五、地下牢・プリチュ王城・プリチュ王国を脱出すべく
トーレ王子にはとっても素直なムルーは王子の言いつけを守って、ちゃんと私の質問に、わかる範囲で答えてくれた。――もっとも私に対する態度が軟化したのは、私のことをどうやら魔じゃないらしいと思いなおしたせいもあるようだった。
とにかくそのお陰で、翌日トーレ王子がまたもやこっそり降りてきた時、何とか幼稚園児程度にはこの世界のことを知っていた。(でもこの世界には幼稚園ってなさそうだけどね)
「リナ、どうですか?快適、の訳ないだろうけど、元気ですか?」
「うん、まあね」
さすがに昨日一日御飯ぬいたら、お腹がとーってもすいたんで、食事に出されるやけに固いパンを、一生懸命噛んで水で流し込んだ。――味も素っ気もない食事の仕方だけど、とりあえずエネルギー源も取ったから、元気!
――まあ、実を言うとさ、おトイレずっと我慢してたら、今日の夕方頃おなか痛くなっちゃったんだけど、もうどうしようもない!って時に仕方なくムルーに聞いたら、端の石が一つ外れるようになっていて、そこに排泄するものなんだ、ということがわかって、ムルーにしばらく部屋の外に行ってもらって、事は解決した。ははは……。
「じゃあ今日から脱走計画たてに入っていいですか?」
「どうぞ」
「じゃ、何か案あります?」
思わず絶句。
「案あるかって、だって私よりあなた達の方が内情に詳しいでしょうが!」
「――貴女が来る前にも、色々二人で考えたんです。でも全部ダメ。この城は水も漏らさぬ警備網が引かれているので。だからここは、テレポートなどという奇想天外なことを知っている貴女に……」
奇想天外ったって、テレポートなんて既に一般的な言葉だもんな、地球では。――語だけはね。
うーん、しかし逃げ方ねぇうーん……。私が思い付くような事、色々考えたっていう王子達が気付いてない筈はない、と思うけど、とりあえず思い付いたことを片っ端から言ってみようかな。
「えーとね、さっきムルー、あのお手洗いの下水、海に流してるって言ったよね」
「ああ」
「んじゃこの城って海に近いんだ」
「ごく近いです。えっと、海に面して崖があって、その崖の上にこの城が立ってるんです。で、この地下牢は、その崖の中にあるわけです」
王子が答えてくれた位置関係を頭の中に思い描いてみる。
「そうするとえっと……崖の方も警戒は厳しい?」
「いや、全然」
ガクッ。余りにあっけないムルーの答えに体の力がぬけたぞ。
「じゃあさ、ちょっと危ないかもしれないけど、崖っ淵を縄でも垂らして降りて、海から逃げたら?」
おおっと。問題外の意見だったのかな?言うや否や、何を馬鹿なことをって目で見られた。実際、
「何を馬鹿なことを」
とムルーに言われた。
「え、何。ひょっとして海に鮫でもいるとか?」
思わず尋ねたら尋ね返された。
「さめって何だ?――そうか、そう言えば国は大ざっぱに説明したけど、流浪の民は説明してなかったな。国は覚えてるか?」
うーん、本当に大ざっぱな説明だったからなー、ほとんど覚えてないけど、えーと……。
「えっと確か、大国が三つでプリチュ、イサジア、ラーサ。小国がハーレにオルファに……」
「クラバにサウニア、ウッディーラハサ、ロスエン、カランタ、エシャム、ボーグディアグ、で九つです」
と、王子が助け船を出してくれた。
「おーすごい!よく覚えてるねー」
私も地球上の国なら十二位言えると思うけどね。えっと、日本、アメリカ、ロシア、中国、韓国、北朝鮮、イギリス、フランス、ドイツ、スイス、イタリア、スペイン……。
確か、私はトーレ王子を誉めたんだけど、何故かムルーが得意がった。
「当たり前だ。何せ、俺が八年も仕えてる王子なんだぞ」
そうか。そうだっけね、ムルーは。――何が、そうか、というと、これも『表向きはムルーは王に仕える身として、僕に仕えている訳なんですが、実際は王に仕える以前に僕に仕えてるんです』という台詞がわからなくて、昨日ムルーに聞いたことの一つ。
元々ムルーは腕の良い傭兵で、戦争とか盗賊退治とかいう段になると高額で働いてたんだって。ところが八年前、世界中が一時の平和状態にあって、ムルーが(どうするか…)などと考えながら旅をしていて、ハーレ王国の近くに差し掛かった時――。
◇ ◇ ◇
その辺は、一帯草原だった。歩いているとキャーキャーワイワイと騒いでいる一群の人間がいた。服装やら持ち物、馬車から見て、貴族が遠出をしてきたようだった。
(ふん!貴族か)
俺がそう思って通り過ぎようとした時、風が吹いて、布が飛んできた。それは、その一行の中で唯一の子供で、故に大人達が食事の支度をするのを手伝えず、一人でぽつんと座っていた男の子の、日よけの布だった。
俺がそれを拾うと、その男の子は走ってきて、言った。
