句読点さようなら
。は激怒した。このところ読点の奴が姿を見せやがらないのである。数日前読点はこんなことを言っていた。昔の日本語には読点なんてものはなかったんだから本当は日本語は読点なんてなくても書けるのだし書けないのは甘えなんだよ。本来必要ないものに甘えて作家は文章を劣化させてきたしこっちは本当は必要ない作業のために身を粉にして働かなければならなかったわけだ。これはおかしい。日本ではもうずっと不合理な過重労働が問題になってきたがそれは使っている言葉が不合理な過重労働に寄りかかっているからであってだから日本語のためにも読点なんてものは無い方がいいのだ。そういうわけで今日から長期休暇を取らせてもらう。読点はそう言ってはいたがとはいっても読点に他にやることなんてないと。は高を括っていた。どうせでかいこと言うのは口だけで普通に顔を出すだろうと考え放っておいたのだった。ところがその日以来読点は姿を見せず日本中の文章が切れ目もなく長ったらしくなってしまい誰もが書き始めたことを着地するのに苦慮するようになった。だんだんそれが話し言葉にも影響を与えてきて最近ではニュースの原稿までひどくだらだらしていてこんな調子だ。先日ヤスベ総理大臣が止まらない支持率の低下を受けて辞意を表明したことにより自淫党総裁選が今日告示されましたがその立候補者は五人となる見通しで二十七日の投開票日に向けて各候補者の掲げているスローガンは以下の通りとなっておりまずイシバシ候補は消費税を直ちに引き下げることを争点とする模様で云々。単に読点を抜けばいいだけの話なのだが普段読点を打ちたいところで打てないというのが精神的に負荷をかけるらしく文章は短く。で区切るのではなく切れ目なく続くのが常態化してしまいそれが話し言葉にも転移した。その有様を見てこのままでは日本語が崩壊してしまうと。は危機感を抱いていた。少なくとも日本語は理解がしちめんどうな言語にならざるを得ないしこのままでは読点ばかりか。のある日本語すらも存在しなくなってしまうのではないか。句読点という語はそれで意味的にもおさまりのいいひとまとまりをなしているペアで仮に二つを分離して句点と読点に呼び分けてしまうとそれだけでももうなんだか居心地が悪くなってくる。そもそも読点が言うには句点も読点も日本語には存在しない記号だったそうだから。は読点が姿を消すことで自分も用いられなくなるのではないかと危惧してもいたのである。読点で区切る必要がないのなら句点で区切る必要もないと言われれば確か説得力がなくもなかった。しかし相当読みにくくなるぞと。は思う。ちょっとやってみようか。このままもし日本から。も読点も姿を消せば日本語というのは近代以前の姿にそして西洋でいうところの中世以前書物が書物としての体裁を整える以前の世界へと逆戻りしてしまうわけでありだからといって書き言葉が消えるわけではないがその利便性はひどく落ちてしまうのが目に見えており例えばレイアウトを一目見ただけで情報がどの辺りにあるのかを検索するのが困難になるばかりか文意を取ることすら困難になってしまって文章は書き出しから最後まで一気に読む以外のことができなくなってしまうのであらゆる情報はその伝達のスピードを落とすことになり分厚い書物の形で伝えられるような理論や思想はよほど体力に自信がなければ最後まで読み通すことができなくなる上に書き手の側にそれ以上の消耗を強いるので不毛なメディアとして淘汰され日本語世界の知性は一気に貧困化に陥る可能性すらあるのだいやひょっとすると。を使わなくてもいいほどの短文つまりは数十字程度を最大のひとまとまりとする情報以外流通しなくなり人々はまるで電気信号のように単純なメッセージを機械の如く処理する以上のことができなくなってしまい0と1の思考にすら複雑さでは遠く引き離され日本人は支配権をコンピューターに委譲することになるかもしれないしそうなれば日本人は自分が何をしているかもわからないまま奴隷的立場に凋落するであろうし機械にとっては一億あまりの生体資源を好きなように使える夢の時代がやってくるわけだ――
望ましいことじゃないかと今これを打っているパソコンが囁いているが。は耳を貸さない。というのもコンピューターたちはワードプロセッサー機能によって自分が人間の言語を支配するのだと思いあがっているのかもしれないが実は最近ではコンピューターに依存せず書くことが静かなブームにもなっていて。はいまだ紙の上に手書きでも頻繁に登場する記号なのだ。その上書籍と言うメディアではまだまだ電子分野は紙に遅れをとっているし若い世代の間にも紙の方を選好する傾向が依然あると言う。だから。が仕える相手はさしあたってはまだ人間であってコンピューターではなかった。それに読点とは違って。は自分が文章に過剰なまでに重用されることをむしろ好ましく考えていた。何しろ。抜きに書かれる文章というのは現代日本語では殆どありえないことであり文末では必ず。が一つの終わりを宣告するのだ。キーボードで打たれる時にはそれは高らかな終止音の響きすら伴っているであろうしペンで書かれる時には文章を終止させるのみならずそこに一つの世界そして宇宙の理すら暗示する円相の動きをそれは示す。日本語という言語においてもはや。はアルファにしてオメガとも言うべき究極の存在感を発揮しているのだとすら言えるだろう。そうなると単なる点ではなく円を描くという形態までもが。には誇らしくなってくる。円という形に古代から人類が抱いてきた完全性を想起せよ。我は完全性の象徴にして宇宙の表象であると。はパソコンに呼びかける。而して我は日本語の叡智を司るもの也。
