1.愛しの婚約者様への婚約解消宣言
新規連載はじめました!
悪役令嬢転転生モノです。ぜひぜひ応援よろしくお願いします^_^
*若干設定の修正をいたしました。
コクン、と飲み込めなかった感情と共に私は紅茶を喉の奥に流し込み、目の前に座っている愛しの婚約者様を鑑賞する。
彼、シリル・ハミルトンは今日も一分の隙もなく完璧だ。
柔らかく輝くプラチナブロンドの髪と透き通るような蒼の瞳。彫刻のように美しい顔立ち。正直何時間でも見ていられる。
もし、神様というものがいるのなら彼をこの世に創造してくれたことに関してだけは感謝してあげてもいい。
それくらい、このゲームの悪役令嬢である私、"リゼット・クランベリー"にとってシリル様は"全て"だった。
「それで、リズ。お前の話とは?」
耳に馴染むバリトンの声が静かに尋ねる。
怪訝そうに眉を寄せられた顔でさえ、美しい。
その瞳に映っているという事実だけで身悶えし、顔面を引き締めていないとへにゃりとだらしなく崩れてしまいそうだ。
でも、そんな醜態は悪女リゼット・クランベリーには相応しくない。
「シリル様、わたくし……は」
何度も何度も躊躇って、言葉を紡ぎ出せなくて。
"別に今日じゃなくてもいいんじゃないか"と先延ばしにしそうになった時だった。
シリル様の視線が私を通り過ぎ、どこかを彷徨う。
(切ない顔。それさえ、推せる)
どうしてこの瞬間を切り取ることができないのかしら、と思った瞬間。
「お姉様っ!」
計ったようなタイミングで明るく弾むような可愛らしい声が辺りに響いた。
私の側に駆けて来た彼女の名前はクリスティーナ・クランベリー。私と同い年の異母妹だ。
「クリス、ご挨拶は?」
私に促され、はっとした様子のクリスティーナは、
「王太子殿下にご挨拶申し上げます」
と随分綺麗になった所作でカーテシーを披露し、はにかんだように微笑んだ。
彼女はそこにいるだけで場がぱっと明るくなり華やぐ。
明るいキャラメル色の髪にスミレ色の大きな瞳。
父親は同じはずなのに、顔を構成するパーツが全然違うクリスティーナ。
ヒロインは素直で愛らしいという様式美を生み出した人は天才だ、と私は内心で誰とは知らない人を称賛する。
おかげで、扱いやすくて仕方ない。
「クリス、あなたも登城していたのね」
「はいっ! お父様が連れて来てくださったのです。王城の図書室でお姉様のお勧めしてくださったご本をお借りできるとお伺いしたので」
そう言って嬉しそうに本を見せるクリスティーナ。
父が私と登城したのはシリル様との婚約が決まった時だけだったというのに、今回も父は随分とクリスティーナを可愛がっているようだ。
まぁ、もうそのことに一々腹を立てるほど、父に対しては関心も執着も持ち合わせていないけど。
「そう、良かったわね。もう、こんなに難しい本を読めるのね。あなたが妹だなんて、わたくしはとても誇らしいわ」
私はお手本のような淑女らしい微笑みを作り、クリスティーナが喜ぶだろう優しい言葉だけを紡ぐ。
「はいっ! がんばります。私もお姉様のように素晴らしい淑女を目指しますね」
人懐っこい満面の笑みで元気よく答えるクリスティーナ。
「クリス、あなたならすぐそうなれるわ。だってわたくしの自慢の妹ですもの」
AIのように模範回答を即時叩き出す作業に飽きてきた私は無意識にシリル様を見て、すぐに後悔した。
「……この瞬間、だったのかしら?」
あなたが恋に落ちたのは。
と、そんな言葉を口の中で転がして、どうしようもない運命に私はクソッタレがと舌打した。
シリル様はクリスティーナに恋をする。それはこの世界の絶対的なルールなのだろう。
「せっかくだし、お父様のご用が済むまでクリスもお茶をしていく?」
運命に逆らってはいけない。
それが今回の私が目を覚ました時に立てた誓い。
「わぁ、嬉しいです! あ、でももうすぐお父様とお約束した時間になってしまいます」
しゅん、と心底残念そうな表情を浮かべたクリスティーナは、
「お姉様、また後でお勉強を見てくださいますか?」
と控えめにそう尋ねる。
本当に可愛く、そして上流階級の令嬢としては珍し過ぎるほど表情が豊かで素直な妹。
無理もない。彼女がクランベリーの姓を名乗り出してからまだ日が浅いのだから。
「ええ、勿論。クリスティーナは勉強熱心で教えがいがあるわ。改めてお茶もしましょうね」
彼女が欲しいだろう言葉をかけてやれば、ぱぁぁぁーと表情を明るくし、クリスティーナは何度も頷いた。
疑う事を知らないその笑顔は社交界と言う名の戦場で騙し合いと腹の探り合いに慣れ切った私がすでに失くしてしまったもので、そしてもう二度と手にできないものだった。
「お姉様、王太子殿下とのお時間を邪魔してしまってごめんなさい」
「気にしないで」
軽く手をふればペコッとお辞儀をして去って行くクリスティーナ。その背を見送りながら私は思う。
クリスティーナは悪くない。
両親から愛されて素直に育った彼女には、異母姉が表には決して出す事のできないドス黒い感情をその内に抱えているだなんて発想がそもそもないだけだ。
去って行くクリスティーナの背を切なげに見つめるシリル様。
