三、手紙
部屋中の空気が冷えた、気がした。凍りついたように、人々は動作を止めた。表情さえ固くこわばった。
王の台詞が皆を溶かした。
「それ、は、結局、匿え、というのと同じではないか?」
うん、結果的には同じかも。反旗を翻すということでは。でも──。
「いえ、同じではないでしょう、王。匿え、というと王子を守って戦う、ということ。ですが協力しろというからには、王子が自発的に戦うということ。──そう解釈してもよいのでしょうね、王子?」
そう言ったのはさっきのリーヴ大臣だった。
「ええ」
王子は言葉少なに答えた。王はため息をついて言った。
「──そなたが戦うと戦うまいと、戦況は大して変わるまい」
え、そりゃ違うよ、と思う間もなく、口が動いた。
「でも、王子は──」
で、言いかけたところで注目された。みんな一気に変な顔をして、王が代表で言った。
「何を言ってるのだ?その、変な……闇色の娘は」
うー、不便だなー翻訳機が要るんだ。で、肩から荷物を下ろしてガサゴソ探す。
探してる間に王子が私の紹介をしてくれた。
「彼女はマツウラ リナという人で、プリチュ王国で知り合って、脱走するのに手を貸して頂いたんです」
あー、あんまり正しい紹介とも思えないなー。何かその紹介だと私って脱走にすごく役立ったみたいじゃないか。
その後、玉座の後ろのおじさん達がひそひそ話を始めて、それがよく聞こえた。うん、私ってば本当に耳がよくなったな。
そのおじさん達は、こう言っていた。
「そうか、あれが城下の者達が『闇の魔物』と噂していたものか……」
「成程、確かに闇の……」
「魔王ロッフが召喚して、我が国に偵察に来させた魔物ではないのか?」
「うむ、ありうる……」
馬鹿野郎!ありえんわい!ロッフ王が召喚したんだったら、何で王子の脱走に手を貸すんだ!!常識で判断しろっつうんだ!
あ、翻訳機、あったあった。──しかし、私のことを闇の魔物だの何だのと思ってる人たちが、素直に私からこんな得体の知れない物を受け取ってくれるかなあ。──と悩んでいたら、それを見透かしたように、王子が手を伸ばして翻訳機を私から取り、そして言った。
「皆様方、これを耳にはめて頂けませんか?プリチュにあった〈先人の落とし物〉ですが、これをするとリナの言うことがわかるので」
王子が言ってさえ、みんなひるんでいたけれど、またリーヴ大臣が一人だけ立ち上がって、翻訳機をわざわざ取りに来てくれて、ついでに王と王妃とおじさん達に配ってくれた。そうするとさすがに皆さん渋々それを手に取った。翻訳機の数にも限りがあることだから、衛兵さん達にまでは渡さなかったけど。よし、とにかく話が出来るぞ。
「王陛下。王子が紹介してくれたので自己紹介は省きますが──王子が戦列に参加するとしないとでは大きく違います。だって王子はロッフ王を殺せますから。殺すと明言しましたから。──ね?」
王子がコクンと頷いた。
場が、ざわめいた。
「ロッフ王がいなければ或いは……」
「いやしかし、本当に殺せるか?あの王を……」
「……」
その時、どたどたどた──っという足音が廊下から響いて、入口の所に息急き切って走ってきたらしい兵士が現われた。
「何事だ、騒々しい」
王が言うと、その兵士ははあはあ言いながら口を開いた。
「もっ申し上げますっこちらのまつうら・りなという方に、草原の民の長の第一子、レスティ様から御使者が参られました!」
へ?レスティさんから?
ざわめきが一段と増した。王はすっと顔色を変えると、私に向かって言った。
「リナ、そなたは草原の民の長の第一子と知り合いなのか?」
「え…はあ。知り合いってば知り合いですけど……でも、王子だってムルーだってレスティさんと知り合いだよねえ」
何でわざわざ私に使者を送る必要があるんだ?──あ、もしかしてマントを受け取りにきた、とか。
色々考えていたら、王が言った。
「とにかく、急ぎ、御使者殿をお通し申し上げろ!丁重にな!!」
それでその兵士は再び走ってそこを去った。しかし……。
「ねーこの異様な歓迎ぶりは何なの?」
とこっそり王子に訊いた。だって「お通し申し上げる」って二重敬語じゃないの?何でそんな丁寧な言葉が王様からたかが使者に対して出るわけ?
