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恩返しのこと・八編

「リツ…!!どうしよう!!?アレンが死んじゃうよ…っ!!!」


 ユーフィムと共に元客亭の玄関をくぐった途端、今にも泣きだしそうな顔で飛びついてきたコーディに、律は大いに目を丸くした。

 もう夜の帳も下りて、辺りはすっかり闇に閉ざされた時だった。


「今日一日姿が見えないと思ったら!!一体どこで何をしてたんだ、お前たちは!!?」

「ごめん……っ!!!」


 小走りで追従するコーディを叱責しながら、律はアレンの部屋まで早足で向かう。勢いよく扉を開いたその先に、ベッドに横たわって苦しそうに息をするアレンの姿があって、律はたまらず顔を盛大にしかめた。


「……一体何があった?」


 歩み寄りながらベッドの傍らに座ってアレンの看病をしているジオンに、静かに問いかける。ジオンは場所を律に明け渡すように腰を上げて答えた。


「……毒を受けた」

「毒…!?」

「早合点するな、もう解毒はできてる。ただ……ずいぶんと熱が高くて苦しそうでな。解毒剤をくれた奴の話ではしばらく高熱が続くそうだが命に別状はない、と……」


 それでも心配なのだと言いたげな表情を浮かべるジオンを軽く一瞥してから、律はベッドに手をつき残った方の手で意識のないアレンの額に触れる。


「……かなり熱いな」


 その手に伝わる熱は、考えるまでもなく正常な体温ではない。見れば顔が紅潮して汗が滲み、呼吸は絶えず苦しそうに小刻みに吐息を落としている。


「……治せそうか?」

「どんな毒を受けた?」

「詳しくは判らんが、神経毒だそうだ」

「魔獣のか?」

「…!………ああ」


 ジオンはバツが悪そうに顔を背けてわずかに躊躇ったが、観念したのか素直に肯定を返す。それは律の治癒魔法にはどんな些細なことでも情報が必要なのだと理解しているからだった。


 律はアレンの額に当てていた手を頬に、そして次に首筋へと順に移す。その首筋の異様なほど高い熱の中に、虫さされのような膨らみの感触が指に伝わって、律は訝しげにその場所を覗き込んだ。


 アレンの首肩から指三本ほど上の首筋左側部─────。


(……ここに毒を受けたのか)


 棘のようなものが刺さったのか、小さな刺創しそうが見て取れた。その周囲は赤く腫れ、触れればそこだけ異様なほど熱を帯びている。ここが患部であることは明白だろう。


 ─────だが、おかしい。


(……解毒ができている割に、ここだけやけに熱いな。腫れも大きい……本当に解毒できてるのか?)


 思ってたずねる。


「……その解毒剤、誰からもらった?信用できる奴か?」

「……ギルドで出会った奴だよ。ギルバートっていう……」

「ああ、ギルバートか…!……なら大丈夫だな」

「知ってるのか?」

「顔見知り程度にはな。あいつは誰かを騙せるような奴じゃない」


 むしろお節介焼きで、頼まれなくとも誰かのために進んで奔走するのが心底好きな人物だろう。


「ちなみに処置をしたのは解毒剤を飲ませることだけか?」

「あ、ああ……そうだが……?」


 なるほど、と口の中で小さく呟く。


(……だとすれば、可能性は一つ)


 律はおもむろにアレンの首筋に顔を寄せて、患部とおぼしき場所に口をつける。


「…!?リツ……っ!!?」


 突然の律の行動に驚愕して目を見開くユーフィムたち三人には構わず、律は患部を口に含んでできる限り強く吸引した。ひとしきり吸うと口に含んだものをハンカチに吐き捨て、また患部を吸う。それを二、三度繰り返して、ようやく律は体を起こした。


