返す星に願いをのせて
「それでは、遣い蛇の契約を進めましょう」
黒い魔女が視線を下に向けます。それに合わせるように、ジェーン達の足元にあった魔法陣が選んだ星喰いの蛇の下へ動きました。
「目を合わせて、心の中で願い事を思い浮かべてください。そうしたら、蛇が願いごとの対価を教えてくれるでしょう」
その言葉に誘われるように、ジェーンはしゃがみ込むと大人しい蛇を見つめました。蛇はまだ目を瞑っています。目を合わせるには蛇に目を開けて貰うしかありません。
「蛇さん、目を開けてもらえないかしら」
触るのは怖かったので、おそるおそる声をかけます。しかし、ジェーンの蛇は目を開ける様子がありません。
「お願い、どうしても願いを叶えたいの」
そうしているうちに、他の星喚者は蛇との契約を進められたようで、姿を消していきました。あまり遅れてしまうとジェーンの願いが叶わなくなってしまいます。なにしろ、星が願いを叶えてくれるのは最初に喚び落とした者なのですから。
「お願い……っ」
手を合わせ、ギュッと目を瞑って祈ります。
《お前が目を瞑ってはこちらの目を見られないだろう?》
「っ……!」
頭に響く声にジェーンは慌てて目を開きます。そこには、黒く塗りつぶしたかのような瞳がありました。
《理想の未来を思い浮かべろ》
「理想の未来?」
黒の魔女とは少し違うことを言われた気がして、ジェーンは首を傾げます。しかし、理想の未来と言われて反射的にそれを思い浮かべていました。すると、蛇の空洞の奥から滲むように何かが見えてきます。気付けばジェーンは思い浮かべた理想の未来の中に立っていました。
『あ! のぼりぼし! まま、ぱぱ、おねがいしなきゃ! ねぇねも!』
『あらあら、本当ね』
『昇り星は吉兆と言われているんだ、よく気付いたな』
『ミラはどんな願いごとをするの?』
『それはね――』
明るい日の光が差すきれいな部屋で妹のミラ、ジェーン、そして両親の4人で楽しそうに笑って過ごしている未来。
それは、もう決して叶うことはないと確定している未来でした。
《死者蘇生はできないが、それ以外であれば辛うじて可能な範囲か》
「それ以外……?」
《良いか、娘。とにかく、願いを叶えたくば星の力を手に入れるんだ》
「星の力?」
《街の外へ飛ぶぞ。今夜は効率よく集められるだろう》
ジェーンの疑問に対する答えはなく、蛇はふわりと浮き上がりました。
「ちょっと待って!」
《鎖をしっかり握っていろ。落ちても知らないぞ》
グイッとひっぱられ、ジェーンは躓いて転びそうになってしまいます。しかし、ぶつかると思った地面はむしろ離れていっていました。
そうです、星喰いの蛇につられてジェーンは空を飛んでいたのです。
「ど、どうして!? どこへ連れて行こうっていうの!?」
《星の力を獲りに他の街へ行く》
行き先を告げた蛇はついでのように彼ら星喰いの蛇について話してくれました。
《我等は再び星に戻るために星の力を蓄えているのだ。星の力が強ければ強いほど空へ還れるらしい。だが、その力は自然にはほとんど散ってしまう。ただ、人間はなぜかそれを溜めていられるし、力としても上質だ。となれば――》
「……人から奪った方が、早い?」
《ククッ、その通りだ。あぁ、言い忘れていたお前の願いの対価だが、お前の星の記憶を喰わせてもらう》
「それは私の持つ星の力、ということ?」
《いや、星の力とは違う……こちらはお前の願いの対価になるものだ。永遠に失うことになる》
どうやらジェーンの場合、願いごとの対価は星の記憶のようです。星の記憶なんて、ジェーンには数えるほどしかありませんが、大切にしている思い出はありました。ですが、その記憶を思い出せなくなっても代わりに願いが叶うと考えれば惜しくはありません。
《あぁ、もう見えてきた》
蛇の言葉に、下を見てみれば隣町が見えました。それならば、と空を見上げてみるとアストロスの街では見えない満天の星空が広がっています。
「今から私は、誰かの願いが叶う可能性を奪うのね」
《犠牲なしに願いは成就しないってことだ》
クンッと急に引っ張られ、ジェーンは頭から真っ逆さまに落ちるかのように体が浮き上がりました。
「きゃ、きゃあああああああ!!」
