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翡翠の屋敷で変人と  作者: 兎蛍
第四章 妖精の正体
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第99話 記憶喪失の少年1

 朝、いつもみたいに一番に挨拶してくれた日向の笑顔がぎこちなかった。

「何かあったか?」

 日向は嘘が下手だ。分かりやすく肩を跳ねさせ目を泳がせる。

「や、……バレたか! 今日提出のノート、何にも書いてないんだよーだから……な? 今から写させて! 放課後なんか奢るから!」

 そんなことだろうと思った。それならそうと、いつもみたいに言ってくれればいいのに。まさかまだ要求でもあるのか? 変といえば、日向はいつも僕より後に登校してくるのに、今日はよほどピンチなのか、教科書とノートを机の上に広げたままだ。


「それはいいけど、なんか今日変だぞ。言いたいことあるならはっきり言えよ」

「いや、大丈夫だ。それより、冬雪こそ困ったこととか話したいことがあったらすぐ言えよな!」

「あぁ、言うよ友達だろ?」

 日向はまた変なものを見たような顔で硬直し、かと思えば急に距離を詰めて肩に手を回してきた。

「だよな! そう思ってくれてんなら嬉しいよ!」

 日向は人との間に壁を作らないし作らせない。だから日向の周りにはいつも人がいる。しかし当の本人は誰かと話していても僕を見つけるなり駆け寄ってくるのだ。僕はあまり友達がいないから、気を遣わせているんじゃないかとたまに思ってしまう。

 しかし、それにしても今日は様子が変だ。毎日会ってるはずなのに、別人を相手にしているような、というより僕が別人みたいな、そんな違和感が挟まっている気がする。


「藤原君、お弁当忘れてお金もないから白刃君のお弁当分けてほしいんだってさ」

 いつの間にか双葉さんが真後ろにいた。小学校からの友達であり、生徒会長だ。

 お弁当って、何だそんなことか。

「いいよ。僕のあげる」

「え、お前弁当作んの?」


 今日は本当に変だ。僕は中学の時から毎日朝5時に起きて弁当を作って持ってきている。日向がそれを知らないわけないだろう。

「ずっとこうだっただろ。そんなに僕に興味ないのか?」


 少し傷ついた表情を見せてしまったからだろう。日向は急に僕に抱き着いてきた。これにはさすがに反応が遅れる。

「…………え、な」

 何すんだいきなり、と絞り出そうとした言葉は遮られる。

「そうじゃなくて、そうじゃ、なくてさぁ」

 どういうわけか日向は泣いていた。僕は日向が泣いているのを、初めて見た。わけが分からない。昨日の夜から変なことばっかりだ。

「どうしたんだよ。落ち着けよ。弁当ならやるし、ノートも見せてやるからさ」

「藤原君、落ち着きなよ。白刃君ならそこにいるよ」

 双葉さんが日向を宥めるも、泣き止む気配はない。それを教室の真ん中でやられるものだから、朝の騒がしさがそこを中心に静まり返っていく。なんだこの空気。


「おはよう。藤原君は何してるの?」

 ドアの開く音に、一瞬空気が緩む。南雲さんだ。高校に入って初めてできた友達。あまり物事に動じないが、目の奥には常に好奇心が宿っている。本を読んでいることが多く、日向のように常に周りに人がいるわけではないが、誰に対しても分け隔てなく接するところが尊敬できる。

 噂によるとあの天才小説家、南雲栞の娘だそうだが、本人には訊けずにいる。


「藤原君がノートとお弁当忘れて、白刃君が助けてくれるらしくて感謝に咽び泣いてるんだよ」

「そうなんだ」

「……それでいいよ……」

 

