一、訓練
「始め!」
という声が上がると同時に、向かい合っていた兵と剣を合わせた。カーンと高らかな音が鳴る。
広場の隣の区画では、専業兵士ではない男達……つまり、元来農夫とかで、独立宣言発布と共に国中から集められた人達が訓練をしている。私も初めはそっちの区画で訓練をしていたんだけど、半月と経たないうちにこっちの区画に移された。
だから、今私が相手をしているのは、にわか兵士ではなくて、専業兵士だ。
練習用の先をつぶした剣ではなく、本物の剣をお互いに使っているので、気を抜いたらきっちりケガをする。
私が使っているのは、勿論ラオスの角剣だ。
カーン!
相手の兵士が斬り込んできたのを剣で払う。
……レスティさんはこの剣をくれる時、使っていればこの剣の利点がいずれわかる、と言っていたんだけど、確かに使えば使う程、その台詞を実感していた。
金属じゃないからか、角剣は普通の剣より多分柔軟性に富んでいる。つまり、バネの力が大きくて、当たるタイミングさえ間違えなければ、剣を払うのなんか訳無い。
そして同様に、タイミングさえ間違わなければ、簡単に物をぶったぎれてしまう。そう、問題はタイミング――要するに正確さとスピード。
剣を払われて若干態勢を崩した兵士が、態勢を立て直して再度向かってくるのを、ギリギリまで待ってかわし、前につんのめった彼の首筋に向けてラオスの角剣を振り下ろす!――そして、首から三センチくらいのところで剣を止める。
……正確さとスピードがなければ、紙一枚さえ斬れない特殊な剣で訓練していた私は、正確さとスピードにおいては、リーヴ大臣の隊の中で並ぶ者がいない程になってしまったのだった。
レスティさんがこの剣をくれたのには、軽い剣の方が使いやすいだろうという意味のみならず、「精進しろよ」という意味もあったに違いない。
私達の組の打ち合いには勝負あったので、双方とも剣を鞘にしまって互いに礼をした。
『ありがとうございました!』
一応、ありがとうとかごめんなさいとか、挨拶位はここの言葉で言えるようになった。でもまだ日常会話も満足に出来ないので、翻訳機は耳についたままだし、予備も持ち歩いている。
予備といえば。翻訳機の残り数が不安になったので、<先人の落とし物>の保管室でさんざん翻訳機を探したんだけど、とうとう出てこなかった。翻訳機はプリチュの<先人の落とし物>置場にしか置いてないのかなあ……。
さて、早くに勝負がついてしまったので、周りの打ち合いの様子を見物していたら、私がお世話になってる小隊の小隊長に声をかけられた。
「リナ、リーヴ大臣がお呼びだ。行ってこい」
と。それで私は、広場から出て城壁をくぐり、お城に戻った。
えーと、今日は会議だった筈だから……大臣もまだ会議の間にいるかな、と二階の会議の間に向かっていたら、二階の廊下で王妃様と行きあってしまった。
「まあ、リナ。今日は早く訓練が終わったのね?」
う、嬉しそうな声だなあ……。心持ち、あとずさる。
「い、いえ、リーヴ大臣がお呼びということで訓練を抜けてきただけで……まだ訓練は終わってません!」
と言うと、心底つまらなさそうな声で、王妃は言った。
「まあ、そうなの。――じゃあ、訓練が終わったら、わたくしの部屋へきてちょうだいね、リナ」
「……はい……」
それでその場は王妃と別れた。
はああああ。あの閲兵式の日以来、私みたいにドレスアップが似合わない素材を、いかにして淑女然とさせるか、ということにやたらと興味を持ってしまったらしい王妃様は、しょっちゅう私を呼び付けて、着せ替え人形ごっこをなさる……。世の中は戦争中だというのになんてお気楽な、と最初は思ったけど……要するにそれって、不安解消のための王妃様の気晴らしらしくって……。それならまあ、衣装も王妃様のお古とかで別にお金かけてるわけでもなし、いいんだけど……いいんだけど……。着せ替え人形される対象が私でなければ、何にも文句は言わないんだけどね……。服はきついし、丈は長いし、おまけに作法までちゃんと覚え込まされるし……。まあ、作法は知らないよりは知ってた方がいいけどね。郷にいっては郷に従えとも言うし……。
ああ、嘆いている場合ではなかった。大臣を探さなきゃ……。
で、大臣は結局会議の間にはいなくて、屋上にいた。