地面がぐんぐんと近くなります。このままではぶつかってしまう! と体に力が入ったところ、今度はふわっと周りの風が止みました。
そっと目を開けてみれば、ジェーンは地面と平行になるように浮いています。ちょうど人の頭より人半分ほど高い位置でしょうか。それが分かったのは、ジェーン達が飛んでいるすぐ下が星見に出てきている人でひしめき合っていたからでした。
《娘、今お前はいわゆる霊体というものだ。地面にぶつかっても痛みもないから心配いらないぞ》
「ええっ!? 私は死んでしまった、というわけではないのよね?」
《それは違う。そうだな……夢の中、そんな感じだ。動いているのは現実だがな。それより、そろそろか》
蛇がそう呟いたときのことでした。突然、周囲から歓声が上がります。それに驚いて周りを見回してみれば、ほとんどの人が空を見上げ、指を指していました。流れ星が現れたのです。
《ほら、人から空へ細かい光が上っているだろう。あれが星の力で、我等の糧となるものだ》
その星の力を奪いに来たこの星喰いの蛇は風のような速さで光を追い掛けます。光を口に入れる度に蛇の体がぼんやりと輝いていました。それはどこか幻想的でしたが、誰かの願いごとが潰えているという意味でもあります。ジェーンの胸が僅かに痛みましたが、気のせいだと頭から振り払いました。
星の力を食べるジェーンの遣い蛇は徐々に銀の鱗を増やしています。そして、ふとその勢いが止まりました。
「星の力が溜まったの?」
《ああ、最後の一欠片を残して》
その一欠片というのは、ジェーンの星の記憶に違いありません。一体どんな記憶が対価になるのでしょうか。
蛇はまたふわりと高く舞い上がります。そして、真っ直ぐに先へと進み始めました。そこにあるのは黒く口を開いた空間です。
自分自身さえ見失ってしまいそうなそのトンネルを抜けた先にあったのは――何もない、白い世界でした。
「ここ、は?」
《本来ならば、お前の中にある星の記憶が映されている場所だ》
「何もないじゃない。そんなこと、ありえないのに!」
白いだけの部屋。星の記憶が映されていないということは、対価にできる記憶がないということです。そして、大変困ったことに対価を支払えないのであれば、星を喚ぶこともできないということにもなります。
《ふん、見込み違いだったか》
「待って、何か方法はないの!? 願いが叶わなきゃ、あの子は……」
《知ったことではない。精々、誰かが喚び落とした星を返すときに願いを乗せて叶うのを祈るんだな》
「そんな……」
蛇が言った方法で願いが叶う確率は普通に流れ星に願うよりは高いというだけでした。絶対に叶えたい願いがあるジェーンは、星を喚ぶ以外には考えられないのです。
「私に星の記憶がないなんて、ありえないのよ。だって、小さい時に両親と星を見に来たんだもの」
それだけは絶対の記憶としてジェーンの中にあります。
《それがここに映っていないということは……お前の記憶違いだった可能性もあるな》
「そんなはずはないわ。だって覚えてる。この記憶が嘘だなんて認めない!」
《だがこの景色では星が見えないから対価にはならないぞ》
「他の記憶に変えるとかできないの?」
《無理だろうな。仮に変えられたとしても星の力が足りないはずだ。そもそも、先程はああ言ったがここに映っているのはお前の中にある星の記憶の一幕。星の記憶が確かにあるというのなら、これはお前の中にあるものなのだろう。しっかり思い出してみろ》
「こんなに真っ白いのが?」
この白い世界はジェーンの記憶の中にあるものだと言うのです。しかし、ジェーンに思い当たることはありません。
「こんなに白いってことは、昼間としか考えられないわ。いえ、昼間でもここまで白くなることなんてないはずだけど」
星の記憶と言うからにはそれは夜であるとジェーンは思います。しかし、夜にこんな真っ白に染まるようなことはないはずなのです。
「じゃあ、昼間だということ? でも、記憶には……あ、」
うろうろと歩きながら考え続けます。そのとき、ふと声が聞こえた気がしました。
『いいかい、ジェーン。ゆっくりと目を開けるんだよ』
それは、記憶から零れ落ちてしまっていた音です。愛する者に向ける、甘くて低めの声。あの日、それに促されてジェーンは目を開いたのでした。
