イワン本紀3 絶世の美女たち
ヴァン・トゥルクが帝国宰相。チャン・ターイーが帝国元帥となって、三ヵ月が経過した。
この年、イワンは、十九歳となっていた。
イワンの命により、帝国宰相となったヴァン・トゥルク。
イワンが最初に述べた通り、イワンは、ヴァン・トゥルクが行う政務に干渉することはない。
様々な政務の中でヴァン・トゥルクは、時に迷うことはあった。が、イワンに判断を仰ぐという選択肢は、ヴァン・トゥルクにはなかった。
もし、必要を感じられたなら、あの方は、私を居室に呼ばれるはずだ。ヴァン・トゥルクにはそれが分かった。
帝国宰相としての日々。
まだ二十一歳のヴァン・トゥルク。
だが帝国政府を構成する大臣も官僚も、貴族たちも、帝国において最も勢力を持っているはずのローザン一族でさえも、帝国宰相ヴァン・トゥルクに服した。
イワンが認め、帝国宰相に任じた男。
その威力は、絶大だった。
そして、イワンに帝国元帥に任じられたチャン・ターイーについてもそれは同様だった。
チャン・ターイーは、軍を掌握した。帝国軍人はみな、全面的にチャン・ターイーに服した。
最初は、イワンが発する光彩が、ふたりに及んだからだったのかもしれない。
が、決してそれだけではなかった。
帝国宰相、そして帝国元帥。その職に任じられたふたりは、あたかもそれが当然であったかのように、その持てる本来の才能、力量を充分に発揮した。
ホアキンの全歴史においては、多くの人物が、帝国宰相に、帝国元帥に任じられている。名宰相。名将と讃えられた人物にも事欠かない。
が、ふたりは、その誰をも超えた才を示したのである。
帝国元帥は、軍令において、全権を持つ。
軍政を含め、その余のことは、帝国宰相が全権を持つ。
これが、イワンがふたりに告げた命である。その命は、ふたりにとって神聖なものだった。
その意味することをふたりは誤らない。
従って、政務に関することについて、チャン・ターイーが自らの意見をヴァン・トゥルクに具申することはない。
が、ヴァン・トゥルクが求めれば、チャン・ターイーは、自らの意見をはっきりと述べる。
その意見は、ヴァン・トゥルクにとって、政府における他の誰よりも耳を傾けるべき意見となっていた。
皇帝オットー・キージンガー。
イワンのふたりに対する帝国内への布告を聞いた時、さすがに驚いた。
が、そのことを直ぐに受け入れた。
本来であれば、言うまでもなく、帝国最高の地位にいる人物である。
が、オットーは、自らの上に立つイワンの存在を、ある種、淡々と受け入れた。
イワンは、嫉妬の対象になるような存在ではないから。むろん、それが最大の理由であろう。
が、皇帝という地位にあれば、色々と思うことも多いはずである。
しかし、オットーは、そのことを態度には出さない。
普段、全く会うことはないイワン。
それに代わるかのように、ヴァン・トゥルクは、オットーに、日常、濃密に接し、必要と考えることの報告を怠らず、その意向を、拝した。
陛下が、その性は善良で、しかも極めて有能な方である。
ヴァン・トゥルクには、それがよく分かった。
そして、オットーは、それは、親友であるトクベイしか知らないことであるが、ヴァン・トゥルクの最大のライバルなのだった。
イワンからの使いがあった。
ヴァン・トゥルクは、イワンに呼ばれた。
帝国宰相を、拝命して以来のことである。。
ヴァン・トゥルクは、緊張を覚えながら、イワンの居室にはいった。
イワンは、ひとりだった。常に居室に侍している妹君のナターシャ殿下も、ペーター公、コンスタンチン公も不在だった。
「ヴァン・トゥルクよ。頼みがある」
命ではなく、頼みとは。
ヴァン・トゥルクは、怪訝な面持ちで、イワンを、仰いだ。
「ヴァン・トゥルク。これを見よ」
イワンが一枚の紙をヴァン・トゥルクに示した。
流麗極まりない、帝国文字が書かれていた。殿下自らがお書きになったのだろうか。
そこに書かれていたのは、女性の名前だった。
エヴァ、テオドラ、トミ(富)、クラウディア、シルヴィア、マリア、イボンヌ、スカーレット、シャオリン(小鈴)。
各々の名前の下には地名が書かれていた。
「この九人の女性を、予のもとへ連れて来てほしい。むろん、そなたが直接赴く必要はない。しかるべき者に命じよ」
「お訊ねしてもよろしいでしょうか」
「特に許す」
「どういった方々なのでしょうか」
「絶世の美女だ」
「この方々にお会いになられたことがあるのですか」
「そなたたちが使う意味では、未見だ」
では何故、とさらに訊きかえそうとして、ヴァン・トゥルクは、それをやめた。
そうか、この方には、そのことがお分かりになるのだ。
この方も、もう十九歳になられた。そのようなお気持ちには無縁な方と、お察ししていたが。そうか、そうか。絶世のか。一度に九人もか。
ヴァン・トゥルクは、嬉しくなった。
「はい、はい、殿下。承りました。このヴァン・トゥルク。直ちに命を発します。速やかに、ここに書かれた絶世の美少女たちを、殿下の御前にお連れいたします」
「トゥルク」
「は」
「少女ではないぞ」
「はっ」
「年齢は、最も若い者で二十二歳。最年長は、三十三歳だ」
「皆様、年上ですか」
ヴァン・トゥルクは、どうして、という顔でイワンを見た。
「理由は、言わん」
ん、
何かが、ヴァン・トゥルクの耳に引っ掛かかった。
ヴァン・トゥルクは、普段ではとてもなし得ないことだったが、思わずイワンを、凝視した。
心なしか、照れたような表情を浮かべられているような気がした。
まさか、今、だじゃれを言われたのか(日本語?)。
まさかな、この方にそのような下賤な感情があられる訳がない。
年齢を聞いて、ヴァン・トゥルクは、気になったことを問うた。
「皆様がそのようなご年齢でしたら、既にご結婚されておられる方も多いと思われますが」
イワン殿下は、人妻がお好きなのか、厄介なことになりそうだ。
「いや、その懸念には及ばぬ」
「は」
「確かに、皆、既に結婚を経験している」
全員か
「が、既にその相手を亡くしている。皆、未亡人だ」
ヴァン・トゥルクは、ほっとした。
では何も支障はない。
「承知いたしました。殿下のご依頼。このヴァン・トゥルク、謹んでお受けいたしました。」
「うむ」
ヴァン・トゥルクは、退室した。
イワン殿下の女性のご趣味。
マニアックだな、
ヴァン・トゥルクは、思った。
自らを省みた。
まあ、俺も似たようなものか。
旬日を経ずして、九人の美女が、揃ってイワンの居室に参集した。
ヴァン・トゥルクも陪席を、許された。
ヴァン・トゥルクは・・・
眼が眩んだ。