王子曰く、フィアーレはつまんねー女らしい
フィアーレは出そうになった溜息を我慢した。これで本日何回目だろうか。あまりに多すぎるので、数えることは途中でやめていた。
椅子に座ったフィアーレの前に広がるのは、色とりどりのドレスで着飾った令嬢たち、高価な茶器、目にも鮮やかなお茶菓子といった光景だ。今フィアーレは王宮で開かれた、王妃主催のお茶会に参加している。
このお茶会に招待されたのは、婚約者がいない年頃の令嬢たちばかり。ここが第二王子とのお見合いの場だということは、暗黙の了解になっている。参加した令嬢たちの気合は凄まじく、いかに己を美しく見せるか、いかに王子の目に留まるように目立つか、知恵を絞り合っていた。
フィアーレは自他ともに認める地味な娘だ。黒い髪に黒い瞳、見た目が地味なら、中身も地味だ。伯爵令嬢であるフィアーレは、この場に数合わせで呼ばれた。『席空いてるし、とりあえず呼んどく?』みたいな、ふわっとしたノリだ。
フィアーレは己の場違いさに、再び溜息が出そうになる。が、寸でのところで堪えた。そして今日は紅茶とお茶菓子を堪能して帰るのだったと、フィアーレは初心を思い出した。そうだ、もともとそのつもりで、ここには来たのだ。
それからしばらくして、本日のお茶会のメインイベントがやって来た。フィアーレの座るテーブルに、本日の主役である第二王子が現れたのだ。
第二王子ラクスロは、金髪碧眼の見目麗しい人物である。フィアーレがラクスロを近くで見るのは初めてだったが、多くのテーブルを回ってきたからか、ラクスロの顔にはどことなく疲労感が滲み出ていた。
「お邪魔させてもらう。皆知っての通りだろうが、俺は第二王子のラクスロだ。よろしく」
挨拶に続けてラクスロは、フィアーレと至って当たり障りのない会話をした。今日の天気はどうだとか、お茶菓子がおいしいだとか、中身なんてほぼほぼない会話だ。それでもイケメンと話したおかげで、先程までのフィアーレの憂鬱気分は、完全にどこかに行っていた。
「雲の上のような存在の殿下と、お話しできて光栄です」
それはフィアーレの心からの言葉だった。
フィアーレとラクスロのやり取りを聞いていた、フィアーレの隣にいた令嬢は、フィアーレのことを一度睨んでから、ラクスロに話しかけた。フィアーレは彼女がラクスロに、自己アピールするのだろうとばかり思い込んでいた。
「私は殿下に対して、これっぽっちの興味もありませんわ」
それが自己アピールになるのだろうか? フィアーレは疑問で仕方ない。王子に面と向かって言うようなことではないことを言った令嬢を、かなり変わった人なのだとフィアーレは解釈した。
このお茶会では参加者全員と一度は話すことが、ラクスロのノルマになっているはずだ。フィアーレ分のノルマは既に達成されたことになる。なのでフィアーレは残りの時間、周囲の会話にそこそこ興味を持って相槌を打つだけにした。
フィアーレはもとより数合わせで呼ばれた身の上だ。話せて光栄だとかは言ったものの、不相応の過剰なアピールをする気はさらさらなかった。たとえラクスロが目の前に居ても、ラクスロの気を引けるような目立つ行動は、何もしようとしなかった。
お茶会には多くのテーブルがあるため、ラクスロの各テーブルの滞在時間は短い。従者に時間が来たことを知らされ、ラクスロは別れの挨拶をしてからテーブルを立ち去ろうとした。
「ふっ、つまんねー女」
去り際にラクスロがフィアーレを見つめながら小さな声で呟いたのを、フィアーレは確かに聞き取った。事実なのでフィアーレは特に傷ついたりはしない。何はともあれ、メインイベントようやく終了だ。ラクスロが去ってすぐに、フィアーレの関心は本日発売予定の恋愛小説に移っていた。
