恩返しのこと・九編
「アレンの具合はどうだ?」
夕食を運びに来る律を待ちわびていたのか、扉が開いて律の姿を見止めるとカイルはすぐさま訊ねる。ジオン達が帰ってきた際、コーディに泣きつかれたもののカイルはベッドから動く事もできず、ただひたすらどうなったのか気を揉んでいたところだった。
心配そうにこちらの顔を窺うカイルに、律はにやりと笑い返す。
「ああ、熱も下がってぐっすり寝てるよ。もう心配はないけど、念のためしばらくは休んだ方がいいだろうな」
「……そうか」
心底安堵したように、カイルは大きくため息を落とす。
「……すまんな、また世話をかけた。まったく……あの馬鹿どもは」
「まあ、そう言ってやるなよ。あいつらなりに、俺や家族のために奮闘した結果なんだからさ」
呆れたように愚痴をこぼすカイルを一笑に付して、律は手に持っていた布包みをカイルに投げ渡す。カイルはそれを受け取って怪訝そうに小首を傾げながら、布をゆっくりと開いた。そこから垣間見える、紙幣の束─────。
「…!?金か?どうした、こんな大金…!」
姿を現した紙幣の束にカイルはたまらず目を見開き、律を見返す。その顔には降って湧いた大金に喜びを見せるよりも、その大金がどこからどのように現れたのか、その出自を心配している様子が窺えて、律は自然と顔が綻んだ。
「心配するなよ、親父。これはあいつらがギルドで依頼を受けて正当に得た報酬だ」
「ギルドで?だが……あいつらの等級じゃ、こんな大金が貰えるような依頼なんて受けられねえだろうが……」
「等級?」
「何だ、知らねえのか?ギルドに登録した渡り鳥には、その実力に見合った等級が割り振られるんだよ。依頼にもその難易度によって等級が割り振られて、同じか下の等級の依頼しか受けられねえようになってる」
「へえ…!」
寝耳に水の話に、律は驚嘆の声を落とす。
少なくとも自分が登録をした時には、等級の話など一切話題には出なかった。ロゼたちが失念したか、あるいは協議を得て等級が決定し、後日自分の等級が知らされるのだろうか。
そんな事を何とはなしに考えていた律に、カイルは険しい顔を崩す事なく続けた。
「あいつらの等級はコーディとアレンが下から二つ目、ジオンも中の下だ。その等級でこんな破格の報酬はねえはずだぞ」
「……手を貸してくれた奴らがいたんだとさ。コーディの話じゃ、どっちもずいぶんと腕の立つ連中だったらしいな」
「…!」
その言葉で、彼らが自分の等級以上の依頼に手を出した事を、カイルは悟る。
「……だからアレンが毒を受けたのか…っ!!あの馬鹿息子ども…!!分不相応な事はするなと何度も言って聞かせたのに……!!!」
彼らがギルドに登録をしたいと申し出た時、当初カイルは頑なにそれを認めなかった。彼らの────特にコーディの無茶をする性格をよく把握しているカイルにとって、渡り鳥になると言い出した彼らの行く先には、心配の種しか見当たらなかったからだ。
だが諦めの悪い三人の事、このまま首を横に振り続ければ強硬手段に出かねないと踏んだカイルは、結局不承不承と承諾して、だが代わりに決して自分の等級以上の案件には手を出すなと口を酸っぱくして何度もそう言い聞かせたはずだった。なのに─────。
その予想通りの結果に苦虫を潰したような苦渋の表情を見せるカイルを、律はまるでつい先ほどの自分を見ているようだと苦笑交じりに眺めて、仲裁するように口を挟んだ。
「……今回は見逃してやってくれ。親父の代わりに俺がきつく言い聞かせたし、今後は必ず俺が同行すると約束させた。もう危ない事はさせない」
言いながら、律はカイルに手に収まっている紙幣の束を視界に入れる。
────あれには少し色を付けた。
コーディたちから受け取った金に、律は決して安くはない金額を上乗せしてカイルに渡したのだ。さもコーディたちがギルドからの報酬として受け取った金銭かのように装って。────まさか等級制度というものがあった事は誤算だが。
律は多少バツが悪そうに視線を逸らしつつ続ける。
「……それは親父が預かっててくれ」
「…!……よせ、これはあいつらがお前のために稼いだ金だろうが」
「俺じゃなくて家族のためだ」
