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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

瓦礫の彼女 My dear in the ruin

作者: 駒田 窮

作品内の設定ですが、何かが起こったあとの世界です。宇宙人の侵略か核戦争か自然災害か、そのどれでもないのか…

正直そこんとこは考えてないので『脳内補完』で…

屹立したビル群はその全てが傾き、ガラスは破砕されている。

かつて大都市だったらしいこの街も、その栄華の見る影もない。

すでに倒壊している高層ビルは他の背の低い建物をおしつぶしてしまっていたし、街のあちこちで炭化した生物の死骸や腐った肉の臭いが立ちこめていた。

蠅がわんさか湧いて狂ったようにおぞましい楽曲を奏でている。腐った肉は彼らの大好物だし、きっとみんなで宴会でも開いているつもりなのだろう。彼らからすれば街中でバーベキューパーティだ。

もう慣れたのは慣れたのだけれど、正直こんな光景ばかりでは食欲も湧かないというのが本音だ。ここで何かが湧くとしたら、それは蛆だけだ。

僕たちはは吹き出る汗を拭きながら、ぼろぼろの靴をすり減らしてずっと歩き続けている。僕の後ろから付いてくる彼女も、もう歩き疲れたようでさきほどからほとんど何も喋っていない。おしゃべり好きの彼女も結構堪えているらしかった。

もうすぐだから、というその空虚な台詞を何回口にしただろうか。もう口は渇ききって声を出す気にはなれない。犬のようにはぁはぁとだらしなく息切れしているのは体力がなくなってきただけじゃなくて、きっと熱中症も入ってる。

仕方ないよな、こんな日照りじゃ。砂漠がこんなにキツいなんて知らなかった。もっと前の避難所でレクチャーを受けておけばよかった。彼女が倒れたら担ごうとさえ考えていた自分が愚かしい。

ああ、でもほら。あそこだ。よかった。やっと見えてきた。ほら、あの煙を立てている自動車のすぐ向こうだ。白いテントが神様がくれた贈り物みたいに光り輝いて見える。

比喩じゃなく、照りつける日光のせいで本当にそう見える。目を少しやられたのかもしれない。とっさにそう思って目を閉じると、ぼんやりと緑色の光の残像が明滅して見えた。次に砂漠に出るときにはサングラスが必要だ。

 でも何時間も歩いたおかげで、こうしてちゃんと物資が豊富な避難所にたどり着けたんだ。無駄じゃなかった。

 ちょっと僕も気持ちが軽くなって、彼女の少し潤いに欠けた手のひらを引っ張った。

 ぐん。

 ただでさえ軽い彼女の体が、一気に引き寄せられた。被っている男物の野球帽ーー僕があげたものーーが風に煽られて、ちょっとあわてた様子で彼女は空いているほうの手で押さえつけた。