「……これでとりあえずは熱もある程度治まるだろ」

「何してる…!?そんな事をすれば君も毒に冒されるぞ……!!」


 人心地つくように息を吐く律の腕を、ユーフィムは我に返って慌てて掴む。それには律はあっけらかんと笑ってみせた。


「大丈夫だよ、飲み込んだわけじゃねえし口の中に傷も虫歯もない。毒が体内に入る事はねぇよ」

「まさか……解毒できていなかったのか……?」


 唖然と問うジオンに、律はかぶりを振った。


「いや、解毒剤は効いてるはずだ。だからこそ高熱だけで済んだんだよ。じゃなきゃ今頃、呼吸困難に陥って心臓が止まってる」

「……なら、今何をした?」


 心底判らないと言いたげに三人揃って怪訝そうに眉根を寄せる彼らに、律はにやりと笑う。


「────もちろん、毒を吸ったんだよ」


 まむしなどに噛まれて体内に毒が入った時の正しい治療法は、まず患部を小さく切開して洗浄し、並行して抗菌薬を全身投与する方法が一般的だ。だが今回は抗菌薬に当たる解毒剤の投与だけで、患部の処置は手つかずだった。『しばらく高熱が続く』と言ったのは、その患部に溜まった毒が少しずつ体内に入るからだ。解毒剤が効いているので命を脅かすまでには至らないが、体内に入った毒に過剰に反応して免疫反応が強く出るのだろう。


「さすがに医師でもない俺が切開するわけにはいかないからな。代わりに吸引する事で溜まった毒を抜いたんだよ」

「……なぜ治癒魔法を使わない?」


 訝しげに訊ねるジオンの問いに、律はさもありなんと返す。


「万能じゃないから」


 ─────そう、治癒魔法と言っても万能ではない。痩せ細り衰えた体が治癒魔法では治らないのと同じように、治るものと治らないものがある。律はまだ治癒魔法を覚えたてで、その境目を完全に把握しているわけではない。解毒が治癒魔法でできるか判らない以上、律はより確実な方法を選択したのだ。


「……でもまあ、さすがにこの熱をほっとくわけにはいかねえよな」


 言いながらまず患部である首筋に手を当てる。小さな光がわずかに首元を包んだかと思うと、律の手が離れた頃にはすっかり腫れも引いて毒を受けたとおぼしき小さな刺創も、もうどこにあったのかすら判らない。そのまま続いてアレンの額に手を当てると、律はゆっくりと瞳を閉じた。律が治癒魔法を行使する際、必ず目を閉じるのはその方が想像しやすいからだ。過剰に反応している免疫反応を抑えるように、あるいはなだめるように、律は体温が少しずつ下がっていく様子を想像した。


 いつもの温かな光がアレンの体を包み込んで、そしてその光が収まる頃には、もう赤みを帯びた頬も額に浮き出ていた脂汗もすっかり鳴りを潜めている。そこには穏やかに眠るアレンの姿だけがあって、ジオンとコーディは心底安堵したようにため息を落とした。


「─────で?」


 アレンの額に当てた手から熱が引いたことを確認して、律はすっかり安堵しきっているコーディとジオンに鋭い視線を向ける。二人は律の言葉の先にどんな台詞が来るのかを否応なく悟って、びくりと体を強張らせた。


「お前ら今日一日魔獣の森で何してた…!?弟をこんな目に遭わせてどういうつもりだ…!?」


 明らかな怒気を含む律の様子に、二人はまるで母親に叱られた子供のように背中を丸めて居心地悪そうに肩身を狭くする。そうして互いに顔を見合わせて、観念したようにコーディが口火を切った。


「………ごめん。ギルドで依頼を受けて魔獣の森に行ってたんだ……」

「依頼?なんでわざわざそんな事……。欲しい物があるならわざわざ危険を冒さなくても俺が─────」

「それじゃあ、意味がないんだよ…!!!」


 怪訝そうな律の言葉を遮るように、コーディは声を荒げる。それに目を丸くする律の前に、コーディは卓の上に置いていた布包みを無言のまま差し出した。


「…?何だこれ?」


 それには何も答えないので、律はそれを受け取って布の包みをゆっくりと開いてみる。そこに現れた、この世界の紙幣の束────それも結構な大金だろう。律はなおさら目を見開いて、コーディとジオンを見返した。


「……すまんな、リツ。お前には散々世話になった。これは親父を助けてくれた礼と、今まで俺たちを養ってくれた分の金だ」

「─────……」


 律は言葉を失う。

 これではまるで、ここを出て行くと言っているようにしか聞こえない。


 ここを出て行くのか?と一瞬問い詰めそうになる自分を何とか抑えて、律は悄然とベッドに腰を下ろしながらもう一度その紙幣の束を視界に入れた。

 彼らがここを出て行く事を、咎める事も引き留める事もできない。自分は結局、数日一緒に暮らしただけの赤の他人なのだ。彼らの決断に口を挟めるような間柄ではない。


(……まあ、そうだよな。ここにいるのも出て行くのも自由だ。最初はなから束縛するつもりはない)


