黒い海47
礼人を卵のように囲んで守っていた経文が、黒い海によって水風船を握り締めたかのように歪む。
攻撃に転じる為とはいえ、このまま歪むのを許していては最後には圧力に負けて、水風船の薄い膜が破けて中身が飛び散ってしまう。
そのことは礼人も十分に分かっているはずなのだろうが、
「……ふぅ」
歪む経文に恐怖を感じる事無く、礼人は集中し続ける。
押し潰されていく経文の中、手の中で揺らぐ蛍の光はいまだ一つの形に形成することが出来ず、コップの中で水が揺らいで零れるかのように光が落ちた。
小さな静かな光、一粒だけ落ちてきた雨のように経文に降ると、
『きゃゃあぁああぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!』
経文を押し潰そうと触れていた黒い海から、動物の弾けたかのような叫び声が響く。
火の恐ろしさを知らずに興味本位で近付き、湧き立つ心のままに触れて、そこで初めて体が焼ける痛みを知った獣のように苦しみの声を上げる。
礼人を圧し潰そうとしていた黒い海は、そこで理解する。
礼人の力が弱々しくなったから経文の力が弱まったのではないと、もっと他の……救うためではなく、滅ぼすための何かをしようとしていることを……
さっきまで礼人を圧し潰そうとしていた黒い海が我先と、その場から逃げ出そうとすると礼人を中心に黒い海が歪む。
黒い海が阿鼻叫喚の叫び声を上げながら、のたうち回っている光景を見ていた大きな鯉は口からはやしていた触手を伸ばすのを止めると、自分の元へと戻していく。
大きな鯉も感じ取ったのだろう、礼人がやろうとしていることを……自分を滅すために力を溜めている事を……
襲う側と襲われる側、追うものと追われる者と立場から、争う者同士の関係、力が劣った方が終わりを告げる戦いに変わった事に気付いたのだろう。




