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パトゥルナール

 新政府はコーム・レーメが愛人たちから与えられた金品に横領等の汚職によって得られた公金が含まれていたことから、これら愛人たちによる汚職を誘発させたとして、皇帝法第百八条にある教唆罪(きょうさざい)が成立すると帝国最高法院へ提訴した。


 帝国の裁判は陪審制を採る。あらかじめ共和主義者(プブリティス)が多数を占めるよう工作された陪審団は、原告である新政府の起訴内容を認め、裁判の審理が開始された。


 この審理は一日で終了した。被告人であるコーム・レーメが原告の主張に一切の反論を述べなかったためである。陪審団は原告の主張をすべて認め、彼女を有罪と認定した。


 続く裁判官による量刑は、教唆した人数が多く金額も多額に上り、公正な国家運営を大きく妨げたため、死罪が妥当であるとの判決を下した。


「わたくしが犯した罪がなんであるか、わたくしにはいまひとつわからないものがあるのですが――」


 その死罪判決の宣告を聞き終えたコーム・レーメは、ここで初めて口を開き、


「けれどあなた方が、その罰をわたくしに与えたいとお決めになられたのなら、この命をもってお応えすることにいたしましょう」


 手枷をはめられた囚人の姿でありながら、裁判官と陪審員の下した判決に対して穏やかな微笑を浮かべながらそう言うと、


「ですが最後にひとつだけお願いしたいことがございます」


 その最後に、かねてよりの願い事をほんのささやかな、まるで一服の煙草を所望するように申し出た。


「この首を彼女の剣で。麗しき首斬りの(ヴィッラ・コルレーネ)コルレッタ――」


 こうしてコーム・レーメ――本名ナターシャ・ポーラの処刑は、斬首刑で執り行われることが決定した。


 そして帝国最高法院はその処刑執行を、彼女の要望通りにコルレッタ・パリストに下命した。



   *****



 処刑台に吹く風は緩やかだった。


 台下を埋め尽くした群衆の罵声や歓声などの熱狂が、どこか遠いもののように感じられる春先の、優しい春の風(メヌエ)が吹く季節だった。


 台上に上ったコルレッタが見た処刑台の風景は、以前となにも変わらなかった。


 十クローネ(約十三メートル)四方の処刑台の中央に、皇帝の旗章である双頭の銀竜旗が高く掲げられ、その下に二人の男に挟まれて、黒い鉄鎖でできた手枷と足枷を嵌められた一人の女性が立っていた。


 その女性、コーム・レーメと呼ばれた女――ナターシャ・ポーラは、恋人の訪れを喜ぶように、この春の風(メヌエ)にも似た優しさに満ちた微笑みを浮かべると、


「あなたのその服は、いつ見ても美しいわ」


 全身白の処刑服(パリスティール)に身を包んだコルレッタを見て、そう穏やかに声をかけた。


 ナターシャはその豊かで艶やかな金の髪を、うなじの線があらわになるように高く結い上げられ、肩から首筋までがすべて見えるように大きく襟元を開かれた斬首刑用の白シャツを着せられていた。


 コルレッタはそんな彼女の姿から目を逸らすように目深に被った白い鍔広帽(つばひろぼう)を上げず、普段よりもゆっくりとした足取りで罪人――ナターシャの前まで歩くと、深い息とともに腰に提げた剣を抜いた。


 剣は変わらず陽射しに白く煌めき、その剣身に刻まれた文字もなにも変わらずに燦然と光り輝く。


 “正義(パリス)


 群衆の好奇と歓喜と興奮が、喚声となって地割れのように湧き上がる。


「パリスト! コルレッタ・パリスト!」


「コルレーネ! コルレーネ・コルレッタ!」


 この群衆のうねりのような興奮を止めるものは、この場にはいなかった。処刑台を囲む兵士たちは微動だにせず、群衆を制止する素振りも見せない。これは生贄だった。この場に集まった群衆を満足させるために捧げられた供物であった。


 この喧騒の中、コルレッタが頭に被る白い鍔広帽を脱ぐ。


 視線が交わった。穏やかに微笑むナターシャの青い瞳に対して、コルレッタの赤みを帯びた黒い瞳が緊張したように揺れ、しかし視線を逸らさずに、果たすべき使命に従ってその胸に帽子を当て、ナターシャにむかい深く頭を下げた。


 そして顔を上げると、鳴り止まぬ群衆の喚声にも構わずに、常のような大音声で名乗りを上げた。


「我が名はコルレッタ・パリスト! 偉大なる皇帝陛下より正義の剣を賜りし、正義の代行者! 今日、偉大なる皇帝陛下により定められし皇帝法と、その遵法者にして裁定者たる帝国最高法院の決定により、貴女ナターシャ・ポーラが犯した罪に対する正義の執行を司る者!」


 その声は制止されない群衆の声の中に埋もれていた。誰にも顧みられぬ空虚な言葉であった。皇帝が虜囚の身となった今でも、皇帝法も帝国最高法院も以前と変わらずに機能していた。皇帝が廃位された訳ではなく、彼女の正義の執行の法的根拠は何一つとして問題なかった。


 けれど実権から遠ざけられた虜囚の皇帝の剣としての彼女の名乗りを真面目に聴くものなど、もはやこの場のどこにもありはしなかった。


「罪人ナターシャよ、貴女は男たちを惑わして汚職の罪へと唆し、国家の財産を横領させて、公正なる国家の運営を妨げた。そして自らもその金銭を着服し、享楽に費やした罪は重く、それがために帝国最高法院は皇帝法第百八条に基づき、私、コルレッタ・パリストに正義の執行を下命した。ナターシャよ、皇帝陛下の名の下に謹んで拝死せよ!」


 その言葉とともにコルレッタは帽子を被り直し、抜き身の剣を胸の前に立てて、皇帝の旗である双頭の銀竜旗にむかい黙礼をした。常にない狂騒の中での黙礼。彼女は唇を噛み絞めた。パリスト(正義の執行者)としての矜持が虚しくなびき、この狂騒を満たすためだけに振るわれる“正義の剣”が、彼女の心とともに微かに揺れた。


 そこに声がかけられた。


「コルレッタ」


 ナターシャがコルレッタを見ていた。


「あなたの願いを叶えるわ」


 彼女は変わらず優しく微笑み、愛する人に与えるまなざしでコルレッタの瞳を覗き見た。


ありがとう(パトゥルナール)


 その言葉を聞いてコルレッタの剣の震えがピタリと止まった。ナターシャは自ら一歩、コルレッタの前へと歩み寄り、その白く長い白鳥のような首を差し出すように伸ばす。彼女の動きに合わせるようにコルレッタは剣を鞘に収めて腰に構えた。


 ナターシャは目を閉じ、コルレッタは彼女の白い喉元をまっすぐに見据える。


 群衆の声が耳から遠のいた。正義の剣は微動だにせず、その瞬間の訪れを待つ。


 春の風に銀竜旗が揺れていた。


 穏やかな風だった。


 ラッパが鳴った。


 正義の剣が血に濡れた――。



   *****



 コルレッタは取材者にこう述懐している。


「あのときの約束で、私がナターシャに願ったものは感謝でした」


 彼女は伏し目にそう弱々しい声で語ると、


「私の仕事は、決して『ありがとう』なんて、言われる仕事ではなかったですから――」


 そう言って、一度だけ目尻を指で拭った。

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