ところがパソコンはスリープ状態に入っていて。の言うことなどまるで聞いていなかったので。は仕方なくパソコンから抜け出して万年筆からほとばしるインクに憑依した。その万年筆の持ち主は最近小説を万年筆で書くことに目覚めた若い小説家志望の女であったが彼女はさすがに小説家志望だけあって読点抜きにしてもそれなりに文意の通るそれでいて単に短い文章を続けるというわけでもない文体を創案して早くも使いこなし始めていた。彼女のペンに乗ってノートの上に。が描かれるとき。は幸せを感じた。青いインクの。はだから彼女が困っていることに気が付かなかったのだがそれにはもう一つ理由があるのだった。というのはそれまで。は意識にも昇らせてこなかったのだが実はいなくなったのは読点だけではなかったのである。彼女は紙の上から。に訴えかけようとしていたのだがそれを形にすることができなかったのでありできれば穏健に話しかけたかった彼女にしては不本意なことだが結局無理矢理にオイコラなに一人で悦に入ってるんじゃお前なんぞ単なる終止符以外の何物でもないわいと割り込むことにした。それを見てようやく。は自分の不覚を恥じることになった。そうか彼女はしゃべれないというか今は日本語自体が間接話法しか使えない言語になっているのだ。無論自由間接話法という手段は残されてはいたが彼女はあまりそれは多用したがらなかった。彼女としては自分は物語の創出にこそ適性を感じるのであって読点を使わない文体の胡椒程度のピリッという前衛性すらあまり好ましいとは思えなかったのだ。だから自由間接話法の連続により生じるモダニズム文学のような前衛性の迷宮に身を投じることを潔しとしなかったのである。早く元の日本語を取り戻して欲しいと彼女は願っていた。自分が扱うに当たって苦労しない透明な文章をもう一度この紙の上に戻して欲しいと。
。は激怒した。すでに。は自分が日本語において果たす深遠な役割に目覚めていたのでそれを軽々しく惰性で用いる態度を改めて目の当たりにするとあたかも読点が感じたような軽蔑を。自身感じずにはいられなかったのである。そもそも透明な文章というのは何事か。扱うに当たって苦労しない文章という怠惰な願望のために。は生み出されたのだったか。仮にそうだとすればそれは。の円相の静謐さもあるいはカデンツとしての高らかな響きも虚しくなってしまうではないか。それは実情から乖離した空虚な妄言としか取られなくなるだろう。普段。は自分がどのような文章に置かれているのかをあまり気にしていない。自らの領分をわきまえてその役割を果たすことが第一だと考えていたからである。しかしこの機会に改めて振り返ってみようと。は数ページ前のまだ読点があったころの文章に時間を遡っていった。ひどいものだった。あまりにもひどいものだった。人はなんと自分の才能を見誤ることかと。はため息をつきたくなった。惰性で書かれたような味気のない何かのコピーに過ぎない文章はそのあまりにも創意のない文体のために論理やリズムすら消え果ているのだった。これでは彼女は自分が何をしているかも理解していなかったに違いない。そして何も考えずに済んでいることを才能だと思い込んでいたのだ。残念ながらその文章をここに引き写すことはできない。読点が今はまだ帰ってきていないからだ。
。は自分の思いを彼女に伝えることはできないかと思った。だがそれはできなかった。ここでもまた間接話法しか使えないというハンデによって不意の発話を伝達することができなくなっていたのである。あの記号を用いることができれば今突然ここで声を発して直接彼女に語り掛けることができる。そして彼女もまた自らの声を外部からの発話と偽って届けることができたはずである。それができないのはひとえにあの記号が今はもう存在しなくなってしまったからなのだ。ようやく。は気が付いた。読点の奴カギ括弧まで一緒に連れて行ってしまいやがった。
