表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/7

2話



 店を出ると保科は人の流れに逆らい駅へ向かった。駅を通り過ぎ、今度は人の流れに乗り大通りに出る。程なく住宅街が広がった。

 この辺りは道が入り組んでいるが、どこがどう繋がっているか、ほぼ頭に入っている。保科はいつもの道を外れ、遠回りをした。

 カーブした細い道を進むと少し広い道路に出た。横断歩道を渡り、道なりに進む。この辺りはあるかなしかくらいの傾斜がついている。隣を自転車のライトが追い越していった。


 大人になってみるとどうということもない出来事が、子供の頃は重大事だった、ということがある。後から客観的に見る視点と、当時受けた感情は乖離(かいり)していて、思い出すと笑ってしまうのだが、同時に痛みも蘇る。

 たいていの出来事は大人になるにつれ忘れ、整理され、感情も差し引かれていくものだが、そのまま保存され、なかなか忘れられない。


 三原珈琲店で彼を見かけたのは1ヶ月ほど前のことだった。たまたま通りかかった。そういえばこの道は小学校の通学路だったと気づいた。

 ちょうど店のドアが開き、客が出て来た。見送りに出たのは若い男の店員だ。少し長めの柔らかそうな髪が、頭を下げるとさらりと顔にかかる。細身で、優しげな綺麗な顔をしていた。女性客が放っておかないだろうな、そう思って通り過ぎただけだった。

 それから何かずっと引っかかっていた。そしてあの思い出と繋がった。


 このところ、そのシーンが何度も繰り返し頭に浮かぶ。他愛のない出来事だが、一旦思い出すと一瞬で解凍されたように、感情や映像が鮮明に目の前に広がる。




 小学2年の新学期に、隣のクラスに転校生がきた。転校生は珍しく、女子たちがしきりに噂をしていたが、保科は友だちと遊ぶのに忙しくあまり興味がなかった。

 新学期が始まり数日経ったある日、廊下で見知らぬ女の子を見かけ、これがあの転校生かと知った。小柄で可愛らしい。彼女は通学路が一緒だった。


 下校時間友人たちと別れると、彼女はいつもうつむいて歩いた。最初は泣いているのかと心配になったが、そうではなかった。

 保科はいつも少し離れて後をついていく。声をかけることは出来ず、彼女も振り返らない。そのまま三原珈琲店の扉に入っていくのを見届けると、保科はほっとし、誇らしいような気分になった。遠くから見守っているつもりになっていた。


 その彼女がある日、泣いていた。

 理由はわからない。

 梅雨も終わろうという、曇り空の日だった。下校時間いつものように友だちと別れると、真っ直ぐ店に向かうはずの足が別の道へそれた。保科はこっそりついて行った。

 その足は帰り道とは反対側にある小さな公園に入った。遅れて中を覗くと、彼女はブランコに座っていた。ブランコは小さく前へ後ろへと揺れている。

 保科は気になり、公園の前を通ったり、他の道を回って戻ったりしては彼女の様子を見た。なかなか声をかける勇気が出ない。


 何度目かに保科が入り口に立った時、ちょうどブランコの揺れが止まった。彼女はブランコのロープを握りしめている。ショートカットの長めの前髪に隠れて表情は見えない。

 しばらく見ていると彼女が泣いているのに気づいた。

 保科はどうしていいかわからず何度か足踏みし、ふいに彼女に駆け寄った。


 彼女が顔をあげる。

 目が合った。


 保科はとっさに、ポケットに握りしめていたゴムの毛虫を投げつけた。

 彼女は驚いて立ち上がった。後ろに揺れたブランコの板が彼女の細い足にぶつかるのを、視界の隅に見た。


 赤くなった頬、小さく開いた唇。見開いた目。

 彼女の表情と、自分のしたことに驚き、立ち尽くした。


 彼女はやや目を伏せ、袖で涙を拭うと走り去った。角の向こうに見えなくなるまで、ただ見ていた。

 それだけの思い出だ。




「子供のすることはわかんねえなあ」


 つぶやきは車が通り過ぎる音に紛れた。

 新学期が始まった頃には、彼女の姿は見えなくなっていた。名前と、その子が男だと知ったのは彼が転校した後だった。話す間もなかった。

 この話を高校時代の親友にしたことがある。社会人になってからのことだ。どんな話の流れだったのかは覚えていない。

「それはあれだな。好きな子につい、いじわるするパターン」

 そいつはそう断言した。言われるまで思いもしなかった。彼女は実は彼だったと明かしそびれた。




 一人暮らしの部屋に帰った。

 明かりをつけ、コートと鞄を置くと、ネクタイを緩めて冷蔵庫を開けた。発泡酒を取り出しプルタブを引く。冷たい液体を喉に流し込んだ。


 あの時見た店員が妙に気になり、転校生の三原秋史ではないかと思った。今は成田秋史だろうか。今日話をして間違いないと思った。しかし聞けなかった。


「何しに行ったんだ、俺は」


 本人だと確かめてどうしたかったのか。本人すら忘れているであろうことの、謝罪でもしたいのか。

 そうではなく、幻のようにいなくなってしまった彼が存在して、元気に暮らしていると知りたかった。どちらにしても自己満足だ。


 もう一度会うとは思わなかった。

 成田の横顔と、コーヒーを淹れる手つきを思い出す。

 綺麗だったなあ、と缶に口をつけたまま、つぶやいていた。








お読みいただきありがとうございます!

毎日11時に更新します。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