そして後日、フィアーレは何故か王宮に呼び出された。フィアーレに心当たりは全くない。詳しいことは教えてもらえぬまま、迎えに来た馬車の中で、そういや第二王子の婚約者はどうなったのだろうとフィアーレは思った。
到着した王宮では、王家のプライベートスペースまで案内された。フィアーレに用がある人物は、どうやら王家の誰からしい。フィアーレはある部屋の前まで連れて来られると、中に入るように促された。
部屋の中でフィアーレを待っていたのは、あのラクスロだった。フィアーレの頭の中は、一瞬で疑問符に埋め尽くされる。
立ったままでいるわけにもいかず、フィアーレは侍女に引いてもらった椅子に腰かけた。侍女は紅茶の用意をしてから部屋を出て行き、フィアーレとラクスロの二人だけが残された。
「フィアーレ伯爵令嬢、単刀直入に言う。俺は君を婚約者にしたい。もちろん、無理にとは言わない。君の意思を尊重する」
「殿下はお茶会でつまんねー女と、私を評していたように思います」
「つまんねー女、最高じゃねーか!」
堂々と貶してくるラクスロに、フィアーレは抗議しようとして。
「俺の理想だ」
できなかった。優しく笑うラクスロに、フィアーレはあっさり戦意喪失だ。
「どうして私なのか、教えていただけませんか?」
抗議の代わりに、フィアーレはラクスロに理由を尋ねた。訳も分からず婚約を了承するほど、フィアーレはお人よしではない。
「あのお茶会では多くの令嬢が呼ばれていたな」
「はい。とにかく人数を集めようと、私も数合わせで呼ばれたようでした」
「そこまでしてあんだけ集めておきながら、どいつもこいつもキャラが濃すぎんだよ!」
キャラが濃すぎるとはどういうことなのか。フィアーレは話についていけずに、首を傾げるばかりだ。
「君がいたのは端の方のテーブルだったか。今から話すのは、あのお茶会に実際にいた令嬢たちの話だ」
なんだか嫌な前置きである。
「俺がお茶会に男がいると不思議に思ったら、それは男装令嬢だった。俺よりイケメンじゃねーか!? というかなぜ男装で来た!? 他の令嬢をエスコートしてるんじゃねー!」
それはまあ、たしかに。フィアーレはこくりと頷いた。
「ある令嬢に話しかけたら、『ふっ、それは残像ですわ』だと!? いや、お茶会で何やってんだよ!? 実際残像だったから、ますますおっそろしいわ!」
たしかに。フィアーレはこくりと頷いた。
「ある令嬢は同じテーブルにいる令嬢に、魔王を倒した武勇伝を熱弁していた。魔王が急に消えた原因お前かよ!? 報連相ぐらいしっかりしやがれ!」
たしかに。フィアーレはこくりと頷いた。
「ある令嬢は金色に光り輝いていた! あれどういう原理で光り輝いてんだよ!? 眩しくて見えねーよ! 俺に目潰しくらわせてどーすんだ!」
たしかに。フィアーレはこくりと頷いた。
「ある令嬢は『私は悪役れ……いえ、この場合はヒロインの方が適切? どっち? これどっち? もう一回最初から、え、駄目? では私は悪役ヒロインということで』何なんだよ!? どういうことだよ!? 事前にキャラ固めておけよ!?」
たしかに。フィアーレはこくりと頷いた。
「ある令嬢は頭の上に船の模型が乗っていた」
「は?」
フィアーレはそう言わざるを得なかった。
「頭の、上に、船の、模型が、乗って、いた。あれはおしゃれなのか!? おしゃれじゃねーよな! あれがおしゃれなら、俺はもう二度とおしゃれを信じられない!」
たしかに。フィアーレはこくりと頷いた。
「ある令嬢は『やーい、バーカ、バーカ』お前こそ馬鹿じゃねーの! ばっかじゃねーの! 馬鹿じゃねーの!」
たしかに。フィアーレはこくりと頷いた。
