パウロ聖伝 2 思索者パウロ
イワンとチャガタイが私を呼んでいる。ふたりが私を求めている。
パウロは、感じた。
その瞬間。
パウロには、分かった。自分がこの世界に生を受けて以来、ひたすら、思索を続けていたことの、その答えが。
産まれおちて直ぐに、パウロは、おのれが存在することになったこの世界の全容を理解した。
それは、自分が、世の常の人とは全く異なる人間であることを理解することでもあった。
自分は何か大きな使命を持って、この世に生を受けたのだ。
パウロには、それが分かった。
パウロは、やがてこの世界の根源に疑問を持った。
この世界は、どこから来たのか。我々は何ものなのか。この世界は、何処へ行くのか。
この世界は、時間と空間で構成されている。では、この時間と空間を創造したものは、誰なのか?
誰?
ひとは、その創造者を神と名付けた。
そして様々な宗教を造り上げた。
だが、それは、時間と空間をもとにして、言葉というものを使ってでしか思考することが出来ない、人間の想像力を限界いっぱいまで使って作り上げた物語に過ぎない。
そして、我々が存在する、この世界は、何と不完全な世界だろう。
時空という制限があるだけではない。この世界には、生命というものが存在する。
そしてその生命は、他の生命を奪うことによってでしか、その生命を継続し成長させることが出来ない。
そして、この世に存在する、悪、偽り、不幸。
なぜ、何のためにそのようなものがあるのか。
だが分かった。今、分かった。この世界は、この世界は、
超越者のゲームだ。
そして、超越者のゲームは、この世界だけではない。
超越者は、世界をいくらでも、人の言葉で表現すると無限と言うしかないが、無数の世界を創造している。
世界という概念では表現出来ないものも創造しているであろう。
この世界は、人間の感覚で言えば、永遠に等しい時間と、無限に等しい空間で構成されている。だが、それは、あくまでも人間の感覚だ。
超越者にとっては、永遠だろうが無限であろうが、その中に内包する、ほんのちっぽけなもの。超越者は、この宇宙誕生以来のどの時間であっても、どの空間であっても、それを超えたところに存在する。
では、その超越者のゲームの目的は?
それは私だ。
この時間と空間で構成された世界を創造し、その中に生命というものを誕生させ、その生命の進化の果てに、おのれの存在に疑問をもつ知的生命体を誕生させ、その存在の意味に答えを見いだす。
その過程を観察するためのゲームだ。
そして、今、答えが出た。この私によって。
答えが出たのならば、ゲームは終わりだ。
この世界は、終わる。
この世界に、過去存在した全ての生きとし生けるもの。今、この世界に存在する全ての生きとし生けるものは、
この世界から超越した世界に止揚する。
時間も空間も、生命も。真も偽も、善も悪も、美も醜も、幸福も不幸も、あらゆる価値が昇華された、大いなる価値の中に包含された超越世界に止揚するのだ。
それが、今、この世界に、この私が、そしてイワンとチャガタイが生まれ出でた意味だ。