「何、いきなり」

「ほら、あそこだよ。見てごらん。やっとついた」

 僕が指を指して示すと、少し不機嫌だった彼女の顔に花が咲いた。

「よかったぁ、もうのどカラカラだよお兄ちゃん」

「きっと水も飲めるよ」

「お母さんも喜ぶね」

 彼女は胸にかけた小さな巾着を手にとってそういった。

 そこには僕たちの大切な家族の遺灰が入っていた。

「ああ。きっと喜ぶよ」

 微笑みかけてそう言ってやった。全部うまくいくさ。全部。自分にそう言い聞かせる。

 希望と一抹の不安を携えて僕たち二人がテントにつくと、そこには門番を勤めているらしい若い男と、もう一人は自衛隊の迷彩服を着ている中年の男が呼び止めた。

「君たち避難者かい?」

 自衛隊の方が僕に話しかけてきた。いかにも柔和そうな人だったけれど、目は笑っていなかった。じっと僕を品定めしている。

「はい。第二地区のシェルターから逃げてきました」

 彼女の手をぎゅう、と握りしめる。痛いよ、と彼女は小さく呟いたけど僕はやめなかった。

 お互いの汗が手の中で混ざり合って気持ちが悪い。

「ああ、あそこは大変だったそうだね。一度ならず者に占領されたって聞いたよ」

「はい。それでここに」

 僕も笑みを返す。

 人の警戒心を解くのに最も有効な手段は笑いかけることだ。

「そうかい。まだ君、高校生くらいだろう? よくここまで来れたね」

 自衛隊の男はまだ世間話を続けるつもりらしい。どうやら本当に僕があの地獄と化した避難所から生きてきたことを信じきれていないようだ。

 職務質問じみた会話の内容に苛立ちを覚えたが、顔には出さない。

 感情を出せば負ける。

 今はどこの避難所も定員をはるかに越えた人数を収容している。余裕などはない。だから、何か瑕疵があれば追い返そうとする。協調性がないと思われれば致命的なのだ。

「家族がいますから簡単には諦められないですよ」

 僕のその言葉を聞くと、自衛隊の男は視線を僕から彼女の方に移した。

 何かを口にしようとした彼に先じて、とっさに言う。

背中に彼女を隠して、男たちの視線から彼女を守った。

「妹なんです」

「妹さん?」

 彼女の帽子を気持ち目深に被らせて、僕は答えた。

「ええ。前の避難所で嫌な目にあったもので、男性が怖いみたいなんで・・・・・・無愛想ですみません」

 そこまで付け足すと、男は察したようにああ、と呟き明らかな同情のまなざしを彼女に向けた。

「わかった。すぐに入所手続きをしたいんだが、身元のわからない人間をそう簡単に中に入れるわけにはいかないんだ。ほら第二地区も同じ手段で占領されたっていうし。君たちを疑っているようで悪いんだけど、身分証明証を預からせてくれるかな?」

 僕はポケットから自分の健康保険証を取り出すと、本当に申し訳ない、といった風な声音を作った。これも慣れたものだ。

「すみません、妹なんですが。実は避難するときの混乱でなくしてしまったんです。もう再発行してくれるところもないですし・・・・・・なんとかならないでしょうか。姓は僕と同じで、下の名前は”みゆき”です。調べてもらえればわかると思うんですが」

 頭を下げた。ついでに彼女の頭を軽く押さえて一緒に下げさせた。

 自衛隊の男はどうするか判断しかねているようで、若い男の方に視線を送った。

 

 ーーどうする?

 ーーまぁ、女の子ですし。大丈夫だと思いますが。

 ーーそうだな・・・・・・。


 そんな意志疎通が一瞬で行われたようで、自衛隊の男の方は渋い顔をしながらも許可してくれた。

「わかったよ。君たちを信じよう。入りなさい」

 

※※※

 

 無数に設営されていたテントの横には高速道路の残骸が無惨に崩れ落ちて晒されていた。巨大なコンクリートの毒蛇が死んでいるように見えた。何百という自動車が飲み込まれてスクラップになっている。

 おそらくあの下敷きになったまま朽ち果てた命がいくつもあるのだろうなと考えると、今こうして生きていることが本当に奇跡みたいだって思う。

 よく見れば周囲の建物の支柱には細やかなクレーター状の穴がいくつもついていて、思わず自分の顔に触れてしまう。最近ニキビ痕が消えないんだ。ここ一週間はまともな風呂にも入っていないし。さすがに建物が風化するみたいに、顔が崩れていくようなことはないだろうけれど。

「お兄ちゃん、お腹すいたぁ」

 彼女が自分の腹を撫でる。

 ぎゅるるるるるる・・・・・・

 見事なほどにその腹が鳴った。僕は頭を撫でてやって、立ち上がった。もうすぐ夜がやってくる。炊き出しか配給があるはずだ。心なしか他の避難者たちもテントから出てきて少し活気づいてるようにみえる。こんな状況でも飯にありつけるというのはそれだけで自然と笑みを運んできてくれるのだ。

「×××じゃないか? ×××だよな? おい!」

 そうやってちょっと周りを見渡していると、僕たちにそんな声がかけられた。少年の少し高めで張りのある声だった。

 振り返ってみると、見覚えのある少年が満面の笑みで駆け寄ってくるのが見えた。

 中学のときによく遊んだやつだった。つるんでた、といったほうが正しいかもしれない。とにかく頭が悪くて、まあそれは僕も人のことを言えないのだけれど、空気の読まない愛すべきバカ野郎だった。別々の高校に入ってからはめっきり会わなくなっていたが、無事だったらしい。僕の方も俄にうれしくなってしまう。