「……侮るなよ、あいつらの事はお前よりも俺の方が判ってるつもりだ。あいつらがリツに感謝してることも、その恩に報いたいと思ってることも、言葉にしなくたって判ってる。…俺を謀ろうなんざ百年早えんだよ」
────さすが、伊達にあいつらの親父やってねえんだな、と心中でうんざりしながら愚痴に近い賛辞を送りつつ、律はあらかじめ作っておいた逃げ道に避難する事に決める。
「……だから『預かっててくれ』って言ったろ?」
「…!……『やる』じゃなくて『預ける』か?言葉遊びをするつもりはねえぞ?俺は」
「預かっててほしいんだよ、俺に何かあった時のためにな」
「…!」
まるで何かあるかのようなその口ぶりに、カイルは唖然とする。
「……お前、何かやらかすつもりか…?」
それには苦笑交じりに頭を振った。
「ああ、違う違う。別に危ない事しようってんじゃねえよ。ただ…な、突然この世界に来た時みたいに、またいつ元の世界に戻るか判んねえだろ?」
「─────…!」
「俺はできるだけ金を肌身離さず持ってるからな。多分元の世界に急に戻るってなれば金も一緒に持って行く事になる。さすがにその後、親父たちが無一文で路頭に迷う事だけは避けたいからな。……それは、その時の非常資金ってやつだ」
律の言葉を聞きながら、カイルは見開いた目を自身の手にある紙幣の束に落とした。
確かに無一文で放り出されれば、自分たちは間違いなく路頭に迷うだろう。律のおかげで雨風凌げる家だけはあるものの、金がなければ食うに困る事は目に見えている。そんな事態に備えての金だと言われれば、正直なところ有り難い事この上ない。これだけの資金があれば、この人数でも数年は食うに困らないだろう。
だが─────。
「……言いたい事は判ったが……だがな、お前には酷な話だろうが、異界の旅人が元の世界に戻ったって話は一度も聞いた事はねえぞ?」
「だからって絶対ないとは限んねえだろ?一寸先は闇、人生何があるか判んねえからな」
実際、まさか自分が小説や漫画の主人公と同じように異世界に来るなど夢にも思わなかった。それが現実のものとして自分に降りかかった以上、どれほど現実味のない話でも絶対にないとは言い切れないのだ。
律が言いたいことを悟って、そりゃそうだが…、と半ば納得がいかないように不承不承と肯定を返すカイルに、律は最後の一押しをする。
「それとな、その金にはもう一つ意味があるんだよ」
「…?意味?」
訝しげに眉根を寄せるカイルに、律は告げる。
「もし俺がいなくなったらさ、リッカのこと頼んでもいいか?」
「…!」
「ずっとリッカの事が気がかりだったんだ。……俺がいなくなっても、おそらく黒虎がリッカを守ってくれるだろう。でもそれじゃあリッカは人間社会から離れて暮らさざるを得なくなる。……それじゃダメなんだよ。人は人の中でこそ幸せを見つけられる。リッカには、幸せで穏やかな一生を送ってほしいんだ」
「─────…」
「幸いリッカはジオン達やチビ達とも仲良くやってるし、どうやら親父とも馴染めそうだからな。俺がいなくなった時は、その金でリッカの面倒もみてやってほしい。…これは、リッカの生活費と養育費なんだよ────そう思ってくれ」
親父の頼みは断ったくせに図々しい願いなのは百も承知なんだけどな、と苦笑交じりに続ける律を、カイルは視界に入れる。
確かに死を覚悟した自分の頼みを、律は一蹴した。だがその代わりとなるものを、律は与えてくれたのだ。それこそ一生をかけても返せないくらいの過分なものをもらっておきながら、図々しいなどと不遜な事を思うほど自分は恩知らずではないつもりだ。
カイルは苦々しい表情を取って、小さく舌打ちをした。
「……判ったよ、面倒見てやらあ。そもそも、うちはジオン達────とりわけコーディが孤児をどこからか拾ってくるからな。今更一人増えたところでどうという事はねえよ」
「じゃあ─────!」
「ただし!約束しろ、リツ」
破顔した律の言葉を遮って、カイルはぴしゃりと言い放つ。
「もし本当に元の世界に戻されそうになったその時は、何が何でも抗え!」
「…!……………あ、抗う……?……って、どうやって?」
こっちの世界に来る時ですら、抗う暇も隙もなかったのだ。そもそも世界をどうやって渡って来たかもよく判らないのに、そのよく判らないものにどうやって抵抗するのだろうか────?
