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4話(1)



 寒さがいくぶん和らぎ、雲間から高く澄んだ濃い青がのぞいていた。

 今日は普段より人通りが多い。年が明けを待つ独特の、そわそわと浮き足立つような、凛として静まり返るような匂いがしていた。


 年内の最終営業日になった。

 定休日を返上して大掃除は終えており、ディスプレイも年始に合わせ変更している。あとは今日の営業を無事に終えるだけだった。


 昼過ぎ、一度に3組の客があり、その後も途切れず何組か続いた。

 はじめて来店した女性の接客をしているときに、また店のドアが開いた。


「いらっしゃいませ」

「成田さん、こんにちは」

 馴染みである男子中学生の二人組がそろって入ってきた。

「こんにちは。ちょっと待っててね」


 夏生と皐月はカウンターの前に並んで立った。頭を突き合わせて、小声で話をしている。相変わらず仲が良さそうだ。放っておいても、二人いれば退屈とも無縁のように見える。


 夏生の祖母の持つアパートに成田が住んでいたのは、4年ほど前のことだ。学生の頃からなので、5年はいたことになる。元々は夏生と成田の祖父同士が知り合いだった縁だ。

 夏生と皐月、幼なじみの二人は、時々この店におつかいに来る。どちらの家からも贔屓(ひいき)にしてもらっているが、たいてい二人一緒にいるので、頼まれると連れ立って来ることになるらしい。

 彼らも年が明けてすぐに高校受験が控えている。はじめて会った頃はまだ小学生だった。大きくなったな、と親戚のようにしみじみしてしまう。


 客を見送ると、二人がこちらへ来た。

「ごめんね。お待たせしました」

「いえ、全然。ブレンドください」

 夏生が言った。今日は藤田家の買い物らしい。

「1袋でいい?」

「2袋。知り合いにあげるそうなんで」

「そっか。ラッピングしたほうがいいのかな」

「それは、なくて大丈夫です」

「かしこまりました」


 かごから商品を取り、小分けの袋と小さなリーフレットとともに手提げの紙袋に入れた。

 二人とも相変わらず元気そうではあったが、少し疲れているようにも見える。受験勉強の息抜きに出されたのだろう。

 会計の後、成田は言った。


「試飲の豆が余ってるんだけど、飲んで行かない?」

 二人は顔を見合わせた。

「やった」

 声を上げたのは皐月だ。

「ありがとうございます」

「いただきます」

 皐月はカウンターの椅子に飛び乗るように座った。夏生も解放されたような、嬉しそうな表情で皐月の隣に腰を下ろした。

 勉強の様子でも聞こうかと思ったが、多分誰かに会うごとに話しているだろう。二人並んでまた何やら話している様子を見て、成田は黙っていることにした。

 豆を若干粗めに挽く。ドリッパーとデキャンタを準備し、カップを出した。火にかけられた薬缶がカタカタと音を立て始めた。


 保科は2週間以上姿を見せていなかった。それ以上は長すぎて、数えたくない。本当はカレンダーを見なくてもわかることだ。

 また来てほしいという言葉を、保科がどう受け取ったかはわからない。けれどあの場ですぐに決めることはできなかった。

 彼はもう来ない。

 あのときしか、彼をつなぎ止めるタイミングはなかった。それを選ばなかったのだから、結局は当初の望みどおりになったと言える。


「成田さん、沸騰してますよ」

「え」

 夏生の声で我に返った。

 あわてて火を止めた。薬缶のけたたましい音が収まる。成田は大きく息をついた。コンロの前で場所も忘れて考え事をするなど、ありえないことだった。


「夏生くん、ありがとう」

「いえ……」

 夏生は少し驚いたように答えた。

「ねえ、成田さん。好きな人、できた?」

 皐月が思いついたように言った。

 隣の夏生が皐月を肘でつついた。

「おい」

「恋をするとため息をつく、って言うじゃん」

「そんなこと聞くもんじゃないだろ」

 朗らかに話す皐月を、夏生がしかたないやつ、という目で見た。二人にわかってしまうほど、ため息をついていたことに気づかなかった。笑うしかない。

「どうかな。好きな人ができたら、楽しいだろうね」

 皐月はふうん、と新たな発見でもしたようにつぶやき、夏生は伏し目がちにコートのポケットに手を入れた。


 彼らに合わせて言ったつもりだったが、自分へ向けた言葉のようになった。恋愛が成田にとって楽しいものだったためしはないが、本来そういうものかもしれない。

 皐月が自分の一つ年上の姉の話を始め、成田は内心ほっとした。

 コーヒーを出し、二人の話をたまにあいづちを交えて聞いていた。その間に2組の客が訪れ、帰ったあと、二人は席を立った。


 夏生が、そうだった、とコートのポケットに手を入れた。

「成田さん。これ祖母から預かったんですけど。成田さんのですか?」

 夏生はそう言って、手の中のものをカウンターに置いた。

 ネクタイピンだった。色はシルバーで飾り気のない、どこにでもあるようなシンプルなデザインだ。


「どうしたの、これ」

「成田さんがいた部屋のクローゼットにあったらしくて。今度退去した人が持ってきてくれたんです」

「……そう」

「成田さんのだったんだ」

 皐月が言った。

「うん……失くしたと思っていた。ありがとう」

「成田さんもスーツ着るんだね」

「たまにはね」

「かっこいい」

「ほら、皐月、行くぞ」

 夏生が皐月のこめかみのうしろあたりを、手の甲で軽くこづいた。


「あ、夏生くん、これ」

 成田は夏生を呼び止め、店頭にあった小ぶりなチョコレートの包みを渡した。

「お祖母さんに、よろしくお伝えください」

「わかりました」

 夏生は成田を見て微笑み、少し先で待つ皐月を追って、コートをひるがえし走って行った。


 二人も少しは気分が晴れただろうか。

 それにしても、カーディガン一枚では寒い。成田は身を縮め、店に入った。

 二人が去り、誰もいなくなったフロアを見た。成田はまたため息をつきそうになり、やめた。

 カウンターに置かれたネクタイピンは、夏生の祖母が磨いてくれたのか、以前よりも光沢を放っているように見えた。


 今更戻ってくるなんて。

 いつまでも過去に足留めをされているようだ。

 でも、ひとりでいることにこだわるのは、そういうことではないか。


 タイピンを取り上げようとしたときに背後でドアが開き、次の客がやってきた。

 成田は再び笑顔を作り、客を招き入れた。

 




お読みいただきありがとうございます。

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