「──流浪の民は力が強いって前に言いましたよね?」
「うん聞いた。それで?」
「──わかりやすく言うと、普通の流浪の民で、騎士レベルの力を持ってます。だから長の息子といえば王族よりも尊く、当然その御使者も……」
「ものすごい待遇を受けるというわけ?」
「ええ。それに草原の民がこの城下に現われたのは、とても久しぶりな筈で、それも混乱の一因だと思いますが」
うーむ、確かにさっきまで整然と並んでいた衛兵達までざわざわざわ。
しかし、そんなに流浪の民の立場が強いとすると……。
「もしかしてムルーのあの高飛車な態度は、本人の性格ってだけじゃなくて、自分が砂漠の民だという裏付けもあるの?」
王子はクスッと笑って──お、ハーレ城入って以来初めて笑ったな──言った。
「ええ多分。でも普通、群れから離れれば流浪の民といえど、権力者に対してはもう少し丁重な態度を取りますけどね」
ふうん。それにしてもレスティさんが王様からも丁寧語使われる立場とは知らなかった……。
さっきの兵士の案内で、見た覚えのある若い男が部屋に入ってきた。──レスティさんの使いともなると、剣を帯びたままで入室できるらしい。うーんけっこう身分制度がきっちりしてるんだなあ……。
その人は私達三人の横に立ち止まると、私達に向かって軽く会釈して、それから王に言った。
「ハーレ王シュリア殿、お初にお目にかかる。我は草原の民の長の長子、レスティ様の従者の一人でアインと申す者。主人よりこちらにおわすマツウラ リナ殿へ急ぎの手紙を預かりし故、謁見中と聞き及びながらも入城させて頂いた次第。失礼は承知の上だが、この手紙、リナ殿に渡させて頂いてよいだろうか」
か、かたい!台詞がかたいぞ!何なんだ、一体!それにレスティさんからの急ぎの手紙って、何だ?
王が答えて、
「許可しよう」
と言ったので、私はアインさんからくるくる丸められて紐で縛ってあるお手紙を手渡され、それを広げてみたんだけど……、
「王子……、読めない……読んで……」
と情けない声を出す破目に陥った。そりゃ喋れもしない言語を読める筈はないわな。
王子はそれを受け取って一読すると、変な顔をして、それから言った。
「あの……リナ?いいんですか?これ、ここで読み上げても……」
「?うん、内密とかいうんじゃなきゃ構わないけど?」
だって読めないんだもん、仕方ないよねえ。
「いえ、別に内密とかってことはないですけど……。じゃ、読みますよ。『言い忘れたが、黒色の髪というのもなかなかいいものだな』」
はぁ?
その場にいる、アインさん以外の誰もが変な顔をした。そりゃそうだ。──何考えてるんだ、あの人は?いや、そりゃ髪の毛についてさんざん闇だの何だの言われた後でもあるし、誉められれば嬉しい。でもわざわざ使いを出して、急ぎの手紙で伝達するようなこと?
周囲のざわざわが最高潮に達し、その中で王が私に言った。
「リナ、殿。──その手紙を見せて頂けるかな?」
え……?──ざわめきが、途端に止んだ。
私は反射的に手紙を持っている王子の方を見た。王子も私の方を見たので、自然、目が合った。
王子はこの手紙を見せるのか?という意味で私の方を見たんだろうし、私も、何せ他人に見せていいものかどうか自分じゃ判断できないから(他に何か書いてあるかもしれないし)その辺を王子に判断してもらおう、と思って王子を見た。そして言った。
「えーっと……見せても構わない…かな?」
王子は軽く首を傾げて、
「リナが構わないなら、構わないんじゃないんですか?」
と言ってくれたので、私は王子からその手紙を受け取ると王に向かって、
「どうぞ」
と差し出した。ただ、当然、そんな物がじかに渡せる距離にはいなかったから、脇から衛兵がびくびくしながら手紙を受け取りに来て、それを王に渡しに行った。あー面倒。
王はそれをじっと見ると、
「確かにこの、ラオスのマークの印は草原の民の長の一族のもの……」
と呟いた。言われてみればそんなものが押してあったような気も……。
手紙はさっきと逆の手順で私の手元に帰ってきた。
再び、おじさん達がひそひそ話を始めた。
「それでは本当にあの方のバックには草原の民が……」
おーすごい!私に対する三人称代名詞が「あれ」から「あの方」になった!
「草原の民がついてくれるなら勝てるかも……」
「あの、一国以上の騎馬力と戦闘力を持つ草原の民がつくなら……」
「それに、言われてみれば確かに闇色の髪というものも悪くはない」
こんな、無責任なおじさん達のひそひそ話を聞いて、私はあんなおちゃらけた手紙を書いてよこしたレスティさんの意図がわかったような気がした。
多分、レスティさんは、ハーレ王国がどうしても開戦がいやだ、と突っぱねて、王子が一人でロッフ王と対峙しなくてすむように、ハーレ王国が開戦する気になるように、「私が後ろにいるんだぞ」と暗に示してくれたんだ。
それから、おそらくは私がここで異端視されずにすむように、わざわざ髪のことなんかを誉めてくれたんだ……。思わず胸がじーんとなる程、嬉しい心遣いだ……。
そして確かにレスティさんの思惑どおり、事態は変化していった。
何故ここでアインさんだったかというと、2章でレスティさん以外にただ一人、名前が出てきた草原の民だったからだという……。名前考えるの、苦手なんです!