「よく生きてたな、心配してたんだ。あんなことがあって、よくもまあ!」

 少年は思いっきり僕を抱きしめてきてそう叫んだ。男に抱擁される機会なんてそうはないから動揺したが、僕も笑みで答えた。抱擁を解いてもやつは握手をやめなかった。

「お前もよく。他のやつらは?」

 その言葉を聞いて、やつの顔から笑みが消えていくのがわかった。

「いや、いい。言わなくていいよ。よかったなお互い生き残れて」

「ああ。うちは幸い家族もみんな無事だったんだ」

 無理矢理頬をつり上げて、やつは笑いを保つ。

 家族が無事だったとしても、きっとたくさんの辛い経験をしてきたのだろう、ということがよくわかった。

「お前の方はーーああ! 妹ちゃんじゃないか。みゆきちゃん、だよな。その帽子、覚えてるぜ。よく昔みんなで遊んだもんな。お前があげた帽子だろ、それ。よかった、無事だったんだな」

 やつは彼女に気づいたようで、手を振ってみせる。

 

 いやな冷や汗が、じんわりと僕のシャツを濡らす。


「だぁれ?」

 彼女は、本当に誰だかわからない、といった風にそう口にした。

「俺だよ、ほら。昔一緒にお兄ちゃんと遊んだだろ。暗くなってきたからわかんないかな。今そっちに行くよ」

「いいから!」

 僕は彼女のほうに駆け寄ろうとしたやつを引き留めて、語気を荒げた。

「歩き通しで疲れているんだ。それにーーうちはお前んとこみたいにみんな無事だったわけじゃない。な? わかるだろ」

 僕の調子に押されたか、やつは眉をひそめて悪い、と謝罪した。

「空気読めてなかったな。悪い」

「いやいいんだ」

「みんな無事だったわけじゃないって言ったよな。なあ、空気読めてないついでに一つ教えてほしいんだ。これで最後にするから。お前んとこのおばさんにはすげーよくしてもらったからさ、その・・・・・・無事なのか?」

 

 僕は笑った。

 何も言わず、笑った。

 自分でもひきつってるのがわかったけど、そうするしかないだろう?


「ーーそっか。そっか」

 やつは肩を落として僕の顔を見つめている。

 何だよ、そんな顔しやがって。似合わねぇぞ。アホ面に磨きがかかるだけだ。

 そんな気持ちをこめて、肩を拳で叩いてやる。結構強めに。

「痛ぇよ!」

「わはは。もうすぐ飯だろ。家族の分、とってきてやれよ。列形成始まるぞ」

「あ、ああ。じゃあな。なんか困ったときは言えよな。手伝えることなら手伝うからさ」

 そうして少年はたった、とまだそう傷のないスニーカーを滑らせて消えていく。人々はいくつかのテントに群がりはじめ、静かに食事を取り始めている。

 僕も行かなければ。

 その前に、心配をかけないように彼女にそのことを伝えよう。

「僕、食事とってくるから。ここで動かずに待ってろよ」

「うん。ねぇお兄ちゃんさっきの人、だぁれ?」

「いや、気にするほどのことはないよ」

「そうなの?」

「ああ。何も心配はいらないよ。ここで待ってな」 

「わかった。お母さんと待ってるね」

 彼女は、胸の巾着を大事そうに乾いた両手で包み込んで、そう呟いた。


※※※


 わーん、わーん。

 遠くで女の子が泣いている。僕の大切な妹の声だ。

 ああ、あいつはいつも虐められてるからな。たまにはこう、がつんと言えばいいのに、あんな性格だからなめられるんだ。

 だめだ。全く持ってだめ。

 喧嘩の仕方さえ知らないんだぜ? 人を傷つけるっていう概念がないんだ。

 優しい子なんだ。みゆきは。

 だから僕が助けてあげないといけないんだ。昔約束した。困ってるときは絶対助けてやるって。だから行かなきゃ。

 わーん。わーん。

 ほら、今行くからさ。そろそろ泣き止めよ。

 いいよ母さん、心配しないで。僕が行くから、ちゃんと待っていてあげて。

 二人で戻ってくるから。絶対二人で戻ってくるからーー


 ひんやりとした冷気が、肌を撫でるーー。

「みゆき!」

 配給された毛布をはねのけて、僕は起きあがった。まぶたが重くて目がしょぼつく。寝てしまったらしい。傍らにあるはずの温もりがどこにもない。くしゃくしゃになった毛布がもう一枚あるだけで、テントの中に彼女の姿はない。雑魚寝している他の避難者たちの中を探しても、どこにもいない。

「みゆき!」

 目一杯叫んで、僕はテントからテントへ彼女を探す。

「何だい、一体どうしたんってんだい」

 半狂乱で叫ぶ僕の姿を訝しげに他の避難者たちが見つめる。構うもんか。

 