そんな戸惑いを見せる律などお構いなしに、カイルは怒涛の如く捲し立てる。
「知らん!!それでも抵抗しろ!!お前が偉そうに俺に言ったんだろうが!!『子供を引き取って世話するって事は、そいつの人生丸ごと背負って責任を持つって事だ』ってな」
「…!?」
「なのに言ったお前が責任放棄なんて認めんからな…!リッカのために何が何でも抵抗しろ!!容易く受け入れやがったら、ただじゃおかねえからな!!」
自分が啖呵を切った言葉を流用されて、律は目を丸くした後、面目なさそうに苦笑を落とした。
「……はは、まいったな」
自分が言った事を反故にするつもりはなかったが、元の世界に帰るという事はカイルの指摘通り責任を放棄するという事だ。それはさすがにいただけない。
軍配がカイルに上がったことを認識して、律は諸手を上げるようにため息を落とした後、降参を示す笑みをカイルに向ける。
「ああ、善処するよ」
そう、約束を交わしたのだ。
**
日が明けて、レオスフォードはまだ昨日の失態を引きずっていた。
─────そう、あれは他ならぬ自分の失態だろう。
異界の旅人と行動を共にしている連中と一緒にいたにも関わらず、自分はそれをみすみす看過したのだ。確かにその事実は、あの時点では知りようもない事実だったのかもしれない。だがそれでも、示唆するものは確かにあったはずだ。とりわけコーディはしきりに異界の旅人の話をしていた。『異界の旅人』と明言したわけでも、名を呼んでいたわけでもなかったが、それでももっと注意深く彼の話を聞いていれば、気づけた可能性は決して皆無ではなかった。─────なのに、見過ごしたのだ。その事実が腹立たしく、今となっては後悔しかない。
(……もう残り二日だ。今日と明日しかない……)
それが、兄の命の期限なのだ。
執務室の扉が軽快な音を立てて開いたのは、そんなレオスフォードが幾度目かになる重いため息を落とした時だった。
「おはようございます、レオスフォード殿────下……?」
扉を開いた途端、その室内に異様なほど暗い雰囲気が包み込んでいるのが見て取れて、カッティは当惑を通り越して一瞬後ずさる。この重苦しい空気は、自身の机に項垂れるように頭を落としているレオスフォードの姿だけではなく、その傍らで同じように自責の念に肩を落としているリシュリットの姿も元凶の一つだろうか。
その二人の様子に、昨日は結局何も収穫がなかったのだと察して、カッティは苦笑交じりに声をかけた。
「……お二人とも、それほどお気を落とさず……」
「……………これが気を落とさずにいられるか」
「……………あと少しというところで取り逃がしてしまいました」
どうやら二人には珍しく失態を犯してしまったらしい。
カッティはザラと共に苦笑いを二人に送りつつ、気落ちする二人に向けて朗々と言い放った。
「朗報です。異界の旅人の居場所を突き留めました」
「!!?」
その夢にまで見た報告に、二人は落とした視線を慌ててカッティに向ける。希望の光を見るような期待と、またぬか喜びになるのではないかという不安が入り混じったようなその視線の先で、カッティは確信を得た笑みを浮かべた。
「……本当、なのか……?」
「はい、彼は間違いなく元客亭にいます」
迷いなくそう断言されても、どこか夢の中の出来事のようで妙に現実味がない。レオスフォードはその言葉を吟味するようにしばらく沈黙を保ってから、カッティの後ろに控えているザラに視線を移した。本当か?と訴えているようなその目に、ザラは若干申し訳なさそうに眉を八の字に寄せる。
「…申し訳ございません。私は彼の姿を確認したわけでも、いると証言を受けたわけでもないのです」
「…?どういう事だ?カッティだけが確認できたのか?」
「いえ、私も異界の旅人の姿を拝見したわけでも証言を得たわけでもありません。むしろあそこに住む者には、はっきり『いない』と明言されました」