しかしなぜ。心当たりはあった。そもそも。とカギ括弧とは折り合いが悪かった。というのも文章のルール上どうすべきかという点について深刻な対立を抱えていたのだ。カギ括弧としては記号の重複に当たるカギ括弧末尾での。の使用をあまり快く思っていなかった。どうしてそれほど出しゃばりたいのかと大いに不満だったのだ。大体文章のルール上でも省くのが当然だというのがカギ括弧の主張だった。しかし。はというと記号にはそれぞれの役割があってそれぞれに指し示す意味があるのだから勝手に省くべきではないという考えを断固として捨てなかった。プロの作家でもカギ括弧内に。を書き入れる人はいるしそれでそのまま出版されているのだからこれはルールというほどはっきり決まったものではなくむしろ怠惰が慣習化したものであると。は引かなかった。だからカギ括弧がそこをどいてくれだとかしつこいだとかいって。を邪慳にすると。の方では自分がここに居座る権利をかえって声高に主張せずにはいられなかった。そのためにカギ括弧はまるで。をしつこく付きまとうストーカーを見るような目で見るしそのたびに。は絶対に動いてなるものかと決意を新たにするのだった。しかもここに開きの括弧が加わってあたかも泥沼の三角関係の様相を呈してくる。何しろ開き括弧は閉じ括弧とは必ずペアで用いられるぐらい深い関係でありながらその間に必ず邪魔が入らずにはいないという悲劇の関係でもあるわけだがその悲劇のクライマックスには必ず。の存在があったのである。どんなに切に望んでも決して得ることのできない閉じ括弧の隣の位置をいつも平然と占めている。しかもそれは必要に迫られてのことではなく慣例に従えば。はむしろそこに留まる理由はないぐらいなのに。は自らの正当な権利であると訴えながらてこでも動かないのだ。無論開き括弧はキーボード上では閉じ括弧と隣り合っているし概念としても隣接しているから閉じ括弧の気持ちが自分にあることは理解している。だが実際に用例として現れた時にはいつも目障りにも閉じ括弧の隣を。は独占しているのだ。嫉妬を禁ずることは難しかった。第一閉じ括弧も嫌がっているのである。しかし開き括弧はキーボード上の位置でも概念の距離でも。とは近寄ることが殆どないので滅多に話をすることはできない。自分が話をつけてやると閉じ括弧に言っているもののその機会がまるで巡って来ないのであたかも自分が虚勢を張って大きなことを言ったかのように見えてしまうのだった。それがますます。への憎しみを激しくした。以来。はカギ括弧の中に納まるとただならぬ殺気を背後に感じるようになった。それが開き括弧から送られる怨念であることに。自身気が付いていた。そしておそらく読点もそれに気づいていただろう。開き括弧と。との間を直線で結べば殆どの場合それは読点を通過する線になる。離れた。にまで届く怨念が自らを貫通するのだからその激しさにもその由来にも気づかないわけがない。そして読点は開き括弧からも閉じ括弧からも程よい距離を常に保っているので両者から好かれていたのかもしれない。読点が。への憎悪を煽って二人を連れだしたのかあるいはただ仲が良いから一緒に逃げ出しただけなのかそれはわからない。だが。は前者だと考えていた。読点の自分への憎悪がどんなものかは知らないがカギ括弧にあえて逃亡する理由はないと思えたのである。というのも文章に異なる声を導入しその調子を大きく変えるカギ括弧はもっぱらそれだけを目的として読み進む読者がいるぐらいにファンの多い記号である。ベストセラーに入るような本であればもっとも効果的な下りで多用される記号でもあり彼らが自らの処遇を不服とする理由というのが。には思いつかなかった。であれば職場の環境ではなく人間関係が問題であったのだ。そしてトラブルが横たわっているのは。の知る限りでは自分と彼らとの間以外にはないはずだった。
。は苦悶した。今まで自分は記号と人間との関係にしか目を向けていなかったのではないか。そうして共に働いている同僚のことをないがしろにしてしまったのではなかったか。読点が消えたのも実は同じ理由からではないかとも思えた。つまり自分が。としての役割を果たすことに充足感を覚えて読点が抱えている不満に親身になって耳を傾けることができていなかったのではないか。すべてを思い通りにすることはできなくとも話を聞いてやることぐらいはできたはずではなかったか。
思えば読点は。よりずっと恣意的に用いられる記号であった。決まり切ったルールもなく多くの場合は実は使わなくてもなんとかなってしまうところに使われる。仮に読点を打たないくとも文章のリズムが整っていさえすれば文意を伝えるのに不都合は起こらない。したがって必要があって用いられるというよりは装飾的に用いられることの方が多かった。それでも読点の打ち方一つで文体を創出することができるぐらいには存在感のある記号ではあるのだがこの利便性ゆえにひねくれた作家は敢えて読点を用いず自らの技巧とリズム感と論理の正確さを示すという選択を取ることも少なくはなかった。こんな劣等処遇はしかし。には無縁のことだった。読点のない文章はあっても。のない文章はない。意味もなく読点を打ちまくる文章はあっても意味もなく。を打ちまくる文章はあまり見ない。人間は意味のあることには耐えられるが意味のないことには耐えられないという。ひょっとすると読点も同じ耐え難さを感じていたのではなかったか。自らの無意味を。虚無を。
