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Op.2
それはいつでも、穏やかな夕暮れの光景だ。
私は見覚えのあるアップライトピアノに向かって、ヤナーチェクのピアノ独奏曲『追憶に』を弾いている。両手の指に夕日が染みていくのを感じながら、ゆったりと指を走らせて。刺すように冷たい都会の夕日とは違って、雨泉の日差しはやさしくて温かい。
『追憶に』の楽譜はたったの一ページ。テンポの速い曲ではないけれど、それでもすぐに弾き終わってしまう。私はこの曲が好きで、最近もよくひとりで弾いていたが、人前ではあまり弾かなかった。私が弾くのは誰かのための追憶ではなく、自分自身のための追憶だから。
曲の中盤、二度目のリタルダンドまで弾いたところで、私の心にぽつぽつと違和感が現れ始める。ここは故郷の雨泉で、目の前にあるのは私の家にあったアップライトピアノ。家はおそらく十年前のままだ。けれど、この頃には『追憶に』を弾くことなどなかった。小学生の私にはどうしても、あの叙情的な音楽を弾きこなせなかったのだ。ヤナーチェクの描く追憶を自分のものとして知ることができたのは、故郷を離れた後だった――だから、生身の両手でこの曲を弾いたことはなかったはずだ。
そう気づいた途端に、右手の動きがぎこちなくなる。普段は聞こえない筋電義手のモーター音が耳障りにがなりたてて、部屋に満ちていた音楽を追い出してしまう。もはや生身の右手は失われて、自在に動くはずの義手までもが壊れてしまっていた。やがて義手の表面を覆っていたシリコンも消え、私の右手には不恰好な金属フレームだけが残る。
なんとか動かそうとする私の努力も空しく、義手は根元から外れ、鍵盤の上に落ちて不協和音をかき鳴らした。
そして、金属の骸骨と化した義手がむくりと起き上がる。
義手は私をあざ笑うようにおどけた様子で一礼してから、鍵盤の上で踊り始めた。奏でられているのはラヴィニャックの『ギャロップ行進曲』。一台八手の連弾ピアノために書かれたこの曲の演奏は、四人のピアニストが一台のピアノの前に肩を寄せ合うおかしな光景になる。行進曲には定番の四分の二拍子で、思わず足が動きそうになる軽快さ。冒頭にある標語は、アレグロ・コン・スピリート。快活に速くという意味だ。演奏の様子や曲調から、聴衆を盛り上げるにはうってつけで、凝ったパフォーマンスでよく上演されている。
もちろん、物理的に片手で弾けるような代物ではない。
この時にはもう、これがいつもの夢だと気づいていた。筋書きはほとんど同じで、義手が弾く曲だけが変わるのだ。シューマンのピアノ連弾曲だった時もあるし、リストの超絶技巧練習曲の第二版を十二曲まるごと聞かされたこともある。ともかく共通して言えることは、片手だけでは弾きようもない曲ばかりだということ。ひとりで弾きにくい程度の曲ならまだしも、八手まで来てしまうともう笑うしかない。
おまえとは縁のない曲だ、と義手が無言でせせら笑う。おまえの世界はこんなにも狭い、と義手が私の左手の音域を駆け抜ける。
そんなこと、言われなくても知っている。私は義手の演奏を聴くまいと耳を手で押さえるけれど、ひとつの手では片側しか塞げない。魂の希薄な右側からは、音が遅効性の毒のようにじわじわ入り込んでくる。そこから少しずつ心が崩され、身体感覚が奪われて。
――自分が消えてしまう直前、私は左手の温かさに気づいて目を覚ました。
寝ぼけた目で左手を見てみると、彼谷穂がしっかりと私の手を握っていた。触れているだけで、自分の身体がここにあることを確かめられる。
大丈夫、大丈夫だ。夢が私からなにかを奪うことなんて、あるわけもない。そうやって自分に言い聞かせながら、私は再び電車の揺れに意識を任せた。
電車を私鉄に乗り換えて、終点からバスを乗り継いでさらに三時間。それだけ書くとなんの困難もなく辿りついたようだけれど、人の少ない場所へ近づくほど交通の便は悪くなる。つまり乗り換えの待ち時間も延びるわけで、目的地についたのは太陽が燦々と輝く昼下がり。ぐらぐら揺れる乗り物から解放された私たちは、十年ぶりの雨泉の町をじっくりと味わうように歩いた。