 そう自分を納得させるための言い訳を心中でこぼしつつ、それでも言いようのない寂寞せきばく感が襲ってくるのは、きっと何の疑いもなく彼らとこのまま一緒に暮らしていけると思っていたからだろう。


 何も言わず、ただ手に持っている金に視線を落としたままの律に、コーディは続ける。


「……俺たち、リツに甘えすぎてたんだよ。こっちが何も言わなくても、リツは嫌な顔ひとつせず何でもしてくれたからさ。だからずっと甘えてた……。でも、それじゃダメなんだよ。リツ一人にだけ負担を強いてるのに、それが当然って顔して一緒に暮らしてなんかいけない。そんなの、一緒に暮らす資格なんてねえよ」

「……一緒に暮らすのに、資格なんて必要ないだろ」


 未練がましく彼らを引き留めるような物言いをする自分自身に、心底呆れ返る。

 無意識にか布包みを持つ手に力を込める律に、コーディはかぶりを振った。


「……違うよ、リツ。そんなの一緒に暮らしてるなんて言わない。そんなのただの居候だよ。…一緒に暮らすって言うのは、一緒に苦労して一緒に生活するって事だ…!俺たちだって役に立ちたいんだよ…!リツの役に立って…!一緒に苦労して…!!胸張ってリツの『家族』だって言いたいんだ…っ!!!」

「─────……!」


 律は瞠目して、必死に訴えるコーディを視界に入れる。

 コーディが口にした『家族』という言葉が耳から離れない。

 彼らも自分と同じく、そう思ってくれていたのか─────思って、眉根を寄せる。


「─────…………ん?出て行かないのか?」

「え…っ!!?やっぱり俺たちここにいたら迷惑なのか…っ!!?」

「……いやまてまてまて。認識の相違があるぞ…!」


 何やらどこかで誤解が生じたらしい。


「あー…つまりだ、お前たちは一緒に暮らしていく上で、自分たちも生計を立てる手伝いがしたいと……そう言いたいんだな……?」


 コーディの伝えたい事を手短に判りやすく要約する律に、二人を大きく頷く。律はげんなりしたように一度嘆息を落とすと、ぎろりと二人を睨みつけた。


「だったら紛らわしい言い方をするな…!!てっきり出て行く方向に話が進んでんのかと思うだろうがっっ!!!」

「……………紛らわしかったか?」

「……………さあ?」


 顔を見合わせて心底判らないとばかりに首を傾げる二人に、律は盛大に諦観のため息を落とす。彼らに言ったところで馬の耳に念仏だろうか。


 そう呆れつつ、自身の落としたため息の中に安堵の気持ちが多分に含まれている事を自覚して、律は小さく笑う。

 そんな律を満足そうに視界に入れてから、ジオンは隣にいるコーディをちらりと一瞥した。


「……コーディがな、ずいぶんと心配してたんだよ」

「心配?」

「ずっとリツに甘えてばかりだと、出て行けって言われるかもしれないって」

「…!?あ、兄貴…!!リツに言うなよ…!!」


 耳まで紅潮した顔で憤慨するコーディを丸くした目で見返しながら、律は得心したように小さく笑い声を上げた。


 ─────だから、こんな無茶をしたのか。

 不安と焦燥感に駆られた結果なのだと悟って、律は呆れと同時に思わず顔が綻ぶ。

 これは、一緒にいたいと言われているのと同じことだ。


 何やら面映ゆい気分に襲われて、それでも悪くないその心地に浸るように笑い含みの息をひとつ落とした後、律は頬を膨らませているコーディに告げた。


「……親父にはもう言ってあるんだよ」

「…?何を?」

「『家族の間で貸し借りなんてないだろ』って」

「…!?じゃあ…!!!」


 目を爛爛と輝かせるコーディに、律はもう一度、今度はにやりと笑う。


「ここは俺たちの家だ。俺たち『家族』の『我が家』なんだよ。だから安心してここに住めばいい」

「!!?リツ…!!!ありがと!!!!」

「─────ただし、条件が一つ」

「………え?」


 嬉しさのあまり飛びつくコーディに、律は険しい顔で念を押す。


「今回のような危ない事は絶対にするな!どうしても受けたい依頼があるならまず俺に相談しろ」

「…!」

「命に関わるような怪我でもしたらどうするつもりだ!?それこそ死んだら後悔もできないんだぞ!判ったな!?」

「……………あー…」

「─────約束できるな?」


 コーディの目だけを見て約束を迫っているところを見ると、どうやら律は今回の無茶を通したのもコーディだと見抜いているのだろう。律の様子に内心で過保護な奴だと苦笑を落としながら、ジオンは先ほどの喜々とした表情とは打って変わって肩身が狭そうに不承不承と頷くコーディを見届ける。そうしてようやくそこで助け舟を出した。