なおさら判らず眉根を寄せるレオスフォードに、カッティだけは変わらず確信を乗せた視線を向ける。
「ですが、必ずいます。彼の────あそこに住む者の言葉が嘘かどうか、私には判りますので」
ユーフィムとは付き合いが長い。彼とは二百年ほど共に過ごした仲だ。彼がどういう性格で何に嫌悪を抱き、どんな時にどういう行動に出るのか、嫌というほど理解しているつもりだ。
─────彼は言った。『竜の神に誓って嘘はない』と。
(……ユーフィムが竜の神に誓うはずがない)
むしろ彼は竜の神を疎ましく思っている節がある。あるいは憎んでいると言ってもいいだろう。
確かに彼の一族にとって竜の神は絶対的存在だったが、ことユーフィムに限ってはそうではなかった。彼の口から直接そうだと聞いたわけではなかったが、二百年も共にいればユーフィムが竜の神の存在を快く思っていない事は容易に見て取れた。その彼が、竜の神になど誓うはずがない。
レオスフォードはなぜカッティが確信に至ったのか、その理由が気になったものの、わずかに思議を経て首肯を返す。
「……判った、お前が言うのならそうなのだろう。すぐに元客亭に向かうぞ」
そうして希望を胸に抱いて足早に向かった元客亭で、レオスフォードは五度期待を裏切られることになる。
「リツなら出かけたぞ?」
「…!」
応対をしたのはジオンだ。こちらが何を言うでもなく、玄関を開けた先にレオスフォードの姿を見止めてジオンはすぐさまそう言い放った。その予想だにしていなかった展開に、皆仲良く目を瞬く。
「あー……どうして彼に会いに来たと……?」
「何だ、違うのか?…ああ、コーディの方か?悪いがあいつも─────」
「いや、そうじゃない…!!異界の旅人であってる!!あってるが…………」
しどろもどろとこの先に続く言葉を、レオスフォードは必死に頭の中で探す。
てっきり異界の旅人の存在を隠すものだと思っていた。問い詰めるつもりで来たのに肩透かしを食らって、レオスフォードは予想していなかった展開にどう対処したものかと当惑したのだ。
状況を理解しようと黙したまま思考を巡らせていたレオスフォードに、ジオンは構わず続ける。
「というか会わなかったのか?リツたちと」
「…え?」
「レオに会いに行くと言って出て行ったんだぞ?リツたちは」
その寝耳に水な話に、レオスフォードは眩暈を覚えてたまらずその場にしゃがみ込んだ。
「何だ、これは…!なぜ悉く行動が裏目に出る…!!神は私が異界の旅人と会う事を嫌っておいでなのか…っ!!」
「…………まあまあ、向こうから会いに来てくれているのですから、一歩前進したと思いましょうよ」
宥めるザラの言葉に、カッティも苦笑を添える。
確かに異界の旅人とは何故だかすれ違いが多い。ここにいる面々は皆一度は彼と出会ったはずなのに、そのどれもがそうとは気づかず、あるいは気づいていても取り逃がしてきた。あまりに彼と縁がなさ過ぎて、もうザラが言うように一歩前進したと思わなければ、正直やってられない。
「……ところで、なぜ異界の旅人はレオスフォード殿下に会いに行かれたのです?」
レオスフォードを宥める役目はザラに任せて、カッティはジオンに訊ねる。当然ユーフィムが邪魔するだろうと思っていただけに、この展開は予想できなかった。
皆が訝しく思っているのを見て取って、ジオンはさもありなんと答える。
「ああ、コーディがリツに頼んだんだよ。レオの兄貴を助けてくれって」
「────…!」
「兄貴が不治の病だってコーディに話したんだろう?何でもそれを治療できる医者が見つかったけど、まだ居場所を探している最中なんだって?そんな悠長な事してたらレオの兄貴が先に死んでしまうってリツに泣きついたんだよ、あいつは」
─────昨夜、コーディは律にそう頼み込んだ。
