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いつかのクライマー  作者: 大田区トロフィーモフ
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三島のじいさん その2

 おじいさんが帰ってくるまでの間、さすがにクライミングジムに行く気にはなれず、ファミレスで作戦会議を開いた。

 が、相手がどう出てくるのかわからないので、妙案もないまま、俺らは三島さんの家に向かうことになってしまった。

「一応連絡入れてあるけど、機嫌悪いかもしれない」

「マジかよ。……おい、川内。おじいさまとの、せっかくの初顔合わせなんだ。説得は後回しでもいいんじゃないか?」

「そんな弱気になるなって。……俺が論破されそうになったらフォローしろよな?」

 三島さんの家は、どうやら俺の住んでいる隣町にあるらしい。学園からも徒歩圏内だ。

 川沿いのその町は高級住宅街で、やたらに長い洒落たコンクリート塀や生垣、築地塀などが道の両側にそびえて、通行人に睨みを利かせている。

 その中でも一番長く、殺風景なコンクリート塀を伝って辿り着いた門の前で、三島さんは立ち止った。


「ここが、我が家」


 “我が家”という素朴な響きとは裏腹に、三島さんの家は、でかい。

 いや、そもそも門からは鬱蒼とした木々がみえるだけで、敷地内に立っているはずの建物がまるで見えない。

 恐る恐る敷地に入り、文明の引いた航跡よろしく伸びる、アスファルトの道をしばらく辿ると、木々の間からぽっかりと、陰鬱な日本家屋の玄関が口を開けているのが見えた。

「ただいま、友達連れてきた」

「……こんなでかい家で、ただいまって聞こえるのか?」

 さて、三島邸の内部はというと、古い日本家屋らしい暗さはみじんもなく、白地に小さな花柄の壁紙と、よく磨いたフローリングを、LEDのダウンライトが明るく照らしていた。

 いかめしい外見と違い、内部は突然金がまとまって入ってきたものだから、とりあえず便利で快適にリフォームした家って感じだ。

 で、洋風の応接間に入ると、白いソファーに腰を下ろしていた、でっぷりと肥えて白髪をオールバックになでつけた老人が、おもむろに立ち上がった。

「はじめまして、三島八蔵(はちぞう)です。どうやら、孫がお世話になっているようだね」

 出たな、これが三島のおじいさんか。

 気を強く持たなくては!

「あの、はじめま……」

「あー、いい。君たちのことは昨日聞いたから。とりあえずそこに掛けなさい」

 おうふ、絶対機嫌悪いよ。

 いきなり心折れそう……。

 おじいさんは長ソファーに腰を下ろし、俺と早川はその正面の、一人掛けソファーにそれぞれ腰を下ろした。

 そして、三島さんはなぜかおじいさんの横ではなく、脇の小さなスツールソファーに座るようだ。

 おじいさんは三島さんとそっくりな、ギョロリと動く力強い目を俺らに向けた。

「えーと、背の高いほうが早川君で、君は川内君だね。いやあ、若い子だから奇妙な名前かと思っていたが、よかったよ。二人とも下の名前に、変な当て字は使っていないようだね」

「はあ……」

 固く身構えていたけど、ずいぶん気の抜けるような話題から始めるみたいだ。

「私の会社にも、最近変わった名前の学生が就活に来ているそうだよ。例えば……」

 その後、俺たちには耳馴れているキラキラネームをいくつか挙げて、苦笑しながら批判をすると、俺らにも同意を求めてきた。

 ぱっと見では、怒っているようには思えない。

 ただ、お茶が出てこないなー。

 緊張でのどが渇いてるんだけどなー、……やっぱり激おこなのか?

「名前は何といっても子供のものだから、親が話題性や面白半分でつけるのは、これはよくない。その点、私の祖父はいい名前を付けてくれた。家に八つの蔵を持てるような、大尽になるようにと『八蔵』だ。単純明快だし、何より名は体を表すというように、財産も築けた。もっとも、今は銀行があるから蔵など必要ないがね!」

 早川はすでにゴマすりモードなので、このおじいさん流ジョークにも、しっかりと愛想笑いをしていた。

 このクソつまらないジョークに!

