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リシュリー・アルコは約束が出来ない  作者: 入海詩魚
第一章 一番熟れた甘い果実
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そして私は怪物になった

 次第に力が入らなくなっていく体をエリオットに支えられながら、母屋の屋根裏部屋へと向かう。


 悲しい気持ちで。

 自分への蔑みと恐怖で、震える心で。

 いつも自分の中にそれがあることを思い出さないことによって栄養を与えないようにしている、めちゃくちゃな滅亡欲求に乗っ取られながら。


 私がこの、自分の内にひそむ悪魔のような病の存在に気付いたのは、十一歳の時だった。


 その日、いつものようにエリオットが私の部屋に遊びに来ていた。

 エリオットは、お兄さん達からお下がりの本を大量に貰っており、そのたくさんのコレクションの中からエリオットがその日の気分で選んだものを数冊持ってきてくれるのだった。


 エリオットは、その日持ってきた本にはどのようなことが書かれているのか、どんなところがその本の長所で、どんなにか良い本なのか、詳しく話してくれた。

 そうしている時のエリオットの顔があまりに、誇らしげで嬉しそうで、なんとなく先生という感じがしたから、


「エリオットは本のこと、何でも知ってるんだね。

 すごいね、エリオット先生」


 と言ってみたら、顔を真っ赤にして照れていて面白かったのをまるで昨日のことのように覚えている。

 

 その日エリオットが持ってきていたのは、植物図鑑と、伝説の神々の物語集と、世界にあるという様々な国のことが色彩鮮やかなたくさんの挿絵と一緒に解説されている分厚い万国大図説だった。


 私達はその中でも、万国大図説にすっかり夢中になって次々とページをめくっていった。

 この部屋の外に、こんなにも何から何まで違う国々があって、見たこともない物がたくさんあるということに、とても興奮しながら。


 アイスブルー色をした岩塩の結晶を、特殊な技術で切り出して造られたお城があるという、氷河に囲まれた冬の国。

 尾のとても長い夜行性の透明な虫が、満月の夜にだけ作るという繭から取り出された糸で作られるという、色とりどりの、光沢をたっぷり持った布の服。

 呪いを弾く宝石がたくさん埋め込まれた大黒柱で守られているという、最も高い山にあるという寺院。


 興味深かったのは、隣国のイェリンガラク公国の天突菩提樹のことだった。

 天突菩提樹は、ただのものすごく巨大な樹ではなくて、この世界に生きとし生ける全ての命を見守る神樹であり、その実は大いなる繁栄をもたらす神聖な力を持っているということだった。

 特にめったに見つからない双子の実は、二つに分けて愛する者と互いに渡し合えば、その二人には永久に別離がやって来ないと言われているらしい。


 その実を婚姻や婚約の証として交わしたい男女はたくさん居るが、どんなに探しても探しても見つからず、もうあまりにも見つからないため、イェリンガラク公国では天突菩提樹の双子の実の話というのは、もはや伝説だと思われている、ということまで書かれていた。

 

 この世界は素晴らしいものがたくさんあるんだ。

 心が弾んで、ワクワクした。

 

 そして何よりもワクワクしたのは、見た目や話す言葉は違うけれど、私達と同じような子供達がこの万国図説に載っているどの国々にも確かにいるであろうこと。そして、友達になれるかもしれないことだった。


「すごいね。この部屋の外には、こんなにすごいものがたくさん、たくさんあるんだね。

 世界ってすごいんだね、エリオット。

 一回で良いから見てみたいよ。

 そして、色々な人と会ってみたい。

 行ってみたいなあ」


「うん、ほんとうに、ほんとうにそうだね」


 そしてエリオットは、息を吸い込んでどこか遠くを見つめた。

 今まで見たことの無い真剣な、しかし何かを怖れているような不思議な顔になって、瞳の奥に強い緊張を浮かばせてこちらに体を向けた。

 紺碧の瞳が、切なく潤み揺れている。


「きっと行ける。行こう。


 僕が、僕がリシュリーをこの部屋の外のどこにでも、世界の果てにだって、連れて行ってあげる。


 約束だよ。


 だ、だから、だからね、十七歳になったら、僕と」


 その時。


 エリオットが、約束だよ、と言った時。

 まるで体の真ん中に穴が空いてその中に全てが引き摺り込まれていくような、とてつもなく強く恐ろしい感覚と、体中の水分が全て蒸発してしまったかのような激しい渇きに襲われた。


 体の力が抜け、床に倒れ込んだ。


 なんとか息を吸っても酸素が巡らず目の前が暗くなっていく。

 喉がまるで締められているように狭まり、とてつもなく苦しい。

 

「ううううう。く、苦しい。苦しいっ……うううっ……うぅぅっっ」


「リシュリー!?

 リシュリー! こっちを見て!

 お願いだから、お願いだから、死なないで!!

 ダメだ! もう二度と、あんな、あんなこと!!


 頼むから死なないでくれ!!」


 その時、苦しみでもうろうとしていた私の目が、捕食者のようにある一点を捉えた。

 エリオットの首筋を。


 そして、その皮膚の下の、血管の中を流れている血のことで頭がいっぱいになった。


 そして、血を飲みたいという激しい渇望に存在の全てを支配された。


 血が飲みたい、血が飲みたい、血が飲みたい。

 エリオットの血が、飲みたい。

 

 どんなに、蜜のように、甘く、美味しいだろう。


 あの血を飲めば、どんなに、この渇きが、満たされるだろう。

 あの血を飲めば、この心の中に空く、地獄へと続く大穴は、ふさがるに違いない。

 あの血を飲めば、あの壊れてしまった女の人は、私の中から姿を消すに違いない。


 もう、それしか考えられなくなった。




 そして、エリオットにしがみつき、その首筋に歯をたて、噛みつき、血を吸い、飲んだ。


 



 そして私は怪物になった。


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