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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
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傷をくれてやる

作者: 染井雪乃

 第一印象をことごとく裏切るやつだった。異国の血が入っているらしく、色素の薄い髪、白い肌、葡萄色の瞳をしていた。この辺りにはそんなやつはいないから、私の記憶にも残った。吹けば飛ぶような儚げな見かけで、やつは言葉で他人を抉るのに躊躇いがなかった。名を問えば、ひどく嫌そうに答えた。有理(ゆうり)

 私のすみかである森に許可なく踏み入ってきたくせに、有理は私の脅しに「ここで死んでも誤差の範囲内だし、好きにすれば」と無感情に答えた。私はそれが有理の本音だと知っていた。

 私は人の心を感じ取れる。人が私を怪異や妖怪と呼んで恐れる理由の一つだ。私は積極的に人を食らうわけではなく、人の営みに混ざってあれこれ味わっていることさえある。他の者には「覇気がねえなあ」と言われがちだ。

 有理の前に姿を見せたとき、私は人のなりはしていたものの、小さな炎をいくつも従えていた。覚えたての当世の言葉で食われたくなければ失せろと脅したら有理は誤差どうこうと吐き捨てた。


 本当に人なのかと疑うほどに、有理には優しさや良心と呼べる類のものが備わっていなかった。有理の見目、あるいはその病状に惑わされる人間は私にも滑稽に思えた。有理の体は脆い。私のように人を食らう力を持つでもない。だが、有理にはたしかな攻撃性があった。見舞いに訪れた者の本音を引きずり出して「茶番に付き合う時間はない」と追い返す程度のものだが、そこに容赦はない。

 私はそれを見るのがおもしろくて、有理の部屋に潜んでは一部始終を眺めた。有理にしか聞こえない私の笑い声に有理は時折文句を言い、あるときにはつられて笑っていた。久方ぶりに日々が鮮やかになった。

 病人のくせに、有理は私のすみかへ通ってきた。私との時間は呼吸が楽になるのだと言っていた。たしかにあの部屋よりはこの森はよいだろう。戯れに有理の滞在を許し、会話を重ねた。有理から聞く人の技術はおもしろく、私は夢中になった。有理は私に刃を向ける素振りもなく、そのくせ私を友とは呼ばなかった。曰く、これはお互いの気まぐれで夢みたいなものだと。


 終わりは唐突だった。約束を違えない有理が姿を見せなかった。私は有理の部屋に向かい、有理の死骸と対面した。体から抜けた有理の魂は常の姿で「これでももった方だ。褒め称えろ」と不遜に笑った。なるほど、あのとき死んでいても大した差ではない。

 私は人にはできないことができる。だが、人の死を捻じ曲げることはできない。わかりきった事実を頭のなかで転がすうちに炎が激しく燃え上がり、有理の体が燃えたかに見えた。ひどく怖がって人が部屋を出て行く。有理と私だけになった。

「怪奇現象起こしてどうすんの」

 くすくす笑って、有理は思いついた、と言った。

「僕がおまえの傷になってやる。何千年経っても消えない傷になる」

 こんなときにひどいことを言う才能は死んでも健在だ。

「もう少し言いようがあるだろう」

「人生で一番楽しかった、とか」

 有理の言葉は真実だった。有理の生には懐かしむ時間がない。

「何て顔してんだよ。顔、死人より死んでるぞ」

 有理だけが、この死に整理をつけている。それが腹立たしくて、先を越されたようで、私は有理を罵倒した。こんなに怒ったことはない。

 有理は徐々に形を失い、「僕がおまえの傷だ。忘れるな」と花のように笑って消えた。どこまでも許しがたいやつだ。


 それからずっと、私は有理の姿を取っている。葡萄色の瞳、色素の薄い髪、白い肌。自分の姿を見る度に懐かしく、そしてどうしようもない怒りに身を焼かれる。

 傷口は塞がらない。有理の顔がちらついては消える。有理は勝ち誇っているだろうに、私はあの日々を消したくないのだ。それが答えだろ、と記憶のなかの有理が素っ気なく言った。

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