 彼女は僕がいないとだめなんだ。

 ひとりぼっちにしちゃいけないんだ。


「ねえ、君教えてごらん。そう叫んでいるだけでは何も解決しないよ」

 その言葉とともに肩を叩かれて、僕は振り返った。

 そこには装いこそ私服なものの、あの自衛隊の男性がいた。

「僕の大切な家族がーーどこにもいないんです」

 しゃくりあげながら、僕はそう言った。自分でも知らないうちに泣いていた。

「ああ、覚えているよ。私が手続きした子だろう。特徴を教えてくれればすぐに探すよ。大丈夫、簡単には入れないけど、簡単には出ていけないんだここは。まだきっと避難所の中にいるさ」 

 大丈夫大丈夫、と彼は優しくなだめてくれる。

 熱くなった頭がだんだんと冷えていくのがわかった。

「ほら、教えてごらん。手の空いている隊員で探すから」

「いえ、でもーー」

 だめだ。それはできない。彼女を他人に見つけさせるわけにはいけない。

 そう、警鐘が鳴った。

「砂漠の夜は冷えるんだ。なるべく早く見つけたほうがいい。大切な家族なんだろう?」

 どうする?

 いいのか、本当に。

 彼女が寒さに震えている姿が、脳裏に浮かぶ。

「性別、年齢、服装。あと他の特徴を」

 自衛隊の男性は今度は少しせかすように早口で言う。

 お兄ちゃん、と彼女が呟いている声が聞こえる。

 それはきっと幻聴だけど、どこかで本当にそう呟いているのかもしれなかった。

 そして僕は言う。


「年齢は39歳、性別は女です。紺色の野球帽をつけて、胸に小さい巾着をつけてます」


※※※


 絶対に二人で戻ってくるから。

 

 その約束を僕は破った。

 母さんとみゆきの二人分の約束を、僕は破った。

 僕が駆けつけたとき、みゆきはその病的なくらい真っ白いふくらはぎを、コンクリートに挟まれていた。タイル状になっている床にみゆきの血が染み込んでいって、その隙間に流れていった。

 建物は今にも崩れそうなくらいに揺れていて、天井からぱらぱらと破片が落ちていた。壁に走った亀裂は、生き物の舌のようにちろちろと曲がりくねった。

 母さんはそのとき建物の外にいて、泣きわめきながら僕とみゆきの両方の名前を呼んでいた。そこさえももはや安全とは呼べず、周囲でもいくつも爆発が瞬いた。そのたびに母さんの体が煽られる。

 急がなければ。そう思った。

「お兄ちゃん、助けて」

 みゆきが力なく言った。

 涙と冷や汗でぐちゃぐちゃになったその顔を今でも覚えてる。

 年の割に背伸びして覚えた化粧は、そのせいで溶けてしまっていた。いつもなら馬鹿にする姿だ。ピエロみてぇ、アホみたい。そう思い切り馬鹿にしてやるところだ。実際そうしたかったさ。でもできなかった。僕も泣いていたからだ。

 僕はみゆきの足下にかじりついているコンクリートの化け物をなんとかどかそうと手を尽くした。落ちていた箒で梃子の原理を試したが、折れた。手ではとうてい無理だった。

 足を切るしかない。

 最終的にたどり着いた結論はそれだった。

 でもそんな技術を持った人間も道具も、そこにはなかった。

 建物はもう限界だった。

 崩れた。変な音がして、さっきまでみゆきがいた空間が巨大な質量に飲み込まれた。

 母さんが叫んだ。

 僕も叫んだ。


 それで、終わり。

 遺体は回収できなかった。だから僕はその建物の残骸から灰を一握り巾着に入れてやった。それを母さんに渡すと、母さんはそれを”みゆき”と呼ぶようになった。僕らにとってそれはみゆきの遺灰だった。

 誰かがそれは削れたコンクリートの屑だよ、と言っても、それは紛れもなくみゆきの遺灰だった。

 何ヶ月かたつと、母さんはみゆきがしていた行動を模倣するようになった。

 ちょっとした癖だ。

 たとえば、箸をクロスさせて持つ癖。みゆきは箸を正しくもてなかった。

 たとえば、お腹を撫でる癖。別に痛いわけでもないのに、みゆきはすぐお腹を撫でる。お腹が空いたとき。太ったかな、と聞いてくるとき。

たとえば、僕のものを勝手に使う癖。みゆきの形見となった紺色の帽子を自分で使うようになった。あれはもともとみゆきにせがまれてあげた品だった。

 もう何ヶ月か経つと、母さんはみゆきは死んでない、生きている、と言い始めた。お兄ちゃんが助けてくれたから今は病院にいるのだ、と。何度否定しても母さんは譲らなかった。終いには僕をうそつき、と呼び始めた。