ユーフィムに律の治癒能力を誰にも漏らすなと忠告を受けてはいたが、それでもコーディはレオスフォードの兄の余命がもうほとんどない事に、ずっと胸を痛めていた。
自分は父親を治してもらったのに、レオの兄の事は見て見ぬふりを決め込んで見捨てるのか─────。
コーディの胸の内で、ずっとその責め苦が心を苛んでいた。
律の能力が国の知るところになれば、確かに律は自由を奪われるかもしれない。捕らわれ都合のいいように使われる可能性だってある。それらすべてを律に話した上で、コーディは最終的な判断を律自身に委ねたのだ。
─────『俺はレオの兄貴を助けてほしい。でもリツが捕まって苦しい思いをするのも嫌だ。だからどうするかはリツが決めてくれていい。その判断に、俺は従うから』
「……そう聞いたらリツは何て答えたと思う?迷う事なく、こう答えたんだよ」
─────『俺がお前たちの恩人を見捨てるわけないだろ』
「────…!」
「恩返ししなきゃ気が済まない─────そう言って笑ったんだ、リツは」
「…………恩返し……」
レオスフォードは瞠目して、ぽつりとそう呟く。
昨日、異界の旅人を逃したのだと悟って無為な一日を過ごしてしまったのだと、そう思っていた。
────だが。
(………無駄ではなかった)
きっとあの時彼らを見捨てていれば、また違った結果になっていただろう。異界の旅人の手がかりすら見つからず、兄の命の期限が過ぎていたかもしれない。あるいは例え見つけていたとしても、彼に拒絶されたかまた逃げられていた可能性だって大いにあった。
あの時あの場所で彼らに出会い、そして彼らを見捨てなかったからこそ、この奇跡が生まれたのだ。
(……彼らを見捨てなかったのは、兄の教えに従ったからだ。それが兄を救う一歩に繋がった)
そう思うと、何やら胸が熱くなる。
「……すまない。ありがとう、ジオン」
「俺に礼を言われてもな。礼なら俺じゃなく リツとコーディに言ってくれ」
「……ああ、そうしよう」
満足そうに笑むレオスフォードを、やはり満足そうに見て取ってから、ジオンは言葉を続けた。
「リツ達は今頃ギルドにいるんじゃないか?レオがどこにいるか判らないからギルドに顔を出すついでに聞くと言っていたからな。今行けば間に合うだろう」
それにはレオスフォードは、少し考え込む仕草を見せてから答える。
「……いや、彼らから会いに来てくれるのなら急ぐ必要はない。もうこれ以上すれ違うのはごめんだからな。それよりも、ジオン。お前の親父殿に会わせてはもらえないか?」
「親父に?」
「ああ、確かめたいことがある」
レオスフォードの強い視線に押される形で、怪訝に思いながらも承諾したジオンに連れられて、一行は初めて元客亭の中へと足を踏み入れた。中に入ると、本当にここが雪国なのかと疑わしくなるくらい暖かな空気が流れている事に、レオスフォード達は皆そろって目を瞬いた。
「……暖かいな、この中は」
「これは────…魔法?」
気づいたのはカッティだ。元客亭のそこかしこから精霊の気配がして、カッティは初めて出会った時のリッカの事を思い出す。
ジオンは見事に言い当てたカッティを振り返って笑い含みに答えた。
「よく判ったな。リツが一階全体と二階にある食堂を、魔法で暖かくしてくれてるんだよ。ここはチビたちが多いし、親父もまだ病み上がりで体調が万全じゃないからって言ってな。……人の世話を焼くのが心底好きなんだろ、あいつは」
そう説明をしている最中にも、廊下を笑いながら走り回っている子供たちがジオン達の横を駆けていく。そんな子供たちの姿を目で追いながら、レオスフォードは訊ねた。
「……この子供たちはどうした?」
「……みんな捨てられた子供たちだよ」
「…!」
「…まあ、かくいう俺たちも孤児院育ちだけどな。それを親父が引き取ってくれて────というか無理やり居ついたと言った方が的確だな。……それでも親父は、ただの一度も出て行けとは言わなかった。だから…な、これも俺たちなりの恩返しってやつだよ」
