異世界のアフレクションネクロマンサー157
日本だとあまりイメージが無い病気かもしれないが、西洋だと戦争の絵でその病気の様子を描かれている。
日本の残されている戦争の絵では、名だたる武将を中心に一騎打ちをして活躍している様を描くが、西洋の方では、戦争で中心になっている人物の側に兵士や民衆を描く事で、英雄を演出する描かれ方をしている。
もちろん、どちらの国にも共通する絵は沢山あり、必ずしも上記に上げた絵しかない訳では無いが、西洋の方では特定の人物達が、みんなに囲まれているというのが多々ある。
それらの絵は、日本の一騎打ちの勇ましい姿とは違い、一人の人物が皆を導く誇りの高さを味わう事の出来る一品ではあるが、
(違う…私の時は、そうしなければ、みんな死んでいたんだ……)
その中心に描かれていない者達、言い方はあれだが、主人公を盛り上げるだけのモブとも言える者達にスポットを当てたらどうであろうか?
一騎打ちはあくまでも当事者達の舞台、そこ以外でも争いが起きているのは間違い無いが、それでも舞台に上がってはいないのだ。
舞台の上にいない以上は、彼等には好き勝手に戦うも、旗色が悪くなったと逃げても問題が無い。
しかし、周りを巻き込むタイプの劇場型は話が違う。
戦争の転機とも言える部分に描かれている者達は、舞台の上に上がってしまった演者。
名も無き者達は、舞台の上に上がって英雄達の運命の物語の演者となれば、存在価値を得て高揚を覚えてしまい、一種のトランス状態になってしまう。
(私のせいで…死んだのか……)
アフレクションネクロマンサー様の舞台。
鉄騎兵の大群に立ち向かう時には多くの者達が連いて行き、アフレクションネクロマンサーの活躍に多くの者達を意気揚々と戦った。
だが、その後の出来損ないの人魚との戦いで、アフレクションネクロマンサー様の運命の戦いは、自分達、名も無き者では戦えないと我に返って、逃げ出そうとしたが、もう一人の物語の中心人物である出来損ないの人魚は許さなかった。
一度舞台に上がったのだから最後まで付き合えと、舞台から逃げ出そうとした者達を捕まえては捕食した。




