チャガタイ叙事詩2 マンドハイ
草原の一部族である突厥の汗キプタヌイの長子、今は亡き愛妾ホルフェとの間に産まれたチャガタイは、草原で成長した。
チャガタイは、特別な人間である。
年を経るにつれて、突厥の民たちの中で、そのことは、むしろ当たり前のことであると見られるようになった。
父であるキプタヌイ。同母妹クサンチッペは、チャガタイに対して家族として接していた。
そしてもうひとり。キプタヌイの正妻であるコズマとの間に産まれた、チャガタイの六歳下の弟、嫡子オゴタイである。
コズマは、突蕨の中でも、汗の家系に準じる勢力を持つ一族の娘であり、幼少の頃からキプタヌイの許嫁となっていた。
だが長じたキプタヌイは、突厥の中で、ずば抜けた美貌をうたわれていたホルフェと恋仲になった。
ホルフェは、一般民の家系であったので、正妻にはできない。
帝国ホアキンでは、男女の仲には寛容で、結婚前だけではなく、結婚後も配偶者以外の異性と自由に恋愛を愉しむという慣習があった。
が、草原においては、そのアンチテーゼであるかのように、生涯において、肌を接する異性は配偶者ひとりであるべき、という不文律があった。
キプタヌイが選択したのは、ホルフェを愛妾とし、コズマとは結婚しない、ということだった。
ホルフェは、キプタヌイより二歳年上であり、ホルフェが亡くなったとき、キプタヌイは、二十五歳だった。
草原の不文律は、年若くして配偶者を失った人にまで適用される訳ではない。
しかしキプタヌイは、ホルフェ以外の誰かをあらためて妻にする気はなかった。
コズマも、草原における適齢期を過ぎても誰とも結婚しようとはしない。
ホルフェが亡くなって一年が経とうとした頃、キプタヌイは、コズマに告げた。
自分はもう誰とも結婚しない。どうかお前も誰かのところに嫁いでくれ、と。
コズマは、頷かなかった。
「私は、あなたの許嫁です。そのことを誇りとして、これからも生きてまいります」
キプタヌイは、ホルフェを愛妾とし、ふたりの子を成した。
その間、コズマは、どのような思いを持って、毎日を過ごしてきたのだろう。
キプタヌイは、コズマの深い哀しみにようやく思い至った。
キプタヌイは、コズマを、妻とした。
翌年、男の子が誕生した。オゴタイと名付けた。
オゴタイが物心がついた頃。兄、チャガタイは、既に十歳になろうとしていた。
兄、チャガタイは特別な人である。
オゴタイは、そのことは、生来のものとして受け入れた。
オゴタイは、年齢を考慮にいれても極めて聡明な少年であったので、弟として、兄に甘えるような態度は取らなかった。
オゴタイの回りにいる突蕨の民たち。
自分たち以外に、兄弟の関係にある少年たちは、もちろん、いくらでもいた。
彼らに比べて、自分と兄の関係がどれほど特殊か。
この人々を統べる汗の息子だからか。確かにその意味での特性はあるだろう。
だが、それは本質的なことではない。
兄、チャガタイは普通の人ではない。
自分は兄に憧れているのだろうか。
オゴタイは思う。
いや、兄は、自分が憧れの対象にするような人ではない。
長子であるとはいえ、兄は愛妾の子。庶子である。
自分は正妻の子。嫡子である。
身分は、自分が上。
だが兄、チャガタイに対してそのようなことは何の意味もない、
まだ幼くはあったが、オゴタイは、兄に対する甘えた感情も、嫉妬に類するような感情とも無縁であった。
兄に対しては、高みに至った人として、ただそのように接するだけ。
その意識は、オゴタイに、チャガタイとは異なる、一種の威風をその身にまとわせることになった。
家族以外の民たちの、チャガタイに対する態度は、そうではない。ただひたすらな讃仰の念。
チャガタイは、饒舌な男ではない。むしろ寡黙である。
口舌をもって、草原の民たちをひれ伏させているわけではない。
ただ、その姿が余りにも美しく、威風を超えた聖性を感じざるをえないのであった。
母ホルフェが亡くなった直後、三日間、生死の境をさ迷い、変貌した姿で生還したとき、チャガタイは、その身に剣を持っていた。
