10羽ぐらいいますが…」
「そうなんですよ〜。こんだけいると餌の消費も激しいし、床はすぐフンだらけになっちゃうし、羽はたくさん舞うしで掃除も大変で。ほら、この水飲み用の箱なんかにもフンしちゃって。だからお兄さんが貰ってくれるのは正直ありがたいんです」
「な、なるほど…。ウチは1羽だけだから、そんな問題があるなんて思いませんでした」
「さて、どの子がいいですか?」
そう言われて、小鳥たちを見つめる。
インコたちは今は落ち着きを取り戻し、のんびりしているのが多い。
「どれと言われても、みんなあまり変わらないように感じるんですが…」
「うーん。じゃあ、お兄さんトコの子の性別とは別の子にするのはどうですか?殖えても問題無いならですけど」
「おー。いいですね。ウチのはメスなので、となるとオスは…」
以前ペットショップの店員に教えてもらった、雌雄の見分け方を思い出す。
そう、鼻の色だ。
大きい籠のインコを実際に数えてみると9羽で、9羽のうち4羽がオスだった。
オスたちを見比べてみる。
人懐っこそうで籠の柵に張りつき籠から出たがっているオラオラタイプ、冷静沈着クールタイプ、おろおろして落ち着かない優柔不断ショタタイプ、我関せずと隅で狸寝入りしている一匹狼タイプ。
ざっと見てそんな印象を受けた。どこの乙女ゲーだよと自分でツッコミそうになる。
(乙女ゲーか…。そういや、妹がよくやってたな。昔の我が家は意外と賑やかだったな…。兄貴と妹、オレと、父さん母さん。前に帰省したのいつだっけ。一人暮らしも長くなってきたし、盆にでも…おっと、脱線してしまった)
インコを選んでいたのに、いつの間にかホームシックに罹りかけていた。
頭を軽く横に振り、目の前に集中する。
すると1番に焦点が当たるのは当然、今もなお柵にへばりついているオラオラ男子。
しかしじっと見ていると段々ずれ落ちていき、止まり木に戻ってはまた張りつきにくる。それにより、オラオラというよりはクラスのお調子者、ムードメーカーのような印象に上書きされる。
そんなそそっかしさとやんちゃぶりはシロを彷彿とさせる。
(ふふ、うるさいやつも、いないと寂しいもんな)
そして、暴れん坊第2号を指差し、言う。
「このお調子者にします」
「お、その子を選ぶとはお目が高い。見ての通り、お察しの通りのお調子者でして。メスの子達に見境なしにちょっかいかけては怒られる…。そんなその子の名は…エロスケだ!」
「ぶっ!」
思わず吹き出す。
「どんな名前ですか!」
「イエローだからエロスケ。シンプルじゃないですか?ん?他にどんな意味があると?」
彩はニヤニヤしながら愛斗を見ている。
それを見れば、愛斗も流石に揶揄われていると気づく。
(こいつ…。どうしてオレの周りの女性はこうも揶揄うのが好きなんだ…)
愛斗は下を向いて溜息をつく。
「あはは、冗談ですよ〜。ホントの名前はキタロウです」
「それはそれでツッコミどころですね」
間違っても「おい!」と呼びかけてはならない。
「ふふ。人からもらったペットの名前は変えられないルールですよ。可愛がってね!」
ポケモ◯交換の時のような台詞を吐かれた。
「小田くん、コーヒーだ」
社長からもてなしをいただく。
「ありがとうございます」
「悪いが、砂糖とミルクはない」
社長は笑顔だが、目が笑っていない。
「い、いえ。お構いなく」
そうして、3人でテーブルを囲んでソファに座る。
彩は愛斗の斜向かいに座っているが、チラリと見えたカップの中は、黒ではなく茶色。そう、ミルクを入れた色だった気がした。
(これにつっこむのは藪蛇かもしれない)
社長が娘を溺愛しているのはもう分かった。
「ところで、車での質問は娘に聞いたかな?」
一息ついたところで、社長がそうきり出す。
そう言えば、そんなこともあった。緊張のあまり車内でのことはあまり覚えていなかった。
「え、なになに?」
彩はずずいと身を乗り出し聞いてくる。
「ああ、インコを飼うときの注意点みたいなのがあればお聞きしたいな、と」
「なるほどー…」
腕を組み考える彩。
やがてゆっくりと、人差し指を立てながら、言う。
「それは……愛、を注ぐことです」
「……………えっ」
予想外の答えが返ってきた。
「インコちゃんのためを思い、何かをして、何かをしない。それは全て、愛することに集約されるのです」
「そ、そうですね」
とりあえず相槌を打つ。
(多分ふざけているんだろうけど、間違いだと一蹴もできない。というか、考えるのを諦めただけでは?)
彩の隣に座る社長なんかは、高校生の娘が愛だの言い出したから、少し眉がピクピクしている。ニンジンに似た生物のような可愛さは感じられない。
(結局、自分で考えろってことか)
一つ一つ、確かめて行こうと思った。
再び社長の車に乗せてもらい、自宅のアパートまで送ってもらった。
「今日はありがとうございました」
車から降り、ダンボールを抱えながら腰を曲げ礼をする。
「なに、気にすることはない。こっちも、食費が浮くようなものだからありがたいしね。それでは」
社長は空気王がごとく台詞を吐き、片手を軽く挙げてから発車させた。愛斗はそれを見送る。
数秒後、車が見えなくなってから踵を返し、部屋に戻る。
ダンボールからキタロウを出して、鳥籠に移す。鷲掴みで。
「仲良くしてくれよ?」
パルは新しい入居者にもあまり反応を示さない。
対するキタロウは新居に少し戸惑いつつも、忙しなく動いている。かと思えば、我が物顔で餌にありつく。やはりこういうやつはどこであっても変わらないのだと愛斗は思った。
「この2羽から殖えるんかな。ちょっと、楽しみだ」
こうして、1人と2羽の新生活が始まった。