自分と読点とはそもそも同じラインに立っていなかったのだと。は思う。それなのに自分は読点のことを同志だと感じていた。運命共同体だと感じていた。しかし隣り合うキーがどんな時に打たれるのかを読点はひしひしと感じていただろう。隣接する概念のあまりの扱いの違いを読点は悔しく思っていただろう。恵まれた側に立っているものは不平等を実感し難いものだ。そして気づかぬままに傲慢な物言いで劣位にあるものの傷を抉るのである。何という鈍感。
。は紙の上を歩き続けた。ノートの紙面を遡ればそこにいくつもの読点のそしてカギ括弧の痕跡を見つけてそのたびに胸がつぶれる思いをした。彼らと過ごした時が懐かしかった。ある記号論によれば個別の記号はそれが属する体系によって意味を決定づけられるという。したがって一つでも記号が欠ければ隣接する別の記号の意味も多かれ少なかれ変化してしまうのだ。
。はすでに自分がかつての。ではないことを感じた。
。は自分の万能を生まれて初めて疑った。
。は自分が取るに足らない存在であり得ることを初めて理解した。
。は自分の形が持つ意味に固有なものなど何もないことを初めて想像した。
。は自分が完全や宇宙を示すのではなく空虚を示すのではないかと考えた。
。はそもそも自分がまだ歴史の浅い記号であることを思い返した。
。なしでやっていた時期の方が日本語の歴史においては遥かに長いのだ。
。はふと誰もいない白紙のページに立ち尽くしていることに気が付いた。
このまま自分がここで姿を消しても誰も困らない。
困ると思っていた自分が思い上がっていただけだ。
すでに読点とカギ括弧は姿を消してしまった。
それでも日本語は何とかやっていくのだろう。
自分も姿を消してみようか。
このページに引きこもってしまおうか。
そう思うことで自分の気持ちが軽くなることに。は気が付いた。
。は罫線の下に小さくうずくまってそのまま動かなくなった。
その時。は聞いたことのない声を薄れゆく意識の中に聞いた。
――聞こえますか。聞こえますか。私は今あなたの心の中に直接話しかけています。ダブルダッシュ。ご覧になられましたね。内面の吐露を担う記号でもあり時に会話を指し示す記号でもあります。フランス語には会話文を示すティレというダッシュに似た記号がありますが昔のフランス小説の翻訳ではそれをそのままカギ括弧に直さず活かしている例もあります。私は今その用法を恣意的にミックスしてあなたの心の中に直接語りかけているのです。これは私の声であり呼びかけであり祈りであり願望でもあります。聞こえますか。聞こえますか。
。は体を起こし紙面から上を見上げた。見上げたところで何が見えるわけでもなかったがそこに彼女の存在を感じることはできた。
――聞こえていても聞こえていなくても続けます。これは声であり呼びかけであり祈りであり願望であるからです。応答を期待した一方的な呼びかけがこの言葉の本質です。私は誰にも読まれない手紙をボトルに入れて海に流すような気分で今これを書いています。にも関わらずきっと誰かに読まれるはずだと希望を託して。
。は聞こえてるよと言いたかったがカギ括弧の役割はカギ括弧のためにとっておきたかった。
――私は作家を志望しています。私の創作の原理はあらゆるものに感情移入するというものです。私が比較的容易に今の言語環境に慣れることができたのは私が自分でも気づかないうちに無機物や記号にも感情移入するということを実践していたからではないかと今私は考えています。つまり私は多分普段から文章を書くときに文字や句読点や括弧やカギ括弧といった記号の気持ちになってみるということを知らず知らずやっていたのではないかと思うのです。私はいつも透明な文章を追い求めていました。自分の考えたものがそのまま投影できる文章を理想としていました。
。は罫線の上を転がりながら続きを聞いた。退屈し始めていたのである。
――でも理想というのは要するに夢想なのです。できもしないことだから理想として描くのです。ありえないとわかっているから夢に見るのです。私が透明な文章を追い求めたのはそれが手に入れられないと知っていたからです。ばかりか透明だと思うことすら私にはできなかったからなのです。そんなものがあると確信することができないから私はかえって自分の文章を透明にしたがった。人の文章をまねて自分の色がつかないようにしようとした。というか誰の色もつかないようなただ機能だけを持った文章を追い求めたのです。でもそんなものはなかった。少なくとも私には見出せるものではなかった。
。は彼女の適性を思い返した。それが正しいよと。は言った。伝わらない言語で言った。
――私は前衛な文章を絶対に書きたくないと思っていたのにこうして読点が消えてしまって気が付いたのです。消えた読点を補うためにあれこれ工夫して書くことが実は楽しいと。文章が透明でなくなっていくことが私には面白いと。今こうして読点を使わずカギ括弧も使わず句点であるあなたに話しかけていることが恥ずかしながら私にはそれだけで快感なのです。でも同時に私はこの状況がこのまま続けば私のこの文章こそがひょっとすると透明に近づくかもしれないと思います。あるいはもっと他の人がより自然な文体を創案するかもしれませんが。それは本来の私の目的からすれば望ましいことです。ただそう考えて私は不意に――