「───さて、そろそろ夕飯の準備をした方がいいんじゃないのか?」


 アレンヴェイル皇国の夜は早い。

 夜の帳が完全に落ちたとはいっても、時間で言えばまだ夕暮れ時。そろそろ夕飯の準備をする時間だ。


 まだ説教がし足りないとばかりに軽く渋面をコーディに向けつつ、だがそろそろ準備をしないと子供たちがお腹を空かせる事もあって、律は盛大に諦観のため息を落とした。


「……そうだな、準備するか」


 重い腰を上げながら、律はふと見回した視界にユーフィムがいない事を悟って訝しげにたずねた。


「…あれ?ユーフィムはどうした?」

「ああ…!リツがアレンに治癒魔法をかけてる時に出て行ったぞ?客が来たとか言って」

「客?」


 ジオンの言葉を反芻しながら、律は何気なく窓に視線を移す。その視界に見慣れない仄かに青く光る花が目に留まって、律は目を瞬きながら食い入るようにその花を見つめた。


「すごいな…!青く光ってるのか?この花」

龍爪花りゅうそうかって言うんだよ、その花…!すっごく珍しい高価な花で、今日俺たちが採ってきた花なんだ…!」

「へえ…!綺麗な花だな…!」


 その花姿はながらは少し彼岸花に似ているだろうか。そういえば彼岸花の別名に『龍爪花』という名前があったような気がする。

 そんな事を何とはなしに思いながら律がまた臆面もなく褒めるので、得意げに説明をするコーディはなおさら誇らしそうに得意げになった。ずっと律の肩に居座って成り行きを見守っていた黒虎こっこも、物珍しいのか窓のさんに居場所を変えて、花に鼻先を寄せている。


「……本当はさ、この花全部ギルドに渡すつもりだったんだよ。でも花が見つかる前に毒で倒れて、結局アレンは龍爪花を見られなかったからさ。……可哀想じゃん、そんなの」


 少し寂しげに、コーディはベッドで眠るアレンを視界に入れながら呟くように告げる。コーディなりに、義弟であるアレンを可愛がっているのだろう。それが判って、律はくすりと笑う。


「……そうだな、お前たちが頑張った証だからな。アレンが目を覚ましたら見せてやれ」

「うん。……でも本当は俺たちだけで採ったわけじゃないんだよ、この花」

「え?」

「ギル────ギルバートと、もう一人俺たちのために手伝ってくれた奴がいるんだ」

「……へえ、いい奴じゃねえか」

「うん、いい奴だった……」


 その言葉とは裏腹に、なぜだか悄然と俯くコーディが心なしか元気がないように見える。律は俯くコーディの顔を窺うように首を傾げて、眉根を寄せた。


「…?コーディ?どうした?」


 何やら思いつめたような表情を取った後、しばらくしてからコーディは意を決したように律へと視線を向ける。そうしてすぐさま口を開いた。


「リツ…!!!お願いがあるんだ…!!助けてほしい奴がいるんだよ…っ!!!」


 その視線には強い意志が多分に乗せられている事が判って、律はなおさら目を瞬いた。


**


 議事庁舎のレオスフォードの執務室から、大きな物音が響く。それはレオスフォードが勢い余って立ち上がった際、そのまま後ろに傾いた椅子が床に倒れる音だった。


「…………逃げられた……?」


 愕然と呟くレオスフォードの前には、項垂うなだれるようにこうべを垂れているリシュリットの姿。


「……申し訳ありません。冷静さを欠いておりました……」


 ─────実際、冷静さを欠いていたのだとリシュリットは思う。

 時間がない中でようやく巡り合えた僥倖を、よもや邪魔されるとは思ってもみなかったのだ。焦燥感と彼からの妨害で、つい感情的になってしまった。─────いや、きっとそれだけではないのだろう。遠い昔に捨てたはずの感情が沸々と湧いて出てくるのは、おそらく異界の旅人────律の、あの特異な声が否応なく心を刺激するからだ。そうして、よりにもよって失敗してはならない時に失態を犯してしまった。


