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3-2

 ひとりでホールの真ん中に立っている時、私は世界からも切り離されたような錯覚を覚える。

 客席の照明が落ちると、目の前にはなにか生き物の気配が感じられるだけ。その気配に漠然とした不安を感じつつ、真上から降り注ぐ光に惑わされる。まるで夢見るようなあの瞬間を、私は昔からよく知っていた。思えば、あの感覚を初めて知ったのはこのステージの上だったのかもしれない。

 体育館は閉校後も利用されているようで、床がつやつやにワックスがけされていた。とはいえ、『体育』に使われているわけではないらしく、ステージには見覚えのない反響板が新たに備え付けられ、隅っこに置いてあったピアノはステージ中央に移動していた。控えめな音楽堂といったところだ。

 私がピアニストとして活動する以前から、この街は音楽が盛んなのだ。もっともそれは産業としての音楽ではなく、生活の中で楽しむ音楽。

 ワルシャワの公園にあるショパン像の前では、春から秋にかけてショパンのピアノ曲が演奏されるのだという。日曜日の昼と夕方、買い物帰りの主婦や散歩中の老人がふと足を止めて、街中に流れるピアノの音に聴き入るのだ。人工の静けさを作るホールとは違って、街の雑音が遮られることはない。暮らしの中に、自然と音楽が溶け込んでいる。

 雨泉の町をワルシャワと比べるのはさすがにおこがましいけれど、根元にあるものは同じだろうな、と思う。

――そんなことを考えていたら、急にショパンが弾きたくなってきてしまう。

 竹とんぼを飛ばして駆け回っていた彼谷穂も、私がステージに登ろうとしているのを見るや、壁に立てかけてあったパイプ椅子をステージの目の前に置いて腰掛けた。私がステージ脇の階段を登りはじめると、ぱちぱち大きな拍手をくれる。

 私の方もちょっと興が乗って、ひとりきりの観客席に向かってわざとらしく一礼した。

 「本日は私のプライベートコンサートへご来場いただき、まことにありがとうございます」

 「あとでサインくださーい!」

 私はひらひらと手を振って応えた。もちろん、サインなんて書かないけれど。

 「今日の演目はなんですかー?」

 「ゴドフスキーの『ショパンのエチュードによる練習曲』から、『別れの曲』です」

 「あ、知ってる! 左手のための編曲だっけ。それなら『革命のエチュード』とかも聴きたいなあ」

 突拍子もない話に、思わず慇懃な演技がどこかへ飛んでいってしまう。

 「無茶言わないで、あんなの弾けないよ。そもそも、このゴドフスキーの練習曲集、全部弾けた人が数人しかいないくらいだし。これ一曲でもわりと苦労してるんだからね」

 この練習曲集は、人間が弾くことを考慮しているピアノ曲の中で最も難しい部類に入るものなのだ。楽譜は特に左手の扱いに重点が置かれていて、私にとってはいくらかのアドバンテージもあるのだけれど、さすがに超人の領域には届かない。

 そんなとりとめもない考えをさっと払い落として、私はヤマハの古いグランドピアノに向かった。

 簡単に試し弾きをして、音の上下がないことを確かめた。調律師ではなくとも、多少の音の変化は聴き取れる。夏場や冬場はピアノの音も変わりやすいものだけれど、この分だと定期的に調律しているのだろう。反響板のことと言い、なんとも熱心なことだ。

――ショパンの異名に、『ピアノの詩人』というものがある。

 曲を聴くより先にその異名を聴いていたものだから、肖像画を見た印象で「細くて詩人っぽい人だな」なんて思ってしまったのは、ちょっと恥ずかしい思い出だ。

 ショパンが遺した無数のピアノ曲、その中でも若干異質で、詩人という呼び名を強く意識させるのがこの『別れの曲』だ。ゴドフスキーの編曲は気が遠くなるほど技巧的になっているけれど、それでもショパンのエッセンスは失われていない。一音一音が歌い、そして語りかけてくる。この声なき声の奔流が、左手一本から流れ出していくのだ。

 演奏という言葉だけでは収まらない、そう、例えば詩を読むような感覚。ショパンの感じた世界と自分の世界を重ね合わせて、音楽で繋ぐ。私が音楽の一部となり、音楽が私の一部になる。飲み込まれ、飲み込み、溶け合う。そういう不思議な音楽なのだ。

 最後まで弾ききり、残響も消えた頃になって、かしゃりと機械的な音がした。それに続いて、こっちの手が痛くなりそうなほど大きな音の拍手。もちろん、数はひとつきり。

 「すごくいい演奏だったよ。あと、いい写真も撮れた!」

 彼谷穂の首にデジタルカメラが下がっているのが目に留まって、わけもわからず顔にさあっと熱さが上ってきた。

 「もう……撮るなら先に言ってよ。なんか、知らないうちに撮られてると恥ずかしいし」

 「いやさ、言うと『撮られる』って感じの顔になっちゃうでしょ? あれじゃダメなんだって。写真のことなんて考えてない時の方が、誰でもいい顔してるもんだよ」

 それはいいから撮った写真見せなさいよ、と私はステージから飛び降りた。ちいさい頃はこの高さから飛び降りると、両足がじいんと傷んだものだけれど、今では気にならない高さだ……と言いたいところだったけれど、身長がそれほど伸びていないから、さして痛みが和らぐわけもなく。着地と同時にぐっと目をしかめたところを、また写真に撮られてしまった。

 「ちょっと! なに撮ってるのよ」

 「はは、ごめんごめん、ちゃんと消すからさ」

 そう言って彼谷穂はこちらに画面を見せて操作したけれど、写真が消えたかどうか私にはわからない。彼谷穂が使っているコンパクトデジタルカメラは、液晶画面のバックライトが壊れているのだ。いつか直す、と何年も前から聞き続けている気がする。

 「そのカメラ、まだ直してなかったの?」

 「ん、ああ、うん。直すタイミングもなくてさー。それに画面は見えないけど使えないわけじゃないし、撮った写真がすぐに見えないから、現像のワクワク感も味わえてお得だよ」

 「デジカメ使う意味ないんじゃないの……」

 彼谷穂は大学でちゃんと写真を学んでいて、このカメラの他にちゃんとしたデジタル一眼レフを持っている。それなのに、どういうわけか常に携帯しているのはこのカメラなのだ。理由を聞いてみても、「長く使ってるから愛着があって」なんていう通り一遍の答えしか返ってこない。私の中では、これが笹間彼谷穂最大の謎だ。

 「でもさ、これで撮った写真って、よくわかんないけど、いいんだよね。ほんと、よくわかんないけど」

 失敗の理由はわかりやすいけれど、成功の理由はわかりにくい。

 演奏がうまくいかなければその理由を見つけられる。けれど、最高の演奏がどうして『最高』だったのかはわからなくて、だから何度も再現できない。それは人知と数値を超えたなにかが介在しているからだと、彼谷穂は堂々と言うだろう。

――けれど、私はそういう超常的なものを信じていない。

 現実は精巧に削り上げられた歯車で動いていて、そこに一寸の隙間もありはしない。時の運とか星の巡りとか、非科学的な油を差せば、歯車は滑らかに回るようになる。ただ、滑らかになりすぎるのだ。自転車のチェーンに油を差しすぎたみたいに、現実が空回りをはじめてしまう。

 どこにも軋む音が聞こえない現実なんて、嘘だらけだ。

 「……オカルトだよ、そんなの」

 私がそうやってひねくれたことを言うと、彼谷穂は気を悪くした様子も見せずに「そうかもね」と笑う。

 そんな余裕が少しだけ、悔しかった。

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