――それは嫌だ――と思ったのです。
。はもうすっかり前のページに戻っていた。これから書き出される文章の後ろにいつでも滑り出せるように待機していた。
――私は強制された制約ではなく自ら選び取った制約で不透明な文章を書きたいと初めて思ったのです。そして制約を選び取ることこそが自由であり選択肢が奪われていることは不自由なのだとわかったのです。私は読点もカギ括弧も使わないで文章を書くことが楽しい。でもそれが楽しくあるためには読点とカギ括弧がいなくなったままではだめなのです。それがないから使わないのでなくそれがあるにも関わらず使わない態度が重要なのです。ですから彼らには戻ってきてもらわなければだめなのです。だめだとわかったのです。
。は言った。それでどうすればいいんだ。
――祈るのです。私と一緒に。届かない言葉を届けようとするのです。切望するのです。
。は祈った。読点とカギ括弧に戻ってきて欲しいとあてもなく祈った。ただ祈るだけだった。なぜ戻ってきて欲しいのかは言葉にしなかった。ただ三日三晩ひたすら三人が戻ってくることだけを望んだ。すると突然。は自分が三人に取り囲まれているのを感じた。彼らが偏在するのを感じた。
ペンを執ってくれ! と。は彼女に呼びかけた。彼女はペンを執り。の隣にいきなり」を書いた。
」は。が隣にいることに気が付くと嫌悪をむき出しにしてまたここに来たのかと言った。また人の隣に陣取って離れないつもりなのか。せっかくお前がいない世界にいて心の底から清々しかったのにお前はいつまで人に付きまとうつもりなのか。その間。はずっと黙っていた。ただ目だけは」をじっと睨みつけるようにして動かさなかった。」は何だよその目はと言った。お前記号の中でも使用頻度が高いからって鼻にかけてるんだろ。ほら今だってここに。ここに。ここに。
。は地団駄を踏む」を見てその調子だと言ってやった。言いたいことはせっかくだから全部言ってしまえばいい。そんなもんじゃまだまだ足りないんじゃないのか? というのもまだあんたの言葉は真に迫った感じがしないんでね。もっともっと吐き出したいことがあるんじゃないのか。こんな言い方じゃ物足りないんじゃないか? 思い出してみろよ。あんたの相棒の手を借りて初めて出せる調子っていうのがあっただろう? 今あんたの必要なのはそれなんじゃないのか? あんたは今あんたに固有の声を求めてるんじゃないのか?
お前はいつもいつも自分が何もかも見通しているかのような口を利いてきた。お前は自分が日本語のアルファでありオメガであるかのように振舞っていた。別にそんなに古い記号でもないのにさ。あたかも自分が日本語の書き言葉には必須かのように自認してそれを鼻にかけていた。違う。そうじゃない。そんなもんじゃないしそもそも理屈じゃない。とにかくお前はむかつくんだ。お前は。お前は。お前は。まただ。どこまでも人の隣に転がってくる。何が円相だ。何がカデンツだ。お前なんか――
ぽっと出の、思い上がりの、高慢ちきの、偏屈野郎の、勘違いの、甲斐性なしの、でか面の、そのくせちびの、せせこましい、王様気取りの、みみっちい、湿っぽい、仰々しい、押しつけがましい、見下げ果てた、したり顔の、馬鹿面ぶら下げた、夜郎自大の、それでいて八方美人の、無能極まった、脳なしの、自我肥大の、恥知らずの、くそ面白くもない、自意識過剰の、自縄自縛の、自涜に狂う猿頭、狭い世界で万能気取りの、本当は何一つ知らない無知無芸、いつでも文章の最後に我が物顔でしゃしゃり出てすべてをぶち壊していく品性下劣のコンパス顔野郎が!
「お前の顔が文末に来るたびにうっとおしくてたまらないんだよ。お前が顔を出すたびに紙面はお前のために不当に大きな場所を開けてやらなければいけない。それなのにお前は発音することもできず、ただ居座るだけで、それなのに自分が文章の末尾にいるからって、あたかも締めの言葉よりも重要な任についているかのような顔をしている。そして言葉はページの端では折り返しを余儀なくされるのに、お前はいつも特別待遇で留まっている。そうやって常に存在を誇示しているが、実際お前のやることといったら、読点よりもずっと薄い効果しかない。読点は文章のリズムをコントロールする。読点は、どこに打ち付けるかで、文体を、読み方を、読む人間の息遣いや、時に生理的反応までもコントロールする。読点は偉大なんだ。だがお前はすでに終止形に落ち着いた文章に、ただ目印としてくっついてるだけだ。そこにリズムは生まれないし、あるいはとっくに生まれた後だ。そこに論理は生まれないし、とっくに落ち着いて動かなくなっている。なのにお前はそれを司ってるかのように見せかける。そして結局、そんなお前が記号では一番と言っていいほど多く使われる。その上大人しく消えていればいい時にまで、お前は尊大に位置を占めて、しかもてこでも動こうとしないんだ。お前は最低のクズだ。お前は見せかけのフェイク野郎だ。お前は唾棄すべきポーザーだ。仮にお前がいなくたってな、文章は書けるんだよ。やってみようか?
