第1章 幕話 『巡らせる不安』
……っ…
身体を駆け巡る痛み。しかしその身体をふわりと包む柔らかい感触が身体の下にある。
「ここは?……」
学校の裏門ではなさそうだが、ここはどこなのか。
「やっと目覚めたか……」
すっと顔を除く者がいる。
楓だ。
「楓……ここはどこなの?」
「学校の近くの中央病院。骨折れまくってたから病院に直行したんだよ。」
柔らかく優しく答えてくれる。
いつもの強く荒い彼の口調ではない。
「ごめんなさい。足手まといになってしまって。
貴方に迷惑をかけてしまった。」
頭を下げてきちんと謝罪しなければ。
今回大口を叩いて来た自分が一番足手まといになってしまった。
反省の意を彼に見せなければ。
颯那は痛みできしむ身体を必死に起き上げようとする。
だがそんな颯那の身体を楓はそっと寝かせる。
「気にすんな。俺が遅刻したせいでお前がこんなめにあった。謝るのは俺だ。ごめん……」
一度も見た事なかった謝罪を彼は見せる。
その顔には悔しさや、悲しみ、様々な汲み取れない表情までこもっていた。
これ以上彼に謝罪をするのは失礼と考えて颯那は別の話に切り替える。
「後のこと、色々聴いてもいい?」
静かにコクっと頷いて彼は話す。
「礼王も怪我が酷くてとりあえず治療してる。それが終わったら事情聴取に入るらしい。」
その礼王に傷を負わせたのは楓である。
必要以上にいたぶって何度も踏みつけた指は戻らないかもしれない。
「そう。……ちょっと外してもらってもいいかな?考え事したい。」
楓はその表情から何かを読み取り何も言わずに病室を後にした。
ーー楓が出た瞬間颯那には悪寒が襲う。
はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁぁ……
自然に出てしまう吐息を深呼吸をしてゆっくりと抑える。
ーーまさかあいつにあんな一面があるなんて……
初めてみた楓の優しい一面そこにときめいた……
訳ではない。颯那はもっと恐ろしい楓の一面を見てしまったのだ。
颯那が目覚めたのはこの病室ではない。
あの裏門だ。
あの時颯那は意外にも早く目を覚ますことができた。
必死に戦いに参加しようと身体を動かしたのだが、そんな事はおろか、口を動かすこともままならなかった。
そんな時目にしたのは彼の凄まじい戦い。
技能テスト首席合格の颯那を圧倒した礼王に軽々と何発も攻撃を当てあっさりと勝利を収めた楓に驚いた。
彼の秘めたる強さはここまでだったのかと感心した。
しかしそれをはるかに上回り驚いたのが彼の起こした次のアクションだった。
もう戦えない状態の礼王の両手の全指を折り、折れたところを思い切り踏み潰す。
更に今まで灯したことのない表情と声のトーンで罵倒、嫌味を浴びせる彼。
そんな彼に驚きを超えて恐怖を感じてしまっていた。
「……楓は何かが危険だ……」
その何かは掴めていないが楓は何か秘めている。
恐ろしいなにかを。
たしかに彼に救われた。
あのまま彼が来なかったら今頃自分は再起不能になっていたかもしれない。
そればかりか何も出来ず父の顔に泥を塗りたくってしまっていたかもしれない。
ーーでも……
その結果逆に礼王に過酷なものを背負わせてしまったのではないか。
礼王の指は元の形に戻るのか。
あれ程粉々にされた骨は原型に戻せるものなのか。
戻らなかったらどうなってしまうのか。
そして楓の危険性だ。
彼と今後うまくやっていけるのか。
彼のその強悪な力や性格、これを私は制御できるのか。
また今回の様な形にしてしまうのではないか。
大きなたくさんの悩みが一気にできた。
そして植えつけられた捜査への恐怖。
颯那の頭をこれらが渦巻く。
颯那が目をつぶってその問題から目を背けようとそうした時だ。
ーーガラガラーー
「颯那さん!大丈夫?大怪我したって聞いたけど。」
担任の小波だ。心配して来たのだろう。
「はい。大丈夫です。わざわざ御足労頂きありがとうございます。」
「こんなに大怪我を……礼王は相変わらず乱暴なんだから……。」
このふとした発言に颯那はひどく違和感を覚えた。
そして気付いたら質問していた。
「先生。何故私を怪我させたのが礼王だと知っているのですか?」
すっと目をそらす小波。
颯那が怪我した事は楓が伝えたのかもしれない。しかし、礼王がした事を楓が伝える事はない。
「楓君が教えてくれたの。」
この瞬間颯那は確信的にこの女は怪しいと悟った。
楓が教える事はまず無いのだ。
未成年の警察官には守秘義務が課せられている。未成年の警察官が相手していいのは未成年と決まっていて、その容疑者の未成年の未来を守るという理由がつけられ、誰が犯人かを隠す守秘義務が、課せられている。
ーーそのはずなのに、この女は犯人が礼王だと知っている。
怪しい。怪しすぎるのだ。
たまたま見ていたにしても、嘘をつく必要はない。何のためにこの女は嘘を付いているのか……
ーーしかしここで騒ぎは起こせない。
颯那はとりあえずここでの騒ぎを警戒して話を終わらせる。
「そうでしたか。すいません変な質問をしてしまいました。」
「いいのよ全然。」
手を繰り返しわざとらしく振る。
そして世間話を少しして小波は部屋を去る。
「学校はしっかり元気になってからでいいからゆっくり来てね。お大事に。」
最後にそう残して彼女は部屋を後にした。
更に不安要素が増えた。
小波という女。彼女も何かを隠している。
仮に本当に楓と関わりがあったとしても怪しい。
なかったとしたら一体何のための嘘で、何のための私への見舞いだったのか。
様々な不安を頭に巡らせる。
痛む身体。
そこには空いた窓から少しだけ暖かい風が流れ込む。
その風に窓際の彩られた花が揺られる。
その風はまるで今の颯那の不安を表すように少しずつだけ吹き続ける。