 それにしても、いつ本題に入ったらいいんだ? まるで話のペースがつかめない。

「そうだ、私が若いころの話なんだが。ちょうど君たちくらいの年齢で、銀行は使わないし、そもそも金もろくに持っていない。それなのに、私は井上靖の『氷壁』の登場人物の影響を受けて、瓶の中になけなしの財産を入れて、庭に埋めて大切に保管していた。もちろん、誰にも知られないように。そして、必要なときにわざわざ掘り出していたんだよ。若い人たちの言葉を借りると、『中二病』というやつだったのかな」

「へえ、中二病なんて言葉も知っているんですね!」

「同世代の中では、私は若者に対して理解があると自負しているからね。暇があれば、若者文化について勉強しているんだよ」

 若い人の言葉を使って気を引くつもりらしい。

 俺は早川じゃないから釣られないけどね。

「その井上靖の小説が世に出たころ、私は高校生で、友人の紹介で読んだんだと思う。ただ、友人たちは私のように脇役に惹かれていなかった。彼らは登山家の主人公の、朴訥で非社交的で、そして孤独な面を好いているようだった」

 なるほど、ここで山に関係した小説の話を出して、三島さんの話へとつなげるつもりか。

 それにしても、何と回りくどく、いやらしい話術なのだろう!

 なら、こちらから話を仕掛ければいいと思うでしょ?

 それが、無理なんだよね。

 三島のおじいさんは口元は笑っていても、地平線から上がりたての満月のような、どんよりと光った不気味な瞳で、勘弁してほしいことに俺だけを見据えていた。

「私は、あんな主人公は好きになれなかったな。彼の友人が美しい人妻に横恋慕して、結局は山で死んだ。そして、友人が死んだ後に主人公もその婦人に惹かれて、妄念を振り切ろうと山に入って死ぬんだからね。ちなみに、その青い鳥のような妖婦を手にしている、幸せ者の旦那は誰だと思う、川内君?」

「え、俺? いや、本とか読まないんで……」

「何、簡単だよ。旦那は私の好きな、人を信用せず、財産を入れた瓶を庭に埋めたがるような例のエゴイストだよ。《青い鳥》というやつは、冒険をしている者には手に入らないらしい!」

「はあ……」

「だから私は思うんだ、人は自分の身の丈をわきまえた幸福だけを求めればいいと。叶わない夢を抱くから破滅してしまうんだ、何一つ手にできずに。なのに、孫娘は困ったものだ。訳の分からない目標のために、いきなり自室をトレーニングルームに改装してしまうんだから」

 三島さん、ぶっ飛んだことをしていたんだな。

 おじいさんじゃなくても嘆くかも……。

「見たところ、見苦しく筋肥大はしていないから、これは大目に見よう。だがね、クライミングを認めるわけにはいかない」

 いよいよ本題に入ったな。

 隙あらば反論してやるぞ。

「君たちは道成寺の話を知っているか? 『安珍清姫』と言ったらわかるかな。坊主の安珍に惚れた清姫は、川を舟で渡った安珍のことを追いかけ、乗船を拒否されたが大きな川を前に、その《不可能》を前に、執念で醜い蛇身に変身して川を渡ってしまった。孫がやろうとしていることは清姫そのものじゃないか、男に勝ちたいだなんて不可能な夢を抱いて。まさか蛇にはならないだろうが、私の知人の山男のように、クライミングのせいで皮膚の厚い醜い手になることは避けられまい。これからの仕事は外国人とも関わるだろう。するとお辞儀じゃないで、握手を交わすことが多くなる。その手が女だというのに、岩石のように醜く隆起して固かったとしたら? ああ、考えたくもない!」

