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八多 頼生

作者: 波止 晴信

「これはこれはご贔屓にどうも。 みなさんお暇で。 あいや、失礼。 こ~んな忙しい時に私のはなしに付き合ってくださる方たちですから、つい口が……。 それはそうと夜、店で酒を飲んでいた時に隣のおっちゃんが話してくれた話なんですがね————」


 お茶で口を湿らせて話し出す。 とある男の不思議な話を____




 男の名前は八多 頼生はたよりきという、まだ二十代の若い男でした。 以前までは工場で働いていたのですが、代わり映えのしない作業に嫌気がさしてやめたそうです。

 今は社会の疲れを取る、と言って一人旅をしているところです。

 八多が行ったところは岐阜県にあります飛騨。 岐阜県唯一と言っても過言ではない観光地であります。

 歴史であれば白川郷。 食べ物であれば飛騨牛。 日本三名泉で有名な下呂温泉にも近い。

 飛騨は時として氷点下になるほど寒いところでして、そんなところで入るあっつあつの温泉は身も心もほぐれ、格別であります。

 八多も温泉が目当ててここ、飛騨に来たのでした。

 八多はまず観光をすることにしました。

 高山駅から広小路通りを東へ進んでいき、宮川を超えたあたりから古い町並みがつらなるようになりました。 出格子のつらなる軒下には用水路が流れ、造り酒屋には杉の葉を玉にした『酒ばやし』が下がり、町家の大戸や、老舗の暖簾が軒をつらねています。

 散歩するにはもってこいの場所でありますが、なにせ人が多いこと多いこと。 なかなか前に進むことも出来なければ、人が邪魔でゆっくり街並みを見る暇もありません。

 八多は観光することを諦めて人の流れに沿って進んでいきました。 すると、横道に入る細い道を発見しました。

 これはしめた、と思った八多は人を合間を縫って横道に入りました。

 大人一人がやっとのことで入れるほどの狭さでした。 向かいから人が来ても、譲れるような幅はありません。 人が来ないことを願いながら前に進んでくと、たんだんと暗くなってくているような錯覚に陥りました。 狭いですので、当然歩いている道には影が差して暗くなるのですが、どうも色が濃いように思えてならないのです。

 ここだけ太陽に嫌われているようでした。

 八多の脚はたんだん速くなりました。 しきりに後ろを確認して、明るいところに出ようと足が動きます。

 タッ、タッ、タッ、タッ、タッ、————。

 息が切れだしたころ、前のほうにぼんやりと灯りが二つ見えました。 近づくにつれ、灯りは提灯に姿を変えて、提灯には『呉服店』と書いてありました。 そのとき、店に明かりはありませんでしたが、戸が開いたままでした。


「すみません、どなたかいらっしゃいませんか?」


 八多は恐るおそる声をかけました。

 しばらく待ってはみたのですが反応はなく、人のいる気配もしませんでした。 諦めて帰ろうと店を出たとき、「いらっしゃいませ」と淑やかな声が真後ろから聞こえてきました。

 パっと後ろを振り返ると、着物を着た女性が丁寧にお辞儀をして立っていました。


「いらしたんですか……」

「すみません、少々外せない用がありまして。 お待たせして申し訳ありません」


 女性は謝罪の言葉を述べて頭を上げた。 透き通るような白い肌とは対照的な影のように黒く(つや)やかな長い髪。 鼻は小さく、唇はほのかに赤みを帯びて、まるで一つ一つが選び抜かれた芸術品で集められたかのような女性でした。


「なにかお気に障ることがありましたか?」

「あ、いえ……、それじゃ、失礼します」


 口が達者ではない八多はうまい言葉を繋げることができず、その場を去ろうとしたとき「もしよろしければ、御覧なさいますか?」と声をかけられました。


「……明かりもないままじゃ、見ることもできませんので……」

「それもそうですね」


 女性は八多に背を向け、なにやらごそごそやり始めたと思ったそばから女性のあたりが明るくなりました。 女性が向き直ると手に蝋燭を持ってました。


「これで大丈夫ですか?」

「危なくはないですか? ただでさえ燃えやすいものが多いのに」

「ふふっ、ご安心を。 これでも火の扱いには慣れていますから。 それにこの方が雰囲気が良くありませんか?」


 子供っぽく笑った女性に、八多はドキリとしました。 男なら美女に笑いかけられて悪い気はしません。 八多もそうでした。

 帰るつもりだったのですが、あの笑顔を見て少しだけ店の中を見ることにしました。

 店の明かりは女性が持っている蝋燭だけで、女性は商品が見やすいように八多の後ろをついて来ました。 しかし店にあるのはどれも女性用の着物や髪飾りばかりで、男が買うには少しためらうものでした。


「いかかでしょうか?」

「女性ものが、多いですね」

「女性ものしか取り扱っていないもので」

「そうですか」

 

 さて、と八多は困りました。 どうしたら帰ることができるのだろうか、と。 八多には妻はおろか彼女もいない身。 それがどうして女性ものの着物や髪飾りを買う理由になるのでしょう。 そもそも着物を着る文化が日本から消えかかっている現在、買ってもそうそう身に着ける機会がありません。

 だからと言って、何も買わずに帰るもの気が引けました。

 八多は桜の花びらがあしらってある髪飾りを買うことにしました。


「あの……これいくらですか?」

「あぁ、どうぞ」

「……? いえ、いくらですか?」

「タダでどうぞ」

「いえ、払いますよ……」

「いいえ、どうぞ」


 女性は商品を八多に押しけ、引っ張って店先まで誘導しました。


「またいらしてください」


 八多は面を食らったように女性の顔を何度も見ましたが、小さく頭を下げて来た道を帰って行きました。 その最中、八多は店で手に取った髪飾りをずっと握りしめていました。

 夜にホテルに着いて、握っていた手を開くとあったのは桜の枝の造花でした。




「ですから、店主の女性もタダでいいと言ったのです。 私が何を言いたかったのかといいますと、綺麗な女性に見惚れていますとまわりが見えなくなってしまう、という事です。 頭の中がその人のことでいっっっっぱいになって、まわりなんてどうでも良くなってしまうものなのです。 ですから、旦那さんがヘマをするのは奥さんが美しいからです。 あのおっちゃんも、なにかしでかしたんでしょうな。 だから奥さんの機嫌を取れる話を話したんでしょう。 ……世の旦那さんを守る一つの噺でした」


 観客の拍手で幕は落ちます。

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