リーヴ大臣は、第八大隊長でもあるわけなんだけど、政務なんかで忙しく、訓練にはほとんど顔を出せない。その分、暇を見付けては屋上に行って、広場での訓練の様子を眺めている。それがまた、こんな遠くからなのに、よく見てるんだ。今日は誰が落馬しただの、誰が遠矢で皆中を出しただの、誰それは乗馬術に長けてるだの……。
そして、私が屋上へ行った時、大臣はやっぱり広場を見ていた。
「リーヴ大臣、お呼びだそうですが」
と声をかけると、大臣が手招きしたので、私は大臣の隣まで歩いていって、並んで広場を見下ろした。すると、第八大隊は隊列を組んで、副大隊長からのお知らせを聞く構えだった。
「あれ、連絡事項かなあ……。いない間に……」
と私が呟くと、大臣が、
「ああ……私からの連絡だが、リナには直に話すから、こちらに寄越すようにと言ったのだ」
と言った。それから大臣はこちらに向き直って、言葉を続けた。
「――見ていたが、また一段と動きが速くなったのではないか?リナ。……小隊長がな、あれは常人の動きではない、と言っていたぞ」
うん、そうなんだよね。私、近頃異様に動きがいいんだ。それは何も訓練したからってだけじゃなくて――多分、この世界に来てから目が良くなったとか、耳が良くなったとかと同様に、運動神経も良くなったんじゃないかと思う。
大臣が遠く……おそらくは戦場になっているプリチュ王国の方向へ視線をさまよわせて、そして言った。
「三ヵ月だな」
――そう。ハーレ王国がプリチュ王国に反旗を翻して、既に三月が経っていた。今はもう、十一月も末。冬が訪れようとしていた。
三ヵ月間、戦は一進一退を繰り返していた。敵に壊滅的な打撃を加えることも出来なければ、その逆もなかった。
兵士の数の差を考えれば、おそらく素晴らしい善戦と言えるだろう。だけど、この調子の競り合いが続くと、兵数から言って、こちらの方が先に疲弊する。
だから、この辺で何とか風向きを変えようとするだろうことは予想がついていた。そして案の定、リーヴ大臣は言った。
「リナ。――総力戦に突入する」
――総力戦になるまで三ヵ月なんて、よく保ったよな。本当は王子の目論見では短期決戦になる筈だったんだ。要するに王子がロッフ王の首をとるか否か、という戦いになる筈だった。ただ、七年前の侵略戦争では前線にいたロッフ王が、今回、城から一歩も出てこないもので、目論見が外れた。ロッフ王の首を取るためには、プリチュ城市まで侵攻しないことにはどうにもならないことになってしまったわけだ。
大臣は話を続けた。
「ハーレ城市には近衛兵のみしか残さない。全て戦場へ連れていく。――が、リナ。もし望むなら、近衛兵に任命するが――どうする?」
王と王妃が残る城市に小隊一程度の人数である近衛兵しか残さないとは……それは本当に総力戦だ。近衛で残る方も少人数で玉体を守らなくちゃいけなくて、大変だろうなあ。でも私が何より守ると決めたものはほかにある。……私はにっこり笑って言った。
「勿論――連れて行って下さい。……でも、今でも王子は私に来て欲しくないと思っているでしょうか」
三ヵ月前、王子と別れた時の、王子の態度を思い出す。本当に、ほんっとーーーーに来て欲しくなさそうだったよな。
大臣もあの時の王子の様子を思い出したのか、くすっと笑って、そして言った。
「まあ、幼いとはいえ、トーレも男だからな。守られるより守る方でありたいと思ったのであろうが――。しかし、大した戦力となり得る存在を見てすら自分の意志を通そうとする程、幼くはあるまいよ」
うーん、大した戦力となれればいいんですが。……王子、元気にしてるかなあ。定期報告では、一度も怪我をしたとかの報告は入ってないけど……。
大臣が、再び口を開いた。
「今日の訓練はこれで切り上げることにしたから……明日の準備をして、早めに休むようにな」
「えっ」
と、思わず、声を出してしまって、大臣に「?」という顔をされた。で、リーヴ大臣に助け船を出してもらえることを期待して、訴えてみた。
「……訓練が終わったら部屋に来るように、王妃様に言われてるんです……」
そうしたら、
「そ、れは……大変だな。頑張ってお勤めを果たして来なさい」
と、大臣は言った……。あーあ。
異世界ものを書き始めた理由の一つに、金星シリーズ・火星シリーズを読んだから、というのがありました。で、どちらのシリーズも、すぐに言葉を覚えちゃうのが、英語でくるしむ私にはすっっっっごく納得がいきませんでした。
なので、里菜は言語の習得には大変苦労します。……まあ翻訳機があるので、そんなに困っていませんが。