派手な飾りはなく、綺羅綺羅しさとも無縁であったが、その剣が、世にあるどんな名剣をも超えた、チャガタイが持つに相応しい、やはり聖性を帯びた剣であることは明らかであった。
「その剣をどこで手に入れたのだ」
父、キプタヌイが、チャガタイに訊ねた。
チャガタイは、答えなかった。
その剣は、いつの頃からか、宝剣タスと呼ばれるようになった。
宝剣タスを佩き、チャガタイは、時に、愛馬ナイスケイチャの背に乗り、草原を疾駆する。
その姿を見ることになった草原の民びとは、自然と拝礼の姿勢をとることになるのであった、
そのチャガタイが、ただひとり、他の人々が、決して見ることのない姿を知る人がいる。
ホルフェが病に倒れたあと、チャガタイとクサンチッペ兄妹の日常生活の面倒をみることになったマンドハイである。
マンドハイは、特に美しい容貌をしているわけではない。むしろ、ごく平凡な、という形容が相応しい。
が、チャガタイとクサンチッペに対して全身全霊で仕えた。
母の記憶がほとんどないクサンチッペは、マンドハイを、あたかも母であるかのように接し、甘えた。
チャガタイが、マンドハイに対して、甘えたような態度を取ることはない。マンドハイに対してさえも、チャガタイは、やはりチャガタイだった。
が、チャガタイは、日常生活における様々な細々とした些事を、自らが行うことはない。全てマンドハイに任せきりである。必然的に、チャガタイの身近に接する時間は、マンドハイが図抜けて多い。いや、マンドハイ以外にチャガタイと身近に接する機会があるのは、クサンチッペと、キプタヌイ、オゴタイだけだ。
クサンチッペは、チャガタイとは、比較にならないほど、マンドハイに、日々、まとわりついているので、必然的にチャガタイと身近に接することは、それなりに多い。
が、同母妹といえども、チャガタイとクサンチッペの間に、通常の兄妹と同じような交流があるわけではない。
そして、キプタヌイ、オゴタイについては、稀に儀礼的とも言えるような言葉を交わす程度だ。
マンドハイは、日常の必要に応じて、チャガタイと言葉を交わす。マンドハイは、馴れ馴れしさともとれるような態度をチャガタイに対してとるようなことはしない。
チャガタイに対して、それは許されることではない。
いかにマンドハイであっても、そのことに変わりはない。
マンドハイにとって、クサンチッペは、ひたすら可愛い。
チャガタイについては、……マンドハイは、やはり、可愛いというにも似たような感情を覚えていたのだった。
そして、チャガタイ様は、他の人とは違う感情で私のことを見てくださっているはずだ。
マンドハイの一方的な思い込みかもしれない。
だが、マンドハイは、そう信じていたのだ。
草原の女性は概ね二十歳までに配偶者を得る。
マンドハイは、二十歳を越えた。
マンドハイは、どこにも嫁に行く気はなかった。生涯、チャガタイとクサンチッペの面倒を見るつもりだった。
が、マンドハイが二十二歳になった時、マンドハイは嫁ぐことになった。
相手の若者は、突厥の男ではなかった。草原の別の部族、柔然の民であった。
突厥とは相当に離れた地域を居住範囲とする民だ。
突厥の民が他の部族の者を配偶者とするのは、特に珍しいことではない。
だが、柔然の民を配偶者とした者は、これまでいなかったはずだ。
なぜそんなことになったのか、マンドハイには分からなかった。
マンドハイが、迎えに来た相手の若者とともに突蕨を去る日。
クサンチッペは、その身を震わせて嘆いた。
チャガタイは、普段と何も変わらなかった。
チャガタイと、マンドハイは、最後に相見た。
その瞬間、チャガタイが、常とは異なる眼と表情をマンドハイに見せた。
チャガタイは、何も語らない。
マンドハイは、チャガタイが最後に見せた眼と表情を、いつまでも忘れることができなかった。
マンドハイが突厥を去った時、チャガタイは十一歳だった。
帝国ホアキンの、オットー・キージンガーが、皇帝に就位し、戴冠式を挙行した、その前年の出来事である。