舞台は第二ステージへ 【桜木視点】
桜木視点です。コロコロ、視点が変わってすいません。
Cブロック。7日目。2時44分。
まるで、キュビズムの動向を汲んだ絵画のような扉――――外への出口。
みんなを欺き、同盟を結んだ隣人――――岸本睡蓮。
にやりと諧謔に満ちた笑みを浮かべる道化師――――レグルス。
そして視界一杯の白い壁。精神病棟のような、白亜の塗装。
なんなんだ、この状況は。
改めて、そう思った。この光景はあまりにも非現実的だ。頭のいかれた狂人が垣間見るような風景。脳髄の根幹部分からやられてしまったのか、俺は?
しかし、これは変えようもない現実であって、俺の頭がおかしくなったわけじゃない。ただ、真実がどうしようもないくらいに湾曲していっただけだ。主人とかいう、不可思議な存在が引き起こした大悪夢にすぎない。
そんな、幻夜のような白昼夢の中、岸本が口を開いた。
「……それってどういう意味……?」
だった。
いまさらのような至極当たり前の質問。
レグルスはどこかガタが外れた様な、狂った哄笑を上げた。
「……どういう意味……ですか? プッ、ハハハハハハ」
ルネッサンスの復興をそのまま具現化したようなスーツを着たレグルスは、何度も腹を捩った。
呆気にとられる俺たち二人。
しかし呆ける俺たちを気にする素振りなく、真っ白の壁に投影されるレグルスは壊れたカセットテープのように笑い声を上げ続けた。
思わず俺の頬はクックと引き攣った。顔の筋肉が痙攣したかのようだった。
不気味。
そんな陳腐な言葉じゃ片付けられない怪奇と恐怖がそこにあった。
たっぷり5秒の時間がたった。異様に長い五秒だった。
「いやはや、すいません。あまりにも可笑しかったので、つい……」
レグルスは乱れた背広を丁寧に整え、顔を引き締めた。
「何が可笑しいのさ?」
俺は心に沈殿した疑問をレグルスに投げかけた。
「なにも可笑しくありませんよ。ただ――――あなた方はうまくいき過ぎている……そう言いたいのですよ」
「……」
俺は口を噤んだ。確かに、そうかもしれないと思ったからだ。
ふと横を見る。そこには奇々怪々といった表情を浮かべる岸本の姿。首筋にはありありと冷や汗のようなものが流れていた。
彼女もまた俺と似たような気持ちを持っているのだろう。
形容するなら、ポーカーのようなものだ。トントン拍子に良い手札がそろっている中――――実際に勝負にも連戦連勝しているのだが――――どうも、拭えない不安や懐疑。嵐の前の静けさのような静寂。いつ、自分が大敗するのか分からない不確定さ。急激に運を使ってしまったかのような感覚。これは、敗北の前の序曲ではないのかというある種の焦燥感にも似た感情――――。
「……そうかもしれない。けど、それのどこが可笑しいの?」
岸本が沈黙を破った。
「そうですね……確かに、あなた方はかなり頭が切れます。がっ! それはあくまでここまでの話です。次はそううまくはいきませんよ」
「……さっきの、“変則神経衰弱”とかいうやつか?」
「その通りです。桜木さん。あのゲームは恐ろしいですよ」
「それこそどういう意味なんだ? レグルス?」
「一言で言うなら、人を信じられなくなるゲームです。全ては、主人のための遊戯でしかありません」
主人。それが、俺たちを陥れた首謀者……。人工知能のレグルスを操る黒幕ってわけだな。
俺は憤怒した。こんな、馬鹿げたことをする主人という存在に。
また俺はこうも思った。
絶対に出し抜いてやる。俺たちがここから脱出して、主人とかいう奴の鼻を明かしてやる。ぎちぎちと歯ぎしりをして、そう誓った。
「―――――もっとも、この扉を潜れば全てが理解できます。さぁ通ってください。桜木さん、岸本さん」
レグルスは自分の体を部屋の隅に移動させ、扉に入るよう促した。
俺は岸本を見た。俺の目くばせに小さく頷いた。
岸本は決心したように足を進めた。
俺は何となく悟った。
この扉は外に繋がる扉などでは決してないということを。地上への入口でないということを。
例えるなら、この扉は第二ステージのための入口。もうすぐ、舞台が移り変わるだけに過ぎないということだ。