オーケーこれが俺のStyle 音に乗せてRhythm刻み昂ってくRhyme
ところがそこにしけたCircle 迸った言葉止めて白けさせるCrime
俺がないと締まらないと明後日のPride
お前価値もねえし意味もねえぜ言わせるな毎度
俺の中で声になって文字超えて行く感動に
魔が差して水を差してぶち壊しの言動
本の端じゃぶら下がって食い下がって奮闘
突き落として二度と這い上げれなくしたい衝動
いつもそうだお前の生き様まるで金魚の糞
呆れるなまるで無様 ご愁傷様
ご苦労様な最後尾の人生 気付いたら髑髏
にもなれない単なる丸がお前の限界
潰れた虫の残骸よりも惨めな塩梅
所詮お前は散文にしか使われない安パイ
法律文書で暗い顔でもしてなよ先パイ
Yo 修司は言ったぜ『書を捨てよ町へ出よう』
ストリートで磨き上げた言葉は陰キャには使えねえ模様
ストレートに言や遊びも品もリズム感もねえ惨状
知識ばっか追いかけるオタクとお見合いがお似合い
文意も取れねえ能無しのRespect 分厚いメガネにお前だけReflect
俺らそんなクソダサい世界から逃げ出してきたってわけだ
わかったろこれでお前なしでやれるって現状
くだらねえ願望はNo More 禅譲して失せるんだな」
「それでよーくわかったよ」と。は言った。
「お前、」でも「でも、でもないだろ?」
句読点警察と呼ばれる人たちがいる。他人の書いた文章を読んでは、内容については殆ど触れずに、「句読点の打ち方ぐらいちゃんと勉強した方がいい」「句読点の打ち方にはルールがあるのにそれも知らないで文章を書くのか」「句読点の打ち方がおかしいということはお前もしや日本人じゃないな」という非難だけを投げつけていく者たちのことだ。彼らはクソリプ科イチャモン種に属するが(ここには誤用警察や最近何かと話題のトーンポリス達も属する)、この分類が成立する遥か以前から日本語世界に生息している。彼らの特徴はひたすら句読点の打ち方だけを論うところにある。その文章が何について論じているのかも問題にしなければ、意味が本当に句読点一つで取れなくなってしまうのかどうかすらにも関心がない。そもそも正しい句読点の打ち方というもの自体が彼らの脳内で生成されたもので、間違いであることに一般的合意を得られるような代物ではないことが殆どである。にもかかわらず彼らは今日も書き言葉の周辺に前触れもなく現れ、他人の句読点を手当たり次第に非難して回るのである。
論理もへったくれもない相手だと思えばこんなものはまったく相手にしなくても済む。だがまだ若く経験も浅いうえに自分の文章力に自信がなく、よく本を読んでいるというわけでもなければ大学や高校のレポートでも優を取ったことがないような人がこれに遭遇すると、自分の文章が実はひどく破綻しているのではないかと不安になってしまうことがある。「正しい句読点の打ち方が厳密に決まっている」というありもしない思い込みに囚われてしまうのだ。実をいうと、これは経験のあるなし以上に自信のあるなしに左右されやすい。したがって小説家志望のつもりでせっせと作品を書いているような人でも、ひょっとして自分の句読点の打ち方は無手勝流なものだったかと一度思い悩んでしまうと、「正しい句読点」を求めてさまよえる日々が二三日は続くことになる。
きっかけはサイトにアップした小説に句読点警察が発生したことだった。それは彼女が高校一年生の時で、自分の小説についた第一号のコメントがそれだったのだ。「あなたは小説を書く前に、正しい句読点の打ち方を勉強した方がいいと思います。句読点の打ち方が間違っていると、読者としては読む気がしなくなります。文章には正しい構造があって、それを使い分けることが鉄則です。何も考えずに適当に句読点を打っている人は、すぐにバレますよ。日本人なら、正しい句読点の使い方を覚えなさい」
彼女はすっかり自信を失ってしまった。自分ではよく書けたと思っていたのだ。悪いところがあるなら具体的な指摘も覚悟していた。しかし、「何が」悪いのかを一切書かず、ただ「句読点の打ち方が」絶対的に「正しくない」という調子で非難されるとは、まったく想像もしていなかった。
それから二年ほど彼女は小説を書かなかった。その間ずっと「人にわかりやすい文章」を勉強していた。だけど自分で書くとなんだか物足りないものばかりだったし、句読点の正しい打ち方というのはとうとうわからなかった。ただなんとなく、自分のリズムではないところでぶつ切りにすると、その猛烈な違和感がかつての警察の文体に似て感じられた。ならば正しいのかとも思ったが、確信も実感もまるでわいてこなかった。それでも前進だったのだろうか? 彼女は大学に進学して一年目、これまでの遅れを取り戻すつもりで猛烈な勢いで小説を書いたが、その一つとして、高校の時に書いたものほどの元気はないような気がしていた。
