本日の装備は注射器
コンクリートの床の上を規則正しい靴音が移動する。
追従するのはゴム製の履帯が走る音。
軍靴を履いているのは白衣を羽織った女性の軍医だった。栗色の髪をきっちりとまとめて結いあげている。白衣の下には男性と同じ軍服を身に着けているのだが、胸元は大きく開けられており谷間が惜しげも無くさらされていた。
向かう先から微かに怒声が聞こえてくる。それは彼女が歩を進めるたびに徐々に大きくなっていった。
彼女は呆れた顔をしてついため息をこぼしてしまう。それはよくある現象だったからだ。
「まだやってるのね」
独り言ちて肩をすくめた。そのあいだも歩調はいっさい乱れず規則正しいリズムで靴音を刻む。
たどり着いた先は格納庫。
怒声を放つ主はそこにいた。
野太い声が格納庫中に響く。
「だから俺が行くって言ってるだろう! いいからさっさとハッチを開けろ! 俺のロボットはまだ動く。砲弾だけ補給してくれればいい。早くしろっ」
旧式の巨大人型ロボットの胸のあたり。操縦者が乗り込むためのハッチの手前。そこでガタイのいい中年男性が整備兵に向かって怒鳴りつけていたのだ。
「おい! なにやってるんだ。今そこで小僧っ子が戦ってるんだぞ。なんで子供に戦わせなきゃならん。戦う必要があるなら俺が代わりに戦ってやる! だから早く準備しろって言ってるだろうが」
「ですからこちらも何度も言っているでしょう。曹長に出撃許可は出ていません。整備の邪魔ですからおとなしく控え室で待機していてください」
「こんなときに悠長に待機なんぞしてられっかっ。誰がなんと言おうと俺は今すぐ出るぞ」
聞き分けの無い男――曹長のロボットの前に到着した彼女は、足を止めると腕を組んで顔を上げた。胸元がさらに強調されてその場にいる男たちの視線を引き寄せる。
「あらあら、堂々と軍規違反宣言かしら?」
彼女は、相変わらずの曹長に対してやや投げやり気味に声をかけた。この男が毎度毎度こうやって駄々をこねるせいで、いつも彼女が呼び出されるのだから態度が投げやりになってしまうのは当然のこと。このくらいは見逃してもらわないとストレスが溜まりすぎて肌荒れの原因になってしまう。
「ああーん?」
どこのならず者だと言いたくなるような口調で曹長が彼女の方へ顔を向けた。
「これはこれは軍医殿。このような場所へなにをしにこられましたかな?」
「もちろん血圧の上がった曹長に鎮静剤を投与しにですわ」
そう言いながら彼女は連れてきたカートロボットに合図を送る。
カートロボットは軽やかな声音で了解の旨を伝えると、指示された薬液の入ったカプセルと無針注射器を取り出して彼女に手渡した。
彼女は念のためカプセルの表面に記載されている薬品名をチェックしてから無針注射器にセットする。
「さて、コレを打ち込まれたい? それともおとなしく控え室に移動する? どちらがいいかしら」
言いながら彼女はタラップをのぼって男のもとへと向かっていく。
「どっちもお断り」
「そういうわけにはいかないってわかっているでしょう。いい歳してみっともないことはしないでちょうだい。って、何度も言わせないで」
「はん、ガキに戦わせるような腑抜けになるくらいなら、みっともなかろうがなんだろうがかまわないさ。ってーこっちこそ言い飽きてるんだが?」
ニヤリと挑発的な笑みを浮かべる曹長だが、軍医に――と言っても彼女限定だが――全敗していることは頭に残っていないらしい。
曹長の目の前までたどり着いた彼女が再び腕を組んで見上げた。
彼女は女性としては平均的な身長だが、曹長がなまじガタイがいいだけに小さく見えるほどだ。もっともそれは体の見た目だけでしかなかったが。
「くだらない」
一言で切り捨てて、彼女は盛大にため息をこぼした。
「軍医殿こそその挑発的な格好はなんとかしたほうがいいぞ。襲われても知らねえからな」
「コレは私のせいじゃないわ。ちゃんとサイズのあったものを申請してるのに配給してくれないんだから、あるものを着るしかないじゃない? そうするとボタンがとまらない。その結果がコレなだけ」
そう言って自身の胸元をちらりと見下ろす。
一応黒のタンクトップは着ているので胸をそのままさらしているわけではないが、軍服の上着はボタンをとめるどころか胸の半ばほどしか届いていない状態だ。彼女より背の高い男性たちからすれば必然的に上から覗きこむような形になるので谷間が強調されてさらに刺激が増すようだ。