少し面映ゆそうにそう告げるジオンを、レオスフォードは軽く目を瞠った後くすりと笑う。
自分たちが受けた恩を、子供たちにこうして返している─────そんな彼らの行いを見れば、縁もゆかりもないのに彼らを育てたという義理の父親がどれほどできた人物かがよく判るだろうか。
「ここが親父の部屋だ」
廊下をしばらく歩いて、ちょうど中ほどにある部屋の前でジオンは足を止める。そして少し控えめに扉を二回叩いた後、声をかけながら扉を開いた。
「親父、今ちょっといいか?」
「…どうした?」
「客だよ、親父に」
「客?俺にか?」
眉間にしわを寄せて、カイルはジオンの後ろから姿を現した面々を訝しげに眺める。
────『よくできた人物』
勝手に抱いたその想像とは違って、痩身でありながらずいぶんと強面の顔で警戒心を強く表すように見据えてくる鋭い視線に、レオスフォードは軽く目を瞬いた。
「……突然の訪問、お許し願いたい。少し貴方に聞きたい事がある」
「……聞きたい事?何だそれは?」
「聞いたところによると貴方は漆黒病を患っておられたようだな。それを、異界の旅人に治してもらったと」
「!!?」
途端にカイルの表情が、なおさら眉間のしわを増やして険しい顔に変わる。明らかに敵意を前面に押し出しているカイルの様子に、カッティとザラは困惑した表情を向けた。
「……それは誰から聞いた?」
「…コーディからだ」
「……ったく、口の軽い奴だな、あいつは」
「コーディは明確に『異界の旅人が漆黒病を治した』と告げたわけではない」
「それでもあんたに気づかれた時点で話したも同然なんだよ」
それは確かに、とバツが悪そうにレオスフォードは内心で同意を示す。コーディを弁護しようとしたが裏目に出たようだ。
レオスフォードは気を取り直して軽く咳払いした後、一拍置いて話を続けた。
「……その事について少し話を─────」
「話す事は何もない」
「…!……いや、だが─────」
「みくびるなよ?俺が恩人を売ると思ってんのか?」
言ってすぐさまジオンに顔を向ける。
「ジオン、こんな連中を家に上げるんじゃねえよ。さっさと追い出して塩まいとけ」
その取り付く島もないカイルの態度に、そう言われたジオンが慌てて頭を振った。
「いや…!親父、違うんだ…!レオたちはリツを捕らえに来たわけじゃない…!!」
「…?」
訝しげに小首を傾げるカイルに、ジオンは事のあらましを掻い摘んで話して聞かせた。昨日ギルドで助けてもらった事、依頼を完遂するために手伝ってもらった事、そしてその恩返しに彼の兄の命を助けようと律たちが動いている事─────一通り聞いたところで、カイルは半分呆れたように、残り半分は諦めの気持ちを乗せてため息を落とした。
「…なるほど。あんたは馬鹿息子たちの恩人でもあるのか」
「……恩人というほど特別何かをしたわけではないが」
「それでもあんたが居なけりゃ、うちの馬鹿息子どもは勝手に魔獣の森に入ってもっとひどい目に遭ってただろうさ」
言いながら、ぎろりとジオンに向けるその視線が痛い。ジオンは肩身が狭そうに思わず背を小さく丸めて、顔を逸らす。
「……一番上のジオンは昔から聞き分けがよかったんだが、下の二人がとにかく利かん坊でな。ジオンがもう少ししっかりしてあいつらを見ててくれりゃあ、これほど心配する事もねえんだが、こいつはこいつで下の二人に頭が上がらねえから困ってんだよ。…まあ、とどのつまり、二人が可愛いんだろうさ」
「……………親父、恥ずかしからもうやめてくれ……」
赤面を俯かせて手で隠すジオンに、レオスフォードたちは苦笑を送る。
「────で?聞きたい事って何だ?恩に報いてやりてえが、俺から言える事なんて何もねえぞ?」