 言い訳もせず、ただ頭を(こうべ)垂れて謝罪するリシュリットに、レオスフォードは一瞬責め立てるような言葉が口を突いて出そうになる。それを何とか呑み込んで、だがどうしてもその事態を呑み込むことだけは出来ず、顔を歪ませ拳を強く握りしめた。


 ─────それがなおさら自分の失態が、決して犯してはならない失態だった事を如実に物語っているようで、リシュリットはさらに肩身を狭く項垂うなだれた。


「…………本当に……申し訳ありません………」

「…!」


 二度目の謝罪に、レオスフォードは我に返る。言葉にしなくとも、他ならぬ自分の態度がリシュリットを責め立てているのだろう。それが判ってレオスフォードは、心の平静を保つように深呼吸に似たため息をひとつ落とした。


「……いや、リシュリット殿が謝罪なさる事ではない」

「ですが…」

「そもそも一番初めに私が彼を取り逃がしたのだ。その私がリシュリット殿を責められるはずもないだろう……」


 倒れた椅子を元に戻し、そこに腰を落ち着けてもう一度息を吐く。わずかに心が落ち着いて、レオスフォードは背を椅子に預けながら部屋を見渡した。


「……カッティとザラはどうした?まだ戻ってきていないのか?」


 レオスフォードは、唐突にリシュリットが現れた事で、狼狽しながらそそくさと部屋を退出しようとしていた書記官にたずねる。問われた書記官は扉に当てていた手を一度離してから、居住まいを正して返答した。


「……一時間ほど前に戻られたのですが、何やらカッティ様が思い詰めたようなご様子で……」

「カッティが?」

「しばらくザラ様になだめられて、つい先ほどまたお出かけになりました」

「何があった?」

「それは私にも……」


 困惑したようにかぶりを振るので、レオスフォードもこれ以上は追及する手立てもなく、短く「判った」と返す。そのまま一礼して部屋を辞去する書記官を見届けてから、リシュリットは口火を切った。


「……取り逃がしてしまいましたが、異界の旅人を拉致したと思われる者たちの容姿が判明いたしました」

「…!本当か…!」


 瞠目して声を張り上げるレオスフォードに、リシュリットは首肯を返す。


「はい。どうやら漆黒病患者の息子たちのようです。とは言っても、おそらく血の繋がりはないのでしょう。皆その容姿が似ているわけではありませんでしたので」

「どういう容姿だ?特徴は?」

「一番年長と思われる者は二十歳を過ぎたばかりの青年でした。黒髪で痩せ型ではありましたが、三人の中では一番体格もよく無骨な感じのする男です。残りの二人はまだあどけない容姿で、一人は明るい茶金の髪に年の割に整った顔立ち、もう一人は華奢な体つきに灰色がかった薄い赤毛で顔の半分が隠れている少年です。そのどちらもずいぶんと痩せ細っていました」

「…!」


 何やら脳裏にぴたりと当てはまる容姿の三人組が浮かぶのは気のせいだろうか─────?

 まさか、と口の中で小さく呟くレオスフォードの予想を肯定するように、リシュリットの言葉が続く。


「…そのうち名が判明したのは一人だけ。その赤毛の少年の名が『コーディ』と─────」

「!!?」


 そうしてようやく思い当たる。彼は父親を治してくれた人物に深い感謝の念を抱いていなかっただろうか────?


 彼の言葉一つ一つを思い出すほどに、彼の父親がどんな病で誰の治療を受け、そして彼がずっと口にしていた人物が一体誰の事だったのかを理解して、レオスフォードは弾かれるように駆け出した。そのまま部屋を出て行くレオスフォードに目を丸くして、リシュリットは慌てて名を叫ぶ。そんなリシュリットに構わず彼が向かった先は、彼らと出会った場所─────ギルドだった。