「おじちゃん!ありがとう!」
貴族の子が、大人達が誰も気付かなかったとはいえ、自ら取りにきたのが印象的だった。
貴族の子が、見るからにただの旅人とわかる俺に、礼を言ったのが印象的だった。
そして何より、人を真っ直ぐに見る澄んだ綺麗な碧い瞳が印象的だった。
俺は、思わずしゃがみこんで訊いた。
「ぼうや、名前は?」
「トーレ、だよ!おじちゃんは?」
訊き返されるとは思ってなかったので、俺は少々戸惑いながら答えた。
「ムルーだ」
丁度その時、やっとその子がいないのに気付いたらしく、大人――つまり下女の一人が声をあげた。
「王子様!どちらですか?」
そこは馬車の陰になっていて、下女の側からは見えなかった。
「はーい!今行くよ!」
その子は返事をし、
「ムルーおじちゃん!またね!!」
と言って、日よけの布を頭にかぶって走って行った。
またね、というのが印象的だった。
それに、ただの貴族の子でなく、王子だったということが、先程の印象を深めたのは当然だろう。
俺は、瞬時にその子に仕えることに決めた。
その場所と、王子の年とから考えて、ハーレの王子だと確信できたので、俺はハーレ王国に向かって歩き始めた。
つねづね俺は、そろそろ世界は統一されなくてはダメだ、と思っていた。こんなに争い事ばかりしていては、どの国も自滅してしまう、と。――まあ戦いがなくては生きていけない傭兵の台詞じゃない、とは思ったが、ね。
俺は、それまでけっこう色々な王に会ってきたが、どの王も世界を統一するに足る人物とは思えなかった。だが、この王子は、育ったらそれらのどの王とも違う王になる!と思った。そしてその成長の過程をこの目で見てみたい、とも。
二時間も歩くと、ぼちぼちハーレ王国に属する村落があちこちに見えてきた。どの村にも寄らず、更に四時間程歩くと、ハーレ市を囲む石壁の、西大門に出た。
当然番兵にとどめられ、俺は推薦状を見せた。《里菜注。推薦状というのは、契約状態が終了した時、つまり争い事にケリがついた時に、契約した主(村長とか領主とか、王だったりするそうだ)が、よく働いてくれた傭兵に対し、報酬とともに渡すもの、らしい。それをもらった傭兵は別の所へ行く時、それを見せて腕と忠義とを信用してもらい、雇ってもらう、というわけ。その男がスパイだったりすると、推薦した者が睨まれるから、滅多な人はもらえないとか。その、もらうのが難しい推薦状をムルーは十一も持っているらしい》番兵は早馬を駆って城の王に取り次いでくれ、俺は城下を一時間ほど歩いて、そして城で王と会った。
王は言った。
「傭兵ムルー、だな?推薦状の文句を見るまでもなく、お前の噂は聞いていた。――若いのに大層な腕の剣の使い手だと。が、一体何用だ?知っているとは思うが、我が国は現在どことも闘争状態にはないし、しばらくは戦争になりそうな気配もない。内紛もないし、今のところは盗賊の害もない。傭兵とは争いの中でのみ働く者であろう?一体何用だ?」
もう知っての通り《とムルーは私に言った》この一年後にプリチュ王国との戦争、というか、プリチュ王国の侵略が始まったわけだが、その当時プリチュの王はまだロッフ王ではなく、そんな兆候は微塵もなかった。
俺は王に向かって言った。
「ハーレ王、俺は傭兵をやめたいと思う。そしてこの国に仕えたい――というより、ここの王子に」
◇ ◇ ◇
「ちょっと」
と私は言った。
「ムルーって王様に対してそーいう言葉遣いするのー?」
「当たり前だ。王と俺は対等な立場じゃないか。俺は俺の能力を売り、王がそれを買うっていう、な」
「……理屈は、わからなくも、ない、けどねぇ……」
でも、能力を商売物、王をお客とするなら、「お客様は神様です」っていうんじゃないのかなあ……。
「砂漠を出て以来、心から仕えたい、と思ったのは、トーレ王子だけだ。王子以外の誰に敬語なんか使うものか!――もっともロッフ王は別だがね、心服してるふりをしてるから」
◇ ◇ ◇
「それは――我が国にとっては有難いが、どういうことだ?しかも王子の、とは?」
「別に。ここの王子が気に入っただけだ」
王はしばらく俺を見ていたが、割とあっさり言った。
「よかろう。但し、王子に仕えるとはいえ、一応表向きは我が国の兵になってもらうぞ。でないと給料も払えないし、な」
「ああ、俺もそれは当然と思う。王子に仕えるということは、結局、この国に仕えるということだし……。だが俺の忠誠はあんたにゃやらんぞ」
王はにやっと笑って言った。
「わかった」
これは後で聞いた話だが、ハーレ王はそのあと、大臣に言われたんだそうだ。
「王、忠誠も誓わぬ者を城中にあげたりしては……」
と。王は答えて言ったそうだ。