雨泉中央、と印されたバス停の薄い鉄板は、そこら中が錆びてしまっていまにも折れそうだ。バスの数は日に二本、停留所にはプレハブ小屋が併設されていて、ポットとお茶、お菓子まで揃っている。さらには棚に野菜が並べられて、『無人販売所』なんて手書きの文字が踊っていた。
十年前からなにも変わらない、時計の針が進まない町。昨日まではろくに風景も覚えていなかったのに、もう帰ってきた実感が沸いてしまう。
バス停の周りは雨泉町の中心市街地で、江戸時代から建て替え忘れたような建物、屋敷が点在している。昔は峠越えを控えた宿場町で、このあたりに本陣があったのだと聞いたことがある。今見ると申し訳程度の片側一車線だけれど、過去には大きな街道筋だったのだろう。
しかし、街道の道筋をなぞった国道はとうに山を貫くバイパスに取って代わられ、そもそも交通機能自体が南を走る高速道路や鉄道に奪われてしまった。過去には数十軒を数えたという旅籠も、今では私たちが向かう旅館の一軒のみ。
雨泉町は、あらゆる流れから取り残されつつある町なのだ。
「なんか、田舎ってやけに広いよね」
「なにそれ、こんなに道が狭いのに?」
今だって向かいから軽トラックが来て、私たちはせせこましく道路の脇に寄っていたのだ。道路だけでなく人が住む場所だって、山や田畑に比べればとても少ない。
「いやさ、例えば首都高あるよね。あの道のまんなかは歩けないじゃん?」
「歩けないじゃん、じゃなくて違法だよ、それ」
「うー、そういう問題じゃなくてさあ。首都高のまんなかは無理だけど、この道のまんなかは歩けるでしょ」
どちらにしろ法には触れるけれど、言いたいことはわからなくもなかった。首都高はなにがあっても歩ける場所ではないけれど、この道はいくらでも歩ける。車よりも人間のために、移動よりも生活のためにある道なのだ。
「都会の暮らしって、押さえつけられてる気がするんだよ。できることとか、行ける場所が狭められてる感じ。でも田舎だとそんな面倒がなくていいなー、って」
「……彼谷穂はこっちの方が暮らしやすそうだね」
「ちーさんは都会の方が好き?」
「そういうわけじゃないけど、私は彼谷穂ほど自由人じゃないし、田舎でも暮らしは変わらないよ、きっと」
私たちは同じ場所にいても、違う世界を生きているのだ。目も耳も、そして手も、誰ひとりとして同じ感覚は持ち合わせていない。感じる器官が違えば、世界の形も変わる。たったの八十八鍵しかないピアノから限りない音楽が生まれるのは、それを弾く人間が無数にいるからで。
彼谷穂の世界は私より、少なくとも右手ひとつ分くらいは広いのだろう。右手ひとつ分の自由、右手ひとつ分の力。それがどれだけ大きなものか、私はよく知っているつもりだ。
そんなこと、わざわざ言葉にはしないけれど。
「なにさー、自由人って。なんか雑に生きてる人みたい」
「実際、ちょっと雑でしょ」
――そんな他愛もない話をしているうちに、目的の旅館が見えてきた。
古色蒼然たる木造二階建てのその建物は、うらぶれた様子など微塵も見せず、堂々と私たちを迎えた。玄関ホールは吹き抜けになっていて、天井からは灯篭の形をした照明が吊られている。雨泉荘、という名前は時代錯誤の感が否めないけれど、内装に古めかしさはない。
カウンターで名前を告げると、私たちはすぐに二階の角部屋へ案内された。部屋に入ってすぐ見えるリビングの窓には、遠く赤石山脈が悠々と横たわっている。隣は寝室になっていて、和室にセミダブルベッドがふたつ。ばかにしたような組み合わせだけれど、布団よりはベッド、フローリングよりは畳が好きな私には文句が言えなかった。
嬉しそうにリビングのソファで跳ねている彼谷穂を横目に見ながら、ひとつ深呼吸をした。目的地には着いたが、私の旅はきっとここから始まる。
こことは違う、けれど同じ町。記憶の中に残った十年前の雨泉へ、私は帰るのだ。