序
近未来百合ミステリ、くらいのごった煮な感じです。なろうのカテゴリだともしかしたら文学あたりの方が相応しいのかもしれませんが、とりあえず推理つけときました。
短編の予定でしたが、ちょっとした長さになりそうなので、のんびり更新して行こうと思います。
序
――十年前の夏、私はまだ少女だった。
開け放した縁側からさわやかな風が吹き込んできて、私の髪をふわりと吹き上げる。音を鳴らさないようにそっと鍵盤に触れると、外の熱気が嘘のように感じられるほどの冷たさが伝わってきた。
目を閉じて、私は鍵盤に自分を溶かしていく。うだるような熱気、夏を喜ぶ蝉の声、素足に触れる板敷き、首筋に貼りつく長い髪。自分が感じるものすべてを溶かして、鍵盤に染み渡らせる。四肢の先まで張り巡らせた感覚の網が、指先に集まってピアノと繋がった。
ほんの少しひじを高めにして、落下するように伝わる重みを指先へ。弾き始めたのは、ヤナーチェクの『草陰の小径にて』第一集三番。一緒においで、という題の通り、まるでひだまりに誘うような、軽やかで優しい音。けれど、その奥底には言い知れぬ寂しさが湛えられていて。淀みにごることなく凪いだ水面のような悲しみの気配が漂う。
幼い私はまだ、大切なひとやものを失ったことがなかった。だから、ヤナーチェクが亡くした娘に贈ったというこの曲のことも、それほど理解できていなかったのだと思う。ただ毎日が穏やかで、幸福で。世界のすべてが自分のためにあるという、子供らしい幻想にくるまっていたのだ。
幸福な少女だったことがあるひとならば、誰だって知っているだろう。幼い少女にとって、世界は自分のために用意された舞台で、自分にかしずく召使なのだ。ほんのちいさな事件が起こりはしても、すべては物語を盛り上がらせるための仕掛けでしかない。最後には必ず、少女の下に幸せが舞い込むようにできている。
そんな夢を抱いたひとならば、それが子供のころだけ見られる夢だということもまた、きっと知っているだろう。
夢は歳を重ねるごとにかすんでいき、だんだんと実感を失っていく。夢見ていたころを懐かしく思い出すことはできても、そのころの自分には戻れない。私たちはきっと、『子供の鍵』みたいなものを持っていて、それをどこかでなくしてしまうのだ。持っているうちは夢の扉をすんなり開くことができるけれど、ひとたび失くせば二度と扉は開かない。
あれから十年が経って、私は二十歳の大人になった。少女のころに見ていた夢は忘却の彼方。夢を見る暇なんてないくらいに、現実は目まぐるしく押し寄せてくる。昨日を振り返る余裕もないのに、少女のころを思い出す時間なんてあるわけもない。そうやって自分に言い訳をすることで、この夏をやり過ごそうとしていたのだ。心の片隅で子供の鍵が消えかけているのを知りながら、見ないふりをして。
祖父から書留が届いたのは、そんな折のことだった。故郷を離れて祖父と会わなくなってからずいぶん経つのに、書留は私の二十歳の誕生日に届いた。黒檀の柄がついた愛用のペーパーナイフで丁寧に封を切ると、中には署名された一枚の小切手と、飾り気のない簡単な手紙があった。
手紙には故郷にある旅館の住所と宿泊予約の日付、そして素っ気ない一文が添えられていた。読んだ途端、右手の筋電義手の指先がぴくりと震えて、私は思わず生身の左手で押さえつけた。その言葉はそれくらいに唐突で、私の心を根元から揺らすもので。
『右手を取り戻す意思があるならば、故郷へ戻られたし』
その一文から、十年の時間を遡る私の夏がはじまったのだ。