「ある令嬢は『好きな人がいるのに、無理やりこの場に来させられて』と泣き出した。ちらちら俺の方を見るな! 俺にどうしろっつうんだ! 泣きたいのは俺の方だ!」
たしかに。フィアーレはこくりと頷いた。
「ある令嬢は『縺贋シ壹>縺ァ縺阪※蜈画??〒縺吶o』なるほど、全く分からん」
たしかに。フィアーレはこくりと頷いた。
「ある令嬢は『拙者前世でニンジャでござった。にんにん』ニンジャって何だ、おい!? でも何だかわりとまともなんじゃないか、この令嬢」
たしかに? フィアーレはこくりと頷……けなかった。自称前世ニンジャは、全くもってまともではない。
「ある令嬢は怪しげなガラス瓶を大量に持参していた。話しかけてみれば『殿下、実験台になりませんか?』なるか! なるわけねーだろ!」
たしかに。フィアーレはこくりと頷いた。
「右腕に包帯を巻いて眼帯を付けたある令嬢は、『封印されし、我が右目と右腕が疼く!』いい年してこれはイタい。イタすぎる」
たしかに。フィアーレはこくりと頷いた。
あのお茶会ではフィアーレのテーブルがわりと平和だっただけで、他のテーブルでは何か色々あったらしい。ラクスロにとっては、正気度を試され続けるような嫌な時間だったのだろう。
またラクスロの言葉遣いがちょいちょい悪くなるのは、隠しきれない素が漏れ出ているからのようだ。『つまんねー女』は素が出て口が悪くなった結果だったことを、フィアーレは理解した。地味を意味する褒め言葉は、フィアーレもすぐには出てこない。
「これが極一部で、他にもまだあるが聞くか?」
お茶会について思い出しただけでも疲れたようで、ラクスロは疲労を隠そうともしなかった。
「遠慮しておきます」
フィアーレは今の話だけでもうお腹いっぱいだ。
「あれらが彼女たちの素だったのか、俺の記憶に残るようインパクトを追求した結果だったのかは分からない。素だろうが演技だろうが、もうどっちでもいい。ただ一つだけこれだけは言える。そんなやつらと結婚して、心休まる日々が送れるわけねーだろ!! お茶会ではそんなぶっ飛び令嬢の相手ばかりした後に、普通の君と出会った。君と話して、君の存在に、俺は癒された。君がいたから、俺はお茶会の最後まで心折れずにいられた。君となら穏やかで良き家庭を築けるのではないか、そう思えた」
「どんな理由でも、殿下に選んでいただけたのは嬉しいです。でも私にだって普通でないことはあります」
フィアーレは普通なのに選ばれたのではなくて、普通だから選ばれた。それならば、きちんとラクスロに伝えておかないといけない。
「何だ?」
「私はどうしても恋愛結婚がしたいのです。愛が無い政略結婚だとしても、貴族の娘なら割り切るのが普通だと思います。それでも私は、心から愛したいし、愛されたい」
ラクスロは少しだけ考える仕草をした後、フィアーレをまっすぐ見据えて言った。
「それに関してはお互い努力する、で妥協できないか?」
フィアーレは何もしなくても、きっとラクスロのことを好きになる。おそらくラクスロはすでに、フィアーレに多少なりとも好意を持ってくれている。その上でラクスロがフィアーレのことを好きになるよう努力してくれるなら、フィアーレが婚約に反対する理由はもう無かった。
「殿下がそう仰るのなら、私は婚約に反対いたしません」
「よし、では一ヶ月後に婚約しよう」
「すぐ、ではないのですか?」
「一ヶ月君を口説く。婚約はそれからだ」
「ふふ、分かりました。楽しみにしておきます」
「ではさっそく裏の庭園に行くか。さあお手をどうぞ、フィアーレ」
もう恋人同士だと言っても良いぐらいに、笑いあう二人の間には幸せな空気が流れていた。
これが王国一のおしどり夫婦と言われた二人の、馴れ初めの話である。