黒い海5
それは少し時間を遡る。
礼人が冷たい夢を見ていた時、現実のうだるような熱い世界では、
(苦しい……苦しいよ……)
大勢の大人が行き交う街の中、一人の子供が道路にうずくまって声も出せずに苦しんでいた。
都会の人間は冷たいと言うが、子供が地面にうずくまって苦しんでいるのを視線一つも向けないで通り過ぎて行くのは、冷たいと言うより冷酷であろう。
誰一人、声を掛けて貰えず、ただただ苦しみに耐えるために地面にうずくまっていた子供から赤い血がつたって地面を赤く塗らし、
(痛い……痛いよ……)
子供の苦しみを訴える声は、痛みを訴える声に変わり、
(助けて……お願いだから助けて……)
子供は願いを胸に、自分を見てくれない誰かに助けを求める。
救われない苦しみにどれ程の時間うずくまったのか、それこそ子供の血が地面を覆い尽くして、その道を歩けば間違い無く靴底に血が付く程になっても、誰一人として気にも留めない。
(うぅ……うぅ…………)
そうして、声を上げることすら出来なくなった子供は、それでも誰かの救いの手を求めるために、声にならない小さいうめき声をあげると、
「ねぇ……何か聞こえない?」
「えっ…そうっ?」
子供の側を通った人が、うめき声に気付いて周りを見渡すが、
「気のせいかしら?」
「そうじゃない」
小さいうめき声を聞いたその人は、自分の足元でうずくまる子供には気付く事なく、その場から立ち去ってしまう。
(ぐっ……うっ…ぐすっ……)
やっと、自分に気付いてくれて手を差し出して貰えるかもしれないと、一縷の希望が沸いたのに、一縷の希望は細い糸のようにスルスルと抜けて消えてしまう。
一縷の微かな光でも希望は希望、自分の前を一度は光って通り過ぎた希望は子供に絶望を与え、すすり泣かせるには十分であった。
子供は絶望の中、すすり泣いてグズり、座ってうずくまる力すら無くなった子供は、自分の血で赤く染まる道路に横たわり、
(…………)
泣くことすら止めて、虚ろになった瞳に映ってくる大人達を呆然と受け入れていく。
大人達は自分に気付かずに瞳の中に次々と映っては次々と消え、何の気にも留めずに赤く染まる道路を踏みしめていく。
(…………)
生気も無く死ぬことも出来ずに、死んだ動物が鳥の硬い嘴についばまれるような苦しみが子供をついばむ。