ようやく態度が軟化して改めてレオスフォードたちに向き直るカイルを、レオスフォードは見据える。想像とは違ったが、彼は彼でずいぶんと気っ風のいい男のようだ。
「……貴方が罹患していた漆黒病の事を知りたい。…罹患してどれくらい経つ?」
「三年だな」
「…ではもう末期の状態だったのだな?」
「ああ。リツがいなけりゃ、今頃もう地獄に堕ちてただろうさ」
「……彼は────異界の旅人は本当に光の精霊の治癒魔法を使えるのか?」
意を決したように投げかけたその問いが、彼が最も知りたい事なのだろう。そう悟って、カイルはその返答をどう返すべきかわずかに吟味した後、慎重に言葉を選んで答えた。
「……ああ、使える。だが聖女の持つ治癒魔法と同じだとは考えるな」
「…!それは……どういう意味です?」
思わず二人の会話にカッティが口を挟む。返答によっては漆黒病の治癒ができない可能性もあるという事だ。あるいは、目の前の御仁がやつれてはいるものの末期患者には決して見えないところを見ると、完治はできないが症状を和らげるまでがせいぜいという事だろうか。
そんな不安が見て取れて、カイルは頭を振った。
「…ああ、違う。あんたらが思ってるような意味じゃねえよ。…リツの使う治癒魔法は確かに光の精霊由来のもんだ。あいつは手をかざしただけで傷や病気を癒す。俺の漆黒病も見事に完治した─────いや、医者に診せたわけじゃねえから本当に完治したのかは判らねえがな」
「─────いいえ、彼の漆黒病は確かに完治しています」
唐突に誰もいないところから静かに声だけが降ってきて、カイルとジオンは目を丸くする。その見開かれた二人の視界に、何もないところからふわりと降り立った壮麗な白い人物が姿を現して、なおさら唖然とする二人を尻目に彼は言葉を重ねた。
「彼の体からは一切の闇の気配が窺えません。完治していると思って間違いないでしょう」
その穏やかな声音で断言するリシュリットを見据えながら、カイルは推測の域を出なかった自分の憶測があっていたと得心したように、ため息を落とした。
「……そこの別嬪さん、あんた門の番人だな?って事はやっぱりあんたはこの国の第二皇子か」
ここアレンヴェイル皇国と門の番人が懇意にしていることは、もはや周知の事実だ。門の番人が現れたという事は、彼らが皇族に属する者たちという事に他ならない。
その事実を特に隠すつもりもなかったのだろう。確信を突かれて、レオスフォードとリシュリットは軽く会釈を返した。
「…その様子だとジオンも知ってたか?」
特に驚いた様子もないジオンに、カイルは訊ねる。
「…ああ、この街じゃ有名だからな」
「…!……それじゃあ、アレンとコーディも知っていて知らないふりをしていたのか?」
「あの二人がそんな器用な真似できると思うか?」
逆に問われて目を丸くしながら、まあ無理だろうな、と心中で思ったところで、カイルが静かに口火を切った。その表情には何故だか、わずかばかりの嫌悪が乗せられている。
「…あんたの兄貴も漆黒病に冒されたか」
「…!」
「聞いた事がある。この国の第一皇子が漆黒病に罹患したってな。……もう十二年になるか、そこの門の番人に病の進行を遅らせる魔法をかけてもらったそうだな?…まだ生きていたとは……羨ましいこった」
「……ずいぶんと皇室の内情に詳しいな?」
妙にとげとげしい、あけすけな物言いで鼻で小さく笑ったカイルを、レオスフォードは軽く睨めつけるように目を細める。
普通は、皇室の内情は市井には出回らないものだ。それは民と貴族皇室の距離が近しいと言われる、ここアレンヴェイル皇国であっても例外ではない。特に皇太子候補である第一皇子の情報はどの国でも国家機密に等しい。彼が病身の身であるという事は公表しているが、どんな病であるかは秘匿中の秘匿なのだ。
その内情に詳しいカイルを、レオスフォードはわずかに険しい表情を取って見据えた。