「…!ああ…!レオスフォード殿下…!」


 肩で息をしてなりふり構わず扉を開いた先にいたのは、ちょうどあの時コーディに詰め寄られていたギルド職員の彼だった。


「今日は助かりました…!アレン様が毒をお受けになられたそうですけど、何とか無事依頼を達成─────」

「ジオン!!アレン!!コーディ!!誰でもいい!!彼らが住んでいる場所は判るか!!?」


 言葉を遮り険しい形相で詰め寄るレオスフォードに、ギルド職員はたまらずたじろぐ。


「……え……っと……?」

「大事なことだ!!頼む…っっ!!!」


 そのひっ迫した様子に何やらのっぴきならない事情があるのだと悟って、ギルド職員は困惑しながらも頷き返した。


「……しょ、少々お待ちください…!」


 慌てて奥の部屋に入り、次に出てきた彼の手には三枚の用紙が握られていた。だがその表情が曇っているように見えて、レオスフォードは言いようのない胸のざわめきを覚える。


「申し訳ございません…!実は─────」

「貸してくれ!!」


 半ば奪うように彼の手からそれを奪い、三枚の用紙に視線を落とす。その視界に入ってきたのは、空欄になっている住所の欄─────。


 茫然と見返してくるレオスフォードに、ギルド職員は申し訳なさそうに答えた。


「……彼らはこの国の出身ではなく他国から渡ってきた方々で、住所が不定だったのです。とりあえず仮の宿だけでも決まれば報告に来てほしいと言い添えてはいたのですが……」


 ─────報告しに来なかったのだ。

 言えるはずもない。まさか朽ち果てる寸前の教会に居を構えているとは、口が裂けても言えないだろう。


 レオスフォードは三枚の用紙に視線を落としている顔に深い渋面を刻みながら、四度よたび指の隙間から希望がすり抜ける様を、まざまざと突き付けられたのだった。


**


 闇に包まれた窓辺に仄かに青く光る珍しい花を視界に留めながら、ユーフィムは来たる客を待ち構えていた。


「………ユーフィム」


 おずおずと掛けられた声に、ユーフィムは視線を龍爪花から声のする方へと移す。その視線の先に、申し訳なさそうな表情を向けてくる、かつての親友の姿があった。


「……昼間は悪かった、ユーフィム」

「……来ると思ったよ、コハク。────ああ…!コハクじゃなかったな。確かカッティ=ラングドシャだったっけ?」

「……だから謝っただろう?」

「これはこれは失礼いたしました、カッティ様。見も知らない者のところに一体何のご用でしょうか?」

「……相変わらず根に持つ奴だな、お前は」


 不満を表すように小芝居がかった演技を見せるユーフィムに、コハクはげんなりとした表情を返す。それにはユーフィムも負けじと鼻を鳴らして応酬した。


「当たり前だろう。親友にあんな扱いをされて不機嫌にならない奴がいると思うか?」

「だから────」


 謝っているだろう、と続けるはずだった言葉を呑み込んで、コハクは観念したようにため息を落とす。


「……本当にすまなかった。悪いと思っている」

「……原因はあの人間か?」


 コハクと一緒にいた人間の男。彼は明らかにコハクの事情を何も知らない様子だった。

 その的を射たユーフィムの言葉に、コハクは首肯を返す。


「……彼には知られたくない」


 ぼそりと呟くコハクの言葉に、ユーフィムは呆れを多分に乗せたため息を返す。


「……知られたくないのはお前が特異な存在だという事か?それとも─────もう千年近く生きているという事か?」


 その問いかけにしばらく沈黙を返してから、コハクは重い口を開いた。


「……どちらもだ。私は今、人として生きている」

「だと思った。……信用できるのか?あの男」

「…!」

「お前の特異な体質を知れば、人間は皆目の色を変えて襲ってくるぞ?それは八百年前に嫌というほど理解しただろう?」


 八百年前─────ユーフィムが初めて彼と出会ったのは、奴隷品評会と銘打った会場の裏にある、奴隷商人の商品置き場として使用されていた小屋の中だった。檻に入れられ、手足を鎖で繋がれていたコハクの姿が、今でもありありと思い出せる。彼の体にはいくつもの傷が付けられていたのか全身包帯だらけだった。


 コハクはその時の事が脳裏をよぎって、押し黙ったまま俯く。その渋面を保ったまま、コハクは絞り出すように声を出した。


「……そういう言い方はしないでくれ。彼は────ザラは信用できる人間だ」

「信用したい────の間違いじゃないのか?」

「………違う。彼はきっと………きっと私がどういう存在であっても……変わらず接しくれる……私を、売ったりなどしない……」


 しどろもどろと落とされるコハクの言葉には、やはり困惑が多分に乗せられている事が見て取れた。ユーフィムの言葉を否定しながらも、そこに矛盾がある事が自分自身でも気づいているのだろう。