目の前の曹長も彼女の視線に釣られたように下がって胸元へと移る。同時にやや前かがみになったところで彼女が動いた。
素早く腕を伸ばしてあっというまに無針注射器を曹長の首にあてると、すかさず鎮静剤を投与する。
「あっ、汚ねぇぞ」
「失礼ね。毎回似たような手に引っかかる曹長の助平根性が汚いだけでしょう」
「男なんだからあたりまえだろう」
彼女はふっと鼻で笑った。
「おとなしくなさいな。それともあなたの嫌いな『上官命令』を出してあげましょうか?」
彼女はただの軍医ではなかった。その地位は医務局長とも軍医総監とも呼ばれる立場にある。それは軍医の最高位を意味し、かつ少将ときに中将相当に扱われるほどの階級であった。
まだ三十代半ばの彼女には本来であれば到底ありえない地位だ。
だが長引く戦争によって上が消えていき、さらにはこの目の前の曹長の暴走をおさえこむための切り札的に与えられたものだ。しょせん軍医。そういう侮りが背後にあるからこその特例でもあったが、彼女にしてみれば、どうせ同じ扱いを受けるならもらえるものはもらっておこうというだけの話で、めったにその地位を利用することはなかった。その地位をここであえてかざしてあげましょうかと言っているのだ。
口ごもる曹長に見せびらかすように、空になった無針注射器をひらひらと顔の横で振る。
「それとももっと強烈なものを打ってあげましょうか? そうするとあなたの大好きな時間に起きれなくなるわよ」
大好きな時間。その一言に曹長は反応した。
「いつだ?」
「そうねぇ、今打った鎮静剤が切れるころかしら」
してやったりと言った感じで彼女が片頬笑む。
ようやく反抗的な態度をおさめた曹長に、彼女はひとつうなずいた。
「あなたが手間をかけさせたりしなければ、それに間に合うように整備兵も動けるの。肝心なときに役立たずと呼ばれないように、少しは頭を冷やしてまわりも見れるようになることね」
曹長の言っていることがすべて間違っているとは思わない。
けれど理想だけでは今この時を生き抜くことすらできないのだ。
だからこそ彼女自身もこうやって偉そうにいえるだけのなにがあるわけではないが、あえて自分より年上の曹長にも必要があれば命じる。そうしなければならない地位に祭りあげられているのだと自覚したうえで、自らそれを受け入れているからこそ、影でなにを言われようとも胸を張って顔を上げてココに立ち続けているのだ。
「さあ、邪魔者は退場してもらいましょうか」
彼女がタラップをおりるのと入れ替わって、一体の人型ロボットが曹長のところへ行く。曹長が乗り込もうとしていたロボットと同じ型の旧式だ。この格納庫は旧式ロボット専用だった。
ロボットを操縦している軍曹は、両の手のひらを上に向けて横に重ねると、そっと曹長の前に差し出した。
「曹長、体が動くうちにここに乗ってください」
曹長専用の鎮静剤には、時間差で効いてくる睡眠薬もはいっていることはすでに周知の事実だ。そろそろその睡眠効果があらわれてくる頃合いだということは曹長本人も自覚しているはず。
それでも素直になりきれない困った大人である曹長は、すぐには動かなかった。
トドメとばかりに彼女が横から口を挟む。
「十数えるうちに移動しなかったら、かまわないからつまんで持っていっちゃいなさい」
それはいつ力加減を間違って握りつぶしてしまうかわからない方法で人間を運べということ。
さすがにぎょっとした顔をして、曹長はようやく重い腰を上げた。
「怖ぇ女」
ぼそっとつぶやいたその一言はしっかりと彼女の耳に届いた。
いっきに周囲の温度が下がった気がする。
「お望みなら、ついでにそのタマ踏みつぶしてあげてもいいのよ?」
突き刺さる視線に震え上がったのは曹長だけではなかった。その場にいた男たちが震えながらいっせいに手で股間を防御する。
その凛とした立ち姿と、冷ややかな視線。
一部の者から影で「女王様」と呼ばれているのはこうした姿故だ。
ただのお飾りではなく、事実軍医のトップにいるのだと思わせるその覇気が彼女自身を守っている。
彼女は今日もカートロボットを従えて、胸を張ってまっすぐに前を向く。
「くだらない事を言ってるとタマ踏み潰すわよ」
彼女の本当の装備品は、その精神。
軍医総監である彼女の装備は覇気、時々注射器。