「人の口に戸は立てられんって事だろ。……それにしても皇族ってのはいいご身分なこったな。こちとらたった三年で命の期限が切れかけたのに、そっちは十二年か」
「………だが、その所為で兄の漆黒病は既存のものとは全く違う症状を発症した。十二年もの間……無理やり抑えた結果、本来蝕まれる事のない神経まで冒されたのだ……。もはや兄の命は風前の灯────痛みに悶えて、自我ももう保ってはいられない………っ!!」
歯を食いしばり声を振り絞るように吐き出していた言葉は、そこでぴたりと止まる。
その痛々しい兄の姿を目の当たりにしたわけではないが、ヴィンセントからの文に綴られていた文面から、それがいかに耐え難い光景であるかが否応なく読み取れた。その時の感情が、痛みを伴って再び沸々と沸いて出てくるのを必死に抑えるように、レオスフォードは拳を固く握る。
そんな彼をしばらく見て取って、カイルは嘆息をゆっくりと落とした。
「……十二年分のツケを今さらになって払わされてるってわけか」
自分よりも恵まれた環境にいる第一皇子に多少なりとも妬みを感じて嫌味を返したはずだった。たが溜飲を下げるどころか自分よりもひどい状態に、カイルはバツが悪そうに頭を掻く。そうしてもう一度大きく息を吐くと、カイルは強い眼差しを、渋面を取るレオスフォードに向けた。
「……兄貴の余命は?あとどれくらいだ?」
「……あと七日」
その返答に小さく舌打ちをする。
「もう時間がねぇな……」
「……急げば皇都までは五日で────」
「ひとつ教えといてやる。リツの治癒魔法は治癒できるまでに時間がかかるぞ」
「…!!?」
カイルの言葉に、レオスフォード達は皆、目を大きく見開いた。
これはカッティやリシュリットでさえ想定していなかった事だ。何の疑いもなく聖女同様手をかざせばすぐさま治ると思っていた。見つけ出して皇都に連れて行けば終わり─────そう、思っていたはずなのに。
唖然として続く言葉を待つ彼らに、カイルは続ける。
「リツの治癒魔法には一人一人その時々の症状と、罹患している病気の詳しい情報が必要だ。それをリツ自身がしっかり把握してねえと使えねえ。……それがまだ判らなかった一度目の治癒魔法は失敗、漆黒病を理解し、俺の症状を診察してから二度目の治癒魔法を使って完治したが、それには四日かかった」
「─────…」
「あんたの兄貴は十二年分、病の進行を遅らせたせいで、俺の症状とは違うんだろ?漆黒病の事はもう理解してるだろうが、リツがあんたの兄貴の病状を一から理解するのに時間が必要だ。───もうほとんど時間は残されてねえぞ?」
念を押すように重ねた言葉に、皆言葉を失った。蒼白とし、何もできない無力感だけが、彼らを襲う。
────また、絶望の淵に落とされるのか?
皆の脳裏にそんな言葉が浮かんだ瞬間、カイルは叱咤するように声を張り上げた。
「呆けてんじゃねよ!!兄貴を助けるんだろうが!!」
「!!?」
「もう時間はねえぞ。お前らはさっさと屋敷に戻って出立の準備でもしてろ。リツから会いに行くってんなら探し回る方が時間の無駄だ、その時間を準備に使え。それでリツと会ったらすぐに皇都へ向かうんだ。すぐに行きゃあ、まだ間に合うかもしれねえだろうが」
叱咤されて目を覚ましたからだろうか。次第に落ち着きを取り戻して、カイルの指示に相槌を打ち始める。
そんな彼らの背を押すように、カイルはにやりと笑った。
「……諦らめるのはいつでもできるぞ。でもそれは今じゃねえはずだろ。諦めるなら、やり尽くしてから諦めろ」
カイルからの鼓舞を受け取って、レオスフォード達は顔を見合わせて頷き合う。
「すまない…!感謝する!!」
すぐさま踵を返して部屋を慌ただしく出て行く彼らの背に、カイルは自嘲めいた笑みを返した。
「……はっ!悪党に感謝なんざ告げんじゃねえよ」




