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チャガタイ叙事詩3 トクベイ

 チャガタイが十六歳のとき、草原の一部族突厥の汗キプタヌイは、正妻であるコヅマとの間に生まれたチャガタイより六歳下の弟であるオゴタイのために教師を都から招こうと考え、一人の若者をホアキンに派遣した。


 数ヶ月後、突厥にやってきたのはトクベイ(徳平)という二十歳の若者であった。

 トクベイはこの春、首都ホアキンで実施された高等官任用試験で不合格となった経歴の持ち主であった。

 帝国政府の高等官になるためにはこの試験に合格する必要があり、帝国全土から集まってくるよりすぐりの秀才たちに対して合格者の定員は毎年、十人にすぎなかった。

 したがって、この試験に合格することはすなわち、近い将来、帝国政府の最高級の官職に任命されることを意味した。


 キプタヌイより派遣された使者がトクベイを見いだしたのは高等官任用試験の合格者発表が行われた当日、発表の場にほど近い盛り場であった。

 

 そこでトクベイは親友とおぼしき若者を前に快気炎を発していた。

「トゥルクよ。やはりお前だけが合格だったな」

「ああ、残念だったな。トクベイ」

「なあに俺のもつ知識は試験にはあわぬ。別に試験のことなど考えずに、ただひたすら自分の好きな書物ばかり読み続けていただけだからな。それでも帝国の高等官任用試験くらい簡単に受かると想っていたが甘かったか。それにしてもトゥルクよ。お前はさすがだ。二十歳にして合格とはな」「何を言っている。いつも俺のことを、「よくそんなくそ面白くもない書物ばかり黙って読んでいられるものだ」と言って莫迦にしていたくせに」

「なになに、それはコンプレックスの裏返しというやつよ。そういう地道な努力ができる人間が最後に勝つのが世間というものだ」

「地道な努力か」

ヴァン・トゥルクはふっと視線を宙に遊ばせた。

「イワン殿下」

「ん」

「イワン殿下のことはどう考える」

「ああ、あの方は特別だ」

「俺はなトクベイ。どうしても合格したかった一番大きな理由は、合格すればいずれ殿下を間近で見られるようになるだろうと想ったからだ」

「成る程。だがそれだけではないはずだな」

「もちろんだ。言うまでもない」

「ふむ」


「トクベイ。お前はどうする。また来年受けるんだろう」

「ううむ、あと一年試験に受かるために時間を使うというのはたまらんなあ」


 キプタヌイより派遣された若者はこの会話をすぐ近くで聴いていた。そして、二人の席に来てトクベイに用件を伝えた。

 勿論、試験に合格し、穏やかな風貌をしたヴァン・トゥルクの方により大きな魅力を感じていたのは事実であったが、帝国の高等官任用試験に合格した若者がわざわざ草原にくるはずもない。

 したがってトクベイの方に狙いを絞ったのだ。

「草原の王子の教師か」

そこには言いしれぬロマンの香りがあった。


 トクベイは草原に向かった。


初めてチャガタイとオゴタイの兄弟を見たとき、トクベイの体を衝撃が走った。

 オゴタイは知的で穏やかな風貌の少年であった。

が、何よりもチャガタイである。

その人間離れした美。肩まで伸びた漆黒の髪、やや茶色がかった瞳。

 その姿を見たときトクベイはまだ見ぬイワンのことを想った。


 最初の講義のとき、座するオゴタイの傍らに、チャガタイが立っていた


 話し始めようとするトクベイに向かってチャガタイは言い放った。

「私にはこの世界のことは全て判っている」

「何が、何が判っておられるとおっしゃるのです」

「人は生まれ、そして人は必ず死ね。人にできることは、ただその与えられた生をおのれが信じ、おのれが愛することのために美しく生きるということだけだ」

トクベイは言葉を返すことが出来なかった。だが、まだ訊かねばならないことがある。

「では、世界は、世界とは何なのです」

「世界というのは人が存在するこの宇宙のことか、それとも無色界のことか」

「両方です」

「宇宙とは時間と空間で成り立つもの。人は時間と空間を元にして思考する。人は宇宙を超えたものを思惟することはできぬ。その存在は宇宙を超えることはできぬ。無色界は人と宇宙を超えたものに仮に付けられた名だ。だがそれは人の想像の及ぶべき世界ではない。世界などということばで呼ぶことも本来許されぬことだ。その無色界とこの世界をつなぐものが高色界だ」

この方は全てをご存知だ。

「教えて下さい、チャガタイ王子。この世界は何のために存在するのです。人間という存在にはどういう意味があるのです。私はそれだけが知りたくて万巻の書物を読みました。しかし判りません」

「人の知りうることではない」

チャガタイは講義が行われようとしているゲルを去った。


 オゴタイはこのやりとりに何も口をはさまずじっと腰をかけたままだった。

「オゴタイ王子」

「はい」

「あなたもここを出て行かれるのですか」

「いいえ、先生」

オゴタイは穏やかな容姿に似合わずはっきりと答えた。

「どうか講義を始めて下さい。私は学びたいのです」

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