 なんだそんなことかと、僕らを凝視していた周りの人達が興味をなくして散っていく。

「おはよう南雲さん」

「おはよう」

 南雲さんは何故か僕の顔を覗き込んでくる。さらさらとした黒髪を細い指ですっと耳にかける仕草、かすかに漂う爽やかな香り。好奇心に輝く目が僕を捉えて離さない。

 記憶には残っていないが、彼女の眼差しに何故か既視感があった。

 好奇心は猫を殺す、というが、彼女のそれは「猫が死んでもお構いなし」といった危うさに覆われている気がした。暖房が効いているはずの教室で、不思議に冷や汗が背を伝う。


「白刃君、お昼休み1時に生徒会室集合なの覚えてる?」

 はっと現実に引き戻される。双葉さんが僕の肩に手を置いていた。

「あぁ、うん覚えてるよ」

「どしたのボーっとして。風邪気味? 煮干し食べる?」

「いや……大丈夫……」

 そこで煮干しはないだろ、とツッコミたくなるのを抑える。

「じゃ、忘れないでねー」

 ひらひらと手を振って去っていく。

 その背中を、僕はどうしても引き止めなければならない気がした。誰かに言われている気がする。聞くことがあるだろうと。この違和感を払拭する機会を逃してはならないと。

 そんなこと言われても、どうすればいいんだよ。ただの学校生活、昨日と変わらない日常、人間関係。そうだろう?



「うっま! 冬雪、料理できたんだな!」

 日向が僕の卵焼きをあまりにもおいしそうに食べるので、結局全部あげてしまった。朝からの違和感、この新鮮な反応も今では納得がいっている。

「それも覚えてないのか……。大変だな、記憶喪失って」

「やー、派手に頭打ったからなぁ」

「怪我なかっただけでも良かったよ」

 日向は昨日、階段から転げ落ちて無傷の代わりに記憶の一部を失っているらしい。短期の記憶喪失というやつだが、特に僕とのことで覚えていないことが多いらしく、僕の話を色々聞きたがった。

 幼い頃に僕の両親は出て行ったけど、生活費が毎月振り込まれているから特に苦労もしていないこと。僕が弁当を毎日持ってきていること。おかず、特に卵焼きを日向に毎回食われていること。それを見越して多めに作ってきていること。彼女も好きな人もいないこと。バカみたいな話も、日向はかなり真剣な顔で聞いていた。授業なんかは受けてるふりしてよく見たら、頬杖ついて寝てるのに。


「他に聞きたいことあるか? もうすぐ生徒会室行かなきゃだから、あんまり時間ないけど」

「多分、冬雪と一緒にいたら勝手に色々思い出すんじゃねぇかな。……あ、一個あった、聞きたいこと。冬雪、今悩みとかないか? 人生楽しんでるか?」


 日向が何故そんなことを聞くのか分からなかった。が、真剣に聞かれたので真剣に考えてみる。

 人間関係は決して広くはないけれど、トラブルもないし、一緒にお昼を食べる友達もいる。お金には困ってないし、天賦の才と言われている頭のおかげで勉強が分からないなんてこともない。総じて、

「楽しく過ごせてると思うよ」

「そっか。ならよかった。ポテサラちょーだい」

「あっおい」

 器用にポテトサラダをつまみ上げていく。多めに作ってるから別にいいけど。

「明日なんか奢るからさ」

 日向の笑顔からは、今朝のような違和感は消えていた。



 ガサリ、枝が揺れた。黒猫が飛び降りたのだ。教室の窓の外、木の上に華花が俯いたまま座っている。葵衣から全てを聞いた華花が。

「……そっか。冬雪の人生に私って必要なかったんだね」

 記憶の戻った今、華花に残るのは、彼女がかつて望んだ「花のように優しく、穏やかで儚い存在」の少女の人格ではなく、もとの「水上京花」としての人格だった。

 人間らしく自分勝手で、人を殺せるくらいに冬雪が好きなだけの、ただの人間だ。

 冬雪はこのまま、京花のいない世界を前向きに生きていくのだろう。いつかまた、人を好きになることもあるのかもしれない。人としての未来がない華花を置いて。


「なんで、忘れるかなぁ」


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