 本当にザラを信用しているのであれば、迷わず自分の出自を話しているはずだろう、と─────。


 そんなコハクの様子に、ユーフィムは自責の念に捕らわれる。少し留飲を下げるだけのつもりだったが、どうやら触れてはならないものに触れてしまったらしい。


(………少しいじめすぎたか)


 コハクの事情をすべて把握しているユーフィムは、やり過ぎてしまったことを自覚して、バツが悪そうに頭を掻いた。


「……悪かったよ。言い過ぎた」

「……いや、ユーフィムの言いたい事は判っている。……だが、ザラは本当に信用のおける人物だ。いつも私を理解しようとしてくれる。……ユーフィムに会いに行けと背中を押してくれたのも、彼なんだ」

「……あいつが?」


 思わず眉根を寄せて、ユーフィムは言葉を繰り返す。

 あの時、彼は自分を目の敵のように扱わなかっただろうか?


 疑わしそうに胡乱な目を向けるユーフィムに微苦笑を送って、コハクは頷いた。


「……私の様子がおかしかったからだろう。『本当に彼と友人なら、詳しい事情を尋ねたりはしないから謝りに行け』────と」


 軽く目を瞬いてから、どうりで、と心中で呟いてユーフィムは森の外に視線を向ける。コハクがここに現れてから、ちょうど森の出入り口付近に微動だにせず立っている人間の気配があった。きっとザラがそこでコハクの帰りを待っているのだろう。それが判って、ユーフィムはふわりと笑う。


「……そうか。よかったな、コハク」


 出会った頃の彼は人間不信で怯え切っていた。それを思えば、今のコハクの様子は嬉しい限りだ。────ただし、もし彼がコハクを裏切るような真似をすればただでは済まさない、と固く心に誓いつつ、ユーフィムは改めてコハクに向き直る。


「────で?謝罪するためだけにここに来たわけじゃないんだろう?」


 問われてコハクは頷く代わりに元客亭を視界に入れた。


「……手短に訊く。ここに異界の旅人はいるか?」


 あまりに単刀直入に訊ねたコハクの問いに、ユーフィムはにやりと笑い返した。


「────いるわけないだろう?俺がお前と同じで人間嫌いだった事を忘れたか?」

「……本当だな?」

「ああ、竜の神に誓って嘘はない」


 わずかの動揺も戸惑いも見せず、ユーフィムは平然とうそぶく。そんなユーフィムの言葉を精査するようにコハクはしばらく黙したまま彼の顔を眺めた後、諦めたようにため息を落とした。


「……判った、信じるよ」

「それは何より。……積もる話もあるから今度お前の屋敷に行ってもいいか?」

「……どうせならここがいいな。元客亭の中がどうなっているか気になるところだ」

「大したものはないよ。内装が手つかずな所が多いから危ないんだ」

「それくらいなら気にしない。私ももう子供ではないからな」

「……そうか、ならまた機会があれば」 

「ああ、是非」


 お互いに笑顔を見せつつ、その実、腹の探り合いであることは明白だろうか。


 そんな生産性のない不毛な会話をひとしきり続け後、コハクは「また」と言葉を切って踵を返した。そのまま森の中へと消えていくコハクの背を見送りながら、ユーフィムは律の存在が彼らに知られるのも時間の問題だと悟る。


(……よりにもよってコハクが第二皇子側についていたか)


 コハクは昔から頭が切れた。酷い目に遭わされ続けたせいか、警戒心が強く疑り深い。彼を騙せたと思わないほうがいいだろう。


 それでも、とユーフィムは自身が吐いた白い吐息を追うように元客亭を仰ぎ見る。


 コハクがザラという人間を信頼し擁護するように、自分にだって守りたいものはある。当初、一族のため、ひいては自分のために異界の旅人を利用しようと近づいたはずの彼は、今や自分にとってかけがえのない存在になりつつあった。


 目的を見失ったわけではない。

 長が何を言おうとも、自分の信じる道を進むつもりだ。

 だが今はそれ以上に、律を傷つけその自由を奪おうする連中が憎くてたまらない。


 律の能力が公になれば、各国は間違いなく異界の旅人の身柄を欲する。そして律の自由は否応なく奪われるのだ。


(……それだけは許さない。例え相手がコハクであっても、だ)


 そう固く心に誓って、ユーフィムは雪を踏みしめながら温かい我が家へと戻って行った。

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