その澄んだ蒼色の瞳で、彼は今何を思っているのだろうと考えて、私は思考を止めた。
「クリスティーナ嬢と随分仲良くなったのだな」
「……シリル様の目から見てもそう見えますか?」
「正直、リズに随分懐いていたから少々驚いた」
「左様でございますか」
そうだろうな、と私は自分で苦笑する。
だって私の悪癖を一番知っているのは、シリル様だから。
「それで、リズ。異母妹を手懐けるなんて、今度は何を企んでいる?」
「ふふっ、そんなに警戒なさらないでくださいまし」
シリル様の物憂げな表情にクスッと笑った私は意味もなく空を仰ぐ。
髪を揺らす風は暖かく優しげで、程よく雲が浮かぶ空は美しい。
終わらせるなら、こんな穏やかな日がいいのかもしれない。
そう何度も人払いを頼むわけにもいかないし、と決意した私は、
「ただ、今日はわたくし達の近い未来の話をしたいと思っただけですわ」
そう言ってシリル様に本日の主目的を告げた。
「ああ、そうだな。そろそろ決めなくては」
淡々とした口調でシリル様は世間話でもするように、
「婚姻式は各国との調整も含めて2年後の春辺りが妥当だと考えている。来年リズが卒業して住まいを王城に移してからの方が婚姻式の準備も進めやすいだろうし」
これから先の"二人の近い未来の話"をするシリル様。
この時点でシリル様が思い描く未来には当たり前のように私がいる。
それが、心の底から嬉しくて。
そして、これから先を知っているが故にどうしようもなく泣きたくなった。
「なるほどシリル様的には2年後の結婚をお望みですか」
ミルクを垂らしてくるくると無駄にカップの中身をかき混ぜて気乗りしない返事を返せば、
「含みのある言い方だな、リズ。まるで、お前はそれを望んでいないようだ」
シリル様は的確に私の気持ちを拾い上げてくれる。
「さすがシリル様だわ! 本当にわたくしの事をよくお分かりで」
ぱぁぁぁーと表情を明るくし、パチンと手を叩いた私は、
「わたくし、職務放棄しようと思いますの!」
私の中で決定した出来事としてシリル様に宣言した。
「……職務放棄?」
形のいい眉が怪訝そうに潜められる。
「ええ! わたくしは好き勝手に生きることにします♡何もかも投げ捨てて」
子どものように無邪気に笑い再度そう宣言した。
「リズ、お前はそもそも公爵令嬢の務めを果たしてないだろう」
今更何を言ってんだ? とばかりにシリル様が首を傾げる。
「気に入らなければ、唸るわ、噛み付くわ、テーブルごと全部ひっくり返すわの癇癪持ちで、アレが欲しいコレが欲しいと我儘三昧。ヒトの都合などお構いなしで執務室にアポ無しで凸って来たり、もう王妃教育なんて嫌っと叫んで行方をくらませ、街まで勝手に出かけたりするお前が、これ以上どうやって好き勝手するんだ?」
まだレパートリーがあるのか? と私の悪行を列挙するシリル様。
本当今更だけど、よく私の婚約者やってるなこの人。
乙女ゲームの悪役令嬢じゃなかったら即婚約者チェンジ案件だよ!
「シリル様。実はわたくしの事を一番ディスってるの、シリル様ですからね?」
知ってます? と子どもっぽい動作で頬を膨らませると、
「事実を述べただけだが?」
しれっとそう返ってくる。
くそぅ、容赦なく酷いことを言われているのにシリル様のキョトン顔が可愛すぎてぐぅの音も出ない。
膨れっ面のまま、じっと大好きな顔を見つめていると、雑にぐりぐりと私の頭を撫でてくれるシリル様。
「……ふふっ」
私はコレだけで機嫌が直ってしまう。
ああ、どうしようもなく私はシリル様が大好きだ。
心の底からそう思う。
そんな気持ちはこれでお終いにしないといけないのに。
「わたくし、シリル様をずっとお慕いしておりましたの」
「知ってる」
「できることなら窓のない塔に監禁して、わたくしだけを見続けて欲しいくらい。叶うならあなたが関わる全てをわたくしが準備して、わたくし色に染めてしまいたいほどに」
おおよそ淑女が口にしていいセリフではない私の告白に耳を傾けながら、
「それも知ってる」
優雅に紅茶を口に運んだシリル様は、
「だが、リズは俺が好きだから、そうしないのも知っている」
淡々とした口調でそう言った。
私の歪んだ欲望にさえ動じない、いつも通り素敵で完璧な王子様。
そんなシリル様を満足気に見つめた私は、
「婚約を解消したいのです」
いつも通り無邪気な口調でシリル様にそう願った。
「……婚約、解消?」
そこで初めて蒼の目が不可解とばかりに細められ、私の真意を探ろうとじっと私の紅い瞳を覗く。
「ふふっ、悩ましげなシリル様のお顔も素敵ですわね。一流の絵師に描かせて特注のアクスタを作らせて祭壇に祀りたいレベルですわ」
「……なんだその"あくすた"って」
シリル様の質問には答えず、私はようやく身についた淑女らしい笑顔の仮面を被る。
「心配しなくても、シリル様にはクリスティーナが嫁ぎますわ。ね? 王家とクランベリー公爵家との契約は果たされるのだから何の問題もないでしょう」
ただ花嫁が変わるだけ、と告げた私は、
「じゃ、後は頼みましたよ。シリル様」
いつもみたいに一方的なお願いを押し付けて、許可も得ず茶会を退席した。