ご機嫌リシュリー
目を開けると、窓から白い朝の光と、朝露と牧草の混じった匂い。
またあの夢を見た気がする。壊れた女の人の夢。
年齢はもうすぐ十六歳の私とそう変わらない気がするような気もするし、もっと大人なような気もする。
でも女の子じゃなくて、女の人、と印象付けるような雰囲気があの人にはあった。
でもほら、頭の中からさっきまでリアルに感じていたはずの夢の景色がどんどんと消えていく。
あの部屋の中で何を話したのか、誰と話していたのか、何が起きたのか。
夢から覚めて数十秒と覚えていられない。
ただ一つだけ、いつも覚えていられるのは、あの女の人から漂う重い重い不幸な空気の感触と、あの女の人があまりの悲しみで壊れてしまっているということだけ。
なぜかそれだけは覚えていられる。
というより、知っているという方がしっくり来る。
変な夢。
でも、どうでもいいや。
自分の白い髪に朝日が差してキラキラ光っている。それを見てなぜだか涙が出そうなくらい幸せな気持ちになる。
母さんは私のこの髪は、母さんのお爺さん譲りだって言っていたっけ。
漁師をしていた、とてつもない力持ちだったらしいノーマンお爺さん。会ってみたかったな。
大好きな母さんの、その母さんの、お父さん。
その血が、私の中に受け継がれて、しかも外形的にバッチリ表出していると思うと不思議で、ちょっとこそばゆいような、嬉しい気持ちだ。
でも、それを聞いた最近論理的な口調(あくまで本人的に)にハマっている生意気な弟その一のバンダーが
「人間は歳を取ったら誰でも髪の毛が白くなりうるから、姉ちゃんはその意味においては年寄り全員に似てるってこととなるのだね!」
と、謎に賢こぶろうとして失敗し、しかもノーマンお爺さんとのつながりを薄くされたようで微妙に嫌な気持ちにさせられたけど、すぐにその変な口調に笑えてきて、バンダーのどうだ顔を見たらもっと面白くなってしまった。
「ご機嫌リシュリー」
家族や友達は私のことをたまにそう呼ぶ。いつもニコニコ幸せそうで、どんなことでもびっくりするほど喜んで、生きてることが楽しそうだからだそうだ。
時に単に可愛らしい気持ちで、しかしきっと時に幸せな者に対する少しの厭わしさを込めてそう呼ぶのだろう。
でも本当にそうなんだから仕方ない。
そして、心の中がどうなっているなんて、それが誰のものであれ、誰も分かりはしない。
私はいつでも、このきらめきが見えるような白い朝日の輝きや、日が沈む時に淡い薄紅色のグラデーションを作る空の繊細な美しさや、家族でただ暖炉を囲んでいる時の安心や、新たに生まれた子ヤギと目が合ったときに感じる幸せを、どう頑張っても感じることが出来ないし、元からそのようなものがありもしない世界を知っている気がしていた。
裏切りや、嘲笑や、虚飾に満ちた世界を。
あの壊れた女の人が生きているであろう世界を。
でも、私は今この世界で生きている。
それが全てだ。
さあ、顔を洗って髪をブラシでとかして結んだら、昨日作っておいたナワの実のジュースを飲んで、今日も牧場の仕事を始めよう。
おへその下あたりまで大きく空気を吸い込んで、ベッドの横に立てかけていた杖を取って、今日もリシュリーはご機嫌にはじめの一歩を踏み出した。