「いいではないか。あの男は、今までどんな主にも忠誠を誓ったことがないそうだ。だが一度たりと主を裏切ったことはない。――忠誠を誓いながらも逃げだす傭兵、どころか兵士も多い昨今、ああいう男の方がかえって良いとは思わぬか?あのはっきりした物言いも私は気に入ったが」
とね。――あの王は、今時珍しい、話のわかる権力者だったよ。
そして――次の日。俺は遠出から戻ってきた王子に引き合わされた。二人だけになった時、王子が俺に言った言葉が、また印象的だった。
「ね、またねって言ったでしょ、ムルー」
――俺は王子に絶対の忠誠を誓った。
そして、それからの一年で、俺はトーレ王子に仕えたのは本当に正しかった、と悟った。魔王にも対抗できるとは予想以上だった。
だが王子は魔王に連れ去られてしまった。
ハーレ王国は建て直しに取りかかったところだったが、俺はかまわず、誰にも断わらず、単身プリチュ王国に向かった。俺が一年間ハーレ王国の兵士だったことは、城内の一部の人間しか知らないことだったし、平和な時期に傭兵が一年位行方不明になるのはよくあることだから、特に不審にも思われず、プリチュ王国に入ることが出来た。
俺は、そろそろ安定した生活を送りたいから、と言い、プリチュ王に偽りの忠誠を誓って働き始め、――そしてやっと最近、王子の警護の仕事が入ってきたところだった。もっとも、お前が現われた時、丁度王子の護衛に俺がいて、俺がお前をここまで連れてきたせいでそのまま牢番をさせられることになって、王子の警護の仕事は消えちまったがな!
◇ ◇ ◇
そう話をしめくくるとムルーはぷいっとそっぽを向いた……。あれがなかなかかわいくてねー。大体、最初やけにつっかかってきたのが、王子といるのを邪魔された腹いせもあったんだと知ると……実に可愛い。二十八の男とはとても思えなかった。
その、二十八の男とは思えない奴が言った。
「――流浪の民とはつまり、そのどこの国にも属してない奴らだ」
「……ジプシーみたいなもんかな……?」
「じぷしーというものは知らんが――つまりだな!」
ムルーが苛々してそうな声でそう言うと、トーレ王子が後を続けた。
「流浪の民というのは、定住地を持たず流離う人々のことですが、ただの流離人じゃなくて、民族の代表といいますか――そういったものでもあります。その種類には、砂漠の民・アビリ、草原の民・プテス、湖の民・ミウミウ、山の民・トンム、海の民・ドニート、空の民・フィルアがあって、初めに言った二族以外はほとんど伝説上のものとはなっていますが、やはり彼らの及ぼす力は大したものです」
「は?」
ちょっと頭が……。えっと……。あ。
「民族の代表っていうのは?」
「えーと……国などが生まれる前から人間は世界中にいたわけで、その時代の居住地域とかで、肌とか髪の色とかが少しずつ違うんです」
「あ、地球の黒人とか白人とか黄色人種とかと同じ、かな」
「ええ、多分そうです。で、当時は全ての人々が流浪生活をしていたんですが、少しずつ定住していき、国を作り……残った未だに定住していない人々が、流浪の民、と呼ばれています。彼らは全く他の民族と交わっていない、純粋な血を持っているので民族の代表と言えます」
ははあ、人種のモデルケースってわけか。――そう言えば私も黄色人種・大和民族のモデルケースだけど。
「ちなみに僕は、いわれでは全部の民の血をひいているそうです。でもまあ、大体はハーレ国民もプリチュ国民も草原の民<プテス>の出ですね。ムルーは……砂漠の民だっけ?」
「はい、そうです」
「――こんな説明で、大体わかります?」
「ん――一応ね。で、その流浪の民がどうかしたわけ?」
「海には海の民がいる」
とムルーが言った。
「えーと、ほとんど伝説と化している民族だよね、それが?」
「海に関することは、彼らと契約しなくちゃいけないんだよ!」
「……伝説上の民族と?」
「及ぼす力は絶大、と言ったでしょう。実体はここのところ認められませんが、力が活動しているのは確かなんです」
――どこに確信持ってるのか知らないけど、古代でよく見られる訳のわからない信仰じゃないのかな。実を言うと私は、あの王が魔だというのにも疑問を持っている。だって誰かがあの人を見て死んだのをこの目で見たわけじゃないもんね。――といっても、私、現実主義者なわけじゃないんだけどね。だって別に無神論者じゃないし、あんまり関係ないような気もするけど、神話とか大好きだし。
ま、とりあえず……。
「あのさ」
ちょっと芝居がかって、牢ごしに二人にずいっと近付いてぼそっと言った。
「魔王と海の民とどっちが怖い?」
ちなみに3大国の名前は、花の名前がもとになっています。
プリチュとイサジアはひっくり返すとわかります。が。ラーサだけは何の花をどうやってこういう名前になったのかさっぱり覚えていません……。