どうして忘れていたのでしょうか。両親に両手を繋いでもらい、やってきた星見の丘で、ジェーンは初めて光を目にしたのです。そして、その一瞬に視界は白く染まっていました。そう、今見ているように。
「思い出したわ」
甘くて低めの声。それは、亡き父の声でした。
ジェーンは、今見ているこの景色は間違いなくあの日のものだと思いました。ミラが生まれる前、両親を独り占めして星見に出かけたあの日です。
《ほう? どんな場面の記憶なのか言ってみろ》
「私が初めて光をこの目に映したその瞬間よ。私もミラと同じで目が見えなかったんだわ」
初めて見た光は、それは強烈なものだったのでしょう。あの日の自分が幼すぎて、そして、両親を一度に失った事実が悲しすぎて思い出せなくなっていたのかもしれません。
「でも、どのみちこれは星の記憶と言えないかもしれないわね。この景色が映し出しているのは太陽の光だもの」
この白い景色の理由が分かったものの、蛇の出した対価にはならないのだと、ジェーンは諦めたような溜息を吐きました。泣きたい気持ちでうずくまり、膝に額を押しつけます。
そんな彼女の手に、何かが引っ張られる感触が伝わります。顔を上げてみれば、動いていたのは鎖です。いえ、正確に言えば、ジェーンの遣い蛇である星喰いの蛇でした。
《娘、お前の星の記憶は不足を補ってあまりある》
「どういうこと?」
ジェーンが対価として差し出せる“星の記憶”に映っていたのは太陽の光の記憶だったのです。これでは星の記憶とは言えないはずなので、対価にならず、願いが叶う可能性もほとんどなくなってしまったものと思っていました。
しかし、蛇の言葉はむしろ逆の意味がこもっています。
《太陽も星であるのは違いない。これほど強く、大きい力はあるまい》
そう呟くように言うと、蛇はふと首を動かします。ジェーンもつられてそちらを向けば、白い光の中に淡い影が見えてきているような気がしました。
徐々にはっきりして見えてきたのは青空と、自然の緑、小さな街。
《そら、見てみろ。お前が思い出したから動き出した。対価となる記憶だ。じきに日が落ち、夜がくる》
蛇の言った通り、ジェーンの星の記憶はまるで時間を早めているかのように動き、太陽は山際に細く光をのばしながら、やがてぷつりと消えていきました。
《あぁ、充分だ。これで昇れる。星に還れる!!》
その声は喜びに満ちていました。ジェーンはその蛇の目を見て、あっと驚きます。恐ろしいほど深い虚のようだった目に星の光のような瞳が宿っていたのです。
「その瞳は……」
《星の力が満ちた証だ。さぁ、星を喚ぼう》
蛇は鎌首をもたげ、星空を仰ぎました。ジェーンもそれに倣って見上げれば、尾を引く星が一つ見えたのです。その白い光は次第に大きくなっていきます。その軌道は徐々に弧を描き始め……ジェーンは視線をその先へ移動させてみます。
「嘘でしょう……このままじゃ、あの街に落ちるじゃない!」
流れ星は、大地へ落ちてこないから流れ星だとみていられるのです。大地に落ちてくるとしたらそれは――隕石というのです。
《それが星喚びだ。我等も行くぞ》
そう言うと、蛇はふわりと浮かび上がり、問答無用でジェーンを引っ張って飛び始めました。その頭の先にあるのはあの流れ星です。
ふとジェーンは動かない星空に気付いて、落ち着きを取り戻しました。考えてみればここはジェーンの記憶の中なのです。そこに隕石が落ちてきているからと言って、何を焦る必要があるでしょうか。
「ねぇ、あれに一体何の意味があるの? 良く考えればあれは現実じゃないわよね」
《いや、星が落ちてきているのは現実で違いないぞ》
「えっ?」
否定の言葉が返ってきて、ジェーンの心臓が嫌な予感に跳ねました。
すぐに分かるとでも言うように、蛇はなおも飛び続けます。そしてちょうど街の上にさしかかるといったとき、ジェーンは急に顔に吹き付けてくる冷たい風を感じました。不思議に思って周りを見回してみれば、先程まで見ていた街がずっと暗くなっています。もしかしてと空を見上げてみれば、そこにあるのは星空ではなくどんよりとした厚い雲。
そうです、眼下に見えるのはいつの間にかアストロスの街になっていたのです。
「あの隕石、街に落ちようとしているの!?」