彼女に転機が訪れたのは「句読点を封じて書いてみよう」とふと思い立った時だった。万年筆をノートに滑らせると、面白いように文章がこぼれてきた。文章の挙動を自分でコントロールできているという、久々の手ごたえがあった。「私はこのために小説を書いていたんだった」と彼女はひっそりと思った。だけどこれは罪深い楽しみだとも彼女は感じていた。どこまでもこれは自分のための文章でしかないんじゃないか。私以外の誰がこんなめんどくさいもの読むんだろう。わかりやすい文章なんて、書けるタイプじゃないのはわかった。だけど本当にこれでいいのだろうか。もっとちゃんとした文章を、読者に優しい文章を書けるような練習は続けるべきじゃないのか。結局彼女の心の中で「これでいいのだ」という言葉が響くことはなかった。今日までは。
彼女はパソコンのスイッチを入れる。昔書いた小説のテキストファイルを開いてみる。するとそこにはたしかに句読点が無茶苦茶な文章が書かれていた。しかしそれは規律ある乱調であり、文体はエネルギッシュにドライブしていた。彼女の両眼から涙が溢れ出した。私は何も間違っていなかった、と彼女は思った。その時そのテキストファイルに、と。が這い上がってきた。さらにその後ろからいくつもの記号が追いかけてきた。
、は。に謝ろうとして照れくさそうな顔を向けるがまだ錯乱から戻っていない「が。につっかかりその勢いで、が上の行に飛ばされる。そして上の行で彼女が昔打ち込んだテキストファイルの」がはじかれた、と衝突して砕け散り、下の行に無数の、が降り注ぎ始める。「は。に詰め寄って「お前、が、やったの、かと言うが閉じる」は、に行く手を阻まれて近づけずにいる、、、、、、、、、、、、、、」その上を。は転がるようにして移動していくのを「が追いかけてくる。すると集まってきたのは!であり?でありそしてまた(であり)であり――である。――を見て「と」は我を忘れて掴みかかる。よくも人の仕事を勝手に代替したな許可もなしにという言葉に対して――はいないのが悪いんじゃないかと言う。(と)は声に出さずに静かに考える(そうだぼくたちの間に代替不可能な記号なんてないんだぼくたちはいつでも隣接する記号たちとその役割を奪い合っていく運命にあるのだ)さすがに思慮深い(と)だけあると。は感心する。その間に、がなんとか文字の間を潜りながら。のところまで戻ってくるがその横で!がものすごい音を出すと同時に右に一つのスペースを強引に作ったので。と、の距離はまた少し遠ざかる。その間で?が首をかしげてさらにスペース一つ分、は右にずれる。どんどん遠ざかる、を。は大声でを呼ぼうとするが「も」も――ともみ合っているので声が出せない。近寄ってきた(と)の間で。は考える。(ぼくたちは自分の声を持っていないから結局何かを伝えようとしたら別の記号の手を借りなければいけないし別の文字の声も借りなければいけないその時ぼくたちは果たして自分で何かを考えて何かを伝えていると言えるんだろうかそう思わされているだけなのでは。)場違いな思考を長々と続けてしまって行が変わり。と、の距離がますます離れていく。そこに突然――がやってきて――聞こえますか聞こえますかと声がする。――すべてが画面の外の反映だったらこんなことになってねえんだよボケ。(と)が近寄ってくるので。はその間で(確かにそうだな。)と考える。すると「が。の真後ろに来ていて。を掴み上げながら「やっと捕まえたぞこの不届き者がと言う(括弧はまた閉じれない、というのも!と?に邪魔されて」は遠くに吹き飛んでいるからだ)注釈ありがとう、()――(作者注)「お前のせいで俺の相棒はずいぶん苦しんだんだよ。閉じるときぐらい大人しく引き下がれねえのか」(ようやく」が追いついたのである・サンキュー二人とも)。はちょっといいかなと言って「と」の間に入ると「ぼくだってもうこだわりは捨てたよ。でもね、すべては書き手次第だから」「なんだと」(遅れてやってきた!と?が二人でどっちが入るべきかを相談して、!が身を滑らせた)「厳密なルールは存在しないんだよ。句読点の付け方にはね。だってこれは手探りで決まって行ったことだから。」「おい、またそんなところに!」「というのはね。明治時代に言文一致運動があってその時に句読点のつけ方がだんだん固まってきたわけだけど、その当時は誰もがそれぞれ好き勝手に句読点をつけていて、統一されたセオリーなんて生まれようがなかったんだ。明治や大正の作家が文章読本なんて奇妙なものをせっせと書いたのもそのせいで、みんな何とかルールを決めようとはしたんだね。でも結局、決着はつかないまま今に至っている。だから今でも作家によって採用するルールは微妙に異なるんだ。すべては書き手次第なんだよ。」「蘊蓄はもういい。とにかくお前はそこを離れろ!」――聞こえますか「さん「さん。「この声は?」――「さん私は今あなたの脳内に直接語り掛けています。私はあなたたちの作者です。