契約書 【桜木視点】
道具屋。7日目。3時18分。
頭上に取り付けてあるシャンデリアの光は、思考能力を低下させるような妖艶な輝きを放っていた。それに、対をなすように、モスグリーンの壁の色彩は何とも穏やかだった。
まるで、白昼夢のような小部屋だった。まるで、世界から切り離された亜空間のように感じられた。それが、あながち間違いでないのだから性質が悪い。
俺はふと脳裏に浮かんだ疑問をスピカに問うた。
「ほかに商品はないのか?」
するとスピカは待ってましたと言わんばかりに、顔を綻ばせた。もっとも電脳世界の中の微笑なのでいかにも作り物めいて不気味だが。
「勿論ありますよ。というより、その商品を購買するためにここがあるといっても過言ではありません」
と、言ってスピカは後ろを向き袋か何かを漁る身振りをした。がさごそとそれらしい擬音語。それはあくまでディスプレイの中の出来事。できの悪いアニメのようで、苦笑いを浮かべるようなシュールさだった。それを俺達は何事だろうなと傍観する。
しばしの時間が経ち、スピカが白いカードのような物を手に持って来た。
「もしかしてFカードに続く新たなカードか?」
「否ですね」
スピカは俺の質問を否定。しかしそれは半分正解で半分違うといったイントネーションが含まれていた。
俺はカード状の形をした物が、形容しがたい“何か”を秘めているように思えた。それは第六感に近いもので、頭に閃光がはためく様な予知もどきのような感じだった。
そしてその予期が今後の展開に大きく関わっていることを、今の俺が知りゆるはずがなかった。
「これは契約書です」
「……契約書……?」
「はい。契約書ですよ、岸本様」
スピカが画面上で契約書をひらひらさせた。
「へぇ、それでどういう風に使うの?」
「文字通り契約するための物です。まぁ実際にやってみたほうが呑み込みが早いでしょう。特別に料金はいいですから、使ってみてください。使い方は私が教えますので」
それと同じくして、ディスプレイのカード口からさっきのカードのような物―――契約書が出てきた。
俺は一度岸本に目で了解を取り、恐る恐る契約書を手に取った。
その契約書は画用紙のような物でできていた。中央には何かを書く様なスペースがあり、端っこには唐草模様の装飾。上部には、Fカードと同じようなICチップが組み込まれていた。また、その横には電卓のようなデジタル表記のもの。それは三個に小分けにしてあって、そこには何も表示されていない。
特筆すべき点はその位で、あとはごく普通の紙切れだった。ただ、先のスピカの言動からして、この契約書には重大な秘密や能力が隠されているに違いないだろう。それこそFカードがいい例だ。
「では桜木様、岸本様。契約書の上部にICチップがあるのが分かりますか? それにFカードのICチップをかざしてみてください」
俺と岸本はスピカの言う通り、契約書のIC部分に自己のFカードをかざした。
すると変化が起こった。
さっきまで何も表示されていなかったデジタル表記の所に、一番左のスペースには47という数字が、その横のスペースには188と言う数字が表示されていた。
俺はこの数字がFカードに振られてあったあの数字であることを理解した。だとしたら岸本の番号は188番と言うわけになる。前に、レグルスが2-C組全員にFカードを配る時に、各生徒の番号を言っていたが、すっかり忘れていた。
そんな、俺の表情に気付いたのか、スピカは優雅に笑った。
「どうやらお気付きのようですね。この番号は桜木様と岸本様のFカード番号です。これは47番と188番の方が契約を行うということを意味しています。この場合桜木様と岸本様ですね。では次にこれを」
ガコン。
金属質な機械音がした。それは俺のすぐ横の床がせり上がっていく音だった。四角形のタイルの床の一部がエレベーターのように上にあがり、俺の腰ぐらいのところまで上がっていた。
SF映画のような設備だった。またせり上がった床の上には万年筆が一本置かれていた。
書けと言うことなのか。
漠然とそう思い万年筆を手に取った。
「そうですね……確か、桜木様の所持金額は0、岸本様の所持金額は100でしたよね?」
「そうだけど、それがどうしたの?」
「せっかくですから、岸本様の資金を桜木様のFカードに送ってみましょうか」
「……資金を送る……?」
岸本は解せないといった表情を浮かべた。それは俺も同じでよく意味が呑み込めない。
「今岸本様は百円を所持していますね。契約書さえ使えば、岸本様の資金―――百円を桜木様に送ることが可能なのです」
なんとなく輪郭が掴めてきたような気がした。
「そしてそういった内容をその万年筆で契約書に書いてくだされば、準備完了です。あとは下のカード口に挿入すれば三秒後に効力を発揮します。試しに書いてみてください」
スピカに促され万年筆を強く握り、
「岸本が俺に百円を送ると書けばいいのか?」
「はい。よろしければ番号でお書きになってください」
「分かった」
と、言って、一旦岸本の顔を窺った。
「別に百円くらい構わないよ」
岸本はにっこりと笑った。
俺は首肯して、契約書にペンを走らせた。
NO.188番はNO.47番に、100円を授与する。
「これでいいのか?」
「ええ。いいですよ」
スピカは微笑した。
その笑みは、聖職者と契約した悪魔のような老獪に満ちた笑みのように見えた。
レグルスと同じような寒気がする笑みだった。
「それを、下のカード口に」
俺はこれといった素振りを見せず、淡々と契約書をカード口に挿入した。
「この瞬間――――厳密にいえば三秒後ですけど、あなた方のFカードに変異が現れるはずです」
その通りだった。
俺のFカードのデジタル表記には百という、無機質な記号が浮かび上がっていた。
「あっ、私の残金が0になってる……」
どうやら、岸本の方にも変化があったらしい。俺は岸本のFカードを覗くようにしてみた。
「……0……」
俺は呻くように言った。
「分かりましたか? 契約書の重大さが」
スピカは無量無辺と言った表情。
「ああ、これは確かに便利だな」
俺は薄ら笑いを浮かべながら言った。
――――とそこで新たな疑問が浮上してきた。
例えばAさんがCなる物を持っていて、AさんがC物をBさんに与えるといった契約を行った場合もしAさんがBさんにC物を与えなかったらどうなるのか?
このケースに置いて、AさんがBさんにC物を与えない状況が継続可能ならば、契約書に拘束力がないのでは?
俺は頭の中で浮かんだこれらの疑問をスピカに問いただしてみた。
すると、
「心配ご無用です。もし、契約違反の人間がいた場合、その人のFカードは使用不可能となります。そんなリスクを背負ってまで約束を破る人はいないでしょう」
だった。
確かに、Fカードが使用不可になれば、食料や飲料水等の購入ができなくなる。
Fカードはこの世界に置いて、何よりも重要な物だ。故に、このペナルティは絶大な拘束力を保有することになるだろう。
「それで、契約書の値段はいくら?」
「千円です。携帯電話と比べ安値ですが、状況によっては、携帯よりもはるかに使える代物ですよ」
と、スピカは意味深に言葉を吐いた。