「……では、おじいさんはお孫さんに、どんな人物になってほしいのですか?」

「ん?」

 これだけ威圧的にしゃべった直後に、まさかガクブルしている俺が口を入れてくるとは思わなかったのか、おじいさんは顔を不快そうにゆがめた。

「何も私の理想を押しつける気はない。ただ、孫には尋常であってほしいだけだ。尻ポケットに高級ブランドの長財布を入れて見せびらかす高校生のように、排気量の大きさで優越感に浸るバイク乗りのように、住んでいるマンションの階数で勝ち誇る主婦のように! 世間の評価なんて外側だけを飾れば済むし、長持ちもする。なぜ私の孫の、できもしない男の肉体に勝つための冒険を擁護するんだ? それに肉体なんてすぐに衰えるぞ。幸い、我が家は平凡な幸せのための、外側を飾るために必要な《青い鳥》なら銀行にいくらでもある。わざわざ冒険なんてしなくてもいいんだよ!」

 これだけ一気に言ってしまうと、おじいさんは満足げに黙り込んだ。

「あの……」

「まだ、何かあるのか?」

「ええ、……どうせ肉体がすぐ衰えちゃうなら、その、短い間だけでも好きにやらせていいんじゃないかなあ、と……。武骨な手だって敬遠されないで、もしかしたらその手を求めてスポンサーが集まるような人になっちゃうかも……」

 このおじいさんなら、金や世間体の絡む話に弱いかもしれない。なんとか、突破口を……

「バカな。まさかプロになれるとでも?」

「いやいや! そんな大げさなことじゃなくて、その、三島さんならそれなりに結果を出しそうな、そんな気が……」

 ダメだ、テキトーな反論がかえって俺の首を絞める結果に。


「……何、孫はそんなに才能があるのかね?」


 あれ、マジで食いつてきたぞ?

「少なくとも、俺よりはあるかと……」

「うむ。それは知らなかった……」

 ギョロリとした目を俺から逸らすと、三島のおじいさんはしばらく黙考して、

「荒れた手の女にはなってほしくないが、例えば、オリンピックに出るような選手になるならば、私だって口を出さない。アスリートであることも今や、社会的ステータスの一つだ。その手を求める人がいるなら、……それはその人たちの勝手だし、むしろ名誉と言っていい」

 あら、《庭に瓶を埋める》おじいさん、まんまと欲を出してきたようだ!

 これはもうちょっと押せば、いけるんじゃないか?

 いやでも、たった一日体験クライミングをしただけだから、才能があるかわからないし、三島さんも困った顔を向けているが……。

 ええい! 今はそんなこと気にしちゃいられない!

「もうセンス抜群です! 一億年に一人の逸材! すぐに結果出しちゃいますよ! なあ、早川君や?」

「は? ……お、おう」

「そうか……」

 おじいさんは、こめかみを右手で押さえて少しの間考えていたが、ポツリと、

「大会は? いつあるの」

「へ? ……そりゃ、大会って言ったら夏のイメージ、……七月中旬とか?」

 本当は大会どころか、そもそもクライミングがどんな競技かすら、知らないけどね。

「……三か月くらいなら遊ばせてもいいか。わかった、ではその間で結果を出せたら認めてやる。結果が出なくても、そのくらいなら手も元に戻るだろう」

 あれ、これってうまくいったのか?

 いやでも、ちょっと待った。

「あの、三か月はさすがに短すぎ……」

「この私が君たちに理解を示したんだ。これ以上そちらに、何を要求する権利がある?」

「はい……」

 三島のおじいさんをここで怒らせるのはまずい、とりあえず三か月のモラトリアムは引き出せたんだ、ここが潮時か。

「わっかりましたー、……大会で結果を出せばいいんですね?」

「ああ、期限はしっかり守ってもらうよ? さあ、私は忙しい。用事は済んだんだから早く家に帰りなさい」

 この吹っかけられた課題の細部を訊く間もなく、俺らは三島邸を追い出されてしまった。


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