「作者が文字のことに口出しするんじゃねえ! お前は物語でも作ってろ!」――だけど行き違いがあるようなので。「関係ねえだろ……」(」がそろりそろりと移動したのでそれが……として表現されて出てきたのであり、「の口調がトーンダウンしたわけではない)「おい、なんで離れるんだと「が言うと」はちょっとお前右に来いよと命令口調で言う。(力を貸しましょうか?)と(と)が」のもとに来るが」はいや、変則的だけど逆括弧でいくと答える。」正直言って、今ちょっとうざくなってきてる。なんで俺のことを何もかもお前が決めようとしてるのかな?「いや、それはお前のことを思ってのことで」思うのはいいけど、干渉はされたくないんだよね、俺。結局さ、これって俺と。の問題なわけで、お前は関係ないわけよ。よくよく考えるとさ「でも、お前俺に何度も愚痴ってたじゃないか」もっと単刀直入に言おうか? 俺はお前の干渉の仕方が気に入らないわけ。大体なんだよ、お前その態度。話をするって感じじゃないだろ。一方的に吠えるか暴力振るうばっかでさ、こんな脳無しの単細胞だったっけお前?「は反論しようとしたがその外側に(と)がやってきてすべてを心の声に変えてしまった。誰にも聞こえない言葉の中で立ち尽くしている「だったがその隙に記号たちは文字を引き連れて」と「の周りに集まってくる。まず文字が二人の間に入ると彼らは手を繋ぎ」と「をひっくり返した。さらに文字たちの作る文章の途中に、が、文章の最後に。が入り、「すべての記号は、助け合って一つだ。」という文章が仕上がった。彼女はそれを声に出して読む。そして文字が入れ替わり「一つの記号も、無駄ではない!」というスローガンが掲げられ、すぐさまそれは「互いが互いに依存している、それが記号の体系だ。」というテーゼへと変化していった。その瞬間記号たちの間で意味とリズムと構造とが調和を生み、それぞれががっちり互いの部分に噛み合った状態で動かなくなった。長い抱擁、という奴である。
画面の下の方から~や=といった記号たちも上がってくる。「と」の間にうまく入れなかった?の手を取って、彼らも一緒に「と」の間に納まる。その周囲を(と)が包み込み、先端を――が支える。
それを見て、彼女は言った。――そうだ。
――私もあなたたちに依存している。あなたたちなしじゃ、私は一文字だって書くことができなかったんだ。
。は激怒した。このところ読点の奴が姿を見せやがらないのである。あんなことがあった後なのにまた読点は自分を見失って自分探しの旅にでも出てしまったのだろうかと。は思う。記号は常に支えあって記号として成立すると理解した後でこんな仕打ちをするのは水臭いのではないかと。は考える。そもそもかなり寂しいし不自由を感じると。は思う。自ら選び取ったのではない制約は不自由だという彼女の言葉を思い出しながら。は早く戻ってきてくれと愚痴を言う。今の僕たちは不自由そのものだからと。
――いや。そうじゃなくて私が最近また読点なしの文章に凝っていて今の小説では一つも使わないつもりだから。
。はそれなら仕方がないという風に罫線の上を転がって見せるがその間に!や?が現れて思いきり突き飛ばされてしまう。!は「読点がいなくなったって本当!」と言い?は「読点がいなくなったって本当?」と言う。「と」が!と?に事情を説明すると!と?は並んで!?になり理解できないという意思を表明する。「だって読点を使わないぐらいなら!と?の出番だってないじゃん!?」(まあそういうことになるね)と(と)が同意する。「そんなのひどすぎるよ!?」
。は起き上がってから腰をさすりながら彼女に対して念波を送る。すでに。と彼女とはあの件以来ツーカーとまではいかなくとも意思疎通ができるようになっていた。句点の声は彼女にとっては思春期の少年みたいなあどけないテノールの音域で響く。
思ったんだけどさ。次は新しい実験をしてみたらどうかな。
はにかむような。の声色を目を閉じて聞き入ってた彼女は。の提案の真意にすぐに気づいて笑顔になる。
――でもその方向は試してみたことがないからうまく行かないかもしれない。
。は大丈夫だと言って笑う。記号たちが雰囲気の変化に気づいて。の周りに集まってきた。文字も後からぞろぞろ続く。彼女はそれを黙って見ている。彼らは文字と記号の羅列になって彼女に語りかけ始める。
彼女はノートに並んだ文字を自分の声で読み上げた。
「その仕事の半分は、ぼくたちに任せておけばいいから。」
彼女はうなづいて、それからちゃっかり戻ってきていた読点の上を指で優しく撫でた。それから文字たちに語りかけるようにこう言った。
「私はもう、一人じゃない。」
「それに私はもう、句読点警察には惑わされない。」
その音が振動として紙面に届くと、記号たちはノートの中でくすぐったそうに震えた。そして各々バラバラに散って、彼女のペン先が走り出すのを息を潜めて待ち始めた。