 

 そして最後、母さんは自分を殺してみゆきを蘇らせた。39歳の体に入っていた39歳の魂はどこかに消えた。母さんは代わりにみゆきを呼び戻した。彼女の中の全ての経験と思い出と思い入れを総動員して、みゆきを再現したのだ。

"蘇った"みゆきの中では、あの時死んだのは母さんになっていた。彼女にとっては巾着の中身も母さんの遺灰だ。みゆきである自分が生きているんだから当然そうだ、と彼女は思っている。

 実際、母さんの体をした彼女はみゆきそのものだった。言動も仕草も。全部が全部、本当にみゆきが蘇ったようだった。

 今度は、僕は否定しなかった。

 だってそれはみゆきそのものだったんだから。

誰にも否定なんかさせないさ。

だって母さんは自分を殺してまで娘を蘇らせたんだぜ。

 

 絶対、誰にも、僕自身にさえ、否定はさせない。

 

 そう誓って今まで生きてきた。彼女を連れて。


※※※

 

 語り終わると、自衛隊の男性はしばらく黙ったままだった。

 結構ちゃんとしたプレハブ小屋の中には自衛隊の備品と思われるキットがきれいに収納されていて、どうやら正式な控え室ないしは司令部のような機能を果たしている場所のようだった。

 そこに僕と、彼女と、男性が黙って座っている。彼女は僕の肩によりかかって静かに寝息をたてている。その向かいには男性が。

 結局トイレに立ったところを迷子になって、そのまま避難所の中の別の区画で発見されたと聞いたとき、僕は思わず彼に抱きついてしまった。自分にされたら動揺するのに、さっそく他人にやってしまった。僕の涙のあとは、彼の私服にくっきりと残ってしまっている。

 ああところでーー見つかったとき、彼女はお兄ちゃん、と言って泣いていたそうだ。

 僕はまた、約束を破ってしまったわけだ。また泣いているだけしかできなかった。

「君はそれでいいのかい?」

 彼は湯気を立てているマグカップをすすると、僕にそう告げた。

 男性が用意してくれた三人分のマグカップ。一つは彼の分で中身はコーヒー。僕のぶんも同じくコーヒー。彼女の分は、ちょっと迷ったあと、ホットココアを用意してくれた。

「私は君たちの家族でも何でもないから、偉そうなことはいえない。でも今の状態が正しいとは思えないんだ。お母さーーいや、みゆきさんを医者にみせるべきだと思う」

「無理ですよ」

 僕もマグカップを持ち上げる。

 のぞき込むと泥みたいな液体が僕の顔を映しだしていた。ニキビ面。またひどくなっている。

「医者にだって、死んだ人間は治せないでしょ?」

 結局それがすべての答えだった。

 男性は僕の言葉をかみしめたように瞳を閉じた後、立ち上がった。

「じゃあ、ずっと側にいてあげるんだね君は。彼女の側に」

「はい」

 即答した。他に答えようがなかった。彼はしばらく僕と彼女を見比べた後、気の済むまでここにいていい、と言って去っていった。

 僕と彼女だけが残された。彼女が起きるまでここにいようと決めていたので、僕は座ったまま熱いコーヒーをすする。

 相変わらず苦い。しかも熱いし、少し火傷してしまったかもしれない。

 

 昔僕ら三人で喫茶店に入ったことを思い出す。夏だった。母さんはアイスコーヒーを頼んで、僕とみゆきも同じのを頼んだ。まだ二人とも小学生だった。張り合っていたのだ。どちらがオトナか、なんて競争だ。結局二人ともまともに口にできなかった。母さんだけが涼しい顔をしておいしそうに飲み干していた。

 ああこれが大人なんだな、って母さんを見て思ったのを覚えている。みゆきも尊敬のまなざしで母さんを見つめていたっけ。

 

 そんなことを思い出しながら、一人でコーヒーをすする。

 今となっては、僕だけしか飲むことのできないそれを、しっかりと味わって。


(了)


自分で読み直すと橋本紡の文体に似ているのが気になりました。昔読んだ本の語り口に似るのは仕方ないのかもしれませんが。

次は気をつけて書こうと思います。よろしければご感想お願いします。

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