《いや、違う。喚んだ星はあの谷へ向かうのだ。そのための星喚びの魔女だぞ。それと、隕石ではなく流れ星だ間違えるな。隕石じゃ落ちっぱなしじゃないか》
「たとえ谷に向かうのだとしても、あれだけ大きな隕……流れ星じゃ恐ろしいことになるわ!」
《問題ない。星が落ちる衝撃も全て星喚びの魔女が対応するからな》
蛇が言うには、そもそも星喚びの儀で喚んだ星は星喚者以外の目には映らないようになっているというのです。また、星が落ちてくる衝撃も星喚びの魔女がほとんど軽減しているそうです。その“ほとんど”に含まれない分は谷にとどまり、次の星喰いの蛇を呼びよせる餌としているとのことでした。
そう説明を受けているうちに流れ星は勢いよく谷に落ち、ジェーン達はそれを追い掛けるように谷へと飛び込んでいきました。
谷底で流れ星は落ちてきた勢いが嘘のように静かに浮かんでいました。そして薄らと様々な色が混じる真珠のような光をまとっています。
「きれい……」
《ひとまず娘、お前は自分の体に戻ったらどうだ? 戻れなくなっても知らんぞ》
そう言われて、ジェーンはハッと地面に視線を移します。仰向けに倒れたまま目を閉じている自分の体を見つけて駆け寄りました。そこで戻る方法を知らないと振り返ったところ、目眩のようなものに襲われ、目を瞑ります。おそらくはそのときに体へと戻ったのでしょう。ジェーンは指先で地面を捉え、ゆっくりと起き上がりました。暗さに目が慣れてようやく見えたのは、疲れたように座り込んでいる他の星喚者達と身動きひとつしない蛇の影です。
「どうなっているの?」
《見れば分かるだろう。星を喚べなかった星喰いの蛇はここで死ぬんだ》
星を喚べなかった星喰いの蛇がそのようなことになるとは全く知りませんでした。アストロスの街に伝わる話にもなかったので、きっと、他の星喚者達もこの場で知ったのでしょう。そして、それを知った時、自分の願いが叶う可能性がはるかに低くなってしまったことも悟り、気落ちして座り込んでいるに違いありません。
「今年は星を喚べた蛇がいたようですね」
「魔女様……」
聞こえた声に顔を向ければ、身を起こしたジェーンのすぐ傍に星返しの魔女が立っていました。
「ジェーン、遣い蛇の鎖を離しても良いですよ」
「は、はい」
ずっと握りしめていた鎖をそっと離します。すると、星喰いの蛇はするすると流れ星の方へ向かいました。そして星がまとう真珠色の光りに触れた瞬間、ジェーンは思わず感嘆の息をついてしまいます。鎖を含めたすべての色が同じ色に染まったのです。
星の光に染まった蛇は体を流れ星に巻き付けるとその頂点から見下ろすようにしてジェーンへ視線を向けました。
《契約に従い、お前の願いを持って行こう。だが――必ずしも叶うものではないと心得よ》
「でも、叶えられる範囲の願いごとなら必ず叶うのよね?」
ジェーンは笑みを浮かべます。選んだ蛇が星を喚び落としたので確実に願いを叶えられる権利を得た安堵もありました。ですが、一番はジェーンの願いごとが叶えられる範囲にあり、必ず叶うという確信があったからです。
☆*:;;:*・★・*:;;:*☆*:;;;:*★*:;;;:*☆*:;;:*・★・*:;;:*☆
燦々と日が差す朝でした。ミラは目を覚ますと寝ぼけているからか覚束ない足取りで窓へ向かいます。そして、窓の外に何かを見つけるとバッと勢いよく開きました。そしてくるっと反転するとそのまま部屋の奥へ駆けていきます。
「ジェーン姉、昇り星が見えるわ!」
「あら、久しぶりね」
ミラに手を引かれて窓へやって来たジェーンは外のまぶしさに目を細めて空を仰ぎました。遠い空に昇っていく白い光が見えます。
「ミラはどんな願いごとをするの?」
「ジェーン姉がずっと元気で幸せで居てくれますように!」
「なら、私はミラの幸せを願うわ」
明るい日の光が差すきれいな部屋で二人は寄り添い、笑い合いました。
この『星に見捨てられた街と星喰いの蛇』はたまたま見た夢を物語に仕立てたものです。
タイミングの良いことに、今年のテーマが流れ星とのことだったので、書くことを決めました。
整合性とか怪しい部分もありますが、元が夢なのでその辺りは目をつむっていただけるとありがたいです。