幸せな供物
思い描いた通り、エリオットの血は甘かった。
殉教者の亡骸の傍に生えたという、茨の冠を樹冠にいただいた樹に実る、底無しに甘いという濃紫色の多房の果実から作られる果実酒のように。
そして、その果実から溢れ出す蜜のように。
とても、とても、甘かった。
血が、喉を通り食道を落ちていく。
胃から体中に生温かさが広がっていく。
腰や、ふくらはぎや、指先や、脳にまで。
強すぎる恍惚感と不思議な安心感で、肉体が溶けて消滅するのではないかと思った。
私が怪物になった時。
自分の血を吸われ、飲まれていると理解した時。
エリオットが何を思い、どのような表情をしていたのかは分からない。
ただ一瞬息を飲み茫然とし、そして数秒してから、ゆっくりと、大きく包みこむようにして、しかしものすごく強い力で私を抱き締めた。
こんな、おぞましい怪物を。
あなたのことを苦手なんて思ってしまって、どうしてだか心の底からはあなたを信じることが出来ない、罪深い怪物を。
あなたから、時折なぜだかどうしようもなく逃げたくなる愚かな怪物を。
エリオットの首筋からは、汗と、洗いたての服からする清廉な石鹸の匂いと、生まれ持った蠱惑的な芳しい香りの体臭が混じり合った、いつものエリオットの匂いがした。
エリオットの手が私の背中から腰にかけてを、とても大切なものを何かから守るような優しい手つきでさすっていた。
まるで、乳飲み子をあやすように。
優しい優しい、エリオット。
ごめんね、ごめんね。
何もかも、ほんとうに、ごめんね。
そこで、意識は途切れた。
目が覚めると、私は自分のベッドに寝かされていた。
傍らには、父さんと母さんが居る。
すぐに、何が起きたか思い出す。
「エリオット! エリオットは!?
父さん、母さん、わたし、わたし……。
エリオットを……」
「リシュリー、目が覚めたのね。
エリオットは、隣の部屋で眠っているわ。
キノル湖畔のジャイム様がいらっしゃって、見てくれているから、もう大丈夫よ」
「エリオットは生きてるのね!
良かった……」
「生きてるって、あなた。
一体、何があったの?
おやつを持ってきたら、二人とも倒れて眠っていて、起きなくて。
どれだけ心配したことか」
「……私ね、私、私、エリオットを」
バンッ、と扉が開き、エリオットが現れた。
そして、私を見ると駆け寄って、手を強く握り、
「リシュリー! 良かった!
目が覚めて、本当に良かった!」
と、泣き出しそうな顔をして言った。
「エリオット! ごめん、ごめんね。
とても怖かったよね。
私、あのとき、なんであんなことしてしまったのか、ほんとうに分からないの。
まるで自分が自分じゃないみたいになって……
何を言っても許されないって分かってるけど、何回でも謝らせて。
本当に、ごめんなさい」
「なんだ、リシュリー、エリオットにそんなに謝って、一体何をしたんだ?」
父さんが、怪訝に聞く。
全て、ちゃんと話さなければならない。
ごめんなさい、父さん、母さん。大事に育てたあなたの子供は、人間の皮を被った人の血を飲む怪物だったのだと、正直に伝えなければ。
「違うよ、セルバンおじさん!
リシュリーが謝るようなことなんて、何も起きてない。
きっと、リシュリーは夢を見たんだよ。とっても怖い悪夢を。
ただそれだけのことだから、何でも無いんだ!」
「違うよ、エリオット。
あれは夢なんかじゃないよ。
だって、私、たしかに覚えてるもの、エリオットの」
「そうだ。それは夢ではない。
君をそうさせたのは、この世界に遥か古代から存在する最も古い病の一つだ」
声のする方を見ると、たっぷりと髭をたくわえつばの広い帽子を被り長いマントを羽織った、雷のような激しさをその瞳の中に持つ、キノル湖畔のジャイム様がいらっしゃっていた。