そして、その舞台はこの扉の奥――――“変則神経衰弱”なる意味不明なゲームが大口を開けて、俺たちを待っている。
「行こう、桜木君」
岸本が一旦足を止めて言った。
「そうだね」
俺はそう答えた。
俺達は新たに駒を進めるために扉を潜った。
中央広場。7日目。2時54分。
薄暗い閃光が眼球の中に入った。さっきまで、俺たちがいたCブロックのような人工的な光。中央部に蛍光灯のような物が肌寒く辺りを照らしていた。
扉の外には、ただっぴろい虚空があった。仄かに薄暗い。壁や床は全体的に黒かった。それは、ホテルの客室のようだった。
この空間には扉が、俺たちが潜った扉も含め八個あった。それらの扉が一つの壁に平行に並んでいて、まるでマンションのようだった。それぞれの扉には鍵がなくAからGまでのアルファベットがふってあり、俺達が潜った扉はCという記号が書かれていた。唯一一番端の隔離されたような扉には、SPECIALといった文字が書かれていた。目の前にはかなり大きい丸型の円卓。何個かの椅子が取り付けられていた。黒塗りの木彫り造りで、高級感漂わせる代物だった。
そして、その奥には下に続く階段と、先の見えない通路があった。それらの上部には蛍火のような軽薄な電灯が取り付けられていた。
「……誰もいないし……何なのここ?」
岸本が呟く様に言った。
「さぁね。さしずめ、第二ステージってとこじゃないかな」
「……第二ステージ……?」
瞳孔を大きく見開いて、岸本は言った。柔軟性があり、頭の回転が速い岸本でも面食らう光景らしい。かくなる俺も、得体の知れない物を覗いてしまったかのような後悔があったが……。
「さてどっちに行く? 階段か通路か……」
ある意味究極の二択。俺は意地悪く岸本にその判断を委ねた。
しばしの逡巡。岸本は静かに口を開いた。
「とりあえず、階段かな。なんとなくだけど」
「……岸本の勘を信じるか」
俺はすたすたと階段に向かって歩いた。
後を遅れて岸本が続いた。この決断に迷いを見せているようだった。
鈍い灰色の階段を何段か進んだ。途中に幾つもの蛍光灯があって、比較的視界の確保は容易だった。とはいえ、足元に注意しながら階段を下った。
さほど、息切れしない程度の長さだった。
やがて、視界は開けた。
「……上の階と同じ物がある……」
少しの驚愕を孕んだ声。
俺は心の中で同意しながらも、前に進んだ。
もしさっき俺達がいた空間を二階とするなら、ここ一階の構造は二階とかなり似かよっていた。中央部分にあるやたら大きい円卓や、AからGまで書かれた扉、先の見えない通路、中央部の蛍光灯など、奇妙なまでにそっくりだった。相違点があるとすれば、扉の数が二階と比べ一個減っており、鍵穴があって装飾が違っているくらいだった。
二階にはなかった鍵穴がある七個の扉。
どこか可笑しいような気がした。それにこの変に歪んだ鍵穴にどこか見覚えがあった。
玩具の箱をひっくり返すように、頭を思い切りかき乱した。
そしてある結論にたどり着いた。
「……もしかして……」
俺の異変に気がついたのか岸本が俺の傍に寄ってきた。
「どうしたの? 何か気付いた?」
「あぁ気付いたよ、岸本。この鍵穴どっかで見た気がしないか?」
「うーん。ちょっと待ってね。今思い出すから……」
その直後、岸本はあっと声を上げて、
「ひょっとして、さっきまで私たちがいた……あの部屋の扉?」
と、語尾を甲高く上げ言った。
「そうさ。あと、上の階の扉にもAからGまで書いてあったのを覚えているか? おそらくこの記号は各エリアの場所を示してる。例えば俺達が連れてこられたのはCブロックだったよな?」
「……うん。そうだよ」
「つまり、このCと書かれたこの扉と、俺達が潜った扉は、同じCブロックに通じているってことだ」
「それって……まさか……」
それは恐るべき可能性。
俺は壮重に言った。
「おそらくこの七つある扉の奥にはそれぞれのアルファベットに連動して、一組から七組までの生徒がいる。2ー3組にはCというブロックが与えられているように一組にはAブロックが、二組にはBブロックみたいにな」
やっと、ここまでこぎ着けられました。
“変則神経衰弱”。これは、ライアーゲームのようなものです。